マリー=アンリエット・ド・アブスブール=ロレーヌ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
マリー=アンリエット・ド・アブスブール=ロレーヌ
Marie-Henriette de Habsbourg-Lorraine
ハプスブルク=ロートリンゲン家
Maria Hendrika of Belgium, Duchesse de Brabant.jpg
称号 ベルギー王妃
出生 1836年8月23日
オーストリア帝国の旗 オーストリア帝国
ハンガリー、ペシュト
死去 1902年9月19日(満66歳没)
ベルギーの旗 ベルギースパ
配偶者 レオポルド2世
子女 ルイーズ
レオポルド
ステファニー
クレマンティーヌ
父親 ヨーゼフ・アントン・フォン・エスターライヒ
母親 マリア・ドロテア・フォン・ヴュルテンベルク
テンプレートを表示

マリー=アンリエット・ド・アブスブール=ロレーヌMarie-Henriette de Habsbourg-Lorraine,1836年8月23日 - 1902年9月19日)は、ベルギー国王レオポルド2世の王妃。

ハンガリー副王を務めたオーストリア大公ヨーゼフ・アントンとその3度目の妻であるヴュルテンベルク公女マリア・ドロテアの末娘として、ハンガリー王国のペシュトで生まれた。

1853年に、ベルギーのレオポルド王子と結婚。2人の間には4子が生まれた。

長男レオポルド王子の死と、夫レオポルド2世との不和によって、マリー=アンリエットは次第に塞ぎ込むようになっていった。晩年には、公的な役割を第三王女のクレマンティーヌに任せ、温泉地であるスパに隠棲した。マリー=アンリエットは1902年に亡くなり、遺骸はラーケンノートルダム・ド・ラーケン教会にある王室納骨堂に埋葬された。