カレル・チャペック

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カレル・チャペック(30歳)
カレル・チャペックの墓

カレル・チャペックKarel Čapek, 1890年1月9日 - 1938年12月25日)は、チェコ作家劇作家ジャーナリスト。兄は、ナチス・ドイツの強制収容所で死んだ画家・作家のヨゼフ・チャペック

概要[編集]

大戦間のチェコスロバキアで最も人気のあった国民的作家。戯曲『ロボット (R.U.R.)』において、「労働」を意味するチェコ語: robota(もともとは古代教会スラブ語での「隷属」の意)から ロボット という言葉を作ったと言われるが、彼自身は兄ヨゼフが作った言葉だと主張している。代表作『R.U.R.』『山椒魚戦争』はSFの古典的傑作とされている。小説戯曲の他にも、文筆活動は童話、旅行記、文明評論など多岐にわたっている。また趣味であった園芸においても自らの体験を交えた作品を発表している。

小説『山椒魚戦争』と戯曲『母』ではアドルフ・ヒトラーナチズムを痛烈に批判している。そのためにチャペックはゲシュタポ内では『チェコ第二の敵』として危険視される。ゲシュタポは1939年3月15日、ドイツがプラハを占領した際に、いち早く彼を逮捕するためにチャペック邸に乗り込んでさえいるが、その前年に彼は死亡している。

生涯[編集]

1890年、当時オーストリア=ハンガリー帝国領であったボヘミアのマレー・スヴァトニョヴィツェという小さな町で、チャペック家の三男として生まれた。家族は父と母と姉、そして兄ヨゼフとの5人家族、父は町医者で、また当時地域の文化活動の中心を務めていた人物だった。

1905年、ボヘミア東部の中心都市にあるギムナジウムに進学するが、思想問題でやめなければならない事態に陥ったため、結婚していた姉を頼りモラヴィアの中心都市ブルノチェコ語ギムナジウムへ進学する。

1909年、ギムナジュウムを優等で卒業してカレル大学へ進学し、哲学を専攻する。1910年ベルリンのフリードリヒ・ヴィルヘルム大学(現ベルリン大学)へ留学する。1911年、ベルリンの大学を修了後に兄ヨゼフがいたパリソルボンヌ大学へ留学、造形芸術家集団に参加する。ヨゼフとともに戯曲『盗賊』を書く。

1914年第一次世界大戦が勃発する。チャペックは鼻骨の怪我により従軍することはなかったが、カレルの友人たちは従軍した。

1915年に帰国後、母校のカレル大学で博士号を得る。卒業後、しばらくは家庭教師の仕事をしていたが生計が立たず、実家から仕送りを受ける。1916年、チャペック兄弟として正式にデビューする。このころはフランス詩の翻訳に熱心に取り組む。同年、持病の脊椎のリウマチにより兵役免除となる。1917年、独立前に唯一発行が許されていた国民新聞(ナーロドニー・リスティ)に論説文を書く仕事に就く。

1920年プラハヴィノフラディ劇場の演劇人としても活動していたチャペックは『R.U.R.』を書き上げる。このときにロボットという言葉が生まれた。後の妻オルガ・シャインプフルゴヴァーとこのとき出会う。

1921年、チェコスロバキア政府は共産主義運動を弾圧し、政府にあわせ次第に保守化していく国民新聞に不安を感じ、民衆新聞(リドヴェー・ノヴィニ)へ兄とともに移籍する。その後、死ぬまで民衆新聞に在籍し続けた。戯曲『虫の生活』(ヨゼフとともに合作)を出版する。

1922年に『クラカチット』を新聞の連載小説として執筆開始する。戯曲『マクロプラス事件』を書く。『絶対子工場』(Továrna na absolutno)を出版する。この年、当時の大統領であるトマーシュ・マサリクと面識を持つ。

1924年、『クラカチット』が出版される。同年、国家賞を受賞する。イギリス・ペンクラブの招待により英国大博覧会取材をかねてイギリスへ、この年の秋頃から多方面から知識人を自宅に招いて討論する『金曜会』を開くようになる。

1925年、ペンクラブのプラハ支部設立準備委員になる。翌月には会長に選ばれる。ヨゼフと再び合作、戯曲『創造者アダム』を制作開始する。

1926年。『創造者アダム』を完成する。「金曜会」にマサリク大統領が初めて参加する。この年の大晦日に行われたパーティーで行われた余興により、マスコミに論争が起きたが、後に解決する。

1933年、『ダーシェンカ、子犬の生活』『ホルドゥバル』を出版する。『流れ星』を執筆する。チェコスロヴァキア・ペンクラブ会長を辞任する。

1936年、『山椒魚戦争』を出版する。20年に知り合ったオルガ・シャインプフルゴヴァーと結婚。ノルウェーの新聞雑誌に、ノーベル賞を彼にという提案が初めて出される。

1938年ルイ・アラゴンの提唱の元、フランスの11人の作家がノーベル賞を与えようとほかの作家たちに呼びかけをするが、本人は辞退する。同じころ、右翼系新聞が批判する。12月中旬、嵐で荒れた庭の手入れをしたことが原因で風邪をひき、一時回復するものの19日に悪化し、12月25日の未明に肺炎により死去する。最後のコラムが民衆新聞に載る。小説『作曲家フォルティーンの生涯と作品』の草稿が未完で残る。現在、ヴィシェフラト墓地に埋葬されている。

ロボットという言葉を生み出したことに少々苦い思いを抱いていたようで、「歯車、光電池、その他諸々の怪しげな機械の部品を体内に詰め込んだブリキ人形を、世界に送り出すつもりは作者にはなかった」と述べている。

