ノート:共産党/過去ログ1

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。
過去ログ1 過去ログ2

一党独裁との表現

共産党の一覧表への、Miki08さんによる「一党独裁制」から「一党制」への語句修正は、私が取消しました。各国共産党の記事で「一党独裁(制)」の表現は一般的で、非中立的とは言えません。Miki08さんは各記事でWikipedia:中立的な観点に問題のある編集を続けているため、詳細は(各記事のノートではなく)利用者‐会話:Miki08に記入しました。--Rabit gti 2010年4月17日 (土) 08:59 (UTC)

ウィキペディア日本語版では以下のように説明されています。

一党制・・・合法政党が一党しか存在せず、他の政党の存在が許されない政党制(政党システム)
一党独裁制・・・一つの政党しか存在しない政体である。一つの政党が中心となって他の政党の活動や政策決定への介入を許さず、時には存在さえ許さずに統治行為が行われている体制

「一党制」と「一党独裁制」の意味はほぼ同じであり(語感はちがいますが)、どちらでも間違いではないと思います。主要外国語では「一党制」にあたる表現が主に使われています。

  • 英語:single-party state、one-party system、single-party system
  • ドイツ語:Einparteiensystem
  • フランス語:Parti unique
  • イタリア語:Monopartitismo
  • スペイン語:Unipartidismo
  • 中国語:一黨執政、一党专政、一黨專政、一黨獨裁

以上から、「一党独裁制」から「一党制」への語句修正は、中立的な観点に照らして問題のある編集にはあたらないと思います。--Miki08 2010年5月5日 (水) 02:54 (UTC)

コメントMiki08さん、コメント対象の発言を冷静に再読ください。一党制または一党独裁制の用語のどちらかが、中立的でないとか、間違いなどとは、誰も書いていません。しかしマルクス・レーニン主義プロレタリア独裁の観点から、(プロレタリア独裁が何を意味するかの議論はありますが)、日本では各国共産党に「一党独裁」の表記が一般的であり、Wikipedia日本語版のソビエト連邦共産党中国共産党朝鮮労働党ベトナム共産党キューバ共産党などは全て「一党独裁(制)」で統一しており、特に理由が無ければ当記事でも「一党独裁」に合わせるのが妥当です(仮に「一党制の方が妥当」との理由が本当にあれば、合意後、各記事を一斉修正すべきでしょう)。しかしMiki08さんによる「一党独裁制」から「一党制」への語句修正は、コメントに「「独裁」という言葉には反対者は捕らえられ処刑されるようなイメージがあり、北朝鮮以外は社会の実態を正しく表現しないように思う。」とあり、用語の置換えによる読者への印象操作を意図しており、中国などの実態も無視しており、また「独裁 = 悪」との中立的でない視点です。このため「Miki08さんは各記事でWikipedia:中立的な観点に問題のある編集を続けている」と書いています。「出典があり間違いで無いなら書いて良い」ではなく、百科事典なので記事内や関連する記事との用語の整合性も考慮して、かつ印象操作を意図するのではなく、中立的に記述すべきです。なお、世間の辞書、Wikipedia各国語版、日本語版の各記事など、なにを比較するかは、比較の目的次第です。--Rabit gti 2010年5月5日 (水) 04:21 (UTC)

Rabit gtiさんの編集を支持します。ソ連共産党の系譜に属する政党が権力を握った国の体制が「一党独裁制」と呼ばれるのは、単に「一つの政党しか存在しない政体である」からではなく、ソ連共産党のプロレタリア独裁理論を背景にした体制だからです。「一党制」と書き換えると固有の意味が失われてしまいます。--Kazhik 2010年5月5日 (水) 11:08 (UTC)
「一党独裁制」で了解しました。Rabit gtiさんの印象操作との批判についてですが、私としてはふさわしい表現を求めただけで、真実を隠蔽したり美化する意図はありません。--Miki08 2010年5月6日 (木) 02:39 (UTC)

「各国の共産党」の表について

【提案内容】共産党#各国の共産党の一覧表について、「セル結合を外す、国名を通称にする(例:イタリア共和国イタリア)、設立年・解消年を追加する」事を提案します。 【経緯】、従来は「存続(指導政党、与党、野党など、放棄)、消滅」など5つの表でしたが、私がタイトル重複の削除や再整列(ソート)可能な表とするために1つの表にまとめました[1]が、現在は中途半端で国名などでソートすると表が崩れ、その理由はセルの結合が残っているためです。 【理由】静的な表示の見栄えと、データとしての機能性のどちらを優先するかは永遠の課題で、趣味の問題も大きいですが、Wikipedia:スタイルマニュアル では「ウィキペディアの記事では、文章のスタイルよりも、記事の内容の方が大事」とあります。現在の構成では「○○国の共産党は既に消滅した」と知らなければ、表を全部読んで探す必要があります。また例えば「イタリア」は「野党」と「捨てた」に分かれて存在し、片方を見落としがちです。現在の国名は、共産党が存続の場合は「現在の正式国名」(例:イタリア共和国)、消滅した場合は当時の国名(例:東ドイツ)が使い分けられているようですが、混乱しそうです。この表での国名は通称(例:イタリア)の方が望ましいと思います。また現在の「備考」の多くは設立年ですが、これでソートできれば歴史的順序も確認容易です。 【参考】ファシズム#一覧は、既にこの形にしてみました。皆様の意見をお待ちしています。--Rabit gti 2010年10月27日 (水) 12:31 (UTC)

報告 1週間以上、特に異論が無かったので合意されたとみなして反映しました。具体的にはen:Socialist Partyなども参考に、国名の通称化({{flag}}の使用)、セル結合の解除、結党年/解党年の列追加、「現状」の説明の別表化、「現状」に応じた背景色の色分けを行いました。基本的には内容は変えていない積もりですが、人民戦線ネパールは「消滅」とし、部分的(不完全)ですが備考の記述を簡潔にしたり揃えたりしました。ただし東ドイツやユーゴスラビアやチェコスロバキアなど「国が消滅した」場合は、国名は通称ではなく当時の正式国名も使いました。表の色分けは趣味や是非論もあると思いますが、不快に思う人が多発しないよう、なるべく淡い色を使いました。ご指摘あればお願いします。なお、上記の英語版を含む各国語版と「現状」の分け方が結構違っている点、また特に「共産主義を放棄して社会民主主義に変更して後継政党に改称した」場合、ドイツ共産党は「存続」(一部に共産主義が残っているから?)、イタリア共産党は「放棄」(後継政党を含めて存続?)、ポーランド統一労働者党は「消滅」(後継政党は含めないで消滅?)などの分類基準が気になりましたが、その党の内容や分類する観点にもよると思うので、これは詳しい方にお願いできればと思います。--Rabit gti 2010年11月6日 (土) 17:34 (UTC)

