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ペドロ・レオン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ペドロ・レオン
名前
本名 ペドロ・レオン・サンチェス・ヒル
Pedro León Sánchez Gil
ラテン文字 Pedro León
基本情報
国籍 スペインの旗 スペイン
生年月日 (1986-11-24) 1986年11月24日(37歳)
出身地 ムラ
身長 183cm
体重 72kg
選手情報
在籍チーム スペインの旗 レアル・ムルシア
ポジション MF
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2004-2005 スペインの旗 レアル・ムルシアB 18 (4)
2005-2007 スペインの旗 レアル・ムルシア 68 (10)
2007-2008 スペインの旗 レバンテUD 24 (3)
2008-2009 スペインの旗 レアル・バリャドリード 33 (3)
2009-2010 スペインの旗 ヘタフェCF 35 (8)
2010-2013 スペインの旗 レアル・マドリード 6 (0)
2011-2013 スペインの旗 ヘタフェCF (loan) 42 (5)
2013-2016 スペインの旗 ヘタフェCF 93 (11)
2016-2021 スペインの旗 エイバル 113 (13)
2021-2022 スペインの旗 フエンラブラダ 39 (10)
2022- スペインの旗 レアル・ムルシア 35 (14)
代表歴
2007-2009  スペイン U-21 6 (1)
1. 国内リーグ戦に限る。2022年7月13日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ペドロ・レオン・サンチェス・ヒル(Pedro León Sánchez Gil、1986年11月24日 - )は、スペインムルシア州ムラ出身のサッカー選手レアル・ムルシア所属。ポジションはMF

自転車競技選手のルイス・レオン・サンチェスは実兄。

経歴

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2004年からレアル・ムルシアのユースチームに所属し、2005年にトップチーム昇格し、1月15日、UEリェイダ戦でプロデビューを果たした。2007年の夏、レバンテUDに移籍した。シーズン終了後にチームが2部に降格したことを受けて2008年9月1日、レアル・バリャドリードに移籍。2009年8月、移籍金400万ユーロでヘタフェCFに移籍した。

ここでの活躍から2010年7月16日、レアル・マドリードに移籍した。契約期間は6年。移籍金は明らかにされていないが、現地メディアによると1000万ユーロ(約11億2000万円)程度とされている。8月4日、親善試合のクルブ・アメリカ戦でデビューを果たした。しかしその後は先発の座をアンヘル・ディ・マリアに譲り、ベンチに座ることも多かった。9月26日のレバンテ戦に途中出場したレオンは、サイドに張り続けろという指示を無視してプレーし、更に翌日には「好感触を得た。次はレギュラーでプレー出来るかもしれない。」とコメントしたことがジョゼ・モウリーニョ監督の逆鱗に触れた[1]。 その後の試合で記者からペドロ・レオンを招集しなかった理由について問われた際、モウリーニョは「ペドロ・レオンはジダンでもマラドーナでもディ・ステファノでもない」と不快感をあらわにした[2]。これを受けて、移籍後間もないにも関わらずACミランへの移籍も取り沙汰された[3]。その後はモウリーニョとの関係は修復されたと報じられた。10月16日のマラガ戦で途中出場した。しかし最終的にはリーグ戦は6試合138分、CLは4試合175分、カップ戦は3試合106分の出場にとどまった。

アウェーで行われたチャンピオンズリーググループステージのACミラン戦では、1-2でリードを許していた後半ロスタイムにカリム・ベンゼマのパスから同点弾を挙げ、勝ち点の獲得に貢献。そのゴールは、レオンにとってクラブでの初得点でもあった。

2011年8月、古巣のヘタフェへレンタル移籍。500~600万ユーロでヘタフェが買い取り可能なオプションが付加されている。[4] 2016年7月、レアル・バリャドリード時代の恩師ホセ・ルイス・メンディリバルが監督を務めるエイバルへ移籍。

2021年6月28日、エイバルを契約満了によって退団した[5]

2021年8月1日、CFフエンラブラダに加入した[6]

2022年7月12日、プロサッカー選手としてのキャリアをスタートさせた古巣レアル・ムルシアに1年契約で加入した[7]

代表歴

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スペイン代表としてUEFA U-21欧州選手権2009に出場し、ゴールも記録した。

タイトル

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クラブ

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レアル・マドリード

脚注

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外部リンク

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