ヤドヴィガ・チェシンスカ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索

ヤドヴィガ・チェシンスカポーランド語:Jadwiga cieszyńska;ハンガリー語:Hedvig tescheni hercegnő, 1469年 - 1521年4月6日)は、チェシン公国の統治者プシェミスワフ2世の一人娘、母はマゾフシェ・ピャスト家の一員であるワルシャワ公ボレスワフ4世の娘アンナ。

1477年に父が死ぬと、8歳のヤドヴィガは従兄カジミェシュ2世の後見を受けた。1483年8月11日トレンチーンの領主で妻を亡くしたばかりのハンガリー人大貴族サポヤイ・イシュトヴァーンの2番目の妻となった。ヤドヴィガは夫とのあいだに4人の子供をもうけた。

  1. ヤーノシュ(1487年 - 1540年) - 後にハンガリー王
  2. ギョルギ(1494年 - 1526年) - モハーチの戦いで戦死
  3. ボルバーラ(1495年 - 1515年) - ポーランド王ジグムント1世の最初の妃
  4. マグドルナ(1499年 - ?、夭折)

夫サポヤイが1499年12月23日に亡くなったあと、ヤドヴィガはハンガリーに残って夫が残した莫大な財産を管理した。また彼女はスピシュにあるカルトゥジオ修道会のラピス・レフュギイ修道院の支援者としても活動した。1521年にトレンチーンの城で亡くなり、スピシュスカ・カピトゥラにあるサポヤイ家代々の墓地の夫の墓の隣に葬られた。