コンテンツにスキップ

「両把頭」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m Bot作業依頼: 満州 (:Category:満洲民族) - log
画像追加、出典添付
1行目: 1行目:
{{出典の明記|date=2019年11月}}
{{中華圏の事物
{{中華圏の事物
|タイトル=両把頭
|タイトル=両把頭
14行目: 13行目:
|カタカナ=リヤンパァトウ
|カタカナ=リヤンパァトウ
}}
}}
'''両把頭'''(りょうはとう)は[[中国]][[清]]の時代の[[満洲族]]の女性の髪形である。頭髪を額中央から左右に分けることからこの名がある。'''両把児頭'''(liǎngbǎrtóu、リャンパルトウ)、'''二把頭'''(èrbǎtóu、アルパァトウ)、'''旗頭'''(qítóu、チートウ)、'''把頭児'''(bǎtóur、パァトウル)、'''一字頭'''(yízìtóu、イーツートウ)、'''叉子頭'''(chāzitóu、チャーツトウ)或いは'''如意頭'''(rúyìtóu、ルーイートウ)とも呼ばれる。
'''両把頭'''(りょうはとう)は[[中国]][[清]]の時代の[[満洲族]]の女性の髪形である。頭髪を額中央から左右に分けることからこの名がある。
'''両把児頭'''(liǎngbǎrtóu、リャンパルトウ)、'''二把頭'''(èrbǎtóu、アルパァトウ)、'''旗頭'''(qítóu、チートウ)、'''把頭児'''(bǎtóur、パァトウル)、'''一字頭'''(yízìtóu、イーツートウ)、'''叉子頭'''(chāzitóu、チャーツトウ)或いは'''如意頭'''(rúyìtóu、ルーイートウ)とも呼ばれる。


== 概要 ==
== 概要 ==
両把頭はすべての髪の毛を頭のてっぺんで束ねる。次に頭髪を左右に分け、長く平べったい[[簪]]を土台にしてそれぞれ巻き上げる。巻き上げたそれぞれの髪を横向きにした後、更にもう一本の簪を横から差込み固定する。頭の後ろの余った頭髪は燕尾形に平べったく結う。首筋の後ろにくる結いは頭部の動きと寝そべる時の邪魔になる。これは女性を上品でまじめに見せるためである。
両把頭はすべての髪の毛を頭のてっぺんで束ねる。次に頭髪を左右に分け、長く平べったい[[簪]]を土台にしてそれぞれ巻き上げる。巻き上げたそれぞれの髪を横向きにした後、更にもう一本の簪を横から差込み固定する。頭の後ろの余った頭髪は燕尾形に平べったく結う。首筋の後ろにくる結いは頭部の動きと寝そべる時の邪魔になる。これは女性を上品でまじめに見せるためである<ref name=":0">{{Cite book|url=https://www.worldcat.org/oclc/1059514121|title=Fashion, identity, and power in modern Asia|others=Pyun, Kyunghee,, Wong, Aida Yuen, 1968-|isbn=9783319971995|location=Cham, Switzerland|oclc=1059514121}}</ref>


両把頭は清朝初期の頃は頭の後ろで渦状に巻きつけるだけだった。また女性の生えている髪の毛だけを利用した。そのため全体的に小さくぺしゃんこだった。その後、時が経つにつれ、巻きつける位置は頭のてっぺんに向かっていき、両把頭は更に高く更に大きくという趨勢に成る。そのため髪を巻き上げる過程で[[鬘]]を使うようになった
両把頭は清朝初期の頃は頭の後ろで渦状に巻きつけるだけだった。また女性の生えている髪の毛だけを利用した。そのため全体的に小さくぺしゃんこだった。その後、時が経つにつれ、巻きつける位置は頭のてっぺんに向かっていき、両把頭は更に高く更に大きくという趨勢に成る。そのため髪を巻き上げる過程で[[鬘]]を使うようになった<ref name=":0" /><ref>{{Cite web|url=https://www.theepochtimes.com/the-manchu-woman-from-head-to-toe_1492420.html|title=The Manchu Woman From Head to Toe|last=|first=|date=2011-11-08|website=The Epoch Times|language=en-US|archive-url=https://web.archive.org/web/20201211132854/https://www.theepochtimes.com/the-manchu-woman-from-head-to-toe_1492420.html|archive-date=2020-12-11|dead-url=no|access-date=2019-05-06}}</ref>


清朝後期には、旗頭('''[[大拉翅]]''')という板状で冠状の装飾具に発展し、次第に両把頭に取って代わるようになった。
清朝後期には、旗頭('''[[大拉翅]]''')という板状で冠状の装飾具に発展し、次第に両把頭に取って代わるようになった。
ある旗頭の中央には[[牡丹]]の造花が配され、両脇には孔雀の刺繍がなされる。さらに房のついた紐がたらされる。これを「[[流蘇|穂子(ホイツ)]]」という。現在では、[[故宮博物院]]で観光客が記念に両把頭に[[チャイナドレス]]を着用することができるが、これらは藍色の鬘を使用したり飾りが間違っていたりと、正確なものが伝わっていない。
ある旗頭の中央には[[牡丹]]の造花が配され、両脇には孔雀の刺繍がなされる。さらに房のついた紐がたらされる。これを「[[流蘇|穂子(ホイツ)]]」という。現在では、[[故宮博物院]]で観光客が記念に両把頭に[[チャイナドレス]]を着用することができるが、これらは藍色の鬘を使用したり飾りが間違っていたりと、正確なものが伝わっていない。