「各国の共産党」表の日本共産党の説明について

  • 「各国の共産党」表の「備考」欄に書く内容は、現在の各党を理解するうえで重要な事項に限定するべきだと思います。
日本共産党では、おもな創立者の氏名(堺利彦山川均荒畑寒村)、治安維持法以前の治安立法の名称、戦前の日本共産党がコミンテルン日本支部であったことは、現在の日本共産党を理解するうえで重要とは思われないので削除し、以下のようにまとめました。
1922年に結党。当時の治安立法により非合法状態におかれ、1945年8月、戦後の民主化で合法化。1950年に分裂しその一方が武装闘争路線をとったが、1955年に武装闘争を放棄し統一を回復。1960年代にソ連、中国の干渉とたたかい自主独立路線を確立。科学的社会主義を理論的な基礎とする。--Miki08 2010年11月26日 (金) 03:00 (UTC)

コメントMiki08さんによる上記の編集を取り消しました[2]。理由はコメント欄記載のように「他国の共産党と同等の説明に戻し(結党年、創始者、武力闘争放棄の有無、現思想などを、特定の立場ではなく客観的・簡潔に書くべき」です。Miki08さんが削除した歴史的経緯は必要ですし、リンク先でもある日本共産党#歴史を要約した表現です。各国の共産党の多数もそのように記載済です。また当記事は「現在の日本共産党の主流派である国際派による見解や宣伝」を書く場所ではなく「日本共産党のパンフレット」でもありません。特に「分裂しその一方が武装闘争路線をとった」や「統一を回復」や「干渉とたたかい自主独立路線を確立」や「理論的な基礎とする」などは、国際派以外から見れば中立的な表現ではなく、歴史的にも一方的記述です。当時の内部抗争は外部からみて複数党並存とまでは認識されておらず、山村工作隊などは「日本共産党」の公式方針に従っただけで、1955年以後は旧所感派の一部を含め、新左翼各派や日本共産党 (行動派)などへの分裂が続いています。Miki08さんは他記事を含め、現在の日本共産党への偏向編集の常習者で、個人の思想は自由ですが、ウィキペディアではWikipedia:中立的な観点の記述をする義務があります。--Rabit gti 2010年11月26日 (金) 04:42 (UTC)

