京風島田

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都をどり茶席(右側が京風島田を結った芸妓)

京風島田(きょうふうしまだ)は芸妓が結う島田髷の一種。

芸者が結う江戸風の潰し島田ではなく、投げ島田のバリエーションに当たる。

大正頃まではよく結われていたが、現在では、長襦袢の衿を返し、黒の五つ紋付きを着用、重箱という帯結びをして正装した芸妓が、都をどり鴨川をどり北野をどり等の各花街のお茶席でお点前を立てる時[1]や、都をどり[2]等の上方舞の舞台で結われる[3]

京都の芸妓は、1950年代頃までは地毛を用いて髷を結っていたが、1960年代半ばにはかつらを用いる人と地毛を用いる人が拮抗、その後、全てかつら、それも江戸風にが横に張ったかつらになっていった[4]。だが、現在でも、この京風島田を結う時だけは、地毛を用いている[5]

特徴[編集]

「投げ島田」の一種であるから、ほかの島田に比べて髷が垂直に近く後部が後ろに大きく突き出ているのが特徴。

髪飾りは髷の根元に銀色の丈長をかけ、鼈甲の一揃いと翡翠などの玉の根挿し、花が一つ二つしかつかない、舞妓よりも地味な花簪など、落ち着いた艶っぽい印象。

脚注[編集]

  1. ^ 南ちゑ『日本の髪型(紫紅社、昭和56年)』76-77頁、京都美容文化クラブ『日本の髪型 伝統の美 櫛まつり作品集(光村推古書院、平成12年)』158頁、巻島きくえ『すぐ役立つ帯結びと着付 時代物・舞踊・冠婚葬祭(演劇出版社出版事業部、1996年)』37-39頁、参照。
  2. ^ 山口公女『すっぴん芸妓(ローカス、2007年)』55-56頁
  3. ^ 南ちゑ『日本の髪型(紫紅社、昭和56年)』76-77頁、参照。
  4. ^ 相原恭子『京都 舞妓と芸妓の奥座敷(文春新書、平成13年)』187、188-189頁、参照
  5. ^ 山口公女『すっぴん芸妓(ローカス、2007年)』56頁