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2008年7月4日 (金) 18:04時点における版

バレンタイン・キッス
国生さゆりシングル
リリース
録音 -
ジャンル J-POP
時間
レーベル CBSソニー
チャート最高順位
最高順位2位(オリコン)
最高順位4位(ザ・ベストテン)
国生さゆり シングル 年表
 バレンタイン・キッス
(1986年)
夏を待てない
(1986年)
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バレンタイン・キッスとは、1986年2月1日国生さゆりおニャン子クラブ在籍中に出したソロデビューシングル。

解説

バレンタインデーソングの定番への軌跡

国生さゆり、ソロデビューへの経緯 どうして「セーラー服を脱がさないで」ではなかったのか?

1985年春、広島県呉市の高校をちょうど卒業した彼女はおニャン子クラブの一員としてデビューするため上京。その前年、出場したオーディション「ミス・セブンティーン」コンテストで協賛元のCBSソニーと縁を持っていたことから、所属事務所は関係会社、エイプリル・ミュージック(現・ソニー・ミュージックアーティスツ)となっていた。おニャン子クラブと彼女らが出演する番組で、フジテレビの「夕やけニャンニャン」は4月の開始当初から巷の話題となり、さらに6月のおニャン子クラブのデビュー曲「セーラー服を脱がさないで」の発表からは爆発的人気が起こる。しかし、おニャン子クラブを代表するメンバーとなる国生は、その当時はグループ内の大勢の中の一人でしかなかった。これには理由があり、「セーラー服を脱がさないで」という曲は発売元がキャニオンレコードによるものだったからだ。当時のおニャン子クラブの会員(メンバー)のなかには、国生と同じくソニー所属の河合その子城之内早苗がいたが、彼女らもこの曲に関してはコーラス程度の参加しかなされていない。そして、「セーラー服を脱がさないで」を追うように、おニャン子クラブからの第2弾として、ソニー所属側から河合が「涙の茉莉花(ジャスミン)LOVE」でソロデビュー。「セーラー服を脱がさないで」のフロントボーカルに起用された4人(新田恵利福永恵規内海和子中島美春)と河合は、この時期のおニャン子クラブの「夕やけニャンニャン」以外の活動(他の番組に出演、グラビア撮影等)においては別格の扱いを受けることになる。このことはそのうちにグループ内にも影響が及び、他のメンバー達からは少なからず不満が挙がっていたという。しかし、年長だった国生はおニャン子クラブ本体のために、自らリーダー役となってグループ内の和のために寄与した。この行いが良かったのだろうか、番組開始当初の田舎からやってきたばかりの素人然とした顔や出で立ちも、世間が先述の5人ばかりに注目を預けているうちに変身を遂げ、彼女のソロデビューが決まる頃には、日々のテレビ映りに磨かれて抜群の容姿になっていた。おニャン子ファンの誰もが彼女のソロデビューを待ち望み始め、そして機が熟した時、彼女に与えられたのはバレンタインデーソングであった。

「バレンタイン・キッス」大ヒットの経緯

この曲が発売された1986年、年中行事としてのバレンタインデーは、日本独自の文化となった義理チョコもあれば、翌月3月14日のお返しのホワイトデーも設定されているなど、現在のように既に確立されていた。ただ一つなかったのが、クリスマスソングのようなバレンタインデーに関する定番曲だった。もちろん、これより以前に幾多のアーティストによってバレンタインデーを題材にした曲は作られ歌われてきたものの、この時までに誰もが知ってて、口ずさめるような定番曲は存在しなかった。洋楽に「マイファニーバレンタイン」などの著名曲もあったが、その古さからバレンタインチョコの流通や消費を担う若年層にはあまり浸透していなかった。

「夕やけニャンニャン」やおニャン子クラブの活動を統括していたスタッフらの話によれば、元々は狙って後世に残る定番曲を生み出そうとして作ったわけではなく、またお菓子業界からの要望によって作られたものでもなく、国生のデビュー時期がたまたまこの時期になったため、バレンタインデーという題材が選ばれたにすぎなかった、とのこと。当時のおニャン子クラブから出す曲は「夕やけニャンニャン」が月曜から金曜までの帯放送と視聴者の日々の生活に密着していたため、楽曲のテーマ性に季節や行事に沿ったものが多かった。1986年1月9日木曜日、おニャン子クラブがゲスト出演し、国生が彼女自身の役(ただし役名は国分さゆり)でメインゲストで登場した「スケバン刑事Ⅱ 少女鉄仮面伝説」の劇中内で「バレンタイン・キッス」初公開。そして翌週1月13日月曜日、この週最初の「夕やけニャンニャン」から毎日連続して、さらに同夜のフジテレビ「月曜ドラマランド」で放送されたおニャン子クラブ主演の初ドラマ「ボクの婚約者」のエンディングでもこの曲の歌唱映像は流れる。この日から発売日、そしてバレンタインデーのある週まで彼女が歌う「バレンタイン・キッス」の歌唱映像は、夕方5時台にもかかわらず視聴率が常時10%を軽く越し、全国ネットに近いネット数を持つようになった「夕やけニャンニャン」で毎日流れ、またおニャン子関連の他のテレビ番組やラジオ番組でも後押しされる。このインパクトがいかほどのものであろうか。2月1日発売後、オリコンでは初登場第2位、ミュージック・ラボミュージック・リサーチでは初登場第1位を獲得、2月14日以後も「ザ・ベストテン」などの人気歌番組にもランキングされ続けて出演して歌うなどこの曲の人気は持続していった。

この曲の発売から1年半あまりの後、1987年8月31日、一時代を築いた「夕やけニャンニャン」は終了し、それに伴いおニャン子クラブも翌月解散していった。また、国生も1989年11月に歌手活動を停止。以後は女優に専念していく。しかし、歌い手はいなくともこの曲は毎年バレンタインデーが近づくと、街ではBGMとして持てはやされ、テレビやラジオからは季節感を出すために大量に流れ出す。懐かしの歌と現在流行っている歌を並行して紹介する日本テレビ音楽番組速報!歌の大辞テン」では、毎年1月末か2月はバレンタインデーの話題を振りたいがために、必ずこの曲が流行っていた1986年2月のヒット曲の特集をするほどだった。50'sのようなオールディーズ・サウンドに乗って、国生がコニー・フランシスを意識して髪をポニーテールにして歌ったこの曲は、誰もが振り返れる思い出へと姿を変えていった。この曲以後もバレンタインデーの歌は作られたが、ついぞこの曲ほどのインパクトを残したものはない。こうして「バレンタイン・キッス」は定番となっていった。

カバー

収録曲

  1. バレンタイン・キッス
  2. 恋はRing Ring Ring
    • 作詞: 秋元康 、作曲: 中崎英也 、編曲: 佐藤準

関連項目

外部リンク