武装闘争方針をとったのは、分裂した日本共産党の一方の側です。Yahoo!百科事典(小学館『日本大百科全書』)を参照。出典を示さずに不正確なことを書くのはやめてください。
創立者の名前や副次的な治安立法の名称などが 他国の共産党にも記載されているというのは事実に反します。「自主独立の党」は説明が必要な言葉です。「マルクス・レーニン主義を『科学的社会主義』と呼ぶ。」とことさら指摘するよりも、科学的社会主義(マルクス・レーニン主義)を基礎とする、程度の言い方が中立的だと思います。
どちらの文章が適切か他の方のご意見をお願いします。--Miki08 2010年11月26日 (金) 06:01 (UTC)
コメント まず、当記事は「共産党」なので、一覧での「日本共産党」の備考は、各国の共産党と同様にごく簡潔に書く事が妥当です。更にその記述も、リンク先でもある日本共産党#歴史の要約が妥当です。当記事で議論を展開したり、「両論併記」する事のほうがおかしい。いずれにしても特定党派のみの中立的ではない見解をそのまま書くのは不適切。私は出典は書いています。--Rabit gti 2010年11月26日 (金) 08:32 (UTC)
報告「どちらの文章が適切か他の方のご意見をお願いします」は同意見のため、Wikipedia:コメント依頼にも掲載しました。なお「武装闘争を放棄」の出典がありませんが、日本共産党は武装闘争放棄はしていません。1955年の日本共産党は、従来の武装闘争路線を「極左冒険主義」(状況を見ない無謀な武装闘争)と批判し、代わりに「敵の出方論」(将来の武装闘争は相手の状況次第 = 放棄ではない)を採用したもので、ユーロコミュニズム各党のような明確な武装闘争放棄宣言は出しておらず、出典とした警察庁の文書もその事を指しています。その後「敵の出方論」も言及が減りましたが、明確に「武装闘争放棄」をした事はありません。もちろん、武装闘争が良いか悪いか、あるいは維持しても形式的な話かどうかは別問題です(レーニン主義ならば武装闘争が原則なのは自然です)。ウィキペディアは事実のみを客観的に記述する必要があります。(従来より、このような基本的な無知や不正確さが多すぎます。)--Rabit gti 2010年11月26日 (金) 09:03 (UTC)
「党は分裂」、「武装闘争を放棄」、「党の統一を回復」は、小学館の『日本大百科全書』でも使われています。--Miki08 2010年11月26日 (金) 09:09 (UTC)
『世界大百科事典』(平凡社、1988年)の「日本共産党」の項目には、以下の記述があります。
  • 「党の分裂,そして徳田派による軍事方針の実施」
  • 「第6回全国協議会(六全協)は,武装闘争を放棄し党の統一を回復した.」
  • 「60年初頭からはソ連共産党と60年代後半以降からは中国共産党と理論面にも組織面でも対立し,(中略)自主独立の路線の確立に努めている.」--Miki08 2010年11月26日 (金) 09:56 (UTC)
コメント まず、辞書や百科事典は、「この言葉は一般にどう使われているか」などの出典には有用ですが、ある百科事典の記述だけで「内容が事実、表現が適切」との証明の出典にはなりません。また上記の『世界大百科事典』は、日本共産党の長い歴史を非常に簡単に記述したもので、ここでの「武装闘争を放棄し」は、文脈的にも「(所感派による従来の中国革命方式の)武装闘争路線を放棄」の意味で、「(将来ともに全ての)武装闘争を放棄」とは言えません。現在の記述は「1951年より主流派の所感派が武装闘争を行ったが、1955年に国際派が主流派となり武装闘争路線を棚上げした」ですが、これは他記事では、日本共産党#歴史の「六全協や第7回党大会による総括・第8回党大会以来の綱領路線を確立した現在も、敵の出方論を主張しているという理由から公安警察や公安調査庁により“調査活動”が現在も続けられている。」や、日本共産党第6回全国協議会の「それまでの中国革命方式の武装闘争方針を放棄したのであって、「暴力革命」路線全般を完全に放棄したわけでない」や、武装闘争の「武装闘争になるか否かは、状況次第」、敵の出方論の「反動勢力(権力や右翼など)がクーデターなど非平和的な手段に訴えない限り、政治暴力は行使しない」、などに相当する、簡潔な記述です。また敵の出方論に記載の1970年の日本共産党第11回党大会決議の「反動勢力が民主主義を暴力的に破壊し、運動の発展に非平和的な障害をつくりだす場合には、広範な民主勢力と民主的世論を結集してこのようなファッショ的攻撃を封殺することが当然の課題となる。」は、少なくとも「議会制民主主義堅持」の社会民主主義とは異なります。仮に「出典の警察庁の記載が間違っており、日本共産党は1955年に全ての武装闘争を放棄した」ならば、警察庁や多数の反共勢力が攻撃し続けているのに、日本共産党が全ての武装闘争放棄を公式に宣言した出典が存在しない説明がつきません。また「全て所感派のせいだった」と他責にして、党としては被害者に何の謝罪や賠償もせずに、その所感派の多くを不問にしたのも現実です(当時の事情は別として)。繰り返しますが「ある百科時点で書かれた表現は、事実であり間違い無いので、出典さえ付ければ記述できる」とは言えません。また、自分に都合の良い出典だけを探せば良いというだけでなく、他の記事や出典も確認する必要があります。以上は主に「武装闘争を放棄」の話ですが、「分裂」や「自主独立」も同様です。(個人的には、日本共産党が実際に武装蜂起計画を持ち続けているというより、マルクス・レーニン主義の暴力革命の理論を捨てられず、また長年批判してきた修正主義社会民主主義と同じ立場の1政党になってしまう事が政治的・権威的・プライド的に受容できないのかとは推測しますが、ウィキペディアの記述としては単に「武装闘争路線を棚上げ」と事実を客観的に記載するしかありません。)--Rabit gti 2010年11月26日 (金) 15:05 (UTC)
(1) 私が提案した、「…1950年に分裂しその一方が武装闘争路線をとったが、1955年に武装闘争を放棄し統一を回復。…」の「武装闘争を放棄」は、文脈から言って、Rabit gtiさんも同意する「(所感派による中国革命方式の)武装闘争路線を放棄」の意味であるのは明白です。警察発表や敵の出方論の解釈にこだわるなら、「武装闘争を放棄し(警察は堅持していると見ている)」などと併記するしかないと思います。
(2) 日本共産党は「武装闘争路線を棚上げしている」、「分裂ではなかった」、「自主独立ではない」などの信頼できる、党派的でない出典はありますか?
(3) いっそのこと、日本共産党の説明を「1922年に結成。国会に議席をもつ日本の共産党。」ぐらいに短くしませんか? --Miki08 2010年11月27日 (土) 04:17 (UTC)
