メジロモンスニー

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メジロモンスニー
欧字表記 Mejiro Mont Cenis[1]
品種 サラブレッド[1]
性別 [1]
毛色 栗毛[1]
生誕 1980年4月14日[1]
死没 不明(1995年6月用途変更)[1]
リマンド[1]
ドウヤアマミ[1]
母の父 シンオンワード[1]
生国 日本の旗 日本北海道伊達市[1]
生産者 メジロ牧場[1]
馬主 メジロ商事[1]
調教師 大久保正陽栗東[1]
厩務員 藤原玄房[2]
競走成績
生涯成績 21戦6勝[1]
獲得賞金 1億7519万9000円[1]
勝ち鞍 GII:高松宮杯(1985年)
シンザン記念(1983年)
[1]
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メジロモンスニー(欧字名:Mejiro Mont Cenis1980年4月14日 - 不明)は、日本競走馬種牡馬[1]。主な勝ち鞍に1983年シンザン記念1985年高松宮杯主戦騎手清水英次

1983年春のクラシック競走の成績から、同年クラシック三冠を達成したミスターシービーライバルとされた。

馬名の由来は、冠名+ヨーロッパ横断特急(TEE)の列車名「モン・スニ[注 1]

経歴[編集]

3歳[編集]

1982年6月札幌競馬場新馬戦でデビューした。新馬戦は4着だったが、3戦目の未勝利戦で初勝利を挙げると、北海道3歳ステークスに出走し、重賞初挑戦したが5着に終わった。

その後、5戦目の400万下条件戦の萩特別、7戦目のオープン特別の3歳ステークスで勝利を収めたメジロモンスニーは12月に行われた当時の関西3歳馬のチャンピオン決定戦・阪神3歳ステークスに出走したが、8着に敗れて、この年を終えている。

4歳[編集]

年が明けて1983年1月、メジロモンスニーはシンザン記念で勝利を収め、重賞初制覇を達成した。だがその後、きさらぎ賞ではニホンピロウイナーの5着、スプリングステークスではタケノヒエンの4着と勝ち切れないレースが続いた。それでも、メジロモンスニーはレースを重ねるにつれ、後方待機からの追い込み戦法を採るようになっていた。

こうして迎えたクラシック第1弾の皐月賞でもメジロモンスニーは今までと同様の戦法を採った。道中は後方で待機していたメジロモンスニーは第4コーナーで8番手まで進出、直線で猛然と追い込んできたが、同じく後方からレースを進めていたミスターシービーを捕らえ切れず、半馬身差の2着に敗れた。

続くクラシック第2弾の日本ダービーでは、皐月賞を制したミスターシービーに次ぐ2番人気であったものの、長距離向きの血統であった事からメジロモンスニーがミスターシービーを逆転するのでは、と予想する評論家もいた。レースでは普段通り後方に待機したメジロモンスニーに対し、ミスターシービーはスタートで出遅れた[注 2]上に向正面から早めに進出を開始するレース運びとなった。レース序盤を見る限り、メジロモンスニーに展開が味方したかに思われたが、結果は直線に入っても脚色が衰えなかったミスターシービーが1着でゴール。メジロモンスニーも直線で鋭い伸びを見せたものの、ビンゴカンタをアタマ差交わし、ミスターシービーから1馬身3/4差の2着を確保するに留まった。

皐月賞、ダービーと2戦続けて2着となったメジロモンスニーは「ミスターシービーのライバル」と言われるようになり、前述のように長距離向きの血統であった事からクラシック三冠最終戦の菊花賞での逆転を期待する評論家もいた。しかし、メジロモンスニーは菊花賞トライアル神戸新聞杯に出走して3着になった後、指骨の骨折が判明し、菊花賞の出走を断念せざるを得なかった[注 3]

5歳以降[編集]

1年の長期休養ののちに復帰したメジロモンスニーが久々の勝利を挙げたのは6歳になってからだった。4月、阪神競馬場で行われたオープン特別・大阪城ステークスでシンザン記念以来の勝利を飾ったメジロモンスニーは続く天皇賞(春)でミスターシービーに再び挑む事になった。しかし、レースではメジロモンスニーは終始後方のまま、シンボリルドルフから3.0秒も離された9着に敗れた。ミスターシービーは5着だったため、このレースでもメジロモンスニーはミスターシービーに先着できなかった。

天皇賞後、メジロモンスニーは高松宮杯(当時GII)で久しぶりの重賞制覇を飾ったが、その後故障がちとなり、翌年6月の高松宮杯で14着に敗れたのを最後に引退した。

引退後[編集]

引退後は1987年から種牡馬となったが、高崎オークスを制したティラミスなど地方競馬の重賞勝ち馬を出したにとどまり、1995年6月用途変更され[3]種牡馬を引退。以降は引退名馬繋養展示事業の助成対象馬になることもなく、消息は分かっていない。

競走成績[編集]

