クルゼイロ航空

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クルゼイロ航空
IATA
SC
ICAO
CRZ
コールサイン
Cruzeiro
設立 1926年
ハブ空港 サンパウロ・コンゴニアス国際空港グアルーリョス国際空港リオ・デ・ジャネイロガレオン国際空港サントス・デュモン空港
マイレージサービス なし
会員ラウンジ なし
航空連合 未加盟
親会社 ヴァリグブラジル航空
本拠地 ブラジル
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クルゼイロ航空(クルゼイロこうくう、Serviços Aéreos Cruzeiro do Sul)は、ブラジル航空会社1993年ヴァリグ・ブラジル航空吸収合併されて消滅した。

概要[編集]

設立[編集]

NAMC YS-11型機

1926年に、ブラジル南部の大都市であるポルトアレグレをベースに、ブラジル南部に多かったドイツ移民からの資金を得て設立された「シンジカト・コンドル航空(Syndicato Condor)」がその前身である。設立後よりブラジル南部を中心とした国内線をドイツ製のユンカース Ju-52などにより運航したほか、アルゼンチンボリビアなどの近隣諸国への国際線も運航した。

その後1939年9月に勃発した第二次世界大戦中には、ブラジルがアメリカの圧力を受けて1942年連合国側について参戦したために、ブラジル政府の指示によりドイツ系の経営陣を一掃し「セルビソス・アエレオス・コンドル航空(Serviços Aéreos Condor)」と改名し、さらに1943年にクルゼイロ航空と改名した。なお、社名の「Cruzeiro do Sul」はポルトガル語で南十字星のことである。

拡大[編集]

エアバスA300型機

第二次世界大戦後は、ダグラス DC-3DC-4コンベア440を導入し急増する航空需要に対応した。1960年代に入るとシュド・カラベル日本航空機製造YS-11を導入し、サンパウロ-リオ・デ・ジャネイロ間のシャトル便などの国内の主要路線に投入した。

1970年代に入るとボーイング737ボーイング727などの中型ジェット旅客機を導入し、主要路線の完全ジェット化を進め、さらにアルゼンチンボリビアウルグアイなどの近隣諸国への国際線も拡張し、ヴァリグブラジル航空とVASP航空に次ぐ国内第3位の航空会社になった。

吸収合併[編集]

その後1975年には、ブラジル最大の航空会社であるヴァリグブラジル航空の事実上の傘下に入った。1979年には初のワイドボディ機であるエアバスA300を独自に導入するなど、その後もブランド名は残しつつ、ヴァリグブラジル航空を補佐する形で国内外(国際線は中近距離のみ)の路線を運航していた。しかし、1993年1月にヴァリグブラジル航空に完全に吸収合併され消滅した。

運航機材[編集]

シュドSE210カラベル型機

主な就航地[編集]

国内[編集]

ボーイング737-200

国際線[編集]

関連項目[編集]