セリム1世
セリム1世(1465年10月10日 - 1520年9月22日)は、オスマン帝国の第9代皇帝(在位1512年 - 1520年)。
1512年に父バヤズィト2世を退位させて皇帝に即位したセリム1世は、父のバヤズィト2世が即位時にしたのと同じように、即位後の内紛を避けるために兄弟たちとその子らを次々と殺した。バヤズィト2世もその後すぐに歿している。
先帝までは主にバルカン半島に進出したが、西アジア方面の征服は立ち後れていた。そこで彼らとは対照的にセリム1世は東方への積極的な領土の拡張を推し進めた。セリム1世はアジア、エジプトへと転換し、征服を推し進めていく。白刃と騎兵の突撃に頼る旧態依然とした他のイスラムの王朝の軍隊に対し、セリム1世は火砲を効果的に用い、次々と勝利を収めた。1514年、サファヴィー朝のイスマーイール1世と戦い、チャルディランの戦いで勝利する。1515年からアラブへの遠征を開始し、翌1516年にアルジェを占領。マルジュ・ダービクの戦いでマムルーク朝軍を破って翌年には首都カイロを落とした。こうしてマムルーク朝を滅ぼしたセリム1世はシリア、エジプト、パレスティナを併合した。また、マムルーク朝の滅亡にともない、聖地メッカ、メディナをオスマン帝国の保護下に置いたことで、オスマン帝国はスンナ派イスラム世界の盟主の地位を獲得した。これが19世紀のオスマン帝国に、スルタン・カリフ制の伝説を生むことになった。
エジプトから戻るとすぐ、ロードス島への遠征を準備したが、病気を患い、即位から9年目にして歿した。帝位は子のスレイマン1世が継承した。セリム1世の在位はわずか8年に過ぎなかったが、父から受け継いだ領土は230余万平方キロであったのを、650余万平方キロにまで増大させている。
「冷酷帝(Yavuz[ヤウーズ])」と呼ばれたが、文芸を愛し、詩を詠む文人としての一面もあった。 ちなみに、Yavuz[ヤウーズ]には厳格で冷酷であるがために優れた者というニュアンスがあり、「卓越者」とも訳される。
細心な計画と大胆な行動力を持ち合わせ、反対者には酷薄であり、同族や大臣であろうとも容赦なく次々と処刑したが、史家によっては、彼の業績は「征服者」と呼ばれた祖父メフメト2世を凌ぐと評価する者もある。
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