年月日 レース名 頭数 人気 着順 距離(状態 タイム 3F 着差 騎手 斤量 馬体重 勝ち馬/(2着馬)
1982 6. 13 札幌 新馬 8 4 04着 ダ1000m(良) 1:03.8 (39.6) 0.2秒 松田幸春 53 500 インターフリート
6. 26 札幌 新馬 7 1 03着 ダ1000m(稍) 1:02.7 (37.7) 0.2秒 松田幸春 53 492 タツノスマイル
7. 13 札幌 未勝利 5 1 01着 ダ1200m(良) 1:16.0 (39.1) 5身 松田幸春 53 494 (フルガード)
8. 1 札幌 北海道3歳S 16 14 05着 ダ1200m(良) 1:15.7 (39.4) 1.2秒 河内洋 53 498 マックスファイアー
10. 3 阪神 萩特別 12 4 01着 芝1400m(良) 1:23.0 (35.6) 1/2身 河内洋 53 504 カツラギエース
10. 24 京都 京都3歳S 6 1 02着 芝1400m(良) 1:25.0 (34.9) 0.2秒 河内洋 54 506 ルーキーオー
11. 27 京都 3歳S 7 1 01着 芝1600m(良) 1:36.5 (35.8) 1/2身 河内洋 55 514 (ルーキーオー)
12. 12 阪神 阪神3歳S 8 5 08着 芝1600m(良) 1:36.3 (36.6) 0.5秒 松田幸春 54 512 ダイゼンキング
1983 1. 9 京都 シンザン記念 7 1 01着 芝1600m(稍) 1:36.7 (37.5) 5身 清水英次 55 510 (サンエムヒーロー)
2. 13 中京 きさらぎ賞 7 3 05着 芝1800m(良) 1:50.6 (35.6) 0.5秒 清水英次 55 510 ニホンピロウイナー
3. 27 中山 スプリングS 14 7 04着 芝1800m(不) 1:53.2 (37.8) 0.7秒 清水英次 56 508 タケノヒエン
4. 17 中山 皐月賞 20 5 02着 芝2000m(不) 2:08.4 (39.7) 0.1秒 清水英次 57 502 ミスターシービー
5. 29 東京 東京優駿 21 2 02着 芝2400m(良) 2:29.8 (37.4) 0.3秒 清水英次 57 506 ミスターシービー
10. 2 阪神 神戸新聞杯 11 3 03着 芝2000m(良) 2:01.2 (35.9) 0.1秒 清水英次 56 510 スズカコバン
1984 10. 7 京都 京都大賞典 GII 8 4 06着 芝2400m(良) 2:28.4 (37.6) 2.6秒 清水英次 57 508 スズカコバン
12. 2 阪神 阪神大賞典 GII 10 6 08着 芝3000m(良) 3:08.6 (35.1) 1.1秒 清水英次 57 534 シンブラウン
1985 4. 14 阪神 大阪城S OP 8 5 01着 芝2500m(重) 2:36.1 (37.5) クビ 清水英次 58 522 (マルゼンスター)
4. 29 京都 天皇賞(春) GI 15 4 09着 芝3200m(良) 3:23.4 (39.1) 3.0秒 清水英次 58 516 シンボリルドルフ
6. 23 中京 高松宮杯 GII 16 4 01着 芝2000m(不) 2:03.5 (37.6) ハナ 清水英次 57 514 グローバルダイナ
1986 4. 29 京都 天皇賞(春) GI 16 4 15着 芝3200m(重) 3:28.7 (39.9) 3.3秒 清水英次 58 534 クシロキング
6. 22 中京 高松宮杯 GII 18 7 14着 芝2000m(良) 2:02.8 (38.4) 1.5秒 清水英次 57 532 ラグビーボール

※1984年よりグレード制による競走格付け開始。

血統表[編集]

メジロモンスニー血統(ブレニム系(ブランドフォード系) / Fair Trial 4x4=12.50%、 Fairway-Pharos 5×4.5.5=15.63%) (血統表の出典)

*リマンド
Remand
1965 栗毛 イギリス
父の父
Alcide
1955 鹿毛 イギリス
Alycidon Donatello
Aurora
Chenille King Salmon
Sweet Aloe
父の母
Admonish
1958 芦毛 アイルランド
Palestine Fair Trial
Una
Warning Chanteur
Vertencia

ドウヤアマミ
1974 鹿毛 日本
シンオンワード
1958 鹿毛 日本
トサミドリ *プリメロ
*フリッパンシー
*ホワイトソックス
Whitesox
Fair Trial
Path of Peace
母の母
*ヴァレンシアナ
Valenciana
1956 栗毛 フランス
Pharis Pharos
Carissima
Djama Djebel
Semiramide F-No.5-e

近親にメジロライデン京都ハイジャンプ優勝)、ホリスキー菊花賞優勝)がいる。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 本馬と同じ1980年生まれのメジロの馬には「TTEの愛称」が付けられ、本馬のほかに「メジロガイヤン」「メジロイリス」などがいる
  2. ^ この出遅れにより、1コーナーではミスターシービーは最後方の21番手で通過している。
  3. ^ メジロモンスニーが出走できなかった菊花賞では、ミスターシービーが優勝し三冠馬になっている。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q メジロモンスニー”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2022年8月17日閲覧。
  2. ^ 【リレーコラム】東京サンスポ~メジロ展とメジロ牧場のOB”. サンケイスポーツ. 2021年12月30日閲覧。
  3. ^ メジロモンスニー(JPN) - 血統書サービス、2022年8月17日閲覧。

参考文献[編集]

  • 瀬戸慎一郎『サラブレッド挽歌』講談社、1995年。ISBN 4-06-207636-5 

外部リンク[編集]