「アリとキリギリス」の版間の差分
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元は「アリとセミ」(''{{Lang|el|Fabulae}}''Fable114は黄金虫<ref>{{cite wikisource|Αισώπου Μύθοι/Μύρμηξ και κάνθαρος|Αἰσώπου Μῦθοι|el|nobullet=yes}}</ref>:[[センチコガネ]]<ref>{{Cite web |
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|url=http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/cicada/greek.html#Fable114 |
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|title=第1章 ギリシア語による「蟻と蝉」Fable114「蟻とクソムシ(kantharos)」〔112話「蟻とセンチコガネ」〕 |
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*[[アイソーポス|イソップ]] |
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*[[イソップ寓話]] |
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*[[ジャン・アンリ・ファーブル]] - 「[[昆虫記]]」のセミのところでファーブルは「アリとセミの寓話は実際の習性から遠いことこの上ない、そもそもセミは冬まで生きているような虫ではないということからしても寓話の作者は実際のセミをろくに知らなかったのではないか」と述べている。 |
*[[ジャン・アンリ・ファーブル]] - 「[[昆虫記]]」のセミのところでファーブルは「アリとセミの寓話は実際の習性から遠いことこの上ない、そもそもセミは冬まで生きているような虫ではないということからしても寓話の作者は実際のセミをろくに知らなかったのではないか」などと述べている。 |
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{{イソップ寓話}} |
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2017年8月16日 (水) 00:12時点における版
「アリとキリギリス」は、イソップ寓話のひとつ。
元は「アリとセミ」(FabulaeFable114は黄金虫[1]:センチコガネ[2])だった。セミは熱帯・亜熱帯に生息し、ギリシアなど地中海沿岸にも生息していて、古代ギリシアでは文学でも取り扱われているが[3]、ヨーロッパ北部ではあまりなじみが無い昆虫のため、ギリシアからアルプス以北に伝えられる翻訳過程で改編された。日本に伝わった寓話はアルプス以北からのものであるため、日本では『アリとキリギリス』で広まっている。英語では、The Ant and the Grasshopper、The Grasshopper and the Ant、The Grasshopper and the Antsなどと表記される。
あらすじ
夏の間、アリたちは冬の食料を蓄えるために働き続け、キリギリスはバイオリンを弾き、歌を歌って過ごす。やがて冬が来て、キリギリスは食べ物を探すが見つからず、最後にアリたちに乞い、食べ物を分けてもらおうとするが、アリは「夏には歌っていたんだから、冬には踊ったらどうだい?」と食べ物を分けることを拒否し、キリギリスは飢え死んでしまう。
一方で、アリが慈悲心(哀れみの心)をもって食べ物を分けてあげるという改変が古くからある。食べ物を分けることを拒否し、キリギリスが飢え死ぬのでは残酷だというので、アリは食べ物を恵み、「私は、夏にせっせと働いていた時、あなたに笑われたアリです。あなたは遊び呆けて何のそなえもしなかったから、こうなったのですよ」とキリギリスに告げ、それを機にキリギリスは心を入れ替えて働くようになるなどという展開に改変される場合もある。この展開での現代ものでよく知られた作品としては、1934年にウォルト・ディズニーがシリー・シンフォニーシリーズの一品として制作した短編映画がある。この作品では、当時ニューディール政策により社会保障制度の導入を進めていたフランクリン・ルーズベルト政権への政治的配慮から、アリが食べ物を分けてあげる代わりにキリギリスがバイオリンを演奏するという結末に改変されている。
教訓
この寓話には二つの寓意がある。一つは、キリギリスのように将来の危機への備えを怠ると、その将来が訪れた時に非常に困ることになるので、アリのように将来の危機の事を常に考え、行動し、準備をしておくのが良いというもの。 二つ目は、アリのように夏にせこせことためこんでいる者というのは、餓死寸前の困窮者にさえ助けの手を差し伸べないほど冷酷で独善的なけちであるのが常だ、というものである。
脚注
- ^ (英語) Αισώπου Μύθοι/Μύρμηξ και κάνθαρος, ウィキソースより閲覧。
- ^ “第1章 ギリシア語による「蟻と蝉」Fable114「蟻とクソムシ(kantharos)」〔112話「蟻とセンチコガネ」〕”. インターネットで蝉を追う. 2010年7月25日閲覧。
- ^ Egan, Rory. “古代ギリシアのセミ (CICADA IN ANCIENT GREECE)”. Barbaroi!. 2010年7月25日閲覧。
関連項目
- イソップ
- イソップ寓話
- ジャン・アンリ・ファーブル - 「昆虫記」のセミのところでファーブルは「アリとセミの寓話は実際の習性から遠いことこの上ない、そもそもセミは冬まで生きているような虫ではないということからしても寓話の作者は実際のセミをろくに知らなかったのではないか」などと述べている。