「マイケル・ドゥーハン」の版間の差分
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2011年3月17日 (木) 12:09時点における版
マイケル・ドゥーハン | |
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マイケル・ドゥーハン(1990年日本GP) | |
グランプリでの経歴 | |
国籍 | オーストラリア |
活動期間 | 1989年 - 1999年 |
チーム | ホンダ |
レース数 | 117 |
チャンピオン | 5(500cc) 1994年、1995年、1996年、1997年、1998年 |
優勝回数 | 54 |
表彰台回数 | 95 |
通算獲得ポイント | 2283 |
ポールポジション回数 | 58 |
ファステストラップ回数 | 46 |
初グランプリ |
1989年(500cc) 日本GP |
初勝利 |
1990年(500cc) ハンガリーGP |
最終勝利 |
1998年(500cc) アルゼンチンGP |
最終グランプリ |
1999年(500cc) 日本GP |
マイケル・ドゥーハン(Michael "Mick" Doohan, 1965年6月4日 - )は、オーストラリア・クイーンズランド州・ブリスベン出身のオートバイレーサー。1992年以後のエントリーネームはミック・ドゥーハン。1994年から1998年までロードレース世界選手権500cc5年連続チャンピオンを獲得した絶対王者。兄スコットもオートバイレーサーである。姓は「ドーハン」と表記(呼称)される場合もある。
略歴
1987年にTT-F1世界選手権日本ラウンドにプライベートチームから出場、3位入賞し注目を集める。1988年スーパーバイク世界選手権日本大会第2レースで優勝。ちなみに日本ではこの年まで「マイケル・ドーハン」と呼ばれることが多かった。1989年、同郷の先輩ワイン・ガードナーのチームメイトとしてロスマンズ・ホンダチームに加入し、ロードレース世界選手権500ccクラスに本格参戦を始める。1990年に500cc初優勝、1991年ランキング2位となるなど徐々に頭角を現し、ホンダの新エースとしてチャンピオン候補と目されるようになる。
1992年シーズン、ホンダはNSR500に不等間隔位相同爆方式のニューエンジン(通称ビッグバン・エンジン)を搭載し、エースライダーとなったドゥーハンに託した。このニューマシンを駆るドゥーハンはヨーロッパラウンドで4連勝。シーズン半ばにしてポイントを大きくリード。ところが、オランダGPでの予選走行中に転倒を喫し、右足に重傷を負ってしまう。以降4戦を欠場し、強行出場するも最終戦でヤマハのウェイン・レイニーに僅差のポイント逆転を許し、王座への執念は実らなかった(レイニーはタイトル3連覇達成)。翌1993年も後遺症に苦しんだが辛抱強く戦い続け、イタリアGPで復帰後初優勝を挙げる。
シーズンオフに右足の再手術を受けて臨んだ1994年は右足も癒え、自ら開発と熟成に尽力したNSR500に乗るドゥーハンは他を寄せ付けないパフォーマンスを発揮した。デビュー6シーズン目にして念願のワールドチャンピオンを獲得した。以降、岡田忠之、アレックス・クリビーレらチームメイトの挑戦を退け、1998年までタイトル5連覇という偉業を成し遂げた。この5年間は、全ての年で5割を超える勝率を記録し、特に1997年は15戦中12勝の年間最多勝記録をマークした。
しかし、タイトル6連覇のかかる1999年シーズンの第3戦スペインGP(ヘレス)の予選走行中に高速の左コーナーで激しく転倒し、右鎖骨、左手首、右膝を骨折する大怪我を負い、このレースを最後に引退を表明した。引退後はホンダ・レーシングのGPアドバイザーなどを務め、バレンティーノ・ロッシ、加藤大治郎らをサポートした。
スタイル
ドゥーハンのライディングの美点は滑らかなスロットルコントロールといわれる[要出典]。従来のエンジンよりも出力特性が滑らかなビッグバン・エンジンは、ドゥーハンの意見を取り入れて開発されたものであり[要出典]、これを武器にドゥーハンは常勝時代を築くことになった。また、右コーナーと左コーナーで大きくハングオンの姿勢が違うことでも知られている。
1992年オランダGPで負った負傷は、手術後の経過不良により一時は右足切断も危ぶまれるほどだったという[要出典]。復帰後も後遺症として、日常では右足を引き摺り気味にしていた。また、通常のバイクでは右ペダルにあるリアブレーキを操作できなくなったため、特別に左ハンドルに親指で操作するレバー式のブレーキが付けられていた。右足はリハビリの成果でブレーキペダルを踏めるまでに回復したが、その後もレバー式リアブレーキを好んで使用し続けた。
主な戦績
ロードレース世界選手権
- 凡例
- ボールド体のレースはポールポジション、イタリック体のレースはファステストラップを記録。
鈴鹿8時間耐久レース
年 | 車番 | ペアライダー | チーム | マシン | 予選順位 | 決勝順位 | 周回数 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1987 | 25 | ロドニー・コックス | ネスカフェ・アメリカーナRT | ヤマハ・FZR750 | 38 | Ret | 70 |
1988 | 21 | 平忠彦 | 資生堂TECH21レーシング | ヤマハ・YZF750 | 6 | 9 | 196 |
1989 | 11 | ワイン・ガードナー | チームHRC | ホンダ・RVF750 | 1 | Ret | 126 |
1990 | 11 | ワイン・ガードナー | OKIホンダRT | ホンダ・RVF750 | 1 | Ret | 101 |
1991 | 11 | ワイン・ガードナー | OKIホンダRT | ホンダ・RVF750 | 1 | 1 | 192 |
1993 | 11 | ダリル・ビーティー | チームHRC | ホンダ・RVF750 | 1 | 4 | 206 |
関連項目
外部リンク
- MickDoohan.com - 公式HP