柳谷清三郎
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柳谷 清三郎 やなぎや せいざぶろう | |
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生年月日 | 1900年10月1日 |
出生地 | 秋田県 |
没年月日 | 1984年3月19日(83歳没) |
出身校 | 東京帝国大学法学部政治学科 |
前職 | 能代港町 |
所属政党 | 日本民主党→自由民主党 |
選挙区 | 旧秋田1区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1958年5月23日 - 1963年10月23日 |
当選回数 | 5回 |
在任期間 | 1946年 - 1955年 |
在任期間 | 1967年 - 1975年 |
柳谷 清三郎(やなぎや せいざぶろう、1900年(明治33年)10月1日[1] - 1984年(昭和59年)3月19日[2])は、日本の政治家。衆議院議員(2期)。能代市長。
経歴
[編集]秋田県出身。1928年東京帝国大学法学部政治学科卒[3][4]。能代港町学務課長[3]、同助役を経て[3]、1946年第3代能代市長に就任した[4]。市長在任中は市民歌の制定[4]、市役所、警察署などの建設[4]、1949年には能代大火が起こり、その復興に力を入れた[4]。市長は1955年まで務め、同年の第27回衆議院議員総選挙で秋田1区から日本民主党公認で立候補したが落選。次の第28回衆議院議員総選挙で自由民主党公認で立候補して初当選し、2期務める。1963年の第30回衆議院議員総選挙で落選。1967年に能代市長に再選された[5]。その後、市長は2期8年務め[5]、2度目の市長在任中の1974年に能代港が開港した[5]。翌1975年に市長を退任。1984年死去。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第1巻、歴代知事編纂会、1983年。
- 『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
公職 | ||
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先代 桜井敏雄 豊沢勇治 |
秋田県旧能代市長 1946年 - 1955年 1967年 - 1975年 |
次代 豊沢勇治 西村節朗 |