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== 概要 == |
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== 歴史 == |
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{{See also|阿賀野川|松ヶ崎掘割}} |
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かつて阿賀野川の下流域は複雑な乱流と蛇行を繰り返し、たびたび洪水を起こして流路が |
かつて阿賀野川の下流域は複雑な乱流と蛇行を繰り返し、たびたび洪水を起こして流路が変わるなど、新田開発もままならない状態であった。[[新発田藩]]第6代藩主・[[溝口直治]]は[[1730年]]、信濃川に合流していた阿賀野川の河道を日本海へ直接流出させるため松ヶ崎(現新潟市東区下山・北区松浜付近)に掘割(捷水路)を開削した<ref name="Komon1">{{Cite web |url=http://www.pref.niigata.lg.jp/niigata_seibi/1201107659520.html|title=たずねてみよう山の下閘門排水機場 1.通船川は昔、阿賀野川だったって本当?|publisher=新潟県|accessdate=2018-05-09}}</ref><ref>{{Cite web |url=http://www.hrr.mlit.go.jp/agano/asobo/rekisi/chisui.html|title=阿賀野川の歴史 治水の歴史|publisher=[[国土交通省]]北陸地方整備局 阿賀野川河川事務所|accessdate=2018-05-09}}</ref>。だが、この捷水路([[松ヶ崎掘割]])は翌[[1731年]]春の融雪洪水によって決壊し、阿賀野川は日本海へ直接注ぎ込むようになった<ref name="Komon1"/>。 |
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その後、この旧流路は「通船川」に改称。両河川の下流域の[[水運]]に用いられていたことが由来である。[[1773年]]、新発田藩第8代藩主・[[溝口直養]]によって流路整備などの改修を受けた。 |
その後、この旧流路は「通船川」に改称。両河川の下流域の[[水運]]に用いられていたことが由来である。[[1773年]]、新発田藩第8代藩主・[[溝口直養]]によって流路整備などの改修を受けた。 |
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[[明治時代]]からは「河川蒸気」と呼ばれる[[蒸気船]]による舟運が盛んになり、新潟市から[[葛塚町]](のちの[[豊栄市]]、現新潟市[[北区 (新潟市)|北区]])、[[福島潟]]を介して新発田町(現[[新発田市]])など県北部へ至る幹線交通路として機能していた。しかし鉄道や道路の整備が進み、さらに[[1927年]]、[[大河津分水]]が開通して信濃川の水位が低下し |
[[明治時代]]からは「河川蒸気」と呼ばれる[[蒸気船]]による舟運が盛んになり、新潟市から[[葛塚町]](のちの[[豊栄市]]、現新潟市[[北区 (新潟市)|北区]])、[[福島潟]]を介して新発田町(現[[新発田市]])など県北部へ至る幹線交通路として機能していた。しかし鉄道や道路の整備が進み、さらに[[1927年]]、[[大河津分水]]が開通して信濃川の水位が低下し、汽船の運行が困難になったことなどもあり、蒸気船による舟運は[[昭和時代]]初期にほぼ廃れた。 |
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戦後、下流側の[[新潟港]](西港区)の区域では工場の立地が進み、また流域周辺の各地では宅地化が進んだが |
戦後、下流側の[[新潟港]](西港区)の区域では工場の立地が進み、また流域周辺の各地では宅地化が進んだが、旧新潟市の中でも[[下水道]]の整備・供用が遅れ、排水や汚泥が浄化されぬまま流速の遅い通船川へ流れ込んだことから水質は次第に悪化し、特に下流側ではヘドロが悪臭を放っていた程である。流域周辺の住民の間では「ドブ川」と揶揄されるほどであり、日本一汚い川と呼ばれることがあった。 |
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こうしたことから近年、新潟県と新潟市では通船川と、下流部で合流する[[栗ノ木川]]と[[鳥屋野潟]]の水質改善に取り組んで |
