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三鍋義三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
三鍋義三
みなべ よしぞう
生年月日 1898年1月25日
出生地 日本の旗 日本 富山県上新川郡新庄町(現富山県富山市)
没年月日 (1961-08-14) 1961年8月14日(63歳没)
出身校 武道専門学校卒業
前職 呉羽中学校長
所属政党 (左派社会党→)
日本社会党

選挙区 旧富山1区
当選回数 4回
在任期間 1953年4月19日 - 1961年8月14日
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三鍋 義三(みなべ よしぞう、1898年明治31年)1月25日[1] - 1961年昭和36年)8月14日[1][2][3])は、大正から昭和期の教育者、政治家衆議院議員柔道7段[1]

経歴

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富山県[2][3]上新川郡新庄町(現富山市)で生まれる[1]。富山中学校(現富山県立富山高等学校)を経て[1]、1919年(大正8年)武道専門学校を卒業し[1][2][3]、1921年(大正10年)同校研究科を修業した[1]

富山県立神通中学校(現富山県立富山中部高等学校)教諭に就任して1945年(昭和20年)まで在任し、柔道、野球の指導に努めた[1]。その後、町立滑川薬業学校(現富山県立滑川高等学校)長、和合中学校長、呉羽中学校長を歴任[1][2][3]労働運動に加わり、呉羽中学校長在任中の1949年(昭和24年)に富山県教職員組合執行委員長に就任し、県全官公庁労働組合協議会議長も務めた[1][2][3]

1952年(昭和27年)10月の第25回衆議院議員総選挙富山県第1区から左派社会党公認で出馬したが次点で落選[1][4]。1953年(昭和28年)4月の第26回総選挙で初当選し[4]、1960年(昭和35年)11月の第29回総選挙まで再選され[5]、衆議院議員に連続4期在任した[1][2][3]。この間、衆議院建設委員会理事、北陸開発審議会委員、日本社会党政策審議会建設副部長、同統制委員、同県連顧問、富山県勤労者福祉協会(現:富山県労働者福祉事業協会)初代会長などを務めた[1][2][3]。1961年8月、議員在任中に死去した。

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 『富山大百科事典 下巻』919頁。
  2. ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』618頁。
  3. ^ a b c d e f g 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』596頁。
  4. ^ a b 『国政選挙総覧 1947-2016』177頁。
  5. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』177-178頁。

参考文献

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  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『富山大百科事典 下巻』北日本新聞社、1994年。
  • 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
  • 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。