トムラウシ山遭難事故

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地理院地図 Googleマップ トムラウシ山の位置

トムラウシ山遭難事故(トムラウシやまそうなんじこ)とは、2009年7月16日早朝から夕方にかけて北海道大雪山系トムラウシ山が悪天候に見舞われ、ツアーガイドを含む登山者9名が低体温症死亡した事故である。夏山の山岳遭難事故としては近年まれにみる数の死者を出した惨事となった。

経過[編集]

事故が発生したトムラウシ山
(北側の忠別岳方面から望む)

同ツアーは募集型企画旅行形態で国内外の登山ツアーやエコツーリズムを取り扱う旅行代理店アミューズトラベル株式会社(本社:東京都千代田区神田駿河台、観光庁長官登録旅行業第1-1366号)が主催した企画旅行であった。旅程ではトムラウシ山旭岳などを2泊3日で縦走する予定であり、50~60代の客15人(男性5人(A、B、C、D、E)、女性10人(a、b、c、d、e、f、g、h、i、j))とガイド甲(添乗員兼ガイドリーダー)、乙(メインガイド)、丙(サブガイド)の3人が参加していた。ガイドのうち甲、丙の2人は今回のコースは初めてだったという。途中、7/16朝、雪渓を過ぎた主稜線ヒサゴ沼分岐までネパール人のシェルパが同行している。

山行計画[編集]

旭岳温泉を起点として、旭岳ロープウェイを利用し、標高1,600 m姿見駅(山頂駅)から歩き始め、白雲岳避難小屋とヒサゴ沼避難小屋を利用しながら大雪山系の主稜線を縦走し、トムラウシ温泉へ下山する2泊3日の登山行動を予定していた[1]。以下がその登山ルートと距離である[2]

  • 登山1日目(7月14日 - 歩行距離12.4 km ):旭岳温泉 - (旭岳ロープウェイ) - 姿見平駅 - 旭岳 - 間宮岳 - 北海岳 - 白雲岳避難小屋 - 白雲岳 - 白雲岳避難小屋(宿泊、収容人数60人の避難小屋)
  • 登山2日目(7月15日 - 歩行距離16.3 km ):白雲岳避難小屋 - 高根ヶ原 - 忠別岳 - 五色岳 - 化雲岳 - ヒサゴ沼避難小屋(宿泊、収容人数30人の避難小屋)
  • 登山3日目(7月16日 - 歩行距離16.0 km ):ヒサゴ沼避難小屋 - 日本庭園 - 北沼 - トムラウシ山 - トムラウシ公園 - 南沼 - 前トム平 - トムラウシ温泉

7月13日[編集]

  • 参加者は広島、中部、仙台の各空港より新千歳空港に集まった後、チャーターしたバスで当日の宿泊先である東川町:旭岳温泉白樺荘に向かった。

7月14日[編集]

  • 朝、パーティは旭岳ロープウェー姿見駅から旭岳山頂、間宮岳、松田岳、北海岳、白雲岳を12kmの道のりを経て白雲岳避難小屋に宿泊。当日は晴れており旭岳山頂からトムラウシ山も見えていたが[3]、夜から雨が降り始めたという[4]

7月15日[編集]

  • 天候は一変し大雨。しかしパーティは忠別岳、五色岳、化雲岳を経由し16kmの道のりをコース予定時刻よりも早い8時間でヒサゴ沼避難小屋に到着した[3]。ヒサゴ沼避難小屋で一緒になった静岡のパーティによれば特別疲れた様子もなくわいわいと楽しそうにしていたという[4]。しかし小屋の中は雨漏りだらけで濡れた装備を乾かすことも出来ず、ずぶ濡れの寝袋に包まって横になっただけであった。

7月16日[編集]

