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2017年2月6日 (月) 12:37時点における版

江川 卓(えがわ たく、1927年1月24日 - 2001年7月4日)は、東京都出身のロシア文学者東京工業大学名誉教授。本名は「馬場 宏(ばば ひろし)」。

フョードル・ドストエフスキー翻訳研究などで知られる。NHKロシア語講座の講師も長く務め、多くの人に親しまれた。

略歴

ロシア文学者の外村史郎こと馬場哲哉の長男として出生。弟は『新婚さんいらっしゃい!』などの番組を制作した元朝日放送テレビプロデューサー馬場淑郎

東京府立第十中学校第一高等学校を経て東京大学法学部卒業。ロシア語は独学で、終戦後実地で鍛え上げた[1]。中学の同期に経営者・詩人の堤清二がいる。東京工業大学助教授、同大学教授、中京大学教授を歴任した。東京工業大学から名誉教授の称号を受ける。1987年、『謎解き「罪と罰」』で読売文学賞受賞。

2001年7月4日午前9時13分、気管支炎のため、74歳で逝去した。

ペンネーム

本名と無関係のペンネームを使用したのは、戦後間もない頃の、ロシア文学に携わっていると共産主義者であると疑われていたような時代に、秘密の文学サークルを作って活動していた名残である。読売ジャイアンツ江川卓(えがわ・すぐる、こちらは本名)と読み方こそ違えど漢字が同じであるため、江川事件の際には巨人の江川と間違えられたり、その他不利益を蒙ったといい、後の朝日ジャーナルでの両者の対談の際に巨人OBの江川が謝罪している。

由来は、中国の揚子江で酒を呑んだらうまかろうという思いから[2]

著書

単著

共編著

  • 井上光晴)『新しいソビエトの文学(全6巻)』(勁草書房、1967年-1968年)
  • 水野忠夫)『全集・現代世界文学の発見(1)革命の烽火』(学芸書林、1969年)
  • 栗栖継)『全集・現代世界文学の発見(11)社会主義の苦悩と新生』(学芸書林、1970年)
  • 原卓也)『ドストエフスキー・アルバム』(新潮社、1978年)
  • 亀山郁夫)『ドストエフスキーの現在』(JCA出版、1985年)

訳書

脚注

  1. ^ [新潮文庫 悪霊]、訳者紹介
  2. ^ 朝日新聞東京本社企画報道部編『惜別 忘れ得ぬ人たち』主婦の友社、2003年、p16