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谷嵜が復帰すると、同じ名前(字違い)の[[苫小牧卓也|谷崎なおき]]と、お互いにホンモノ・ニセモノをめぐって抗争が始まったが、名前とトライアングルゲートを掛けた試合で敗戦。谷嵜はリングネームをMr.キューキュー・豊中ドルフィンにさせられてしまった。 |
谷嵜が復帰すると、同じ名前(字違い)の[[苫小牧卓也|谷崎なおき]]と、お互いにホンモノ・ニセモノをめぐって抗争が始まったが、名前とトライアングルゲートを掛けた試合で敗戦。谷嵜はリングネームをMr.キューキュー・豊中ドルフィンにさせられてしまった。 |
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この時期に[[問題龍]]との抗争を仕掛けられていた[[Gamma]]にジミー神田が助けに、逆に襲われているところをGammaが助けに来たりと友好的なムードがあったが、[[帰ってきたベテラン軍]]にHUB(怪人ハブ男)が加入すると抗争が始まった。特に「フリー」と言う立場でドラゴンゲートに入ってきた、ジミーカゲトラはHUBに対して嫌悪感を示したり、助っ人を申し出たものの断られた神田はGammaに敵対心を燃やし始めた。 |
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== メンバー == |
== メンバー == |
2012年10月3日 (水) 09:15時点における版
ジミーズ(じみーず)はプロレスラージミー・ススムとジミー・カゲトラを中心としたユニットである。
概要
2011年12月1日、DRAGON GATE後楽園大会にて行われたオープン・ザ・ツインゲート統一タッグ王座決定戦でB×Bハルク&戸澤陽と対戦し敗れ、試合のルールで横須賀享がジミー・ススム、KAGETORAがジミー・カゲトラに改名された。
12月3日の広島大会でカゲトラが、12月4日の名古屋大会でススムがジミーのリングネームで初試合を迎えた。
12月20日の後楽園大会でジミーズとして初の試合を行い、ドラゴン・キッド&PACという空中殺法コンビから勝利し、ジミーズブームを起こすことを宣言した[1]。
2012年1月15日大阪大会、CIMAが発案したオープン・ザ・ドリームゲート王座の次期挑戦者を決定する"CIMAロワイヤル"でススムが最後まで勝ち残り同王座への挑戦権を獲得した[2]。
2月5日博多大会、CIMAが保持するオープン・ザ・ドリームゲート王座に挑戦したがマッドスプラッシュで敗れた。
2月9日の後楽園大会でジミーズが所属していたユニットJUNCTION THREEが解散した[3]。
3月3日大阪大会でオープン・ザ・トライアングルゲート王座をかけて望月成晃&ドン・フジイ&GammaVS神田裕之&斎藤了&堀口元気が行われ、神田・斎藤・堀口組が勝利し、ジミーズ入りを切願し、それにススムとカゲトラが承諾。これにより3人のリングネームは"ジミー神田"、"斎藤ジミー了"、"堀口元気H.A.Gee.Mee!!"に変更された。
3月4日大阪大会、ツインゲート戦で戸澤陽&B×Bハルクと対戦。さらに、この試合で敗れるとリングネームがジミーA、ジミーBに変更される事と前日の大阪大会で、神田がジミーK、斎藤はジミーR、堀口はジミーHAGEに変更される事も決定していたが最後はカゲトラが影縫でハルクからピンフォールを奪い、ジミーズとして初のタイトル獲得となった。
5月6日愛知大会、モチフジこと望月成晃とドン・フジイを相手に挑んだオープン・ザ・ツインゲート統一タッグ王座2度目の防衛戦、最後はカゲトラが望月を影縫で丸め込み勝利した。
5月20日佐賀大会、戸澤陽、サイバー・コングと対戦。ススムがサイバーをジャンボの勝ち!固めで仕留めオープン・ザ・ツインゲート統一タッグ王座3度目の防衛に成功した。
6月10日札幌大会、ジミーズが保持するオープン・ザ・ツインゲート統一タッグ王座に北海道出身のB×Bハルクと谷崎なおきが挑戦、反則し放題の戦いとなり最後は谷崎がナイトライドでカゲトラから3カウントを奪い、ジミーズは同王座陥落となった。
6月17日福岡・博多スターレーンにて3WAYマッチ(王者B×Bハルク・谷崎なおき、新井健一郎・K-ness.)を制し再び王者返り咲き。
7月1日大阪大会終了後、それまで怪我で半年ほど休養していた谷嵜なおきが復帰。休養中のユニット消滅などで行き場を失っていた谷嵜はジミーズ入りとなった
