「ロールス・ロイス ニーン」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
m ロボットによる 追加: es:Rolls-Royce Nene
42行目: 42行目:
[[el:Rolls-Royce Nene]]
[[el:Rolls-Royce Nene]]
[[en:Rolls-Royce Nene]]
[[en:Rolls-Royce Nene]]
[[es:Rolls-Royce Nene]]
[[fr:Rolls-Royce Nene]]
[[fr:Rolls-Royce Nene]]
[[it:Rolls-Royce Nene]]
[[it:Rolls-Royce Nene]]

2009年11月22日 (日) 14:15時点における版

ニーンの外形。豪空軍ピアース基地にて
復筒式燃焼器の内側が赤く塗られた、ニーンのカッタウェイモデル。圧縮機構は単一回転板の両面に配置され、その後に冷却・抽気用の副圧縮器、続いてスラストベアリング、ボールジョイント、タービン部の順

ロールス・ロイス ニーン (Rolls-Royce Nene) は、1940年代イギリスの代表的な遠心圧縮式ターボジェットエンジン

概要

ニーン(社内コードRB.41)は、ウェランド (Welland) 、ダーウェント (Derwent) に続き、ロールス・ロイス社が3番目に実用化した遠心圧縮式 (Centrifugal compressor) ターボジェットエンジンで、前作ダーウェントの開発で得られた知見を活用して、設計着手から僅か5ヶ月の1944年8月27日に初火入れに漕ぎ着け、出現当時世界最強級の推力と高信頼性を発揮したが、第二次世界大戦には間に合わなかった。

ウェランド、ダーウェントの原型であるローバー (Rover) 社の W.2B/23 (B.23) と W.2B/26 (B.26) の型式名の頭文字"B"は、ローバー社由来の工場所在地バーノルズウィック (Barnoldswick) を表すものだったが、爆撃機 (Bomber) の B と紛らわしいので、ニーン以降 B の前にロールス・ロイスの頭文字 R を加えた RB. に改められた。この型式命名法は、現在に至るまでロールス・ロイス社のターボジェットエンジンに連綿と受け継がれている。尚、これらの殆どにイングランドを流れる河川名の愛称が別途与えられている理由については、ウェランドの項を参照されたい。

フランク・ホイットル (Frank Whittle) の基本レイアウトを継承し、単板圧縮機の両面にインペラガイドベーンを配置する側面吸入方式を採りつつも、原設計に残る試作色を排し、またホイットルへの特許料支払を回避する為に、航空機レシプロエンジン用機械式過給器の専門家だったスタンリー・フッカー (Stanley Hooker) らのチームの手で、白紙の状態から設計し直された物がニーンである。

ホイットルが固執していた蒸発管式燃料噴射、反転型燃焼器、外部水冷タービンなどが排除された一方、同社のレシプロ用過給器で定評のあった可変式ガイドベーンの導入によって、効率・安定性共に格段の向上を見た。

グロスター ミーティア (Gloster Meteor) 搭載用に、縮小版のダーウェント 5 (Derwent Mk.V) が製作され、ミーティアの他にも広く用いられた。またアフターバーナー装備のニーン改良型はテイ (RB.44 Tay) と名付けられ、これらニーンシリーズは航空機用遠心圧縮式ターボジェットエンジンの掉尾を飾った。

またニーンで経験を積んだ復筒式燃焼器と空冷タービン機構は、後の軸流式 (Axial compressor) ターボジェットエンジン、エイヴォン (Avon) にも流用された。

適用

ニーンは英軍機ホーカー シーホーク (Hawker Sea Hawk) やスーパーマリン アタッカー (Supermarine Attacker) に採用されただけでなく、米テイラー・タービン社 (Taylor Turbine Corporation) で J42 として、続いてプラットアンドホイットニー (Pratt and Whitney) 社で水噴射裝置付の改良型が J48 としてライセンス生産され、アメリカ海軍グラマン F9F (Grumman F9F) シリーズ等に搭載された。

またフランス空軍を始め、オーストラリア空軍デハビランド DH.100 ヴァンパイア (de Havilland Vampire) や、カナダ空軍カナディアT-33 用としても現地でライセンス生産され、これらの国々にターボジェットの基本技術を齎した。

更に、戦後発足したアトリー (Clement Richard Attlee) 労働党政権によって、ソ連にニーン35基とダーウェント Mk.V 25基が供与されたが、早速カーボンコピーされ、ダーウェント 5 は RD-500 に、ニーンは同 RD-45 に化け、更に RD-45 の発展型 VK-1MiG-15 戦闘機等に搭載されて、皮肉な事に西側に対して大きな脅威を与えた。

また、ソ連の友好国の中華人民共和国では VK-1 の再コピー品の製造が、オリジナルのニーン完成から35年後の1979年まで無許可で続けられていた。このためロールス・ロイス社は中ソ両国政府に対し、過去に遡ってライセンス料の支払いを求める訴訟ロンドンで提起したが、無視されたままに終わっている。

BOAC 所属の双発中型レシプロ旅客機ヴィッカース VC.1 ヴァイキング (Vickers VC.1 Viking) の1機は、双発共ニーンに換装されて世界初の純ジェット推進旅客機になり、1948年4月6日の進空以降半年間に亙って試験飛行を重ね、デハビランド DH.106 コメット (de Havilland DH.106 Comet) 実用化のためのデータを収集した。

参考