コメント (1)まずMiki08さんが「「(所感派による中国革命方式の)武装闘争路線を放棄」の意味であるのは明白です。」と理解済であれば、永久放棄とは限らず、日本共産党の主張と警察庁の見解は矛盾せず、最初から併記の必要がありません(不必要な併記をしないでください)。仮に併記する場合でもMiki08さん案の「武装闘争を放棄し(警察は堅持していると見ている)」では「併記」にもなっていません。併記とは双方の主張を書く事です。日本共産党の当時の公式見解では「武装闘争を放棄」との表現は使用していません。日本共産党が主張していないものを、ある百科辞典での不正確な表現を「出典」に、勝手に「併記」するのは不適切です(出典の意義が逆転しています。ウィキペディアでは客観的な事実を書くべきで、出典はその検証可能性確保です。)繰り返しますが、「日本共産党はちゃんと放棄を宣言したのに、警察庁がまだ信用していない」という構図ではありません。日本共産党の見解を良く読んでください。また共産主義の歴史では「武装闘争の放棄」という表現は、「マルクス・レーニン主義暴力革命の原則(とされている原則)の放棄 = 修正主義」という重大な意味を持ちますが、日本共産党はユーロ・コミュニズムとは異なり未放棄です(綱領[3]では、いわゆる二段階革命論のうち、最初の「民主主義革命」では複数政党制などの堅持を明記済ですが、次の「社会主義革命」は記載が全くありません。この二段階目は、ロシア革命ではボリシェヴィキ一党独裁を開始した十月革命に相当することもあり、広く注目されている背景があります)。なお「放棄した、していない」はやや主観的表現なので、より客観的な表現は「路線転換」でしょうか(「転換」との表現は多数使われており、当面か永遠か、本心か偽装か、などの意味は持ちません)。(2)そもそも、所感派国際派も離党や除名や独立もない「内部分裂」で、客観的に政党としては1つが続いた事実には、全ての立場から争いがありません。武装路線は1951年の四全協で党として公式に採択されたものです(実際には指導者層内部の抗争はあっても、日本共産党は民主集中制で分派禁止です。)。つまり「分裂した日本共産党」との表現は、現在のマスコミでの「小沢派と反小沢派に分裂した民主党では...」と同様に「指導層内部が分裂している」という意味で、「対外的にも政党が分裂して並存していた」という意味ではありません。なお「自主独立」を書いたのは私です。「日本共産党」でも書かれています。誰も「自主独立ではない」と書いていません。(毎回ですが、相手のコメントを読んでから書いてください。)(3)そもそも、下記記述のどこに問題がありますか?(設立年・設立者や、非合法・合法や重要な路線転換の時期を書くのは各国と同じです。下線部は背景や詳細なので省略も可ですが、日本共産党の歴史や特徴を記載しており、強いて削除すべきほどにも思えません。)
1922年堺利彦山川均荒畑寒村らにより結党。当時は治安警察法などの治安立法により非合法政党として成立し、同年11月にコミンテルン日本支部となった1945年に日本敗戦後の民主化で合法化。1951年より主流派の所感派武装闘争を行ったが、1955年に国際派が主流派となり路線転換した。1960年代にかけて「自主独立の党」を掲げ、マルクス・レーニン主義を「科学的社会主義」と呼びかえた。
--Rabit gti 2010年11月27日 (土) 09:43 (UTC) 上記(1)のみ「そもそも併記不要」を追記。--Rabit gti 2010年11月28日 (日) 00:53 (UTC)
(1) Miki08の案
「備考」欄には、創立年と、現在の日本共産党を理解するうえで重要なことを書けばよいと考えます。私の現在の案は以下です。
1922年に結成。君主制の廃止や戦争反対を主張し弾圧された。1945年、日本敗戦後の民主化で合法化。1961年に議会を重視する現在の路線を確立。1960年代にソ連・中国の干渉とたたかい、自主独立路線の確立に努めた。現在、発達した資本主義国の共産党で最大規模の組織をもつ。
(説明) 創立者名の列挙や、88年前の弾圧法令の名前、「マルクス・レーニン主義」の呼称をやめ「科学的社会主義」と呼んでいることは、限られたスペースで日本共産党を紹介する場合、特筆性があるとは思えません。戦前はコミンテルンの支部だったことや、党の分裂、数年間の所感派による極左的偏向も、50年以上も前に解決した過去のことであり、特筆性があるとは思えません。
(2) 「日本共産党の綱領では、『民主主義革命』は複数政党制などの堅持を明記済ですが、次の『社会主義革命』は記載が全くありません」という記述について
この記述は完全な誤りです。日本共産党綱領の(一五)では複数政党制について次のように書かれています。
「社会主義・共産主義の日本では、民主主義と自由の成果をはじめ、資本主義時代の価値ある成果のすべてが、受けつがれ、いっそう発展させられる。(中略)さまざまな思想・信条の自由、反対政党を含む政治活動の自由は厳格に保障される。
また、日本の社会主義的変革が武装闘争でないことについては、綱領の(一六)に次のように書かれています。
「社会主義的変革は、短期間に一挙におこなわれるものではなく、国民の合意のもと、一歩一歩の段階的な前進を必要とする長期の過程である。その出発点となるのは、社会主義・共産主義への前進を支持する国民多数の合意の形成であり、国会の安定した過半数を基礎として、社会主義をめざす権力がつくられることである。そのすべての段階で、国民の合意が前提となる。(後略)」
(3) 「路線転換」という表現について
Rabit gtiさんが提案した、「武装闘争を行ったが、1955年に路線転換した。」という表現では、「路線転換」が何を意味しているのか分かりません。50年以上も前に解決したことを記述する必要はないと考えます。もし記述するとしても、「1951年に分裂し、所感派が武装闘争方針をとった。1955年、所感派が誤りを認め、党の統一を回復。」ぐらいが妥当だと思います。
(4) 「除名もなかった」について
事実に反します。『日本共産党の八十年 1922~2002』には、「(徳田らは)関係者の意見も聞かずに、党役員の除名、党籍のはく奪をおこないました。さらに、徳田らの分裂策動への追随を拒否した地方組織を、まるごと排除の対象としました。」(p.107)とあります。
(5) 「武装路線は四全協で党として公式に採択されたもの」について
これも事実に反します。『日本共産党の八十年 1922~2002』には、「『五〇問題』総括をすすめるなかで、『四全協』や『五全協』が党の正式の会議でなく、『六全協』もその継続という性格をもつ不正常なものであったことが確認された」(p.123)、「(第七回党大会は)『五一年文書』を大会として廃止し、党がこの文書を正式に採択していないことを明確にしました。」(p.139)とあります。
(6)「指導層が分裂しただけで、政党が分裂したのではない」について
これも事実に反します。『日本共産党の八十年 1922~2002』には、「(宮本顕治らがつくった)全国統一委員会には、十余の府県党組織といくつかの地区組織、大衆団体グループも参加して、党の統一の回復をめざすたたかいを開始しました。」(p.109)とあります。
(7) 出典について
自主独立でないとは誰も言っていない、については了解しました。「分裂ではなかった」の信頼できる出典は示せないということでしょうか? --Miki08 2010年12月3日 (金) 05:51 (UTC)