  • 午前3時半起床。午前5時の出発予定であったが、天候悪化のため雨と風が強く、待機。ガイドらはラジオで十勝地方の予報「曇り、昼過ぎから晴れ」と聞き、午後から天候は好転すると見越して出発を決定。ただし客の何人かはこの決定に不安を感じたという[3][5]。一行は午前5時半頃に避難小屋を出発した。
  • ヒサゴ沼の窪地から稜線に出ると風速20〜25mの強風をモロに受けて転ぶ人が続出。先頭のガイド甲の声が最後尾まで届かない状況だった。ガイドからは「風が強く吹いたらとにかくしゃがんで」と繰り返し指示が出た[5]
  • 出発からおよそ3時間後にパーティはロックガーデンに到着[3]
北側から望む北沼とトムラウシ山。沼の水が東側に溢れ出し、渡渉が困難になった。
  • 通常なら3時間のところを6時間近くかけて山頂下の北沼に到着。しかし大雨で沼から溢れた水が大きな川(幅約2m、水深は膝ぐらいまで)となり登山道を横切って居た[3][5]。パーティは川の中に立ったガイド丙の助けを借り何とか渡りきるが、ここで多くの人がずぶ濡れになっていた[3]。その際、川に入っていたガイド丙はよろめいて全身を濡らし、低体温症の加速を促した。これが特にガイド間の情報共有・判断に影響を与え、後述するコミュニケーション不足にも繋がっていく。
  • 午前10時半頃、北沼の川を渡ったすぐ先の分岐手前で女性1人が低体温症のため歩行困難となった。ガイドの声かけにもあまり反応はなく疲れ切って言葉も出ないようだったという[3]。一行はガイドの指示によりその場で1時間半待機させられる事となった。座り込んだ人を囲んで風よけを作ったり、「寒い、寒い」と叫び声を上げる女性客も居た。男性客C(後に自力下山)は「これは遭難だ。救援を要請しろ」と怒鳴った。結局パーティはツェルト(小型のテント)を設営しガイド甲(ガイドリーダー)が歩行困難の女性に付き添うために残り、一行は先に進んだ。
  • 前設営地から距離を置かずして別の女性客1人が意識不明に陥った。ここで岩陰を探してテントを設営[6]。この女性に加えて歩行困難になった女性客2人と付き添いの男性客1人、ガイド乙(メインガイド)の計5人がこの場でビバーク(緊急野営)することとなった。またこの場でも客から救助要請の要望が出たという[7]
  • 客10人と付き添いのガイド丙(添乗員)はトムラウシ山頂を迂回し西側の平坦なコースで下山を続行した。この時ガイド丙は遅れた人を待つことなく大急ぎで進んだため列が伸びて全員を確認できなくなったという[3]
  • 午後3時頃、ガイド丙と女性客aが「前トム平」に到着。aは1人残されて迷い戻っても分かるよう写真を頼んだが、ガイド丙にその余裕が無かったため自分で撮影した。この時点で霧や雲で視界は悪いが雨や風は弱まっていたという。aは地図を持参していたが前トム平以降は位置がよく分からなかったという[8]
  • 前トム平とコマドリ沢分岐の間でガイド丙が座り込んだ。女性客aが「起きて。子供もいるんでしょ」と声をかけたが、座り込んだままである。aが励ましている内、偶然aの夫からaの携帯電話に着信があり、ガイドに頼まれ最初の110番通報を行った (午後3時54分頃)。警察に現在地を聞かれガイド丙に変わったがガイド丙もろれつが廻らない状態だったという[8]。結局aは40分以上励まし続けたがガイド丙は歩くことが出来ず、ガイド丙を残して後から追いついた男性客Aと共に下山を続行した。
  • 一方、北沼付近のビバークではテントに入って程なく女性2人の脈拍が停止。さらにガイド乙が前設のツェルトまで戻ったところ、女性とガイド甲ももはや絶望的な状況であった。午後5時前後、ガイド乙は同社の札幌営業所に社長あてで「すみません。7人下山できません。救助要請します」「4人くらいダメかもしれないです」と切迫したメールを送信した。
  • 男性客Cは、11人がばらばらになった後、コマドリ沢分岐から山頂方向に約1キロの前トム平の手前で、歩けなくなった女性に手を貸していた女性客bに「手伝って」と頼まれた。もう1人女性が突然倒れて起き上がらない。Cとbは2人を引っ張って雪渓を滑り降りたが、Cは「自分のやれる範囲を超えている」と思い、歩き始めた。近くでは女性客cが別の女性を介抱していた。Cはビバークのための場所を探したが、追いついてきたbに「ビバークしたら死んじゃう。一緒に頑張りましょう」と励まされ、また歩き出した。その後、Cは途中で仮眠を取り、午前4時45分に下山した。cは手を貸していた女性とビバーク。
  • 午後6時ごろ、新得署員3人が同山短縮登山口に車両2台で到着(110番通報から2時間経過後)
  • 午後8時半頃、ガイド乙から新得署に携帯電話で連絡。男性2人、女性3人のビバーク、近くに生死不明の男性1人が倒れていると伝える。
  • 午後10時頃、定時連絡の時刻であったがガイド乙から新得署への連絡はなかった。
  • 午後11時頃、署からガイド乙へ電話するが電波不良のため通じなかった。
  • 午後11時45分、新得町から正式に自衛隊へ救助要請。
  • 午後11時55分、男A女aが温泉登山口に自力下山。

