ジュワン・ハワード
| ジュワン・ハワード Juwan Howard マイアミ・ヒート No.5 |
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| 名前 | |
| 本名 | Juwan Antonio Howard |
| ラテン文字 | Juwan Howard |
| 基本情報 | |
| 国 | |
| 誕生日 | 1973年2月7日(40歳) |
| 出身地 | イリノイ州シカゴ |
| 身長 | 206cm |
| 体重 | 115kg |
| 選手情報 | |
| ポジション | PF |
| 背番号 | 5 |
| ドラフト | 1994年 5位 |
| 経歴 | |
| 1994-2001 2001-2002 2002-2003 2003-2004 2004-2007 2007-2008 2008 2008-2009 2009-2010 2010- |
ワシントン・ブレッツ ダラス・マーベリックス デンバー・ナゲッツ オーランド・マジック ヒューストン・ロケッツ ダラス・マーベリックス デンバー・ナゲッツ シャーロット・ボブキャッツ ポートランド・トレイルブレイザーズ マイアミ・ヒート |
ジュワン・ハワード(Juwan Antonio Howard,1973年2月7日 - )は、アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ出身のバスケットボール選手。NBAのマイアミ・ヒートに所属。身長206cm、体重115kg、ポジションはフォワード。
目次 |
経歴 [編集]
学生時代 [編集]
全米で一大旋風を巻き起こしたミシガン大学ファブ・ファイブの一角として学生時代から全米の注目を浴びる。大学時代はセンターでプレイし、背番号は25を付けていた。1年の年から2年連続NCAAトーナメントファイナル進出、ウェバーが抜けた3年目にもエリート8(ベスト8)進出を果たしている。
NBA [編集]
3年時(1994年)のNCAAトーナメント敗退直後にファブ・ファイブのもう一人であるジェイレン・ローズと共にアーリー・エントリーを表明、同年のNBAドラフトでワシントン・ブレッツから全体で5位の指名を受けNBA入りを果たした。1年目から17.0得点、8.4リバウンド、2.5アシストと大活躍し、オール・ルーキー2NDチームにも選出された。 2年目には、22.1得点、8.1リバウンド、4.4アシストとさらに成績を伸ばし、NBAオールスター、オールNBA3rdチームにも選出された。3年目には初のプレイオフに進出するも、シカゴ・ブルズにスウィープされた。 1996年にFAになると、マイアミ・ヒートの球団社長であったパット・ライリーに見込まれ、ヒートと長期高額契約を結んだ。ところが、サラリーキャップのルールに反していた為、リーグから契約は取り消され、同じ金額でブレッツと再契約することになった。 その後、フロントコートを組む、クリス・ウェバー、ゲオルゲ・ムレシャンら主力選手の怪我や移籍もあり、チームは下降線を辿っていった。 2001年には、クリスチャン・レイトナーらとの交換でダラス・マーベリックスへ、2002年には、リーフ・ラフレンツ、ニック・ヴァン・エクセルらとの交換トレードでデンバー・ナゲッツへ移籍した。2003年、再びFAとなり、オーランド・マジックと契約した。
2004年に、トレーシー・マグレディと共に、ヒューストン・ロケッツへ移籍した。ロケッツでは頼れるベテランとして先発、ベンチからの出場とマルチな活躍をした。ロケッツで3シーズンすごした後、2007年6月14日にマイク・ジェームズらとのトレードによってミネソタ・ティンバーウルブズへ移籍するがバイアウトされる。
その後、ダラス・マーベリックス、シャーロット・ボブキャッツ、ポートランド・トレイルブレイザーズとチームを転々とした。ブレイザーズ在籍時の2009-10シーズン、チームはセンターのグレッグ・オデンやジョエル・プリジビラが怪我でシーズン絶望と危機的状況になる。ハワードは数少ないインサイドの1人として怪我人続出のチームを支え、プレーオフ出場に貢献した。シーズン後、マイアミ・ヒートへ移籍した。
プレースタイル [編集]
ミュアサン、ウェバーと同時にコートに立つ時は、スモール・フォワードとしてプレイしていた。ウェバーが移籍してからはパワー・フォワードでプレイする機会が多くなった。ディフェンスには問題があるが、器用で得点能力は高く、フックシュートやフェイダウェイを得意としている。
外部リンク [編集]
- NBA.com Juwan Howard (英語)
- Official Website (英語)
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