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'''電波監理委員会'''(でんぱかんりいいんかい)とは電波監理を司る[[総理府]]にあった[[外局]]であ
'''電波監理委員会'''(でんぱかんりいいんかい)とは、かつてあった電波監理を司る[[行政委員会]]で[[総理府]][[外局]]であった


==概要==
==概要==
電気通信の国家管理を解く為[[連合国軍最高司令官総司令部]](GHQ)の示唆により制定された[[電波監理委員会設置法]]に基づき、[[1950年]](昭和25年)[[6月1日]]に設置された。[[電波]]と[[放送]]の監督に関する事項を司る第三者機関たる独立[[行政委員会]](いわゆる「三条委員会」)で、振興行政を行う[[電気通信省]]から監督行政を分離したものである。
電気通信の国家管理を解く為[[連合国軍最高司令官総司令部]](GHQ)の示唆により制定された[[電波監理委員会設置法]]に基づき、1950年(昭和25年)6月1日に設置された。[[電波]]と[[放送]]の監督に関する事項を司る第三者機関たる独立行政委員会(いわゆる「三条委員会」)で、振興行政を行う[[電気通信省]]から監督行政を分離したものである。


電波の割当てや放送局に関する事項、[[社団法人]]から[[特殊法人]]となった[[日本放送協会]]の役務に関する事項などを司るとされていた。[[米国]][[連邦通信委員会]](''[[:en:Federal Communications Commission|FCC]]'')に相当し、またGHQもそれを目指したようである。
電波の割当てや放送局に関する事項、[[社団法人]]から[[特殊法人]]となった[[日本放送協会]]の役務に関する事項などを司るとされていた。[[米国]][[連邦通信委員会]](''[[:en:Federal Communications Commission|FCC]]'')に相当し、またGHQもそれを目指したようである。


委員長は[[富安風生|富安謙次]]。委員会の事務局には、電気通信省の外局であった電波庁が[[総合通信局|電波監理総局]]として設置された。
委員長は[[富安風生|富安謙次]]。委員会の事務局には、電気通信省の外局であった電波庁が電波監理総局として設置された。


[[1952年]](昭和27年)4月に日本の主権が回復すると[[7月31日]]に[[郵政省設置法の一部改正に伴う関係法令の整理に関する法律]](昭和27年法律第280号)により廃止され、電波監理委員会は[[郵政省]]に統合されて再度国家管理される事になった。
1952年(昭和27年)4月に日本の主権が回復すると7月31日に[[郵政省設置法の一部改正に伴う関係法令の整理に関する法律]](昭和27年法律第280号)により廃止され、電波監理委員会は[[郵政省]]に統合されて再度国家管理される事になった。


==その後==
==その後==
廃止後も通信・放送行政に関する行政委員会構想はときどき現れる。
[[2009年]](平成21年)[[民主党 (日本 1998-)|民主党]]が与党となり、[[総務省]]から通信・放送行政の一部([[情報流通行政局]]、[[情報通信国際戦略局]]、[[総合通信基盤局]])を切り離しまとめて、FCC類似の機関「通信・放送委員会を設置する方針が決められた。

[[2003年]](平成15年)と[[2004年]](平成16年)にも通信・放送委員会設置法案を提出したが否決・廃案となった経緯がある。しかし、法案提出にも至らず[[2012年]](平成24年)下野した
1962年(昭和37年)に設置された[[郵政大臣]]の諮問機関である臨時放送関係法制調査会において、放送行政に関し行政委員会を置く答申を1964年(昭和39年)に行ったが、この時の[[放送法]]改正には盛り込まれなかった。

1996年(平成8年)に[[橋本龍太郎|橋本]]政権下で設置された[[行政改革会議]]では[[中央省庁再編]]をめぐる議論の中で通信・放送行政を行政委員会に委ねるべきかの検討を行い、1997年(平成9年)9月の中間報告において[[総務省]]の外局として「通信・放送委員会」を置く事と報告した。
これには[[郵政省]]が「GHQによる占領下で設立された行政委員会は責任の所在が不明確で非効率的であり、原則的に廃止されたものである」と主張し分離することに抵抗した。
結局、同年12月の最終報告では[[通信政策局]]と[[電気通信局]]を再編し総務省の[[内部部局]]とすることとされた。

2009年(平成21年)には[[民主党 (日本 1998-)|民主党]]が与党となり、[[総務省]]から通信・放送行政([[情報流通行政局]]、[[情報通信国際戦略局]]、[[総合通信基盤局]])を切り離しまとめて、通信・放送委員会を設置する方針が決められた。
野党時代の2003年(平成15年)と2004年(平成16年)にも通信・放送委員会設置法案を提出したが否決・廃案となった経緯がある。
しかし、法案提出にも至らず2012年(平成24年)下野した。
2013年(平成25年)にも[[みんなの党]]と共同で設置法案を提出したが否決・廃案となった。


==関連項目==
==関連項目==

2013年6月29日 (土) 14:41時点における版

電波監理委員会(でんぱかんりいいんかい)とは、かつてあった電波監理を司る行政委員会総理府外局であった。

概要

電気通信の国家管理を解く為連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の示唆により制定された電波監理委員会設置法に基づき、1950年(昭和25年)6月1日に設置された。電波放送の監督に関する事項を司る第三者機関たる独立行政委員会(いわゆる「三条委員会」)で、振興行政を行う電気通信省から監督行政を分離したものである。

電波の割当てや放送局に関する事項、社団法人から特殊法人となった日本放送協会の役務に関する事項などを司るとされていた。米国連邦通信委員会(FCC)に相当し、またGHQもそれを目指したようである。

委員長は富安謙次。委員会の事務局には、電気通信省の外局であった電波庁が電波監理総局として設置された。

1952年(昭和27年)4月に日本の主権が回復すると7月31日に郵政省設置法の一部改正に伴う関係法令の整理に関する法律(昭和27年法律第280号)により廃止され、電波監理委員会は郵政省に統合されて再度国家管理される事になった。

その後

廃止後も通信・放送行政に関する行政委員会構想はときどき現れる。

1962年(昭和37年)に設置された郵政大臣の諮問機関である臨時放送関係法制調査会において、放送行政に関し行政委員会を置く答申を1964年(昭和39年)に行ったが、この時の放送法改正には盛り込まれなかった。

1996年(平成8年)に橋本政権下で設置された行政改革会議では中央省庁再編をめぐる議論の中で通信・放送行政を行政委員会に委ねるべきかの検討を行い、1997年(平成9年)9月の中間報告において総務省の外局として「通信・放送委員会」を置く事と報告した。 これには郵政省が「GHQによる占領下で設立された行政委員会は責任の所在が不明確で非効率的であり、原則的に廃止されたものである」と主張し分離することに抵抗した。 結局、同年12月の最終報告では通信政策局電気通信局を再編し総務省の内部部局とすることとされた。

2009年(平成21年)には民主党が与党となり、総務省から通信・放送行政(情報流通行政局情報通信国際戦略局総合通信基盤局)を切り離しまとめて、通信・放送委員会を設置する方針が決められた。 野党時代の2003年(平成15年)と2004年(平成16年)にも通信・放送委員会設置法案を提出したが否決・廃案となった経緯がある。 しかし、法案提出にも至らず2012年(平成24年)下野した。 2013年(平成25年)にもみんなの党と共同で設置法案を提出したが否決・廃案となった。

関連項目

外部リンク