テューラ・ア・ダンマーク (1853-1933)

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ハノーファー王太子妃およびカンバーランド公爵夫人テューラ、1900年頃
三女のオルガを抱くテューラ王女、1885年

テューラ・ア・ダンマークPrinsesse Thyra af Danmark, 1853年9月29日 コペンハーゲン - 1933年2月26日 グムンデン)は、デンマークの王族、デンマーク王女(Prinsesse af Danmark)。デンマーク王クリスチャン9世の三女で、ハノーファー元王太子エルンスト・アウグスト(2世)の妻。全名はテューラ・アメーリエ・カロリーネ・シャルロッテ・アンネ(Thyra Amelie Caroline Charlotte Anne)。ドイツ語名はティーラ・フォン・デーネマルクThyra von Dänemark)、英語名はタイラ・オブ・デンマークThyra of Denmark)。

生涯[編集]

クリスチャン9世とその妻でヘッセン=カッセル=ルンペンハイム方伯ヴィルヘルムの娘であるルイーゼ王妃の間の第5子、三女として生まれた。

デンマーク王フレゼリク8世、ギリシャ王ゲオルギオス1世(ヴィルヘルム)、イギリス王妃アレクサンドラ、ロシア皇后マリヤ・フョードロヴナ(ダウマー)の妹である。美貌を謳われた姉たちと同様、テューラも黒髪に暗めの碧眼を持つ魅力的な王女で、優しい性格でもあった。

テューラは若い頃、騎兵隊中尉のヴィルヘルム・マーシェル(Vilhelm Marcher)と恋に落ち、結果としてマーシェルの子供を身ごもった。次兄のゲオルギオス1世は、スキャンダルの発覚を避けるべく、妹に出産はアテネでするように勧めた。宮廷はデンマークの新聞に対し、テューラは黄疸の治療のために公の場から姿を隠していると説明した。

テューラは1871年11月8日グリュックスブルク城Schloss Glücksburg)において、マリアという女児を出産した。この娘はオーデンセのとある夫婦の養女にされ、名前もカーテ(Kate)と改めさせられた。なお、女児の父親であるマーシェルは、国王に謁見した直後の1872年1月4日自殺している。

1878年12月21日、テューラはコペンハーゲンでハノーファー元王太子のエルンスト・アウグストと結婚した。夫は1866年普仏戦争に際してプロイセンに併合されたハノーファー王国の王位継承者で、名目的に王太子の称号で呼ばれていた。またエルンスト・アウグストはイギリス王子およびカンバーランド=テヴィオットデール公爵の爵位をも保持していた。王太子夫妻はオーストリアのグムンデンにあるクンバーラント城(Schloss Cumberland)で暮らし、間に6人の子供を授かった。

子女[編集]

外部リンク[編集]