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== 概要 ==
== 概要 ==
団地の造成がはじまるまで、このあたりは「金子たんぼ」と呼ばれる農村地帯だった{{Sfn|安田浩一|2019|p=59}}。金子たんぼは地元では「泥っ田」とも呼ばれ、[[野川 (東京都)|野川]]が頻繁に氾濫することで、田んぼは常に[[沼地]]状態で、農業をするための環境としては必ずしも好条件ではなかった{{Sfn|安田浩一|2019|p=60}}。終戦直後、食料増産を目的とした国による[[土地改良事業]]がスタートし、金子たんぼも事業指定地に認定され{{Sfn|安田浩一|2019|p=60}}、一帯の地中には何千本という[[土管]]が埋め込まれ、[[排水]]機能を向上される土地改良が行われた{{Sfn|安田浩一|2019|p=60}}。
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農民たちの間では侃々諤々の議論があったというが、水不足によって将来の展望を描くことができない状況のなか、交渉は3年で決着がついた{{Sfn|安田浩一|2019|p=61}}。[[1962年]](昭和37年)、農地は坪1万3000円から4000円で公団に売却され、大規模な団地造成工事が始まり{{Sfn|安田浩一|2019|p=61}}、住棟の竣工を受け、[[1965年]](昭和40年)7月から入居を開始した。
=== 構成 ===
全59棟で構成され、野川の北側は1〜44号棟と58・59号棟、南側はそれ以外の45〜57号棟で、そのうち南側の54〜57号棟の4棟のみ狛江市に属する<ref name="住棟配置図">[https://chintai.sumai.ur-net.go.jp/chintai/img_photo/20/20_132/20_132_AP_01_l.gif 神代団地 住棟配置図] UR賃貸住宅公式サイト</ref>。33・35号棟は店舗兼住居として商店街を構成し、34号棟は住居兼マーケットのほか銀行と郵便局が含まれ、40号棟は管理事務所、58号棟は診療所、59号棟のみ[[1987年]]に建設された新しい住棟である。


「神代」名称は、つつじケ丘地区が属していた旧[[市町村|町]]名「[[神]]」に由来し、同時期に入居まった調布市・狛江市にまたがる大規模団地として、[[東京都住宅供給公社]]が建設した[[多摩川住宅]]がある<ref>[https://www.kensetsunews.com/web-kan/150974 【多摩川住宅】前例なき“巨大団地建て替え”4者一体で取り組む] 建設通信新聞、2018年1月27日、2020年2月28日閲覧。</ref><ref>[https://chofu.keizai.biz/headline/2609/ 調布の多摩川住宅が完成から50年 給水塔の「聖地」として話題に] [[みんなの経済新聞ネットワーク|調布経済新聞]]、2018年4月2日、2020年2月28日閲覧。</ref>。
団地敷地を[[河]]横断しているため神代団地には[[調整池]]無い。しかし団地建設当初は野川の大規模な流路変更の途上<ref>[http://mapps.gsi.go.jp/contentsImage.do?specificationId=447031&dispType=1 東京西南部の空中写真(1966年撮影)] 地図・空中写真閲覧サービス、[[国土地理院]]</ref> に当たっており、新しい流路は[[東京都道114号武蔵野狛江線]](松原通り)の付近で止まり、下流はまだ掘削中で、先行して整備された団地内の流路部分は、現在の護岸に沿って高谷橋付近を中心とした池となっていた。