(1)ウィキペディアでは中立的・客観的に事実を書くべきです。ここは各国の共産党の一覧なので、日本共産党も各国の共産党と同様に「設立年、設立者、合法/非合法の変化、重要な路線転換、掲げる主義」を簡潔に書くべきです。Miki08さん案は日本共産党の現執行部側の一方的見解や宣伝文句が多く不適当です。簡潔に書くならば以下でしょう。
1922年堺利彦山川均荒畑寒村らにより非合法政党として結党。1945年に日本敗戦後の民主化で合法化。1951年より主流派の所感派武装闘争路線を行ったが、1955年に国際派が主流派となり武装闘争路線を転換。「科学的社会主義」や「自主独立の党」を掲げる。
(2)私の「記載が全くありません」とは、日本共産党の綱領では「社会主義革命」は抽象的記述のみで、「議会制民主主義」などの具体的制度を全く記載していない、との意味です。ユーロコミュニズムの多くは、将来を含めた「議会制民主主義」を明記しました。単に、反対党を含む複数政党が存在して政府批判も許されるだけならば、「一党独裁」とも呼ばれたファシスト党支配下のイタリアなどと大差ありません。
(3)上記(1)と同じ。歴史的に重要な路線転換は特筆性があり記載すべきです。「50年以上も前に解決したことを記述する必要はない」など、日本共産党に不都合な事は隠すのは不適切です。武装路線の採用と放棄は、破防法の制定や、現在も続いている公安による監視、新左翼の成立などに、決定的な影響を与えた大事件です。なお「1955年、所感派が誤りを認め」は事実誤認です。
(4)まず「日本共産党の八十年」は、当時の内部分裂の一方の側からの記述で、「現執行部は○○と主張している」の出典にはなりますが、客観的事実の出典にはなりません。確かに正確には除名はありましたが、宮本らの復党後に、5全協で軍事路線の「51年綱領」が採用されており、決定的とは言えません。(日本共産党#1950年問題(分裂、武装闘争方針)でも出典付で記載済。現執行部による「当時は一貫して闘争した」や「当時の党の決定は、正式な決定ではなかった」などは、争いがある議論の中の一方の側のみの主張です。)
(5)(6)(7) 上記(4)と同じで、主張に争いがある中で、1当事者の主張を「客観的事実」とは言えません。「党は分裂した」とは党の内部抗争(分派)が激化したとの意味です。所感派国際派 (日本共産党)の記事では「内部分裂した際の派閥の一つ」です。国際派が当時、「日本共産党はクーデターで乗っ取られた、こちらが本来の日本共産党だ」と国民に広く宣言して、対外的にも複数並存したなどの、事実や出典はありません。 --Rabit gti 2010年12月5日 (日) 07:40 (UTC)
(1) 12月5日のRabit gtiさんの案は現状よりましと思いますので、いったん反映したうえで議論を続けます。
(1-2) 「(日本共産党は戦前)戦争反対を主張し弾圧された。」、「1961年に議会を重視する現在の路線を確立。」は中立的・客観的な記述だと思います。どのような表現にすれば中立的・客観的な記述になるとお考えでしょうか?
(1-3) 「1955年に国際派が主流派となり」という記述の出典とページ数を教えてください。
(2) 前回の私のコメントの(2)や綱領そのものをよくお読みください。話題が記事の編集からそれるので、この点についてこれ以上の議論は控えたいと思います。
(3) 日本共産党についての「備考」欄は、日本共産党の概要を記述する欄です。公安や過激派にとって重要かどうかではなく、日本共産党を理解するうえで重要かどうかで判断するべきです。何人もの幹部を排除し正規の手続きを経ずに採用された、60年近く前の一時の武装闘争路線については、リンク先の記事に記載があれば十分と考えます。
(4) 「Wikipedia:信頼できる情報源#注意すべき論点」には、「底意や関係者間の対立、強硬な見解、そのほか報告に影響する先入観はありますか?関係者間の議論は常に明白に公表されるわけではなく、先入観は常に自明ではないことを憶えておいてください。しかしながら、情報源に強硬な見解が含まれているということは、必ずしもそれを使ってはならないならない理由にはなりません。」とあります。信頼性に注意して使うようにします。
(4-2) 「日本共産党は『51年文書』を正式に採択していない」というのは、争いがある議論の中の一方の側の主張ではありません。統一回復後の第7回党大会(1958年)で明確にされたことです。
(5) 「分裂し」という表現は「分裂状態になり」のほうがよかったかもしれません。--Miki08 2010年12月24日 (金) 12:45 (UTC)
(1)反映[4]は了解です。(1-2)2010年12月5日の私の(1)を再読ください。各国の共産党の一覧表の備考欄であり、結党・重大な路線変更・解党などを簡潔に記載しています。日本共産党だけ詳細な理由を書いて正当化する事が中立的では無い、と繰り返しています。(1-3)「国際派が新しい主流派となった」事は事実ですが、用語としては「主流派」は旧主流派である所感派を指す場合が多いため、「(旧)国際派が実権を握った」方が一般的とは思います主導権をにぎった宮本派。(2)日本共産党の綱領を再読してください。2つの「革命」の説明は明確に分けられており、「社会主義革命」では「議会制民主主義」を明記していません(レーニン主義なので当然ではあります。)(3)上述の(1)と同じです。ウィキペディアは「現在の日本共産党の紹介記事」ではありません。各国の共産党と同様に、50年前でも80年前でも、武装闘争など重大な路線変更は記述すべきです。日本共産党だけ例外にすべきという理由がありません。(率直に言って、Miki08さんは、同様の事をファシズム#一覧の各党にも主張しますか?Miki08さんは、日本共産党への「ひいき」があまりに露骨すぎます。中立的に記述すべきです。)(4)意味不明です。私は、過去の争いの一方の当事者の主張は、そのように記載すべきと書いているだけです。日本共産党の現執行部(宮本・不破体制)は旧国際派で、現在でも旧所感派への批判と自己正当化を繰り返しています。(4-2)それは事後的に遡及して「無かったこと」と宣言しただけです。1951年に正式に採択し、1958年までは有効であった(従って全国の山村工作隊などは信じていた)日本共産党の公式決議で、この経緯が日本トロッキスト聯盟などの新左翼が連続発生する歴史的契機ともなっています。(5)日本共産党や支持者は常に「分裂」と記載しますが、これは「だから(合流した旧所感派を含めて)党に責任は一切無い」という日本共産党の見解によるもので、客観的には「内部分裂状態となり」が妥当と思います[5][6][7][8]。党の指導部や一部地方組織は分裂していましたが、「日本共産党」を名乗る複数政党が存在したという事実は当時は無く、外部から見れば「内部分裂」です。更に日本共産党#1950年問題(分裂、武装闘争方針)にも出典付で記載のように、武装路線を主導したのは所感派ですが、宮本らも1951年10月に国際派を解散して自己批判して復党し、武装路線の5全協(51年綱領)はその後に正式採択されています。つまり「分裂」も1951年10月前後までで、後は「旧所感派」と「旧国際派」などの間の純粋な「党内抗争」です [9][10][11][12][13]。--Rabit gti 2010年12月26日 (日) 18:08 (UTC)
(1-2) 「1961年に議会を重視する現在の路線を確立」したことは「重要な路線転換」だと思います。
(1-3) 極左冒険主義を指導した志田重男が失踪したのが1956年、宮本顕治が書記長になったのが1958年なので、1955年の時点では「(旧)国際派が主導権を握った」わけではないと思います。また「武装闘争路線を転換。」という表現では、どう転換したのかわかりません。「……武装闘争路線を行った。1955年に武装路線を中止し、党内の団結を回復。1961年に議会を重視する現在の平和革命路線を確立した。……」のほうがよいと思います。
(2) 日本共産党綱領の「五、社会主義・共産主義の社会をめざして」の章では、「議会制民主主義」という言葉は使われていませんが、「社会主義・共産主義の日本では、民主主義と自由の成果をはじめ、資本主義時代の価値ある成果のすべてが、受けつがれ、いっそう発展させられる。」「さまざまな思想・信条の自由、反対政党を含む政治活動の自由は厳格に保障される。」と書かれています。
(4-2)(5) 「51年綱領」は、何人もの中央委員を排除して開かれた会議で採択されており、統一回復後の第7回党大会で、正式に採択していないことが明確にされました。それを「公式決議」「正式採択」というのは偏っています(中立的ではありません)。--Miki08 2011年1月19日 (水) 09:24 (UTC)
コメント Miki08さんはWikipedia:中立的な観点に反して、日本共産党の現執行部側の一方的な主張の掲示の要求ばかり延々続けています。ちゃんとガイドを読んでください。(1-2)「武装闘争路線を転換」は「重要な路線転換」なので、現在は中立的な表現で記載済です。「~を確立」などは中立的でない宣伝文句です(警察庁や保守派や新左翼から見れば「追い込まれ暴力を一時的に停止」です。(1-3)「党の団結を回復」などは中立的でない宣伝文句です。(2)私が繰り返し指摘した通り、日本共産党は将来の「社会主義・共産主義の社会」では「議会制民主主義」を明記していません。単に「民主主義」では、旧ソ連等の(西側の価値観では民主主義とは言えない)プロレタリア民主主義人民民主主義も含まれます。(4-2)(5)歴史的事実は、後から「無かった事にした」だけで、当時は「公式決議」「正式採択」です。ウィキペディアは歴史的事実を客観的に書く場所です。日本共産党の現執行部側の宣伝をまる写しして書き連ねる場所ではありません。Miki08さんはWikipedia:中立的な観点の独自研究(独自解釈)ばかりしていますが、このような特定政党の宣伝にノートを浪費する迷惑行為はやめてください。--Rabit gti 2011年1月19日 (水) 13:14 (UTC)
報告Miki08さんは過去より多数の記事で同様の、中立的でない記載の要求の常識を超えた反復を行っており、計数十回以上の説明にも改善が見られないため、利用者の行為についてのWikipedia:コメント依頼Wikipedia:コメント依頼/Miki08)を出しました。--Rabit gti 2011年1月20日 (木) 12:58 (UTC)
50年代の武装路線について記述するなら、その路線が解消したのか、今も続いているのか記述する必要があります。武装路線の採用だけはっきりと記述し、その後の平和路線の確立は曖昧に「路線を転換」とだけ記述せよというのは、非常に偏っています。次の記述ぐらいが中立的と思います。「1951年より主流派の所感派武装闘争路線を行った。1955年に武装路線を中止。1961年に議会を重視する現在の平和革命路線を確立した。」 なお、「党の団結を回復」という表現はやや中立的でなかったかもしれませんが、「路線を確立」のほうは普通に使われている表現です。--Miki08 2011年1月25日 (火) 13:30 (UTC)
コメント繰り返しますが、これは各国の共産党の一覧で、大きな路線転換のみを客観的に記載し、詳細は各リンク先です。日本共産党の該当箇所は現在「1951年より主流派の所感派が武装闘争路線を行ったが、1955年に国際派が主流派となり武装闘争路線を転換。」で、上述の多数の出典と比較しても中立的で客観的な事実の記述です。しかし「議会を重視する現在の平和革命路線を確立し」などは宣伝文句で非中立的な表現です。誰が「確立」と検証したかも不明です。実際、警察庁などは暴力革命を永久放棄したとは見ていません。更に日本共産党は「平和革命」を掲げていません。綱領にも無く、日本共産党のサイトで「平和革命」で検索するとヒットするのは以下程度で、いずれも日本共産党側の主張ではありません「ここには、平和革命必然論や武力革命唯一論など、さまざまな誤った主張を批判して、綱領路線を確立した論戦の経過も反映している。第20回党大会 日本共産党綱領一部改定についての提案、「アメリカの占領下で、平和革命を考えるのは間違っている、こういう批判でした日本共産党創立78周年記念講演会。「平和革命」の記事も現在は「事実上敵の出方論は放棄されたとされる」程度の表現です。(マルクス・レーニン主義の立場ならば当然であり、公式に暴力革命を放棄したユーロコミュニズムとは違います。)私はこのノートの同じ節で2010年11月26日 (金) 09:03 (UTC) に「日本共産党は武装闘争放棄はしていません」と既に書いています。Miki08さんはWikipedia:コメント依頼/Miki08でも他の方から基本的な知識不足を指摘されていますが、ウィキペディアはノートを含め、基本的な知識も無い分野で確認もしない内容を、自分の勝手な感覚や願望だけで、相手の意見を読まずに同じ主張を繰り返し書く場所ではなく、それは迷惑行為なので止めてください。個人のワークシートではありません。--Rabit gti 2011年1月25日 (火) 14:44 (UTC)
(追記)日本共産党の「平和革命」論は、強いて言えばアメリカ占領下の野坂参三など。しかしコミンフォルムのスターリンや毛沢東、宮本顕治らの国際派らが「平和革命」論を批判した。野坂ら所感派は自己批判して武装闘争路線に転じた。その後に実権を握った宮本顕治らの旧国際派が、「自主独立の党」を掲げてスターリンや毛沢東や武装闘争路線を激しく批判して、最初から反対だったかのように主張し続けている。このため「平和革命」の用語は、その後の日本共産党では公式に使われていない迷路の道標: 私の戦後史と日本共産党論激流の中で。--Rabit gti 2011年1月26日 (水) 14:33 (UTC)