谷嵜が復帰すると、同じ名前(字違い)の谷崎なおきと、お互いにホンモノ・ニセモノをめぐって抗争が始まったが、名前とトライアングルゲートを掛けた試合で敗戦。谷嵜はリングネームをMr.キューキュー・豊中ドルフィンにさせられてしまった。
この時期に問題龍との抗争を仕掛けられていたGammaにジミー神田が助けに、逆に襲われているところをGammaが助けに来たりと友好的なムードがあったが、帰ってきたベテラン軍にHUB(怪人ハブ男)が加入すると抗争が始まった。特に「フリー」と言う立場でドラゴンゲートに入ってきた、ジミーカゲトラはHUBに対して嫌悪感を示したり、助っ人を申し出たものの断られた神田はGammaに敵対心を燃やし始めた。
メンバー
- ジミー・ススム
- ジミー・カゲトラ
- ジミー神田(2012年3月3日加入 - )
- 堀口元気H.A.Gee.Mee!!(2012年3月3日加入 - )
- 斎藤ジミー了(2012年3月3日加入 - )
- Mr.キューキュー・豊中ドルフィン(2012年7月1日加入 - )
プラカード
- 試合中によくセコンドに付いたメンバー(主にKAGETORA)がプラカードを掲げる。これは観客への応援(煽り)である。
・堀口元気H.A.Gee.Mee!!→「H.A.G.Mee!!」 ・斎藤ジミー了→「サイクリング・ヤッホー!」 ・ジミー神田→「ジョン・ウー!」 ・谷嵜なおき→「よいしょっ!」
特徴
- 普段はお揃いのそれぞれのネームが背面に入ったジャージ(青)&メガネ姿で入場する。(見た目はジミーズらしく地味めのジャージ)
- 試合中セコンドに付いた他のメンバーが「サイクリング・ヤッホー!」や「H・A・G・Mee!!」などと書いてあるプラカードを掲げて観客を煽る
- マラハイサッパ(堀口&斉藤)リョウスカ(斉藤&横須賀)M2K(横須賀&神田)と往年の名タッグが復活している。
- 斉藤は久しぶりに「サイクリング・ヤッホー」を使っている。
- 斉藤と堀口のゴムパッチン(芸人・ゆ~とぴあの芸と同じもの)は大体誤爆し、レフェリーの八木の反則のカウントが発車合図と化している。
- それぞれにカラーがあり、メガネも色違いで掛けている
- ヒールを長く勤めていたジミー神田は、ジミーズ入りするとすると「お笑い」や「茶目っ気」のある試合など始めた。
獲得タイトル
タイトル | 保持者 | 歴代 | 防衛回数 | 次期挑戦者 | 場所・大会名 |
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タイトル | 挑戦者 | 歴代 | 防衛回数 | 保持者 | 場所・大会名 |
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オープン・ザ・ツインゲート統一タッグ王座 | ジミー・ススム ジミー・神田 |
第23代 | 望月成晃 ドン・フジイ |
10.21大阪府立体育会館-THE GATE OF DESTINY 2012- | |
オープン・ザ・フリーダムゲート王座 | 斎藤“ジミー”了 | 第3代 | 5 | ジョニー・ガルガノ | 10.7博多スターレーン |
- ジミー・ススム&ジミー・カゲトラ
- NWAインターナショナルライトタッグ王座(第12代)
- オープン・ザ・ツインゲート統一タッグ王座(第21代)
- 堀口元気H.A.Gee.Mee!!
- KING OF GATE 2012 優勝
- ジミー・カゲトラ
- 第2回KING OF チョップ!!優勝
現在は陥落
- ジミー・ススム&ジミー・カゲトラ
- NWAインターナショナルライトタッグ王座(第12代/2012年8月26日陥落)
- ジミー・ススム&ジミー・カゲトラ
- オープン・ザ・ツインゲート統一タッグ王座(第19代/2012年6月10日陥落)
- オープン・ザ・ツインゲート統一タッグ王座(第21代/2012年7月22日陥落)
- 堀口元気H.A.Gee.Mee!!&斎藤"ジミー"了&ジミー・神田
- オープン・ザ・トライアングルゲート王座(第34代/2012年5月6日陥落)
脚注
- ^ “地味返上だ! ジミーズが空中殺法コンビから派手に勝利=DRAGON GATE” (日本語). スポーツナビ (ワイズ・スポーツ). (2011年12月21日) 2012年3月3日閲覧。
- ^ “DRAGON GATE:公式サイト 試合結果”. ドラゴンゲート. 2012年3月3日閲覧。
- ^ “70分超の総力戦、敗れたJIII解散…CIMAはTAKA&高木と合体=ドラゲー” (日本語). スポーツナビ (ワイズ・スポーツ). (2011年12月21日) 2012年3月3日閲覧。