サポヤイ・ヤーノシュ
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サポヤイ・ヤーノシュ (Szapolyai János、1487年2月2日 - 1540年7月22日)は、ハンガリー王国の対立王。即位以前はトランシルヴァニアのヴォイヴォド(en:Voivode)であった。
スピシュスキー城で生まれた。サポヤイ家はトランシルヴァニアを基盤とする豪族で、彼は1514年に起きたドーサ・ジョルジ(en:György Dózsa)率いる農民反乱を鎮圧し、首謀者であるドーサを残酷に処刑した。
1526年、モハーチの戦いでラヨシュ2世が大勢の兵と共に戦死した後、空位となったハンガリー王に立候補した。ラヨシュの姉アンナ・ヤギエロを妃とするハプスブルク家のフェルディナントも立候補し、対立した。サポヤイはハンガリー貴族のうちでもリーダーシップがあり、過去20年間政治的な経験があった(また、彼の政敵はモハーチの戦いで戦死している者が多かった)。貴族の大多数はサポヤイに付き、わずかな貴族がフェルディナントについたにすぎなかった。1526年11月、セーケシュフェヘールヴァールで即位。ヤーノシュ1世と称した。
彼はオスマン帝国のスレイマン1世の後ろ盾がなければフェルディナントに対抗し得ないと考えたが、それが仇となってヨーロッパ諸国から王として承認されなかった。
1540年、セベシュ(現在のルーマニア・アラド県の都市)で死去。
サポヤイの妃ヤゲロー・イザベラ(ポーランド王ジグムント1世と妃ボナ・スフォルツァの長女)は、夫の死後1556年から1559年の間ハンガリー女王として王位を請求し続けた。
サポヤイの死後、1541年にオスマン帝国領ハンガリーとしてオスマン帝国に臣従する事となる。

