アル=アズハル大学
| アル=アズハル大学 | |
|---|---|
| 大学設置/創立 | 988年 |
| 学校種別 | 公立 |
| 設置者 | 不明 |
| 本部所在地 | カイロ市 |
| ウェブサイト | アル=アズハル大学公式サイト |
アル=アズハル大学(英語: Al-Azhar University)は、カイロ市に本部を置くエジプトの公立大学である。988年に設置された。 イスラム教スンニ派の最高教育機関として有名であり、現存する世界最古の大学の1つである。アル=アズハル学院とも呼称される。
目次 |
[編集] 歴史
アル=アズハル・モスク(971年建立)に付属するマドラサとして988年に設立された。アズハルは「最も栄えある」の意味。
創立当初からの伝統では、イスラーム法学を志す者に対して誰にでもいつでも門戸を開放するという趣旨から、入学随時・出欠席随意・修業年限なし、という3原則を守っていた[1]。プラトン、アリストテレスなどギリシア哲学の研究が行われ、大学院にあたるコースも行っており、世界で最初の成熟した大学とみなされている
創立当時のファーティマ朝下では、カリフが直接管理するか、カリフに代わる役人が統括して、大臣または国家の要人が直接教授の任にあたった。マムルーク朝下では、マムルーク騎士団のアミールの一人が統括していた[2]。
1517年、マムルーク朝を破ってカイロを手中にしたオスマン帝国のセリム1世は、マムルーク時代に栄えた学校や学林モスクを次々と閉鎖したが、アズハルについては存続させ、みずからもエジプト滞在中にはアズハルモスクの金曜礼拝に参拝し、莫大な喜捨をおこなった[3]。このオスマン朝支配下の17世紀後半には、アズハル大学の総長職が確立した。カリフ制度が廃止された現在では、アル=アズハル大学の総長がスンナ派の最高権威とされる。
周辺イスラーム世界の各地から留学生を集め、その中からアズハル大学の教授になる者もいたが、19世紀末にスエズ運河が開通すると、さらに植民地支配下にある東南アジアの各地からの留学も増え、反植民地運動を志すグループを生んだ[4]。
1961年、ナセル政権下で学院は改組されて総合大学となり、伝統的なイスラーム学・イスラーム法学・アラビア語学の3学部に加えて、新たに医学部・工学部・農学部および女子大学が設置された[5]。
現在世界各地の大学で見られる、卒業式に黒いガウンを着る習慣は、アル=アズハル大学を卒業するイスラム学者たちのゆったりとしたローブが起源であるといわれている[6]。
[編集] 脚注
[編集] 参考文献
- 飯森嘉助 「オスマン朝支配下のアズハル大学 (1517-1798)」『現代思想』1980年2月号、青土社、1980年2月。
- 小杉泰・江川ひかり編 『イスラーム 社会生活・思想・歴史』 新曜社〈ワードマップ〉、2006年 ISBN 4788510057
- Roff, William R., Indonesian and Malay Students in Cairo in the 1920's, indonesia No.9, 1970 April
[編集] 関連項目
- ムハンマド・タンターウィー アル=アズハル大学総長
- ムハンマド・ベルタギー 同大医学部教授、自由公正党所属議員。
座標: 北緯30度2分45秒 東経31度15分45秒 / 北緯30.04583度 東経31.2625度
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