=== 住棟 ===
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== ゆかりの作品 ==
== ゆかりの作品 ==
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** 第27話「[[ゴモラ (ウルトラ怪獣)|怪獣殿下(後編)]]」(1967年) - 冒頭で車が走り抜ける数秒のシーンに使用。高谷橋のすぐ下に野川(池)の水面が見える。
** 第27話「[[ゴモラ (ウルトラ怪獣)|怪獣殿下(後編)]]」(1967年) - 冒頭で車が走り抜ける数秒のシーンに使用。高谷橋のすぐ下に野川(池)の水面が見える。
; 1970年代
; 1970年代
* [[団地妻 昼下りの情事]]([[日活]])(1971年)
** [[日活ロマンポルノ]]の第1作{{Sfn|安田浩一|2019|p=56}}。[[監督]]・[[西村昭五郎]]、[[主演]]・[[白川和子]]。[[日活調布撮影所]]に最も近い団地であったことから撮影場所に選ばれる{{Sfn|安田浩一|2019|p=59}}。一時期は[[団地妻]]の舞台として、[[好事家]]がわざわざ見学に訪れることもあった{{Sfn|安田浩一|2019|p=59}}。
* [[太陽にほえろ!]]([[東宝]]/[[日本テレビ放送網|NTV]])
* [[太陽にほえろ!]]([[東宝]]/[[日本テレビ放送網|NTV]])
** 第48話「影への挑戦」([[1973年]]) - 関係する新婚夫婦が38号棟に居住する設定。マカロニ刑事([[萩原健一]])が43号棟の屋上で、ボスの藤堂([[石原裕次郎]])が高谷橋の脇で張り込みをする。
** 第48話「影への挑戦」([[1973年]]) - 関係する新婚夫婦が38号棟に居住する設定。マカロニ刑事([[萩原健一]])が43号棟の屋上で、ボスの藤堂([[石原裕次郎]])が高谷橋の脇で張り込みをする。
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== 脚注 ==
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== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|author=[[安田浩一]]|title=団地と移民 課題最先端「空間」の闘い|publisher=[[KADOKAWA]]|year=2019|month=3|isbn= 978-4041013885|ref={{sfnref|安田浩一|2019}}}}


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
* [[日本住宅公団]]
** [[都市再生機構]]
** [[公団住宅]]
* [[多摩川住宅]]([[東京都住宅供給公社]])
* [[関東地方の住宅団地の一覧]]
* [[関東地方の住宅団地の一覧]]
* [[日本のニュータウン]]
* [[日本のニュータウン]]


==外部リンク==
== 外部リンク ==
*[https://www.ur-net.go.jp/chintai/kanto/tokyo/20_1320.html 神代(東京都)|関東エリア|UR賃貸住宅]
* [https://www.ur-net.go.jp/chintai/kanto/tokyo/20_1320.html 神代(東京都)|関東エリア|UR賃貸住宅]
*[http://codan.boy.jp/danchi/tama/jindai/index.html 公団ウォーカー]


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2021年12月19日 (日) 04:50時点における版

神代団地
情報
用途 集合住宅
建築主 日本住宅公団
戸数 59棟2,022戸
竣工 1965年
開館開所 1965年7月26日
所在地 東京都調布市西つつじケ丘4-23、狛江市西野川1-25
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神代団地(じんだいだんち)は、東京都調布市西つつじケ丘と、一部が狛江市西野川に跨がる住宅団地公団住宅[1]日本住宅公団(現:都市再生機構)によって建設され、1965年昭和40年)7月26日[2] に入居を開始した。最寄り駅は京王線つつじヶ丘駅

概要

団地の造成がはじまるまで、このあたりは「金子たんぼ」と呼ばれる農村地帯だった[3]。金子たんぼは地元では「泥っ田」とも呼ばれ、野川が頻繁に氾濫することで、田んぼは常に沼地状態で、農業をするための環境としては必ずしも好条件ではなかった[4]。終戦直後、食料増産を目的とした国による土地改良事業がスタートし、金子たんぼも事業指定地に認定され[4]、一帯の地中には何千本という土管が埋め込まれ、排水機能を向上される土地改良が行われた[4]

ところが、水はけが良くなったと思ったら、頼りにしていた地下水は干上がってしまった[4]。あらためて野川から水を引き込もうとしても、生活排水による汚濁で水質が悪化し、米作りには不敵だと判断された[5]。そんな折の1959年(昭和34年)、公団から団地開発の話が舞い込んだ。公団は都心にも近い、この農村地帯に土地売却を促した[5]

