只隈伸也

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
只隈 伸也
(ただくま しんや)
人物情報
生誕 (1963-07-22) 1963年7月22日(60歳)
日本の旗 日本福岡県
国籍 日本の旗 日本
出身校 大東文化大学法学部
大東医学技術専門学校
女子栄養大学大学院栄養学研究科
学問
研究分野 スポーツ科学
研究機関 大東文化大学
学位 修士栄養学) 女子栄養大学
学会 日本体力医学会
日本トレーニング科学会
大学ライフスポーツ教育学会
日本バレーボール学会
日本運動・スポーツ科学学会
脚注
テンプレートを表示

只隈 伸也(ただくま しんや、1963年7月22日 - )は、日本陸上競技選手。専門は長距離走種目。大東文化大学スポーツ・健康科学科教授

略歴・人物[編集]

福岡県出身。北九州市立霧丘中学校→九州国際大学付属高等学校(旧 八幡大学附属高等学校)→九州電電大東文化大学女子栄養大学大学院修士課程修了。ヤクルト仙台育英学園高等学校陸上競技部監督→大東文化大学陸上競技部コーチ、陸上競技部監督。2008年現在は陸上競技指導者を退任、大東文化大学スポーツ・健康科学科准教授[1]。身長174 cm血液型A型

九州国際大学付属高等学校(旧 八幡大学附属高等学校)時代は九州地区でも負け無しの強さを発揮。なお、マラソン・駅伝解説者のニッポンランナーズ理事長金哲彦とは高校の同級生であり、箱根駅伝(ラジオ中継)、NHKデジタル総合にて2007年3月4日放送の第62回びわ湖毎日マラソン世界陸上選手権代表選考会で一緒に解説を行った[2]。高校卒業後、九州電電に就職して陸上競技を続けるが、当時大東文化大学陸上競技部の監督だった青葉昌幸にスカウトされて大東文化大学に入学。大学時代は東京箱根間往復大学駅伝競走大会(箱根駅伝)に1年(1985年)から4年(1988年)まで4年連続でエントリーされ、3年次(1987年、第63回大会)には区間賞も獲っている。この時、当時1号車解説だった大久保初男に対して、ガッツポーズを見せる余裕があった。3年次に「華の2区」で区間賞を獲った際には人気を集めた。

全日本大学駅伝にも1年から4年までエントリーされている。2年次(1986年)と3年次(1987年)には区間賞を受賞。

1987年(昭和62年)の関東学生陸上競技対校選手権大会では1,500m5,000m10,000mハーフマラソンと4種目制覇を達成している。大学卒業後はヤクルトに入社、国際大会の代表候補になったが故障のため出場は果たせずに現役を引退した。

引退後の1997年には仙台育英高校の陸上競技部監督に就任し、指導にあたった。1999年には母校・大東文化大学陸上競技部のコーチに就任し、青葉監督の下で後輩の指導にあたった。2000年には同大学陸上競技部監督に就任した。2008年を以って監督を退任。

2005年に新設された大東文化大学スポーツ・健康科学部の准教授として教鞭をとっている[1]

主な戦績[編集]

≪箱根駅伝≫
年度 区間 順位 時間
1985年 第61回 3区 区間4位 1時間6分15秒
1986年 第62回 1区 区間3位 1時間4分29秒
1987年 第63回 2区 区間賞 1時間8分38秒
1988年 第64回 2区 区間6位 1時間11分37秒
全日本大学駅伝
年度 区間 順位 時間
1984年 第59回 1区(15.1km) 区間4位 44分30秒
1985年 第60回 1区(15.1km) 区間賞 44分26秒
1986年 第61回 3区(23.4km) 区間賞 1時間10分8秒
1987年 第62回 2区(13.5km) 区間2位 39分42秒
≪関東学生陸上競技対校選手権大会≫
  • 1987年 第66回 4種目制覇
    • 1,500m 優勝 3分56秒04
    • 5,000m 優勝 14分36秒29
    • 10,000m 優勝 30分10秒09
    • ハーフマラソン 優勝 1時間15分

現役引退後[編集]

論文発表[編集]

「大学体育自己点検・評価報告書」に見る本学保健体育教育の評価とスポーツ・健康科学部発足に伴う問題解決の方向性について』というタイトルで大東文化大学の他教授7名との共著による論文を発表した。これは「大東文化大学紀要:社会科学」Vol.44、2006年3月31日号に掲載された[3]

第84回箱根駅伝でリタイア[編集]

2007年12月10日に行われた第84回箱根駅伝の記者発表会にて「シード落ちを4回連続しているが、上位を目指して頑張りたい」と発言した[4]が、第84回箱根駅伝最終日(2008年1月3日)、大東大9区の走者で3年生の住田直紀が脱水症状に陥り、只隈伸也が途中併走し体調を訊ねたが、鶴見中継所手前1.5 km付近で棄権し史上初の3校棄権となった。これに「悔しさは自分たちで晴らす」とコメントした[5]

エピソード[編集]

  • 2006年に発売された三浦しをん著書の箱根駅伝をテーマとした小説作品『風が強く吹いている』(新潮社、2006年9月初版、ISBN 978-4104541041)では作品協力を行なった。本作の執筆にあたって、三浦しをんは常連校の取材を重ねたため、本作の巻末謝辞内に「大東文化大学陸上競技部監督 只隈伸也さん」、「大東文化大学陸上競技部のみなさん」、「大東文化大学陸上競技部部長 青葉昌幸さん」と列記されている[6]

脚注・参考文献[編集]

外部リンク[編集]