「工画堂スタジオ」の版間の差分

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== 沿革 ==
== 沿革 ==
[[1916年]]、『図案と版画谷工画堂』として創業する。その後[[丸善]]と取引を開始するなど順調に成長し、[[1960年]]には株式会社工画堂スタジオを設立する。1960年代から1970年代に[[タカラ]]の『[[人生ゲーム]]』などの[[ボードゲーム]]の[[グラフィックデザイン]]などの仕事を行う。[[1980年]]代に[[任天堂]]の[[ゲームウッチ]]のヒットにより、似た電子ゲームが[[バンダイ]]や[[トミー]]からも発売されるようになると、工画堂スタジオも同様の仕事を請け負うようになる。[[1982年]]、鬼羅あきらを中心とするソフトウェア開発部を発足させ、[[SHARP]] MZ-80や[[日本電気|NEC]] PC-8001/8801等のコンピューターを購入し、[[コンピュータゲーム]]の研究開発も行うようになった。工画堂スタジオの最初のPCゲームとして、『スロットクレイジー』が1983年に発売された。1985年8月には工画堂スタジオ自社ブランド「KGDソフト」の第一作目の作品として「コズミックソルジャー」が発売された。<ref>『[[KOGADO Visual Works 1985‐2008]]』[[晋遊舎]]</ref>[[1994年]]にニューメディア開発部が発足した。2016年をもって、工画堂スタジオは創業100周年を迎えた。
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== デザイン制作部 ==
== デザイン制作部 ==

2020年2月22日 (土) 00:42時点における版

株式会社工画堂スタジオ
KOGADO STUDIO,Inc.
種類 株式会社
略称 KGD
本社所在地 日本の旗 日本
160-0004
東京都新宿区四谷4丁目3
四谷トーセイビル4階
北緯35度41分16.6秒 東経139度43分1.6秒 / 北緯35.687944度 東経139.717111度 / 35.687944; 139.717111座標: 北緯35度41分16.6秒 東経139度43分1.6秒 / 北緯35.687944度 東経139.717111度 / 35.687944; 139.717111
本店所在地 162-0066
東京都新宿区市谷台町11番19号
工画堂ビル
北緯35度41分39.3秒 東経139度43分7.5秒 / 北緯35.694250度 東経139.718750度 / 35.694250; 139.718750
設立 1960年8月(法人設立)
業種 情報・通信業
法人番号 9011301008474 ウィキデータを編集
事業内容 グラフィックデザインおよびコンピューターソフトウェアの開発・販売
代表者 代表取締役社長 谷 逸平
資本金 10,000,000円
主要子会社 株式会社工画堂エンタテイメント
外部リンク https://www.kogado.com/
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株式会社工画堂スタジオ(こうがどうスタジオ)は、デザインおよびソフトウェア開発を行う日本の企業。本社は東京都新宿区。略称は「KGD」。

沿革

1916年、『図案と版画 谷工画堂』として創業する。その後丸善と取引を開始するなど順調に成長し、1960年には株式会社工画堂スタジオを設立する。1960年代から1970年代にタカラの『人生ゲーム』などのボードゲームグラフィックデザインなどの仕事を行う。1980年代に任天堂ゲーム&ウオッチのヒットにより、似た電子ゲームがバンダイトミーからも発売されるようになると、工画堂スタジオも同様の仕事を請け負うようになる。1982年、鬼羅あきらを中心とするソフトウェア開発部を発足させ、SHARP MZ-80やNEC PC-8001/8801等のコンピューターを購入し、コンピュータゲームの研究開発も行うようになった。工画堂スタジオの最初のPCゲームとして、『スロットクレイジー』が1983年に発売された。1985年8月には工画堂スタジオ自社ブランド「KGDソフト」の第一作目の作品として「コズミックソルジャー」が発売された。[1]1994年にニューメディア開発部が発足した。2016年をもって、工画堂スタジオは創業100周年を迎えた。

デザイン制作部

Webデザイン、グラフィックデザインなどを手がけ、1965年には昭和天皇の著書『相模湾産蟹類』の装丁を手がける。そのほかに教材CD-ROMの制作も行う。玩具メーカー・タカラトミー及び前身のタカラとは1968年から取引が続いており、商品のパッケージや説明書のデザインを受注している(一例として『人生ゲーム M&A版』などで、工画堂スタジオのクレジットが記載されている)。

ソフトウェア開発部

うさぎさんちーむ、くまさんちーむ、くろねこさんちーむ、こねこさんちーむ、いるかさんちーむ、きつねさんちーむ、ぱんださんちーむ、しまりすさんちーむ、のラインを持つ。 開発チームはメンバー毎で区別しているのでは無く作品の特色で分けている為、複数のチームに所属しているメンバーも存在する。[2]

コーエーテクモゲームス日本ファルコムなどと並ぶ数少ない日本における一般向けパソコンゲームメーカーのひとつ。現在のチーム制採用以前には「PHOENIX」のブランド名で、前述のデザイン制作部を通じて関係の深い旧タカラが発売するパソコンゲーム(『チョロQ ホリデーパズル』など)の実制作を行っていた。

代表作は『パワードール』シリーズ、『火星計画』シリーズ、『シュヴァルツシルト』シリーズなど。『火星計画』シリーズのようなリアルタイムシミュレーションゲームから、『シンフォニック=レイン』のようないわゆるギャルゲーや女性をターゲットとした『パレドゥレーヌ』まで、幅広いタイプのゲームを制作する。

なお、本社内に日本コンピュータゲーム協会(JCGA)事務局が設置されており、社長の谷逸平が同協会の事務局長を務めている。コンピュータエンターテインメント協会(CESA)には加盟していない。

主なタイトル

チーム制以前/制作チーム不明

ねこさんちーむ

こねこさんちーむ

うさぎさんちーむ

くまさんちーむ

有限会社くまさんちーむ

2002年に工画堂スタジオと別会社化された。

くろねこさんちーむ

いるかさんちーむ

ぱんださんちーむ

きつねさんちーむ

しまりすさんちーむ

脚注

外部リンク