民主革命党

個別的な事項に関する疑問ですみません。現在、民主革命党 (メキシコ)が共産党の一覧に記載されているようですが、これは果たして妥当なのでしょうか。当該項目やその英語版などを見ると、確かにメキシコ共産党などの左翼小政党がその創設に加わっているようですが、基本的には制度的革命党からの分裂なのではないでしょうか?そして、現在では社会主義インターナショナルに加わっているように、マルクス・レーニン主義を採っているとは思えません。分類を「放棄」にするか、一覧からの除去を行うべきではないかと考えます。--Rasalghul 2011年1月9日 (日) 22:30 (UTC)

ナデオロ先生です。確かに社会主義インターに加盟(MEBBER PARTIES of the SOCIALIST INTERNATIONAL)しているので社民主義政党として分類できるかもしれません。ただ、日本のマルクス・レーニン主義政党である日本共産党の党大会に来賓(党大会に参加 外国来賓の紹介)として参加、あるいは共産党が民主革命党の党大会に代表を派遣(メキシコ 民主革命党が党大会)している事実もあるので、単純な分類はできないように想います。--Nadeorosensei 2011年1月9日 (日) 23:31 (UTC)
なるほど、日本共産党との関係があれば、必ずしもこの一覧に相応しくないというわけでもないのかもしれないですね。ありがとうございます。そういえば、ニカラグアのニカラグア共産党es:Partido Comunista de Nicaragua、これはサンディニスタとは別らしい?)や、エルサルバドル共産党es:Partido Comunista Salvadoreño、こちらは由緒正しい共産党)は一覧にないですね。後で加えておきましょう。--Rasalghul 2011年1月10日 (月) 01:03 (UTC)

