ティナ・ウェイマス
1977年10月、ミネアポリス | |
基本情報 | |
出生名 |
マルティナ・ミシェル・ウェイマス Martina Michèle Weymouth |
生誕 | 1950年11月22日(73歳)[1] |
出身地 |
アメリカ合衆国 カリフォルニア州コロナード[1] |
ジャンル | ニュー・ウェイヴ、ポスト・パンク、アート・パンク、ファンク |
職業 | ミュージシャン、アーティスト、作曲家、作家 |
担当楽器 | ボーカル, ギター, ベース, キーボード, シンセサイザー, |
活動期間 | 1975– |
レーベル | EMI, サイア・レコーズ |
マルティナ・ミシェル・ウェイマス (Martina Michèle Weymouth [1]、1950年11月22日[1] - )は、アメリカのミュージシャン、ベーシスト、シンガー、ソングライター、作家。ニュー・ウェイヴ・グループ、トーキング・ヘッズとトム・トム・クラブのオリジナル・メンバー。
夫はトーキング・ヘッズのドラマーでもあるクリス・フランツ[2]。
2002年、夫クリスと共にトーキング・ヘッズのメンバーとしてロックの殿堂入りを果たした[3]。 ローリング・ストーン誌が選んだ「史上最高のベーシスト50選」で第29位に選ばれている[4]。
生い立ち
[編集]1950年、ローラ・ブシェッジと米海軍副提督であるラルフ・ウェイマスの娘として、カリフォルニア州コロナードで生まれる[1] 。 トム・トム・クラブで共演しているラニ・ウェイマスとローラ・ウェイマス、フロリダ州ビーチタウンにある サルバドール・ダリ美術館の設計者である建築家のヤン・ウェイマスを含む7人の兄弟がいる。 母方の曽祖父はブルトン人の詩人、アナトール・ル・ブラズ[5][6]。
12歳のとき、ウェイマスはナンシー・タフツが指揮するアマチュア音楽グループであるポトマック・イングリッシュ・ハンドベル・リンガーに参加、共にツアーを行う。14歳の時に独学でギターの練習を始めた[7][8]。高校ではチア・リーディング部に所属していた[9]。
1971年に夫クリスと出会う。その1年後に恋仲へと発展し、1977年に結婚した[10]。
トーキングヘッズ
[編集]ロードアイランド・スクール・オブ・デザインの学生時代にクリスとデヴィッド・バーンに出会った。バーンとクリスは後にバンドを結成し、 ベーシストを探していた。 ウェイマスはクリスの要請でバンドに加わったが、当時はベースを演奏した経験がなく、加入後にベースの練習と演奏を始め、その5か月後にデビューとなった[9]。
ウェイマスは、 ワイヤーやペル・ウブなどのグループのミニマルなアート・パンクのベースラインとダンサブルなファンク風のリフを組み合わせて、トーキング・ヘッズのサウンドの基盤を作った[11]。ウェイマスのベースプレイはジェイ・Z、セレーナ・ゴメス等にサンプリングされており、ウェイマスのベースプレイ抜きでは「サイコ・キラー」、「バーニング・ダウン・ザ・ハウス」、「ワンス・イン・ア・ライフタイム」などの曲のグルーブはなかったとされる[12]。
ベーシストとしてはドナルド・ダック・ダン、ジェームズ・ジェマーソンの影響を受けている[13]。
ソニック・ユースのキム・ゴードン、ハイムのエスティ・ハイムはウェイマスの影響を受けたことを公言している[12]。
その他の音楽活動
[編集]トーキング・ヘッズの活動休止が長期にわたったため、ウェイマス、クリス、コンパス・ポイント・オールスターズが中心となり1980年にトム・トム・クラブを結成。
1990年半ばにトーキング・ヘッズのフロントマン、デヴィッド・バーンが新たなトーキング・ヘッズのアルバムを制作することに興味を示さなくなったことが明らかになった際、バーン以外のメインバーであるウェイマス、クリス、 ジェリー・ハリソンの3人が「ザ・ヘッズ(The Heads)」を名乗り、アルバム『ノー・トーキング、ジャスト・ヘッド』をリリースした。他バンドのボーカリストにボーカルを執らせる形式での活動だった。 ウェイマスはバーンについて「友情を取り戻すことのできない男」と彼を非難した[14]。
1992年、ハッピー・マンデーズの『Yes Please! 』を共同プロデュースした。またオルタナティブ・ロック のバーチャル覆面音楽プロジェクト、ゴリラズのトラック "『19-2000』にバッキング・ボーカルとパーカッションで参加している。
2002年、ウェイマスは、インディペンデント・アーティストのキャリアをサポートするための第2回インディペンデント・ミュージック・アワードの審査員を務めた[15]。
同年にはトーキング・ヘッズのメンバーとして夫クリスと共にロックの殿堂入りを果たしている。
2003年、チックス・オン・スピードのアルバム『99 Cents』に収録されたトム・トム・クラブの 「おしゃべり魔女」のカバーで、ル・ティグレのメンバーらと共演した[16]。
チックス・オン・スピードの 「おしゃべり魔女」はオランダのチャートで2位まで達し[17]、ベルギーのダンスチャートで5位[18]、英国シングルチャートでは7位を記録した[19]。
私生活
[編集]ウェイマスとクリス・フランツは1977年に結婚した。現在、コネチカット州フェアフィールド在住で、2人の息子がいる[20]。
姪のキャサリン・ウェイマスは 、ワシントン・ポストの最高経営責任者を務めた[21]。
使用楽器
[編集]- ヘフナー 500/2 クラブ・ベース [22] – 1978年に購入したシングル・カッタウェイ、ホロー・ボディ。2ピックアップモデル
- Veillette-Citron Standard 4ストリング–ネックスルー、ティール・グリーン
- フェンダー・ムスタング・ベース –初期のパフォーマンスで使用
- ギブソン・レスポール・トライアンフ・ベース -初期のパフォーマンスで使用
- Fender Jazz Bass – Tom Tom Clubのライブパフォーマンスで使用
- スタインバーガー Lシリーズベース– アルバム『リトル・クリーチャーズ』時代に見られる
- フェンダー・スインガー・ギター - 映像作品「Stop Making Sense」で、「ジス・マスト・ビー・ザ・プレイス」のパフォーマンスで使用
