カメラ・オブスクラ

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手持ち式カメラ・オブスクラ
手持ち式カメラ・オブスクラの使い方

カメラ・オブスクラ英語:camera obscuraラテン語:camerae obscurae 、「暗い部屋」の意味。カメラ・オブスキュラ、カメラ・オブスクーラとも)は、素描を描くために使われた光学装置のこと。写真術発明にあたり重要な役割を果たした装置で、写真撮影用の機械を「カメラ」と呼ぶのはカメラ・オブスクラに由来する。最初に「カメラ・オブスクラ」という言葉を用いたのはヨハネス・ケプラーとされる[1]

カメラ・オブスクラの原理[編集]

カメラ・オブスクラの原理

カメラ・オブスクラの原理は、ちょうどピンホールカメラと同じようなものである。原始的なタイプのカメラ・オブスクラは、部屋と同じくらいのサイズの大きな箱を用意し、片方に小さな針穴(ピンホール)を開けると外の光景の一部分からの光が穴を通り、穴と反対側の黒い内壁に像を結ぶというものであった。画家がこの箱の中に入り、壁に映った像を紙の上に描き移すことで、実際の光景とそっくりの下絵をつくるという使い方がされた。

1772年の百科事典『百科全書』に掲載された、鏡を使用したカメラ・オブスクラ

この装置を使うことの利点は、結ばれた像の遠近感(パースペクティブ)が正しいため、リアリズムに富んだ絵が描けることにあった。遠近の正しい透視画を描くには、ほかにも糸を格子状に編んだ網を通して風景を見て、格子を書いた紙の上に各格子の中の光景を転写するという方法もあった。この手法やカメラ・オブスクラという手法は、美術における遠近法・透視画法の確立に大きな役割を果たした。

手作りの簡単な箱を使うと、中に結ばれる像は必ず上下反対になってしまう。左図にあるようなを使った18世紀の高架式カメラ・オブスクラなら、上下の正しい像を得ることができる上に持ち運びすることも可能になった。その他、箱の中に鏡を入れ、箱の上方のガラスに像を結ぶ持参式カメラ・オブスクラもできた。このタイプでは穴の後方から見て上下正しい像を見ることができる上、ガラスの上にトレーシングペーパーを置いて像をなぞることができた。

ピンホールを小さくすれば、より鮮明な像を得ることができるが光は弱くなる。さらに穴を小さくすると、回折が起きるためかえって像はぼけてしまう。実用的なカメラ・オブスクラはピンホールではなくレンズを用いることで、F値を大きくして、より明るく、同時に焦点の合った鮮明な像を得ることができるようになった。19世紀には、携帯用カメラ・オブスクラの中に感光剤を塗った板などを入れることにより写真用のカメラが誕生している。

カメラ・オブスクラの歴史[編集]

携帯式カメラ・オブスクラ。三脚の上に外の光を取り込む装置があり、画家は暗幕の中に入って手元に投影された外の風景をなぞる

カメラ・オブスクラの原理となる、ピンホールを通る光の現象については古代中国や古代ギリシャの時代から知られていた[2]春秋時代墨子は、「景の到するは午(交点)に在り、端有れば景と與に長し」と論じて[3]、穴を通った光が倒立した像を結ぶことについて述べたとみられる。弟子の解説にカメラ・オブスクラの記述だと明確になる[4]。一方、紀元前4世紀のギリシャの哲学者アリストテレス(またはその関係者)によるとみられる『問題集』の中には、さまざまに異なる形の隙間や穴を通った光が、どれも太陽の丸い形(あるいは日食時の欠けた形)を地面に投影するのはなぜかという問いがある[5]。アリストテレスのこの問いに対し、16世紀ヨハネス・ケプラーフランチェスコ・マウロリコらがようやく回答を与えている。

10世紀から11世紀にかけてエジプトなどで活躍した数学者・哲学者イブン・アル・ハイサム光学の発展に大きな足跡を残したが、彼は『光学の書』の中でさまざまな光源からの光が暗い部屋の中に像を結ぶ原理について詳しく研究している[6][7]。彼はさまざまな大きさの穴を開け、小さい穴を通った光だけが壁面に像を結ぶことを見出した。また日食観察のためにカメラ・オブスクラを組み立てている。西洋では13世紀ロジャー・ベーコンが日食観察にカメラ・オブスクラを用いた[8]