ベトナム共産党の一党制の説明について

(経過)
現在、ベトナム共産党の説明の最後には、「1988年より一党制(唯一の合法政党だが、共産党外からの国会議員当選者も存在する)」と書かれています。私は「存在する」では数人程度と誤解されそうに思い、「約40人存在する」という記述に修正(補足)しました[14]。すると、Rabit gtiさんは「他党や各記事とのバランスも考慮してください」として、「約40人存在する」から「存在する」に差し戻されました[15]
(質問)
まずRabit gtiさんにお聞きしたいのですが、「他党や各記事」とは具体的に何の記事に何と書かれている(または何と書かれていない)ことを指しているのでしょうか? 「一党制」と言われているもとで、国会議員500人中、42人が党外から当選している場合、「約40人存在する」ではなく「存在する」と記載しなければならない理由を納得いくように説明していただけないでしょうか? --Miki08 2011年8月5日 (金) 14:24 (UTC)
コメント まず関連記事には「共産党#各国の共産党」、「ベトナム共産党#国会」、「国会 (ベトナム)」の3記事(英語版は更にen:Vietnamese parliamentary election, 2011)があります。「共産党#各国の共産党」では各党のごく基本的な概要を簡潔に記載し、詳細は各記事参照となっています。特に歴史的大変動があった訳でも無いような各党の選挙結果を「共産党#各国の共産党」に書くのは不適当です。「非共産党員 42名」は「ベトナム共産党#国会」と「国会 (ベトナム)」には記載済です。更に共産党#各国の共産党」に書くほどの特筆性があるとは到底思えません。「バランス」とは以上の、複数記事間、および一覧表内の各党間の記述バランス(役割分担)です。次にMiki08さんは「非共産党員 42名」に異常にこだわっている(一党独裁とは言い切れない証明とでも思っている?)ようですが、(1)各記事に記載済のように、ベトナムの国会選挙は、立候補には事実上共産党の審査が必要なので、「反政府」の候補者が立候補する事は不可能です。(2)そのうち、共産党の推薦外は「独立系 4名」です(500名中の4名で、形式的とも言えます。つまり非共産党員の大多数は「共産党推薦または公認」です。(3)日本でも世界でも、非党員の公認候補は多数あります(非党員 = 非共産党系、ではない)。つまり「非共産党員」というのは、民主国家での「野党」や「批判勢力」に相当するものでは無く、だから各種報道でも大きくは扱っていない(年齢分布や、再選割合などと併記されている程度)です。あるいは「非共産党員 42名は、非常に重大な事だ」というような出典が存在しますか? ウィキペディアは一般向け百科事典ですので、記事に応じたバランス、他党の記述とのバランス、「非共産党員」の特筆性の低さなどを、多少は考慮して、(一般人が理解困難な異常なこだわりではなく)世間一般の常識のある形での記述をお願いいたします。--Rabit gti 2011年8月5日 (金) 14:48 (UTC)
共産党の推薦を受けていない国会議員が4名ということであれば、「存在する」という表現で納得できました。--Miki08 2011年8月5日 (金) 23:33 (UTC)
コメント更に言うと、現在の暫定記述「唯一の合法政党[4]だが、共産党外からの国会議員当選者も存在する」も疑問です。これでは「共産党ではない議員も存在する = 完全な一党独裁ではない」と誤解されそうです。しかし上述の通り、全候補者は事実上共産党の事前審査を受けており、「独立系 4名」も共産党が事前に認めた候補者です。中国など人民民主主義制(形式的には共産党以外の政党が存在し議席を持っている)もある中で、ベトナムで、形式的に共産党以外の個人が議席を持っている事を、わざわざ「共産党」の記事で記述する必要性(特筆性)が疑問です。--Rabit gti 2011年8月6日 (土) 16:00 (UTC)
共産党の推薦を受けていない国会議員が4人いるのは形式的なことで、実際には厳しい事前審査によって共産党と関係のない人が国会議員選挙に立候補することは不可能と言われるのでしょうか? 信頼できる出典もお示しください。--Miki08 2011年8月7日 (日) 06:10 (UTC)
コメント出典は上記各記事に記載済です。また表現は勝手に創作しないでください。まずは読んで理解してから発言してください。ウィキペディアのノートは「無料質問箱」ではなく、記事を読んでから議論する場所です。Miki08さんは従来から多数のノートで、ごく初歩的な無知による強弁が多すぎます。無知や誤解は誰でもあるので恥ではありませんが、確認しないで要望を主張し続けるのは問題です。改善をお願いします。--Rabit gti 2011年8月7日 (日) 06:26 (UTC)
私は、Rabit gtiさんの発言はこういう意味ですか? と質問したのであり、断定したのではありません。答えはどうやらNO のようです。
また、Rabit gtiさんは「出典は上記各記事に記載済です」と述べていますが、共産党ベトナム共産党国会 (ベトナム)の記事を読み返しても、「共産党の事前審査」や「形式的に共産党以外の個人が議席を持っている」などの記載は見当たりませんでした。ウィキペディア以外の信頼できる出典を具体的にお示しください。(示せないようでしたら、ブログや掲示板などの情報にもとづいた発言、または個人的見解ではないかと疑われることになります。)--Miki08 2011年8月7日 (日) 07:31 (UTC)
コメント 失礼、関連記事に「ベトナム#国会」を書き忘れていました。ただし、仮に当記事に気づかなくても、ご自分で「ベトナム 国会 選挙 2011年」などでネット検索すれば容易に発見できる出典ばかりです。なお仮に「共産党以外の議員の数」を書く趣旨ならば、「共産党」や「ベトナム共産党」ではなく「ベトナム#国会」か「一党独裁」(一党独裁と言っても、色々な形態やレベルがあるため)などに書くべきと思います。なお各記事の数字が合っていないのは、修正すべきと思います(そのためにも、複数記事に同じ内容を書くのは最低限にし、リンク誘導すべきと思います。)--Rabit gti 2011年8月7日 (日) 07:42 (UTC)
細かい記載は私も不要と思いますが、「一党制」だけではやや一面的と思います。(1)一党制であること、(2)選挙があること、(3)共産党外の国会議員も存在すること、の3点に触れるのが、ベトナム共産党を数行で説明する場合、適切と思います。そういう点で、「一党制(唯一の合法政党だが、共産党外からの国会議員当選者も存在する)」という現在の記述を私は支持します。--Miki08 2011年8月7日 (日) 15:05 (UTC)
コメント繰り返しますが、今回のような複数の記事にまたがる話は、適切な場所に記述し、他からは誘導するのが適切と思います。マルクス・レーニン主義を掲げる共産党支配体制の場合、「党」と「国家」は曖昧ですが、一般的には分けて記述すべきと思います。つまり「一党制」などの国家制度は「国家」や「国会」に記載すべきで、「共産党」では「国家の中でどのような地位か」を簡潔に書くべきですし、ベトナム以外の大多数の他の共産党もそう書かれています。Miki08さんが、ベトナム共産党のみを「実は一党制ではない」かのように読者が誤読する書き方に固執されている理由が理解できません。出典のように(1)ベトナムでは共産党以外の政党は存在を許されていない (2)個人候補は可能だが、全て共産党の翼賛団体の事前審査で認められる必要がある。以上は形式上も実態上も「一党制」や「一党独裁」と表現される事が普通です。「現在の記述を私は支持します」とありますが、Miki08さんの明らかに不正確な書き込みを私が暫定で編集対応した際の、中途半端な残骸にすぎません。Wikipedia:中立的な観点に従ってください。--Rabit gti 2011年8月12日 (金) 11:54 (UTC)

Rabit gtiさんが言うように、一党制であることと、「共産党外の国会議員当選者も存在する」という事実が一般に両立しない(一党制下ではありえない)と世間で考えられているならば、余計に両方を記述することが「特定の観点に偏らずあらゆる観点からの描写を平等に扱」うとしているWikipedia:中立的な観点に沿った記述であると思います。--Miki08 2011年8月13日 (土) 04:02 (UTC)

コメント 失礼ですが、あまりにも幼稚すぎる話をしないでください。「両立しない」と考えているのはMiki08さんだけです。あるいは「一党制では党員以外の候補者は存在しないと世間では考えられている」などの信頼できる出典を挙げてください。一般論では「一党制」とは[ある国家で、政党は特定の1政党しか存続が認められていない体制」です[16][17]人民民主主義体制では形式的には「複数政党制」ですが、今のベトナムは衛星政党も認めていません。外務省の各国情勢では「共産党(唯一の合法政党)」です[18]。ベトナムは多数の出典で「一党制」と呼ばれています。[19][20][21]。なお、日本でも各党の公認候補に「党員外」は多数いますが、これらは「党の候補ではない」のですか?「党員かどうか」と「党外かどうか」は別です。--Rabit gti 2011年8月15日 (月) 14:26 (UTC)
Rabit gtiさんは、「共産党外からの国会議員当選者も存在する」と記載すると、「実は一党制ではない」かのように読者が誤読すると主張されました(8月12日)。つまり、「一党制」と「共産党外からの国会議員当選者も存在する」こととは、世間の認識では両立しない、というのがRabit gtiさんの認識と思ったのですが… --Miki08 2011年8月17日 (水) 06:56 (UTC)
コメント 私個人の認識の話はしていません。記事やノートの議論は客観的な信頼できる出典をベースに行われるべきです。しかし、Miki08さんの記述は明らかに不正確で誤解を招きます。[22]および[23]では「ただし」との表現を勝手に入れて、「制度上は一党制(一党独裁)だが、必ずしもそうでもない」かのように読めてしまいますが、実際は党員外を含め全候補者が共産党審査済です。[24]も特筆性がありません。ベトナムは憲法でも「独裁」を掲げています(つまり「独裁」を肯定的な意味で使用しています)。それをMiki08さん個人の感覚だけで、独裁では無いように記述するのは、客観的事実に反し、ベトナム共産党の立場も不正確に記述しています。上述の出典をちゃんと読んでください。--Rabit gti 2011年8月17日 (水) 14:14 (UTC)
(1) 「共産党外からの国会議員当選者も約40人存在する」の「約40人」を削除して、たんに「存在する」に変更されたことについては了解済みです([25])。
「共産党外からの国会議員当選者も存在する」、より正確には、「共産党の大衆動員機関の推薦を受けていない自薦の国会議員も(4人)存在する」という事実を「一党制」の後に補足的に記すことが中立的な観点にかなっているのではないか、というのが私の意見です。私の意見表明はこれぐらいにして、他の方のご意見を伺いたいと思います。
(2) 「上述の出典」とは何を指しているのでしょうか? --Miki08 2011年8月19日 (金) 03:25 (UTC)
コメント (1)上述の通り、他の共産党の記述とバランスを考え現記述も削除すべきです。国会議員の内訳はベトナム#国会等に記述済で、共産党に書く内容でもありません。ベトナムだけ書く方が恣意的でNPOVです。(2)各記事の出典です。--Rabit gti 2011年8月20日 (土) 08:18 (UTC)

