川本末治
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川本 末治(かわもと すえじ、1898年(明治31年)6月16日[1] - 1983年(昭和58年)12月3日[2][3])は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。
経歴
[編集]愛知県[2]愛知郡、のちの長久手村(長久手町[3]を経て現長久手市)で生まれる。1922年(大正11年)明治大学法学部を卒業した[2]。
実業界では、横浜製糸取締役社長、横浜石材取締役社長、東洋製油工業専務取締役、日本螺旋管工業専務取締役、三進興業専務取締役などを務めた[2]。
1949年(昭和24年)1月、第24回衆議院議員総選挙に愛知県第2区から民主自由党所属で出馬して当選し[3][4]、衆議院議員に1期在任[2][3]。この間、民主自由党庶務部副部長などを務めた[2]。
その後、全国消火弾工業会長、消防団員等公務災害保障等共済基金理事などを務めた[2]。
1983年12月、心不全のため死去した[3]。
国政選挙歴
[編集]- 第22回衆議院議員総選挙(愛知県第1区、1946年4月、日本自由党公認)落選[5]
- 第23回衆議院議員総選挙(愛知県第2区、1947年4月、日本自由党公認)落選[6]
- 第24回衆議院議員総選挙(愛知県第2区、1949年1月、民主自由党)当選[4]
- 第25回衆議院議員総選挙(愛知県第2区、1952年10月、自由党)落選[4]
- 第26回衆議院議員総選挙(愛知県第2区、1953年4月、日本自由党)落選[7]
- 第27回衆議院議員総選挙(愛知県第2区、1955年2月、日本民主党)落選[7]
- 第6回参議院議員通常選挙(愛知県地方区、1962年7月、無所属)落選[8]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第22回』衆議院事務局、1950年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第23回』衆議院事務局、1948年。
- 日外アソシエーツ編『ジャパン WHO was WHO 物故者事典 1983-1987』日外アソシエーツ、1988年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。