こうしたことから近年、新潟県と新潟市では通船川と、下流部で合流する[[栗ノ木川]]と[[鳥屋野潟]]の水質改善に取り組んでいるが、平成14年度公共用水域水質測定結果では全国2495位(ワースト53位)となっている。 |
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== 脚注 == |
== 脚注 == |
2020年9月9日 (水) 04:01時点における版
通船川 | |
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水系 | 信濃川水系 |
種別 | 一級河川 |
延長 | 8.5 [1] km |
流域面積 | 16.9 [1]“通船川・鳥屋野潟河川激甚災害対策特別緊急事業:概要”. 新潟県. 2020年8月28日閲覧。</ref> km² |
水源 | 阿賀野川 |
河口・合流先 | 信濃川 |
流域 | 日本 新潟県 |
通船川(つうせんがわ)は、新潟県新潟市東区内を流れる信濃川水系の一級河川[1]。
概要
全長約8.5km[1]で、上流側の阿賀野川と下流側の信濃川との間を流れる。中流部には貯木場が設けられている。 阿賀野川からの取水部には津島屋閘門排水機場が設けられ、流入量を管理・調整している。河口付近には山の下閘門排水機場が設けられ、その近隣には都市・地域再生等利用区域にも指定された「河口の森」が広がる[2]。
歴史
かつて阿賀野川の下流域は複雑な乱流と蛇行を繰り返し、たびたび洪水を起こして流路が変わるなど、新田開発もままならない状態であった。新発田藩第6代藩主・溝口直治は1730年、信濃川に合流していた阿賀野川の河道を日本海へ直接流出させるため松ヶ崎(現新潟市東区下山・北区松浜付近)に掘割(捷水路)を開削した[3][4]。だが、この捷水路(松ヶ崎掘割)は翌1731年春の融雪洪水によって決壊し、阿賀野川は日本海へ直接注ぎ込むようになった[3]。
その後、この旧流路は「通船川」に改称。両河川の下流域の水運に用いられていたことが由来である。1773年、新発田藩第8代藩主・溝口直養によって流路整備などの改修を受けた。
明治時代からは「河川蒸気」と呼ばれる蒸気船による舟運が盛んになり、新潟市から葛塚町(のちの豊栄市、現新潟市北区)、福島潟を介して新発田町(現新発田市)など県北部へ至る幹線交通路として機能していた。しかし鉄道や道路の整備が進み、さらに1927年、大河津分水が開通して信濃川の水位が低下し、汽船の運行が困難になったことなどもあり、蒸気船による舟運は昭和時代初期にほぼ廃れた。
戦後、下流側の新潟港(西港区)の区域では工場の立地が進み、また流域周辺の各地では宅地化が進んだが、旧新潟市の中でも下水道の整備・供用が遅れ、排水や汚泥が浄化されぬまま流速の遅い通船川へ流れ込んだことから水質は次第に悪化し、特に下流側ではヘドロが悪臭を放っていた程である。流域周辺の住民の間では「ドブ川」と揶揄されるほどであり、日本一汚い川と呼ばれることがあった。
こうしたことから近年、新潟県と新潟市では通船川と、下流部で合流する栗ノ木川と鳥屋野潟の水質改善に取り組んでいるが、平成14年度公共用水域水質測定結果では全国2495位(ワースト53位)となっている。
脚注
- ^ a b c d “【新潟】主な河川事業(通船川)”. 新潟県. 2018年5月9日閲覧。
- ^ “通船川の「河口の森」を都市・地域再生等利用区域に指定しました”. 新潟県新潟地域振興局 地域整備部. 2020年4月11日閲覧。
- ^ a b “たずねてみよう山の下閘門排水機場 1.通船川は昔、阿賀野川だったって本当?”. 新潟県. 2018年5月9日閲覧。
- ^ “阿賀野川の歴史 治水の歴史”. 国土交通省北陸地方整備局 阿賀野川河川事務所. 2018年5月9日閲覧。
外部リンク
- 河川管理・防災
- 主な河川事業 通船川(新潟県新潟地域振興局 地域整備部) - ウェイバックマシン(2018年5月9日アーカイブ分)
- 通船川・鳥屋野潟激特事業概要 新潟県土木部 河川管理課
- 平成10年8月4日水害対策事業 新潟県土木部 河川整備課
- 山の下閘門排水機場 新潟県新潟地域振興局 地域整備部
- 洪水で通船川、栗ノ木川が氾濫した場合の浸水区域 国土交通省北陸地方整備局 信濃川下流河川事務所
- 環境・歴史・その他
- つうくり市民会議(平成27年4月~つうくりまちづくりの会) 新潟県新潟地域振興局 地域整備部
- ふるさとレポート「通船川歴史散策」 新潟県新潟地域振興局 企画振興部
- 通船川の再生プランづくり(国土交通省)
- 阿賀野川え~とこだ! 流域通信:新潟市東区を流れる“通船川”を見てきました!