コンテンツにスキップ

銀嶺の覇者

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
『銀嶺の覇者』
レインボースタジオ・アルバム
リリース
録音 1975年2月 - 3月
ドイツの旗ミュンヘン
ジャンル ハードロック
時間
レーベル イギリスの旗日本の旗 Oyster ポリドール
アメリカ合衆国の旗オイスター
プロデュース マーティン・バーチ
専門評論家によるレビュー
チャート最高順位
  • 11位(イギリス)[1]
  • 26位(日本)[2]
  • 30位(アメリカ)
  • レインボー アルバム 年表
    銀嶺の覇者
    (1975年)
    虹を翔る覇者
    (1976年)
    テンプレートを表示

    銀嶺の覇者』 (Ritchie Blackmore's Rainbow) は、1975年7月にリッチー・ブラックモアズ・レインボーの名義で発表された、レインボーのデビュー・アルバム

    概要

    [編集]

    経緯

    [編集]

    1974年7月、第3期ディープ・パープルに在籍していたリッチー・ブラックモアは新作アルバムの制作に際して[3]、ソウル・ミュージックやファンキー・ミュージックの要素がより多く持ち込まれることに不満を抱いた。彼はクォーターマス[注釈 1]が1970年に発表したデビュー・アルバムで取り上げた「ブラック・シープ・オブ・ザ・ファミリー」[注釈 2]を録音することを提案したが、他のメンバーはオリジナル作品に執着して彼の提案に反対した[4]。彼は次第にディープ・パープルでの活動に対して意欲を失っていった。

    ディープ・パープルの新作『嵐の使者』は9月に完成して12月に発表された[5]。一方ブラックモアは、数年前からディープ・パープルの前座を務めていた「エルフ[注釈 3]のボーカリストであるロニー・ジェイムス・ディオを起用して、「ブラック・シープ・オブ・ザ・ファミリー」をソロ・シングルとして発表することにした。ディープ・パープルは11月中旬から約一か月間、エルフを前座にアメリカ・ツアーを行なったので、彼はツアーに参加しながらディオと「16世紀のグリーンスリーブス」を共作し、終了直前にフロリダのスタジオでディオ、エルフのミッキー・リー・ソウル(キーボード)、クレイグ・グルーバー(ベース)、ゲイリー・ドリスコール(ドラムス)と「ブラック・シープ・オブ・ザ・ファミリー/16世紀のグリーンスリーブス」を完成させた[6]。彼は出来が予想以上に良いと感じて、録音したテイクを利用しアルバムを完成させ、ディープ・パープルを脱退してディオ達と新しいバンドを結成することを決意した。

    彼は1975年2月20日から3月14日まで、ミュンヘンミュージックランド・スタジオでディオ達と本作の録音を行なった[7]。終了後、ディープ・パープルのヨーロッパ・ツアーに参加して、4月7日のパリ公演を最後に脱退した[注釈 4]

    8月、本作がリッチー・ブラックモアズ・レインボーの同名デビュー・アルバムとして発表された[8]

    内容

    [編集]

    全9曲の収録曲のうち、7曲がブラックモアとディオの共作。

    「スティル・アイム・サッド」はジェフ・ベック在籍当時のヤードバーズの楽曲で、1965年に「いたずらっ娘英語版」とのカップリングで両A面シングルとして発表された。本作ではインストゥルメンタルとして取り上げられた。

    収録曲

    [編集]
    1. 銀嶺の覇者 Man on the Silver Mountain - 4:42
    2. 自画像 Self Portrait - 3:17
    3. 黒い羊(ブラック・シープ・オブ・ザ・ファミリー[8]) Black Sheep of the Family[注釈 5] - 3:22
    4. 虹をつかもう Catch the Rainbow - 6:27
    5. へび使い Snake Charmer - 4:33
    6. 王様の神殿 The Temple of the King - 4:45
    7. もしもロックがきらいなら If You Don't Like Rock 'n' Roll - 2:38
    8. 16世紀のグリーンスリーヴス Sixteenth Century Greensleeves - 3:31
    9. スティル・アイム・サッド Still I'm Sad[注釈 6] - 3:51

    LP盤ではトラック1-4がA面、トラック5-9がB面に収録されていた。
    ※ 注釈なき楽曲はブラックモアとディオの共作。

    メンバー

    [編集]

    カバー

    [編集]
    Man on the Silver Mountain

    その後

    [編集]

    本作発表後、ブラックモアはディオ以外のメンバーを一新することに決めて、ソウル、グルーバー、ドリスコールを次々に解雇していった[10]

    脚注

    [編集]

    注釈

    [編集]
    1. ^ ブラックモアの旧友で彼にイアン・ギランを紹介したミック・アンダーウッドが結成したトリオ。
    2. ^ スティーヴ・ハモンド(Steve Hammond)の作品。ハモンドはギタリストで、ノエル・レディングジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスに在籍中に結成したファット・マットレスに、脱退したレディングの後任として加入して同曲を提供した。ファット・マットレスが録音した原曲は、2000年に発表された編集アルバムに収録されている。
    3. ^ 第2期ディープ・パープルロジャー・グローヴァーイアン・ペイスが見い出したアメリカのバンド。デビュー・アルバムは2人、2作目と3作目(翌1975年に制作)はグローヴァーがプロデュースした。
    4. ^ 公式発表は6月。
    5. ^ Steve Hammond
    6. ^ Paul Samwell-Smith, Jim McCarty

    出典

    [編集]
    1. ^ ChartArchive - Ritchie Blackmore's Rainbow
    2. ^ 『オリコンチャート・ブックLP編(昭和45年‐平成1年)』(オリジナルコンフィデンス/1990年/ISBN 4-87131-025-6)p.318
    3. ^ Popoff (2016), p. 161.
    4. ^ Popoff (2016), p. 172.
    5. ^ Popoff (2016), pp. 165–167.
    6. ^ Popoff (2016), pp. 167, 174, 175.
    7. ^ Popoff (2016), p. 170.
    8. ^ a b シンコーミュージック刊『リッチー・ブラックモア レインボー編』 ISBN 4401612027 より。
    9. ^ ポール・ギルバートによるディオ・トリビュート・アルバム『The Dio Album』 ストリーミング配信開始”. amass.jp. 2023年5月7日閲覧。
    10. ^ Popoff (2016), pp. 180, 182, 184.

    引用文献

    [編集]
    • Popoff, Martin (2016). The Deep Purple Family Year By Year Volume One (to 1979). Bedford, England: Wymer Publishing. ISBN 978-1-908724-42-7