1939年、ナチス・ドイツがプラハを占領する。3月、チャペックの死を知らないゲシュタポがチャペック邸を襲撃、踏み込んで来た一同に、オルガは夫カレルが4ヶ月前に没したことを、皮肉を込めて伝えたという。

著作の日本語訳[編集]

小説
  • Boží muka (1917年)
  • Trapné povídky (1921年)
    • 苦悩に満ちた物語(チャペック小説選集2、石川達夫訳、成文社、1996年)
  • Továrna na absolutno (1922年)
  • Krakatit (1922年)
  • Zahradníkův rok (1929年)
  • Povídky z jedné kapsy (1929年)[1]
    • ひとつのポケットから出た話(栗栖継訳、晶文社、1997年)
    • ひとつのポケットからでた話(栗栖茜訳、海山社、2011年)
  • Povídky z druhé kapsy (1929年)
    • ポケットから出てきたミステリー(田才益夫訳、晶文社、2001年)
    • もうひとつのポケットからでた話(栗栖茜訳、海山社、2011年)
  • Devatero pohádek (1932年)
  • Kniha apokryfů (1932年)
    • 外典(チャペック小説選集6、石川達夫訳、成文社、1997年)
  • Hordubal (1933年)
    • ホルドゥバル(チャペック小説選集3、飯島周訳、成文社、1995年)
  • Dášeňka čili život štěněte (1933年)
  • Povětroň (1934年)
    • 流れ星(チャペック小説選集4、飯島周訳、成文社、1996年)
    • 流れ星(田才益夫訳、青土社、2008年)
  • Obyčejný život (1934年)
    • 平凡な人生(チャペック小説選集5、飯島周訳、成文社、1997年)
  • Válka s mloky (1936年)
  • Měl jsem psa a kočku (1939年)
    • チャペックの犬と猫のお話(石川達夫訳、河出文庫、1998年)
  • Bajky a podpovídky (1946年)
    • こまった人たち チャペック小品集(飯島周編訳、平凡社ライブラリー、2005年)
  • Pudlenka (1970年)
    • ふしぎ猫プドレンカ(小野田若菜訳、ブロンズ新社、2003年)
  • カレル・チャペック短編集(青土社、2007年
  • 赤ちゃん盗難事件―カレル・チャペック短編集II(青土社、2008年)
  • ありふれた殺人―カレル・チャペック短編集III(青土社、2008年)
戯曲
  • R.U.R. (1920年)
  • Věc Makropulos (1922年)
    • マクロプロス事件 序言と三幕からなるコメディー(田才益夫訳、八月舎、1998年)
  • チャペック戯曲全集(八月舎、2006年)
    1. 愛の盗賊
    2. RUR
    3. マクロプロス事件
    4. 白い病気
    5. 愛・運命の戯れ(ヨゼフ・チャペックとの共著)
    6. 虫の生活から(ヨゼフ・チャペックとの共著)
    7. 創造者アダム(ヨゼフ・チャペックとの共著)
旅行記・エッセイ・コラムその他
  • Anglické listy (1924年)
    • イギリス通信(岡本圭次郎編、成美堂、1957年)
    • イギリスだより(カレル・チャペック・エッセイ選集2、飯島周編訳、恒文社、1996年)
    • イギリス便り(伊藤廣里訳、近代文芸社、2001年)
    • イギリスたより(カレル・チャペック旅行記コレクション、飯島周編訳、ちくま文庫、2007年)
  • Hovory s T. G. Masarykem (1928年 - 1935年)
    • マサリクとの対話 哲人大統領の生涯と思想(石川達夫訳、成文社、1993年)
  • Výlet do Španěl (1930年)
    • スペイン旅行記(カレル・チャペック・エッセイ選集5、飯島周編訳、恒文社、1997年)
    • スペイン旅行記(カレル・チャペック旅行記コレクション、飯島周編訳、ちくま文庫、2007年)
  • Obrázky z Holandska (1932年)
    • オランダ絵図(カレル・チャペック旅行記コレクション、飯島周編訳、ちくま文庫、2010年)
  • Cesta na sever (1936年)
    • 北欧の旅(カレル・チャペック旅行記コレクション、飯島周編訳、ちくま文庫、2009年)
  • Jak se co dělá (1938年)
    • 新聞・映画・芝居をつくる(カレル・チャペック・エッセイ選集6、飯島周編訳、恒文社、1997年)
  • Obrázky z domova (1953年)
    • チェコスロヴァキアめぐり (カレル・チャペック・エッセイ選集1、飯島周編訳、恒文社、1996年)
    • チェコスロヴァキアめぐり(カレル・チャペック旅行記コレクション、飯島周編訳、ちくま文庫、2007年)
  • Na břehu dnů (1966年)
    • コラムの闘争 ジャーナリスト カレル・チャペックの仕事(田才益夫訳編、社会思想社、1995年)
  • いろいろな人たち―チャペック・エッセイ集(平凡社ライブラリー、1995年)
  • 未来からの手紙―チャペック・エッセイ集(平凡社ライブラリー、1996年)
  • カレル・チャペックの闘争(社会思想社、1996年)
  • カレル・チャペックのごあいさつ(青土社、2004年)
  • カレル・チャペックの日曜日(青土社、2004年)
  • カレル・チャペックの童話の作り方(青土社、2005年)
  • カレル・チャペックの新聞賛歌(青土社、2005年)
  • カレル・チャペックの愛の手紙(青土社、2006年)
  • カレル・チャペックの警告(青土社、2007年)


脚注[編集]

  1. ^ この作品名から日本で初の本格的なチャペックの紹介となった千野栄一『ポケットのなかのチャペック』(晶文社, 1975年)が生まれた。

外部リンク[編集]