ゲオルク・ヴィルヘルム・フォン・ハノーファー (1880-1912)

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ゲオルク・ヴィルヘルム・フォン・ハノーファー・ウント・クンバーラント

ゲオルク・ヴィルヘルム・フォン・ハノーファー・ウント・クンバーラント(Georg Wilhelm von Hannover und Cumberland, 1880年10月28日 - 1912年5月20日)は、ハノーファー王国の王族の子孫。全名はゲオルク・ヴィルヘルム・クリスティアン・アルベルト・エトヴァルト・アレクサンダー・フリードリヒ・ヴァルデマール・エルンスト・アドルフGeorg Wilhelm Christian Albert Edward Alexander Friedrich Waldemar Ernst Adolf)。ハノーファー王子およびカンバーランド公子、アーマー伯、グレートブリテンおよびアイルランド王子、ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公。元ハノーファー王太子エルンスト・アウグスト(2世)の長男。

1880年10月28日、エルンスト・アウグスト(2世)とその妃であったデンマーククリスチャン9世の王女テューラの間に第2子としてオーストリア=ハンガリー帝国オーバーエスターライヒ州グムンデンに生まれた。父エルンスト・アウグスト(2世)はグレートブリテン貴族カンバーランド=テヴィオットデイル公の称号も持っていたため、その法定推定相続人としてアーマー伯の儀礼称号で称された。また家族からは「Plumpy」と呼ばれた。

第一次世界大戦では大尉としてオーストリアの第42連隊に勤務した。

1912年5月20日、伯父のデンマーク王フレゼリク8世葬儀に参列するために自動車を運転していたところ、ドイツ帝国プロイセン王国ブランデンブルク州Nackel(現ドイツ連邦共和国ブランデンブルク州オストプリグニッツ=ルッピン郡ヴシュターハウゼン/ドッセWusterhausen/Dosse)で交通事故死した。31歳であった。未婚で子はなく、次弟クリスティアンがすでに死去していたため、ハノーファー家家長やカンバーランド公の法定推定相続人は末弟のエルンスト・アウグスト(3世)となった。