7月17日[編集]

トムラウシ山の北沼(最初の遭難地点)、周辺で多数のツアー参加者が救出・収容された。大雪山からの登山道を南側から望む。
  • 午前0時55分、男性客B女性客bが温泉登山口に自力下山。
  • 午前1時10分、自衛隊員が新得署に到着。
  • 午前3時半、女性客aの話からツアー客らが離れ離れになった様子が判明し始める。
  • 午前3時53分、警察、消防署員各3人計6人が短縮登山口から捜索登山を開始。
  • 午前4時、道警航空隊、自衛隊ヘリコプターなど計3機が順次上空からの捜索を開始。
  • 午前4時38分、前トム平で女性(d)を発見。ヘリで収容し、短縮登山道から救急車で清水町の日赤へ搬送。意識不明。後に死亡確認。
  • 午前4時45分、男性客Cが温泉登山口に自力下山。
  • 17日午前05時01分、前トム平で女性(e)を発見。呼び掛けに応答なし。ヘリで引き揚げて帯広厚生病院へ搬送。意識不明。後に死亡。
  • 午前5時16分、前トム平手前を下山中の女性客cを発見。ヘリコプターで救出し、短縮登山口に降ろし、事情聴取。このときヘリから「1人硬直している」との無線が新得署に入る。
  • 午前5時30分、自衛隊地上部隊が北沼付近で3人の生存者と4人が倒れているのを発見。
  • 午前5時35分、トムラウシ分岐付近で意識不明の男性客Eを発見、帯広厚生病院に搬送。その後死亡が確認。
  • 午前5時45分、道警ヘリが北沼西側付近で手を振っている2人、同東側に倒れている2人を発見。5時30分に地上部隊が発見した遭難者である。
  • 午前6時半ごろ、南沼キャンプ指定地近くで女性1人(f)を発見。その後死亡確認。
  • 午前6時32分、南沼キャンプ場付近で寝袋にくるまっている男性1人(ツアー関係外)を、先行していた地上部隊の1人が発見。
  • 午前6時50分、自衛隊が男性3人(ガイド甲、ガイド乙、D)、女性4人(g、h、i、j)の救助完了。うち男性1人(ガイド甲)と女性3人(h、i、j)が意識不明。後に死亡。
  • 午前09時36分、自衛隊ヘリコプターが南沼東側付近で、ツアー関係者以外の登山客とみられる男性1人の遺体を発見。
  • 午前10時44分、登山客がコマドリ沢付近の雪渓(ハイマツの上)で倒れている男性ガイド丙を発見し110番通報、救助、帯広厚生病院に搬送。

7月18日以降(救助活動終了後)[編集]

  • 7月18日 - 北海道警察が当ツアーの安全管理に鑑み業務上過失致死の疑いでアミューズトラベル札幌営業所を家宅捜索
  • 7月19日 - 死者は当ツアーに参加した8名、および美瑛岳の別ツアー客1名と単独で来た1名、計10名と発表され、司法解剖の結果全員が低体温症による凍死であったことが確認された。また足には何度も転んだ跡と見られる青あざが多く残っていたという。
  • 2010年3月1日 - 社団法人日本山岳ガイド協会の事故特別委員会が調査・作成した「トムラウシ山遭難事故報告書 (PDF, 2.7 MB) 」を公表。
  • 2010年3月31日 - 観光庁は安全対策・旅程管理の再確認を促すようアミューズトラベルに対して厳重注意処分を発令。観観産第630号文書 (PDF)
  • 2010年12月15日 - 観光庁の立ち入り検査により当ツアーで安全確保のため必要な計画作成などを怠った点と、同社札幌営業所で旅行業務取扱管理者を長期間配置しなかった等旅行業法違反事項が発見されたことにより、2010年12月16日から2011年2月4日まで旅行業法第11条の2第1項違反により本社営業所を業務停止命令とする旨を同日発令。[[1]]
  • 2011年3月8日 - 業務停止命令期間中の同社本社営業所が新たに企画旅行の契約を締結していたとして観光庁は厳重注意処分を発令。観観産第622号文書 (PDF)

主催者のアミューズトラベルは当ツアーでの事故発生後も他のツアーについては催行実施を継続したが、この事故から約3年4カ月後の2012年11月には中国北部の山間部にある万里の長城に向かうツアーで3人の死者を出す遭難事故を起こした。[[2]][[3]]

ツアー参加者の一覧[編集]

