ジャガー・マークVII/VIII/IX

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ジャガー・マークVII/VIII/IX
マークVII
Jaguar Mark VII Saloon 1954.jpg
VIII
Jaguar Mark VIII in Hertfordshire.jpg
IX
Jaguar Mark IX.jpg
乗車定員 5/6人
ボディタイプ 4ドア・セダン
エンジン 直列6気筒DOHC3442cc/3781cc
変速機 4速MT/3速AT
駆動方式 FR
サスペンション 前: 独立・ウィッシュボーン・縦置きトーションバー
後: 固定・半楕円リーフスプリング
全長 4990mm
全幅 1850mm
全高 1600mm
ホイールベース 3050mm
車両重量 1676kg
先代 ジャガー・マークV
後継 ジャガー・マークX
-自動車のスペック表-

ジャガー・マークVII/VIII/IXは、イギリス自動車メーカージャガーが1950年から1961年まで生産した大型乗用車である。

概要[編集]

マークVII(1950-54年)[編集]

1950年のロンドン自動車ショーで発表された。先代のマークVとホイールベースは共通で同一シャシーを用いていたが、内容は大幅に近代化された[1]

幅広の車体はフェンダーとヘッドライトを車体に完全に統合し、リアオーバーハング延長でトランクスペースを拡大した新デザインで、しかもふくよかなフェンダーラインを残してクラシカルな雰囲気を留めた、ジャガー社のオーナーであるウイリアム・ライオンズの作品にふさわしいエレガントなスタイルとなった。実質的な車幅の大幅拡大は、重要な輸出先であるアメリカ市場でのニーズに応じたものである。

エンジンは2年前に同じロンドン自動車ショーで発表され、前年に発売されていたスポーツカー・XK120と共通のジャガー・XKエンジンがサルーン系として初採用された(XKエンジンシリーズは以後、多くのジャガー・サルーンに30年以上に渡って搭載され続けた)。DOHC直列6気筒エンジンのスペックはXK120と同じく3442cc・160馬力の高性能であった。この強力なエンジンのおかげで、大柄で背の高いスタイルと1676kgと重い車体にもかかわらず、当時の高級乗用車としては画期的な、最高速度100mph(160 km/h)を達成した[2]

当時の新車価格は£1693で、性能の割に割安という戦前からのジャガー車の伝統は守られていた[3]第二次世界大戦からのイギリスの復興を象徴する豪華高性能高級車として歓迎されたマークVIIは、1954年のマイナーチェンジまでに20,908台が生産され、その多くがアメリカに輸出された。

マークVII M(1954-1956年)[編集]

1954年のロンドン自動車ショーで発表された改良型。最高出力が「XK120 SE」エンジンの搭載で190馬力に高められ、最高速度は104mph(167km/h)となった。また、輸出向けには前年からオプションとなっていたBW製3速オートマチックが英国内でも注文可能となった。外観上の識別点はヘッドライト下の補助ランプがホーングリルとなり[4]、バンパーのボディサイドへの回り込みが大きくなったことである。

このモデルは1956年のモンテカルロラリーに優勝するなど、より小型軽量なMk1 3.4が1957年に登場するまでモータースポーツでも活躍した。1956年のスエズ動乱によるガソリン危機で売り上げは鈍化したが、それでも2年間に10,061台が生産された。

マークVIII(1956-59年)[編集]

1956年のロンドン自動車ショーで改良型が発表され、車名がマークVIIIとなった。ウッドと革がふんだんに用いられていた内装は一層豪華になり、外観ではフロントグリルが変更され、フロント窓ガラスが一枚の曲面ガラスとなった。エンジンは翌年に登場するXK150・SE同様、210馬力に強化され、最高速度は106mph(170km/h)となった。また、4速マニュアルギアボックスにはオーバードライブが装備可能となった。

マークVIIIは1959年までに6,227台が生産された。

マークIX(1959-61年)[編集]

1959年に登場したこのシリーズの最終型で、1961年により近代的で大型のマークXが登場するまで生産された。機構的にはエンジンが3781cc220馬力に拡大され220馬力にパワーアップしたこと、ダンロップ製四輪ディスクブレーキパワーステアリングが標準装備されたことが特徴である。「ザ・モーター」誌のテストでは最高速度114.4mph、0-60mph加速11.3秒と、設計年次の古さを感じさせない高性能ぶりであった。

車体は基本的にマークVIIIと共通だったが「sunshine roof」と呼ばれたスライド式サンルーフが標準装備となり、流行の2トーンカラーも選択可能となった。 マークIXは10,005台が生産された。

マークVII/VIII/IXは当時の日本にも輸入されたが、マークVIII/IX時代になると輸入制限が厳しくなり、大半が駐留米軍人や外国人、外交官の持ち込み車となった。この時代の日本人オーナーには旺文社創業者の赤尾好夫[5]、美学者・クラシックカー収集家として知られた昭和女子大学教授の濱徳太郎らがいた。濱はこのシリーズを評して「スポーツ的であり、街の車でもあり、クラシックなところを持ちながらやはり現代の車だ。若い人に人気があり乍ら、私たちにも使える。こんなところが面白い」と述べている。

注釈[編集]

  1. ^ マークVとVIIの間の、「マークVI」は存在しない。本来はマークVの高性能版のための車名となるはずであったが実現しなかったのだと言われる。別の説では、ジャガーがライバル視していたベントレーが「マークVII」を発表していたので、それに遅れをとることを避けたのだとされる。
  2. ^ 当時の英国自動車雑誌・「ザ・モーター」によると、最高速は101mph、0-60mph加速13.1秒と、今日でも通用する動力性能を記録している。
  3. ^ 最高速度131.3km/h、0-60mph加速19.1秒と、性能的に全く比較にならない戦前型ベースのハンバー・スーパー・スナイプ(1950年型)でも£1471であった時代である。高級車・高性能車であっても大量生産によるコストダウン効果を敷衍させ、価格競争力を与えるのが1950年代までのジャガーの戦略であった。
  4. ^ ランプはバンパー上に設置された。
  5. ^ 車酔いしやすい体質の赤尾はこの車のやや硬めの乗り心地をこよなく愛し、マークVIIに10年、その後駐留米軍人が転売目的で2年間新車のまま間保管していたマークIXに乗り換え、やはり10年以上愛用、倉庫には事故車から引き取ったエンジン・シャシー・ボディのパーツが丸一台分保管されていた。

参考文献[編集]