農民たちの間では侃々諤々の議論があったというが、水不足によって将来の展望を描くことができない状況のなか、交渉は3年で決着がついた[5]1962年(昭和37年)、農地は坪1万3000円から4000円で公団に売却され、大規模な団地造成工事が始まり[5]、住棟の竣工を受け、1965年(昭和40年)7月から入居を開始した。

「神代」の名称は、つつじケ丘地区が属していた旧名「神代町」に由来し、同時期に入居が始まった調布市・狛江市にまたがる大規模団地としては、東京都住宅供給公社が建設した多摩川住宅がある[6][7]

住棟

全59棟2,022戸で構成され、野川の北側は1〜44号棟と58・59号棟、南側はそれ以外の45〜57号棟で、そのうち南側の54〜57号棟の4棟のみ狛江市に属する[8]。33・35号棟は店舗兼住居として商店街を構成し、34号棟は住居兼マーケットのほか銀行と郵便局が含まれ、40号棟は管理事務所、58号棟は診療所、59号棟は1987年(昭和62年)に建設された新しい住棟である。

東西に野川が流れていることから[8]調整池は無い。しかし団地建設当初は野川の大規模な流路変更の途上[9] に当たっており、新しい流路は東京都道114号武蔵野狛江線(松原通り)の付近で止まり、下流はまだ掘削中で、先行して整備された団地内の流路部分は、現在の護岸に沿って高谷橋付近を中心とした池となっていた。

ゆかりの作品

かつての風景を偲ぶ資料として、神代団地が登場するテレビドラマ等を挙げる。

1960年代
  • 泣いてたまるか国際放映TBS
    • 第5話「二人になりたいッ」(1966年) - 新築の団地に越してきた新婚夫婦(渥美清広瀬みさ)の物語。冒頭で走る引越しトラックが野川(池)の水面に映る描写がある。また、19・20号棟の西側には見通しの良い野原が広がり、近くの田んぼで捕ってきたおたまじゃくしの「足が伸びた」と喜ぶシーンがある。野川沿いのクリニック(58号棟)建物には神代診療所の表記が見られる。白黒作品。
    • 第39話「あゝ純情くん」(1967年) - 31号棟南の公園や遊歩道の当時の様子がよくわかる。野川沿いの道路を渥美清が歩くシーンがある。
    • 第66話「おゝ怪獣日本一」(1968年) - 渥美が演ずる怪獣着ぐるみ役者が住んでいる。
  • ウルトラマン円谷プロ・TBS)
    • 第27話「怪獣殿下(後編)」(1967年) - 冒頭で車が走り抜ける数秒のシーンに使用。高谷橋のすぐ下に野川(池)の水面が見える。
1970年代

居住していた有名人

脚注

  1. ^ 神代団地 UR賃貸住宅公式サイト
  2. ^ 今はむかし(その259)神代団地50年 広報こまえ 1184号 平成27年(2015年)10月25日号 2面、狛江市
  3. ^ a b c 安田浩一 2019, p. 59.
  4. ^ a b c d 安田浩一 2019, p. 60.
  5. ^ a b c d 安田浩一 2019, p. 61.
  6. ^ 【多摩川住宅】前例なき“巨大団地建て替え”4者一体で取り組む 建設通信新聞、2018年1月27日、2020年2月28日閲覧。
  7. ^ 調布の多摩川住宅が完成から50年 給水塔の「聖地」として話題に 調布経済新聞、2018年4月2日、2020年2月28日閲覧。
  8. ^ a b 神代団地 住棟配置図 UR賃貸住宅公式サイト
  9. ^ 東京西南部の空中写真(1966年撮影) 地図・空中写真閲覧サービス、国土地理院
  10. ^ 安田浩一 2019, p. 56.

参考文献

  • 安田浩一『団地と移民 課題最先端「空間」の闘い』KADOKAWA、2019年3月。ISBN 978-4041013885 

関連項目

外部リンク