カメラ・オブスクラが絵を描くための装置として芸術家の間で活用されるようになったのは15世紀頃である。レオナルド・ダ・ヴィンチは科学研究などを書き残したアトランティコ手稿(Codex Atlanticus )の中でカメラ・オブスクラを描いている。16世紀には鏡やレンズがカメラ・オブスクラに使用されるようになり、携帯型カメラボックスの開発も始まった。ドイツヴュルツブルクのイエズス会士ヨハン・ツァーンJohann Zahn )は1685年に著書『Oculus Artificialis Teledioptricus Sive Telescopium』を出版し、カメラ・オブスクラとマジック・ランタン(幻灯機)の記述や図解やスケッチを残した。

17世紀オランダの巨匠たち(ヨハネス・フェルメールら)は、細部への優れた観察力で知られている。彼らはこうしたカメラを使用したと推測されているが、この時期の画家たちがどの程度カメラを利用したかについてはさまざまな議論がある(カメラの使用に否定的な意見もある)。

ロンドンサイエンス・ミュージアムに展示されているカメラオブスクラ

初期のカメラ・オブスクラは巨大であり、中を暗くした大きな部屋や大きなテントでできていた。これらは太陽黒点日食など太陽の観測にも使われ、16世紀から17世紀前半の天体物理学ヨハネス・ケプラーが天体観測に用いたものもこうしたテント型のカメラである。18世紀頃までに、ロバート・ボイルロバート・フックらの研究開発により持参できる小型のカメラが生産された。こうした小型カメラ・オブスクラは、旅行先のスケッチをしようとするアマチュアの絵画愛好家らによって利用されたが、ポール・サンドビーカナレットジョシュア・レノルズといったプロの画家たちも利用し、ロンドンサイエンス・ミュージアムにこうした画家が使ったとされるカメラが展示されている。

この小型カメラ・オブスクラは、1830年代に入りルイ・ジャック・マンデ・ダゲールウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボットらが最初の写真機を作る際に利用されている。

観光用カメラ・オブスクラ[編集]

大型カメラオブスクラ。係員が上の塔を回転させることにより全周を観ることができる。公園・景勝地・移動遊園地などで使われた

かつては観光地に大きなカメラ・オブスクラを作って観光客用のアトラクションとした場所もあった。高い建物の中に暗い部屋とレンズを設け、外の世界の動くパノラマが手もとの水平な画面に映し出されるようになっており、直接外の世界を見るよりもより鮮やかに生き生きと動いて見えることから人々に人気があった。現存する数少ない例では、イギリスブリストルエディンバラなど各地、南アフリカ共和国のグラハムズタウン、ポルトガルリスボンキューバハバナサンフランシスコなど北米の各地、ほか世界各地に大型カメラ・オブスクラがある。

日本では、東京ディズニーシーフォートレス・エクスプロレーション内に「カメラ・オブスキュラ」の名前で設置されている。[1]

参考文献[編集]

  • 『カメラ・オブスクラ年代記』 ジョン・H・ハモンド著 川島昭夫訳 朝日選書651 朝日新聞社 2000年5月25日 ISBN 4-02-259751-8

関連項目[編集]

イギリス・マン島の観光用大型カメラオブスクラ

脚注[編集]

  1. ^ History of Photography and the Camera - Part 1: The first photographs
  2. ^ ピンホール写真_研究室 ピンホール写真の歴史ー墨子とアリストテレス
  3. ^ 墨子国字解 下 明治44年
  4. ^ Needham, Joseph. (1986). Science and Civilization in China: Volume 4, Physics and Physical Technology, Part 1, Physics. Taipei: Caves Books Ltd. Page 82.
  5. ^ Aristotle, Problems, Book XV
  6. ^ David H. Kelley, Exploring Ancient Skies: An Encyclopedic Survey of Archaeoastronomy: "The first clear description of the device appears in the Book of Optics of Alhazen."
  7. ^ Bradley Steffens (2006), Ibn al-Haytham: First Scientist, Chapter Five, Morgan Reynolds Publishing, ISBN 1-59935-024-6
  8. ^ BBC - The Camera Obscura

外部リンク[編集]