同ツアーに参加したガイドと登山客の性別、年齢、登山歴、救出状況及び生死は下表となる[1][2]。登山者の括弧内の記号(AからO)はトムラウシ山遭難事故調査報告書(社団法人日本山岳ガイド協会)で用いられた記号である[2]。また途中から同行したポーター役のシェルパ(62歳)は、3日目の7月17日以降は別のツアーの受け入れ準備のため、大型テントなどを持ち別行動を行った。

登山者 性別 年齢 登山歴 日時 状況 生死
ガイド甲(A) 61 7月17日06時50分 北沼付近でヘリで収容 死亡
ガイド乙(B) 32 12年 7月17日06時50分 北沼付近でヘリで救出 生存
ガイド丙(C) 38 7月17日10時44分 前トム平下部でヘリで救出 生存
男A (E) 64 7月16日23時55分 自力で下山 生存
男B (F) 61 12年 7月17日00時55分 自力で下山 生存
男C (C) 65 33年 7月17日04時55分 自力で下山 生存
男D (D) 69 53年 7月17日06時50分 北沼付近でヘリで救出 生存
男E (M) 66 06年 7月17日06時50分 南沼付近でヘリで収容 死亡
女a (G) 64 16年 7月16日23時55分 自力で下山 生存
女b (A) 68 10数年 7月17日00時55分 自力で下山 生存
女c (B) 55 07年 7月17日05時16分 前トム平でヘリで救出 生存
女d (K) 62 7月17日05時01分 トムラウシ公園でヘリで収容 死亡
女e (L) 69 10年 7月17日04時38分 トムラウシ公園でヘリで収容 死亡
女f (J) 68 10数年 7月17日06時50分 北沼でヘリで収容 死亡
女g (H) 61 16年 7月17日06時50分 北沼でヘリで救出 生存
女h (I) 59 7月17日06時50分 北沼でヘリで収容 死亡
女i (O) 64 10年 7月17日05時16分 前トム平でヘリで収容 死亡
女j (N) 62 10数年 7月17日06時50分 北沼でヘリで収容 死亡

周辺の施設[編集]

登山道周辺には、避難小屋キャンプ指定地がある[9]。トムラウシ山の最寄りの山小屋は無人のヒサゴ沼避難小屋で、南のトムラウシ温泉には国民宿舎東大雪荘がある。

名称 所在地 標高
(m)
トムラウシ山からの
方角と距離(km)
収容
人数
キャンプ
指定地
備考
白雲岳避難小屋 白雲岳の南東の肩 1,990 16 cardinal points N.png北 15.5
60
テント80張 夏期のみ管理人駐在
忠別岳避難小屋 忠別岳と五色岳の中間点東 1,620 16 cardinal points NE.png北東 6.9
30
テント15張 無人
ヒサゴ沼避難小屋 ヒサゴ沼畔 1,600 16 cardinal points NE.png北東 3.0
30
テント30張 無人
南沼キャンプ指定地 南沼の西 1,950 16 cardinal points SW.png南西 0.7 テント20張
国民宿舎東大雪荘 トムラウシ温泉  650 16 cardinal points S.png南 7.6
118
テント50張 通年営業、登山口

事故の原因・要因・背景[編集]

総じて言うと、この遭難事故は「気象遭難」に分類されるものであり、(天候判断のミスおよび撤退判断の遅れ・欠如などにより)厳しい気象条件下に晒される状態に陥り低体温症を引き起こしたことが主な要因である[10]。アミューズトラベル社のリーダーやガイドによる天候判断のミス[10]、および、同リーダーやガイドが早めに引き返す決断をしなかったミス[10]、リーダーやガイド同士の(にわかづくりのチームで互いにあまり面識がなく、おまけに事前の打ち合わせもしなかった者同士の)現場での連携不足・協議不足[10]、アミューズトラベル社がリーダーやガイドに対して一応文言上は「現場では安全優先」と言っていたものの実際には経済優先のプレッシャーを感じさせ安全後回しになってしまう環境を放置していたこと[10]、アミューズトラベル社がガイド役らの選定を適切に行なわなかったこと[10]、アミューズトラベル社がツアー参加希望者の中から参加者を登山力量に応じて選ぶやり方が甘かったこと(経験不足の登山客をツアーに参加させない判断をしなかったこと)[10]、ガイドらが現場で(朝に山小屋等から出発する前などに)ツアー客に対して出すべきであった 着用すべき防寒着の種類などについての指示の不足・確認不足[10]、ツアー客自身の登山に対する自覚不足や遭難対策の不足[10]、参加者全員の 低体温症に対する無知・認識不足(ツアー客らは全員低体温症を知らず自分がその状態になっても(概念すら知らないので)自覚せず、ガイドらも その詳細を知らず、あっけなくその状態に陥るものだという認識が無かったこと)[10]等々の要因・原因が重なって起きた事故である。

