ソンミ村虐殺事件

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ソンミの虐殺 から転送)

座標: 北緯15度10分42秒 東経108度52分10秒 / 15.17833°N 108.86944°E / 15.17833; 108.86944

虐殺直前のソンミ村の婦女子
虐殺された村民
虐殺された村民

ソンミ村虐殺事件(ソンミむらぎゃくさつじけん、英:Son My massacreMy Lai Massacre)は、ベトナム戦争中の1968年3月16日アメリカ軍兵士が非武装のベトナム民間人を虐殺した事件。ソンミの虐殺はベトナム反戦運動のシンボルとなり、また国外でも大きな批判の声が起こってアメリカ軍が支持を失うきっかけとなった。

目次

[編集] 事件概要

1968年3月16日に、南ベトナムに展開するアメリカ陸軍のうち第23歩兵師団第11軽歩兵旅団・バーカー機動部隊隷下、第20歩兵連隊第1大隊C中隊の、ウィリアム・カリー中尉率いる第1小隊が、南ベトナム・クアンガイ省ソンミ村ミライ集落(省都クアンガイの北東13km 人口507)を襲撃し、無抵抗の村民504人(男149人、妊婦を含む女183人、乳幼児を含む子ども173人)を機関銃の無差別乱射で虐殺。集落は壊滅状態となった(3人が奇跡的に難を逃れ、2008年現在も生存している。最高齢者は事件当時43歳)。

当初は村民に対する虐殺ではなく「南ベトナム解放民族戦線ゲリラ部隊との戦い」という虚偽の報告がなされたが、翌年12月にシーモア・ハーシュが『ザ・ニューヨーカー』で真相を報じ、アメリカ軍の歴史に残る大虐殺事件が明らかになった。この大虐殺事件は、現場に居合わせた複数のアメリカ軍兵士から軍上層部に報告されていたものの、軍上層部は、世論を反戦の方向へ導く可能性が高いことなどから事件を隠蔽し続けた。

なお、1970年に開かれた軍事法廷でこの虐殺に関与した兵士14人が殺人罪で起訴されたものの、1971年3月29日に下った判決ではカリーに終身刑が言い渡されただけで、残りの13人は証拠不十分で無罪となった。また、カリー自身もその後10年の懲役刑に減刑された上、1974年3月には仮釈放される。陸軍のこの不可解な処置は世界中から大きな非難を浴びた。

虐殺計画は掃討作戦決行の前夜に決定された既定事項で、C中隊指揮官のアーネスト・メディナ大尉が主張したものであるという。

その後

ソンミ村は現存せず、「ティンケ村」と変わっている。

[編集] 脚注


[編集] 関連項目

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