報告 Miki08さんは無期限ブロックされました。--Rabit gti会話2012年8月23日 (木) 14:51 (UTC)

一覧からの新左翼除外

コメント共産党#各国の共産党」に、やらないかさんが「なお、いわゆる新左翼の組織は除くものとする。」との限定を追加されました[26][27]。しかし私はそのような除外は、不可能で無意味で中立的でないので、削除すべきと思います。具体的には (1)新左翼は単に既成左翼に対する用語で、共通の思想や特色がある訳ではなく、区別できない (2)何を「既成政党」とするかは、その時点の話で、歴史的には特定不可能 (3)例えばイタリアは、トロツキズムの小党の共産党も併記されているが、これを削除すべきなのか? (4)そもそも、新左翼を除外したい意図が全く不明。--Rabit gti会話) 2012年8月23日 (木) 14:40 (UTC)(追記)もしも、「日本の新左翼各派が入っていない」という説明文の追加なのであれば、イタリア同様に表に日本共産党(左派)等を追記した方が良いと思います。--Rabit gti会話2012年8月23日 (木) 23:48 (UTC)

コメント ありがとうございます。この記述は削除させていただきます。--やらないか会話)2012年8月24日(金)17:50

(UTC)

コメント 早速の対応ありがとうございました。--Rabit gti会話2012年8月25日 (土) 02:32 (UTC)

サンディニスタ民族解放戦線について

質問です。ニカラグア共和国サンディニスタ民族解放戦線は共産党の一覧に入れてもいいのでしょうか? 入れるとしたら (1)暴力革命であるニカラグア革命を成功させている。 (2)冷戦時サンディニスタ民族解放戦線が与党であったニカラグア東側陣営であった。 などが根拠ですが、現在は活動が穏健化している、社会主義インターナショナルに加盟してるなど反証がいくらでもできる状況です。 サンディニスタ民族解放戦線は複数政党制で与党の共産党なのか、放棄した共産党なのか、それとも一覧には載せるべきではないのか。皆さんの意見を聞かせてください。 。--やらないか会話) 2012年8月24日 (金) 18:35 (UTC)

en:Communist Party of Nicaraguaの存在を考えると微妙なところではありますね。マルクス主義を理念とする「共産党以外」の政党の区分を設けるべきなのかもしれませんが、それを共産党のリストに載せるかはまた別問題ですか。--Rasalghul会話2012年8月24日 (金) 13:32 (UTC)
コメント Rasalghulさんご指摘のように難しい問題ですが、政党ごとに個別に議論・判断すると、基準が変わったり、後から異論が出て混乱しそうです。例えば社会主義協会主導時の日本社会党は、平和革命ながらマルクス・レーニン主義ですが、当時も含め「共産党」とは呼ばれていません。個人的には「共産主義政党」(共産主義を掲げている政党)と「共産党」(より固有名詞、英語等では大文字)は違うと思います。更に「共産主義」も (1)本来は共有制でマルクス主義に限らない(例:原始共産主義(Primitive communism)バブーフ)(2)しかしマルクス主義の代名詞的に広く使われている (3)第一インターナショナル第二インターナショナル分裂後は、特に暴力革命を主張した側を「共産主義」と呼ぶ(しかし平和革命派の多くもマルクスの理論を併用していた)、など、多義的な用語と思います。なおファシズム#一覧では、どの政党が「ファシズム」政党かという議論が頻発したため、現在は政党名や自称を基本にして、他称は色分けして、落ち着いたと思います。社会党自由党民主党保守党なども、あくまで政党名称を基本とした一覧で、「自由主義政党の一覧」などはありません(社会主義インターナショナル加盟政党一覧などは客観的に可能ですが、思想による政党の分類はそもそも困難で、特定の見解・基準では非中立的になり、ウィキペディアでは望ましくないと思います。独裁者等で議論の結果、一覧が削除されたのと同様。)そこで提案ですが、(A)掲載基準を書く(「各国の共産党」の現在の説明「国・各地域の共産党の一覧は以下である」を、「国・各地域で「共産党」を自称する政党と、一般に「共産党」と呼ばれている政党の一覧は以下である」などにする) (B)「一般に呼ばれている」はマスコミ等で広く呼ばれている出典を付ける(特定立場からのレッテル張りにならないよう慎重にする。朝鮮労働党も意外と少なく、それも非中立的なもの多数でした[28][29])、(C)個別の話で、サンディニスタ民族解放戦線や、やらないかさんが前回記載のパレスチナ解放人民戦線などは、マスコミ等で「共産党」と呼ぶ出典はほとんど(全く?)見当たらない(en:Communist Party of Nicaraguaも「共産党」と呼ばれているとの出典は見当たらない)、仮に入れると左派系の民族解放運動の大半も含めなければいけなくなるので、含めない方が良い。いかがでしょうか?--Rabit gti会話2012年8月25日 (土) 02:49 (UTC)
コメントサンディニスタ民族解放戦線でいえば、日本共産党は1979年のサンディニスタ革命以降、相互訪問するなど友好関係を続けており、第24回党大会に祝電を寄せた他、2006年の大統領選挙でサンディニスタのオルテガ候補が当選した際、日本共産党は志位委員長名で祝電を送っています(“共産党大会 メッセージを寄せた外国の党を紹介”. しんぶん赤旗. (2006年1月13日). http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-01-13/2006011302_02_1.html 2012年8月25日閲覧。 “ニカラグア大統領当選 オルテガ氏に志位委員長が祝辞”. しんぶん赤旗. (2006年11月9日). http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-11-09/2006110901_05_0.html 2012年8月25日閲覧。 )。そのこともある程度、考慮すべきだと思います。--Nadeorosensei会話2012年8月25日 (土) 03:10 (UTC)
コメント回答ありがとうございます。やはり問題が多数出そうなので載せないことにします。

––やらないか(会話)2012年8月25日14時34分(UTC)

コメント Nadeorosensei さんのご指摘ですが、政党間の友好関係は、「共産党と呼ぶかどうか」の判断基準とは別かと思います。ご存知のように中ソ対立以降、ソ連共産党と中国共産党は対立関係、日本共産党は自主独立路線以降は中ソと対立し第三世界の民族解放闘争を支持、逆に日本社会党朝鮮労働党と長年の友好関係でしたが「共産党」とは呼ばれません。敵対や友好は、思想よりも政治的立場による面が大きいと思います。--Rabit gti会話2012年8月25日 (土) 15:10 (UTC)

報告 やらないかさんは無期限ブロックされました。--Rabit gti会話2012年8月26日 (日) 08:09 (UTC)