  • 低体温症については、服を着ていても水中に浸かった場合、濡れただけの場合で死亡に至る時間が大きく異なる。報告書にはパーティ全員が全身ずぶ濡れと書かれているが、ほとんどの遭難者が手足だけで全身ずぶ濡れ状態ではなかった(北沼でのガイド丙を除く)。強風でも低体温症は簡単に起きうることを慎重に考慮すべきであろう。
  • 帯広測候所によるとトムラウシ山頂では、事故当時は雲がかかり雨が降っていたとみられ、日中の気温は8~10度、風速は20~25mと台風並みだったとされる。生存者によると、「雨と風で体感気温は相当低く、リュックカバーが風で吹き飛ばされ、岩にしがみついて四つんばいで歩くような状態だった」とのことである。因みに、旭岳の別パーティもこのパーティと同じ天気予報を聞いていたが、山の天気が平地より遅れてくるとの経験則から夕方まで荒れると見越して、中止の決断をしたことで遭難しなかった。
  • ツアー客の装備に関して一部軽装備だったことが指摘されている。主催したアミューズトラベル社によると、登山の際は上着や非常食を持参する旨を通達していたというが、それが周知徹底されていなかったため同社の管理責任が問われている。

過去の事故[編集]

なお、事故から7年前にもトムラウシ山では同様の事故が発生している[11]

  • 2002年7月11日、夏山登山に来た2組4名、8名のパーティーが台風6号による暴風雨で遭難し山中に足止めされ、2日後に救出されたものの2名の女性が脳梗塞や凍死で死亡する事故が発生した。いずれのパーティーも天気予報で台風の接近が予想されながら、一時的に弱まった風雨の中出発を強行したため、暴風雨のピーク時に山頂付近でビバークを余儀なくされる事態に陥っていたのが原因だった。事故を発生させたガイドは業務上過失致死で起訴され2004年10月5日旭川地方裁判所はガイドに対し禁固8ヶ月、執行猶予3年の判決を下した[12]

この事故では遭難者の救助に携わった登山者や遺体を発見し通報したカメラマン等により、遭難者や遺体を放置して登山を続行した登山者が少なからず居たことが判明し地元紙で非難された[13]

脚注[編集]

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  1. ^ a b 『トムラウシ山遭難はなぜ起きたのか』 山と溪谷社、2010年7月。ISBN 9784635140140
  2. ^ a b c トムラウシ山遭難事故調査報告書 (PDF)”. 社団法人日本山岳ガイド協会 (2010年3月1日). 2011年4月12日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h クローズアップ現代 “夏山の惨事”はなぜ起きた(No.2771)』 NHK総合テレビ、2009年7月23日放送、クローズアップ現代 (2009年7月23日放送日)”. NHK. 2011年4月6日閲覧。
  4. ^ a b サンケイニュース 大雪山遭難ドキュメント[リンク切れ]
  5. ^ a b c 週刊文春 「大雪山系死の行軍」生存者衝撃の告白
  6. ^ このテントはツアーガイドが所持していたものではなく、登山道整備の業者が現地にデポしておいたもので、これがなければさらに被害が拡大する恐れがあった。
  7. ^ 一部で携帯電話が通話可能だったと報道された(「ガイド、山頂付近で救助求めず 遭難事故、携帯は通話可」 朝日新聞 2009年7月19日)が、後の報道で山頂付近は圏外であると否定されている。[要出典]しかし後にこの地点よりガイド甲がア社にメールで救助要請している。
  8. ^ a b 北海道新聞7月28日 トムラウシ遭難 下山目印 緊迫の一枚
  9. ^ 『山と溪谷2011年1月号付録(山の便利手帳2011)』 山と溪谷社、2010年12月、pp.74-76、ASIN B004DPEH6G。
  10. ^ a b c d e f g h i j トムラウシ山遭難事故報告書 (PDF, 2.7 MB) pp.36-88
  11. ^ 羽根田治 『ドキュメント気象遭難』 山と溪谷社、2003年6月、pp.94-144。ISBN 4635140040
  12. ^ 遭難事故 2002年7月トムラウシ
  13. ^ 北海道新聞2002年7月27日付朝刊

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]