<gallery>
== 画像 ==
File:Ladies of Imperial Chinese Court.jpg|髪型を大拉翅にした清朝の貴婦人(1911年以前)</gallery>
{{gallery
| width =450
|File:Empress Xiao Quan Cheng,20180625.jpg|道光帝[[孝全成皇后]]画像—「喜溢秋庭図」「璇宫春霭図」「孝全成皇后便装像」
|File:Consorts of the Xianfeng Emperor,20180625.jpg|咸豊帝妃[[玫貴妃|玫嬪]]画像—「玫貴妃春貴人行乐図」より(玫常在、玫貴人、鑫常在)
|File:Empress Dowager Ci'an,20180625.jpg|咸豊帝[[東太后|慈安皇太后]]画像—「慈竹延清図」「璇闱日永図」より
}}
{{gallery
| width =150
|File:Ladies of Imperial Chinese Court.jpg|髪型を大拉翅にした清朝の貴婦人(1911年以前)
}}

== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group=注釈}}
=== 出典 ===
{{reflist}}


==関連項目==
==関連項目==
30行目: 48行目:
*[[チャイナドレス]]
*[[チャイナドレス]]
*[[シニヨン]]
*[[シニヨン]]
*[[満洲民族]]
{{人間の毛髪}}
{{人間の毛髪}}
{{China-stub}}
{{China-stub}}
{{Fashion-stub}}
{{Fashion-stub}}
{{DEFAULTSORT:りようとうはとう}}
{{デフォルトソート:りようとうはとう}}
[[Category:満洲民族]]
[[Category:満洲民族]]
[[Category:中国の文化]]
[[Category:中国の文化]]

2022年9月5日 (月) 01:11時点における版

両把頭
各種表記
繁体字 兩把頭
簡体字 两把头
拼音 liǎngbǎtóu
注音符号 ㄌㄧㄤˇㄅㄚˇㄊㄡˊ
ラテン字 liang3pa3t'ou2
発音: リヤンパァトウ
テンプレートを表示

両把頭(りょうはとう)は中国の時代の満洲族の女性の髪形である。頭髪を額中央から左右に分けることからこの名がある。

両把児頭(liǎngbǎrtóu、リャンパルトウ)、二把頭(èrbǎtóu、アルパァトウ)、旗頭(qítóu、チートウ)、把頭児(bǎtóur、パァトウル)、一字頭(yízìtóu、イーツートウ)、叉子頭(chāzitóu、チャーツトウ)或いは如意頭(rúyìtóu、ルーイートウ)とも呼ばれる。

概要

両把頭はすべての髪の毛を頭のてっぺんで束ねる。次に頭髪を左右に分け、長く平べったいを土台にしてそれぞれ巻き上げる。巻き上げたそれぞれの髪を横向きにした後、更にもう一本の簪を横から差込み固定する。頭の後ろの余った頭髪は燕尾形に平べったく結う。首筋の後ろにくる結いは頭部の動きと寝そべる時の邪魔になる。これは女性を上品でまじめに見せるためである[1]

両把頭は清朝初期の頃は頭の後ろで渦状に巻きつけるだけだった。また女性の生えている髪の毛だけを利用した。そのため全体的に小さくぺしゃんこだった。その後、時が経つにつれ、巻きつける位置は頭のてっぺんに向かっていき、両把頭は更に高く更に大きくという趨勢に成る。そのため髪を巻き上げる過程でを使うようになった[1][2]

清朝後期には、旗頭(大拉翅)という板状で冠状の装飾具に発展し、次第に両把頭に取って代わるようになった。 ある旗頭の中央には牡丹の造花が配され、両脇には孔雀の刺繍がなされる。さらに房のついた紐がたらされる。これを「穂子(ホイツ)」という。現在では、故宮博物院で観光客が記念に両把頭にチャイナドレスを着用することができるが、これらは藍色の鬘を使用したり飾りが間違っていたりと、正確なものが伝わっていない。

画像

脚注

注釈

出典

  1. ^ a b Fashion, identity, and power in modern Asia. Pyun, Kyunghee,, Wong, Aida Yuen, 1968-. Cham, Switzerland. ISBN 9783319971995. OCLC 1059514121. https://www.worldcat.org/oclc/1059514121 
  2. ^ The Manchu Woman From Head to Toe” (英語). The Epoch Times (2011年11月8日). 2020年12月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年5月6日閲覧。

関連項目