内山憲一
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 群馬県伊勢崎市 |
生年月日 | 1967年7月23日(57歳) |
身長 体重 |
183 cm 76 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1985年 ドラフト3位 |
初出場 | 1990年10月10日 |
最終出場 | 1991年9月3日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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内山 憲一(うちやま けんいち、1967年7月23日 - )は、群馬県伊勢崎市出身[1]の元プロ野球選手(投手)。
来歴・人物
[編集]小学校4年次に少年野球チームに入部し、野球を始める[2]。
伊勢崎商業高では、2年次の夏にベスト4、3年次の夏にベスト8の成績を残す[2]。1985年のドラフト会議においてヤクルトスワローズに3位指名を受け入団[1]。父の内山和巳も、かつて中日ドラゴンズの投手であった経歴を持っていたため、史上初の親子投手として話題となった[1]。
1990年、MLBの1A・サリナス・スパーズに野球留学した[2]。帰国後の10月10日に一軍デビューを果たす。
1991年には初セーブを挙げる。
1993年に現役を引退した。
1994年から群馬県佐波郡東村(現:伊勢崎市)の村役場に勤務[2]。
1999年には社会人野球の全伊勢崎硬建クラブに入団し、日本で2例目となるアマチュア野球復帰を果たした[1][2]。
2000年の全日本クラブ野球選手権大会では、胴上げ投手となり優勝に貢献した[2]。オーバースローからスライダー、カーブを武器とした。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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1990 | ヤクルト | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | -- | .000 | 9 | 0.2 | 7 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 5 | 67.50 | 12.00 |
1991 | 11 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | -- | ---- | 88 | 19.2 | 20 | 2 | 9 | 1 | 1 | 19 | 2 | 0 | 8 | 8 | 3.66 | 1.47 | |
通算:2年 | 12 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | -- | .000 | 97 | 20.1 | 27 | 2 | 10 | 1 | 1 | 19 | 2 | 0 | 13 | 13 | 5.75 | 1.82 |
記録
[編集]- 初登板・初先発登板:1990年10月10日、対横浜大洋ホエールズ26回戦(横浜スタジアム)、2/3回5失点で敗戦投手
- 初セーブ:1991年6月9日、対広島東洋カープ8回戦(福島県営あづま球場)、6回裏から2番手で救援登板・完了、4回無失点
背番号
[編集]- 47 (1986年 - 1993年)
脚注
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 内山憲一 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の通算成績と情報 Baseball-Reference