- チャップマン・スティック
脚注
[編集]- ^ a b c d e “Tina Weymouth”. IMDb. 2020年8月28日閲覧。
- ^ Barrett (October 20, 2011). “The 20 Most Underrated Bass Guitarists”. Paste Monthly. April 4, 2016閲覧。
- ^ “Talking Heads” (英語). Rock & Roll Hall of Fame. April 16, 2018閲覧。
- ^ “The 50 Greatest Bassists of All Time” (英語). rollingstone.com (2020年7月1日). 2021年12月27日閲覧。
- ^ Heritage-d'Anatole Le Braz aux talking heads dated August 31, 2012 at letelegramme.fr
- ^ Bowman, David (2001). This Must Be the Place: The Adventures of Talking Heads in the 20th Century. New York City: HarperCollins. p. 10. ISBN 978-0-380-97846-5
- ^ “Tina Weymouth”. Biography. June 7, 2018閲覧。
- ^ “Talking Heads - Tina Weymouth”. Spinterview. June 7, 2018閲覧。
- ^ a b stromatolite. “ティナ・ウェイマス(Talking Heads, TomTom Club)は、紅一点女性ベーシストの元祖。”. FLOATER'S WALTZ. 2020年8月27日閲覧。
- ^ Clarke, John (2013年7月4日). “Q&A: Tom Tom Club's Chris Frantz and Tina Weymouth Talk Marriage” (英語). Rolling Stone. 2020年8月28日閲覧。
- ^ Courogen, Carrie (2017年9月15日). “40 Years Later, Talking Heads’ Most Valuable Member Is Still Its Most Under-Recognized” (英語). PAPER 2018年9月26日閲覧。
- ^ a b “40 Years Later, Talking Heads’ Most Valuable Member Is Still Its Most Under-Recognized” (英語). PAPER (2017年9月15日). 2020年8月28日閲覧。
- ^ July 27th, in Music |. “The Genius of Tina Weymouth: Breaking Down the Style of Talking Heads and Tom Tom Club’s Basslines” (英語). Open Culture. 2020年8月28日閲覧。
- ^ Blackman, Guy (February 6, 2005). “Byrning down the house”. The Age June 1, 2007閲覧. "In March, 2007, Weymouth described Byrne as "a man incapable of returning friendship". She told Glasgow's Sunday Herald: "Cutting off attachments when a thing/person is perceived to have served its purpose or there is a perceived threat to ego is the lifelong pattern of his relations"."
- ^ “Past Judges”. Independent Music Awards. July 13, 2011時点のオリジナルよりアーカイブ。September 14, 2011閲覧。
- ^ Phares (2003年). “99 Cents – Chicks on Speed”. AllMusic. Rovi Corporation. February 26, 2011閲覧。
- ^ “www.top40.nl”. October 31, 2016閲覧。
- ^ “Ultratop.be – Chicks on Speed – Wordy Rappinghood” (Dutch). Ultratop. Ultratop & Hung Medien/hitparade.ch. February 26, 2011閲覧。
- ^ “The Official Charts Company – Chicks on Speed”. Official Charts Company. February 26, 2011閲覧。
- ^ “Tina Weymouth”. Nndb.com. September 14, 2011閲覧。
- ^ Ahrens, Frank (February 8, 2008). “Post Co. Names Weymouth Media Chief and publisher”. The Washington Post September 15, 2009閲覧. "She [Katharine Weymouth] is a niece of Tina Weymouth, the bass guitarist in the new wave band Talking Heads."
- ^ “Bass Player Magazine Interview with Tine Weymouth”. June 23, 2007時点のオリジナルよりアーカイブ。August 13, 2010閲覧。