禿
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禿(かぶろ、かむろ)は平安期以降の少女の髪型。あるいは同形の髪型をした者。長めのおかっぱ。
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[編集] 「禿」と呼ばれる役職
[編集] 禿 (平氏)
平安時代後期に平清盛が実権を握った際、平安京内に多数の禿の頭髪の童子(及び童形の者)を放ち、市井の情報、特に平氏に対する批判や謀議の情報などを集めて密告させたという記録がある。これらの童子は「禿、禿童(かぶろ、かむろ)」と呼ばれていた。
一説では禿は、髪をおかっぱに切りそろえるなど特定の外見をしていたとされる。この場合、実際の情報収集以上に、都の住人に心理的な圧力をかけて支配と治安を維持しようという狙いがあったとも考えられる。
『平家物語』によれば、14歳、15歳の童を300人えらんで、髪をかむろに切りまわし、赤い直垂を着せ、京の市中を徘徊させ、平家のことをあしざまにいうものがあれば、これを聴きだして、その家に乱入し、資財、雑具を没収し、当人をとらえて六波羅に検束した。 市中のものはこれをおそれて、「おほよそ目に見、心に知ると雖、詞に顕して申者」もなかったという。 六波羅の禿童とさえいえば、道を過ぎるウマ、車も避けてとおった。 禿童は自由に宮中にさえではいりし、禁門をとおっても姓名をたずねる者さえなかった。 京師の長吏はこのために目をそばめるばかりであったという。
[編集] 禿 (職業)
当初は禿の頭髪をしていたためこの名があるが、後に幼女を指すようになった。7歳 - 8歳頃と若い頃に遊郭に売られてきた女子、遊女の娘、などが遊女(特に上位の花魁)の身の世話などを奉仕し、遊女としてのあり方などを学んでいく。嶋原の太夫(こちらは遊女ではなく芸妓)に付き添う幼女も禿と呼ばれた。
[編集] 引込禿
通常の禿とは違い、遊女達の面倒を見ず楼主に英才教育される。一般的に上位の遊女になる素質がある者に成る資格がある。
[編集] 髪型
江戸中期頃までは、おかっぱ頭だったが、江戸後期以降は吉原等では禿島田という、髪飾りを沢山付けた細長い高島田になった。嶋原も江戸後期以降、戦前までは日本髪を結っていたが、現代ではおかっぱ頭、またはそれに準じた髪型である。
[編集] 禿 (祇園祭)
これは、太夫級の遊女、又は芸妓が2名の禿を従えてる事になぞらえたものと見られる。

