森山鋭一
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森山 鋭一(もりやま えいいち、1894年(明治27年)12月17日[1][2] - 1956年(昭和31年)6月9日[1][2][3])は、大正から昭和前期の法制官僚、政治家、弁護士。貴族院勅選議員、法制局長官。
経歴
[編集]現在の三重県桑名市で[2]、伊藤伊右衛門の三男として生まれ[1]、森山兵介の養子となる[1]。1914年(大正3年)7月、第八高等学校一部丙を首席で卒業[1]。1919年(大正8年)7月、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業し[1][2][3]、同月、内務省に入り内務属・土木局工営課に配属された[1][2][3]。1920年(大正9年)10月、高等試験行政科試験に合格[1]。
その後、兼警察講習所教授、埼玉県視学官、帝都復興院計画局制度課、復興局事務官・長官官房計画課などを歴任[1][2]。1924年(大正13年)12月、法制局参事官となる[1]。以後、賞勲局書記官、行政裁判所評定官、法制局第一部長、同第二部長、企画庁常任参与、企画院参与などを歴任[1][2][3]。
1941年(昭和16年)10月、東條内閣の法制局長官となり1944年(昭和19年)7月まで在任[1][2][3]。1943年(昭和18年)1月14日、貴族院勅選議員に任命され[4] 1946年(昭和21年)5月15日まで在任した[5][6]。
1946年12月に弁護士登録を行い[1][2]、同年から1951年(昭和26年)8月まで公職追放となった[1][2]。その後、1952年(昭和27年)8月から1954年(昭和29年)7月まで東京都地方労働委員会会長を務めた[1][2]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 秦郁彦編『日本近現代人物履歴事典』東京大学出版会、2002年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。