ジェームス・ジェマーソン

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ジェームス・ジェマーソン
James Jamerson.jpeg
基本情報
原語名 James Jamerson
生誕 (1936-01-29) 1936年1月29日
死没 (1983-08-02) 1983年8月2日(満47歳没)
ジャンル R&Bソウルファンク
職業 スタジオ・ミュージシャン
担当楽器 エレクトリック・ベースアップライト・ベース
活動期間 1958年 - 1983年
レーベル モータウン
共同作業者 ファンク・ブラザーズ英語版
著名使用楽器
1962 フェンダー・プレシジョンベース

ジェームス・ジェマーソンJames Lee Jamerson1936年1月29日 - 1983年8月2日)は、アメリカベーシストアメリカ合衆国サウスカロライナ州チャールストン出身。

1960年代から70年代初頭における、モータウン黄金期のベーシストである。現代のポピュラー音楽において最も影響力のあるベーシストとして知られており、没後17年にあたる2000年にはロックの殿堂入りを果たしている。

来歴[編集]

サウスカロライナ州のエディストアイランドに生まれる。母親と共に移住したデトロイトベリー・ゴーディと出会い、1959年にはベーシストとしてモータウンを中心に活動していた。同時期にはジョン・リー・フッカーリフレクションズ英語版ウーゴ・モンテネグロ英語版ジョーン・バエズらのサポートも務めており、幅の広さを示している。

モータウン黄金期の代表曲として、シュープリームスの「恋はあせらず」、テンプテーションズの「マイ・ガール[1]フォー・トップスの「バーナデット」、マーサ&ザ・ヴァンデラスの「ダンシング・イン・ザ・ストリート」、スモーキー・ロビンソン&ミラクルズの「ゴーイング・トゥ・ア・ゴーゴー」など、多数の曲でベースを演奏している。しかし、モータウンのレコードにジェマーソンの名が初めてクレジットされたのは1971年の事だった。

モータウンは1972年にロサンゼルスへ移転する。ジェマーソンもロスへと移住したが、1973年にはモータウンを離脱することになる。モータウン離脱後のジェマーソンの仕事としては、シングルではグラディス・ナイトの「ニーザー・ワン・オブ・アス」(73)、シルバーズ英語版の「ブギー・フィーバー」(76)、マリリン・マックービリー・デイヴィス・ジュニア英語版の「星空のふたり英語版」(76-77)など、アルバムではロバート・パーマーの「プレッシャー・ドロップ」(75)、ワー・ワー・ワトソン英語版の「エレメンタリー」(76)、ブラッドストーン英語版の「ウイ・ゴー・ア・ロング・ウェイ・バック」(82)などがある。

ジェマーソンは酒豪であり、飲酒癖で健康を害していた。1983年、肝臓病のため死去。享年47歳。

ジェマーソンに影響を受けた奏者[編集]

ジェマーソンは多くのベーシストに影響を与えている。ファンクR&Bでは、バーナード・エドワーズ(シック)、ブーツィー・コリンズラリー・グラハム、フレッド・トーマス(JBズ)、ロバート・クール・ベル(クール・アンド・ザ・ギャング)、マーク・アダムス(スレイブ)、スティーブ・ワシントン(オーラ英語版)など。ロックではポール・マッカートニー、ゲイリー・セイン(ユーライア・ヒープ)、メル・サッチャー(グランド・ファンク・レイルロード)、アンディ・フレイザー(フリー)、ロジャー・グローヴァーなど。ジャズクロスオーバーでは、マーカス・ミラースタンリー・クラークチャック・レイニーなどが影響を受けている。息子のジェームス・ジェマーソン・ジュニアもベーシストだったが、2016年に死去している。

使用機材[編集]

ジェマーソンの使用していたダブル・ベースはドイツ製のアップライト・ベースである。10代だった頃にこれを手に入れ、モータウン時代にもメリー・ウェルズ英語版の「My Guy」 や、マーサ&ザ・ヴァンデラスの「Heat Wave」などのヒット曲で使用する。その後もアップライト・ベースを使用していたが、1960年に友人のホレス“チリ”ルースからエレクトリック・ベースを使うよう説得され、ホレスが所有していた1957年製のフェンダープレシジョン・ベースを譲り受ける。このベースはボディが黒に塗り直されており、"Black Beauty"と呼ばれていた。

ジェマーソンが自身のキャリアのほとんどを通して使い続けたのが、1962年製のサンバーストフィニッシュのプレシジョン・ベースである。Black Beautyは盗難に遭ってしまったため、これが彼にとって2本目のベースとなる。ピックアップ・フェンスとブリッジガードは、購入時と同じ状態で取り付けられている。演奏時のヴォリュームとトーンのノブは全開であった。このベースもジェマーソンの死の数日前に盗まれてしまい、現在も見つかっていない。彼はこのベースに"FunkMachine"と名付け、ネックのジョイント部分に「Funk」と刻み込んでいた。

弦はLa Bellaのヘヴィ・ゲージ(.052-.110)を使用していた。ジェマーソンはフラット・ワウンドの弦を張り、ほとんど変えることはなかった。指板からの弦高は非常に高く、アップライト・ベースの感覚に近づけていたと思われる。しかしあまりに弦高が高いがゆえに、このベースでの演奏をした者は誰しも「とても演奏できるセッティングではない」と言ったほどであった。このセッティングにより演奏が困難になる一方で、ジェマーソン本人はこれが良質のトーンを生み出すと考えていた。ブリッジの下にはスポンジを押し込み、サステインを減らす工夫をしていた。70年代に入り、プロデューサーより派手な音を得るためにラウンド・ワウンドの弦に変えるように言われたが、ジェマーソンはこれを拒否した。

ストイックな印象の強いジェマーソンだが、ベースとアンプをワイヤレスで接続する装置や、ハグストロームの8弦ベースを使うなど、新奇性を求めた逸話もいくつかある。また、生前にフェンダーの5弦ベースを所有しており、本人の死後、自宅に残っていたベースは前述のアップライトとこの5弦ベースであった。

クラブで演奏を行うときのアンプアンペグのB-15を使用していた。広い会場においては青色人工皮革張りの Kustom 社製15インチツイン・スピーカーアンプを使用していた。いずれのアンプにおいても、Bassのツマミは全開にし、Trebleのツマミは半分ほどしか上げなかった。レコーディング時には、ベースを直接ミキシング・コンソールのヘッド・アンプ部分に接続してレコーディングを行っていた。

演奏法[編集]

ジェマーソンがアップライト・ベースからエレクトリック・ベースへと転向する上で引き継がれたのが、自身のピッキング法である。ジェマーソンは右手の人差し指のみでピッキングを行い、小指はピックアップ・フェンスの上におき、親指で残りの弦をミュートした。このことから彼の右手人差し指には「ザ・フック」という愛称がつけられたほどである。1本指で複雑なフレーズを演奏できたのは、開放弦を多用していたことに加え、1回のストロークで複数の弦をピッキングするレイキングの技術に長けていたからだと考えられる。そのため、ほとんどのフレーズは5フレット以下のポジションで演奏したといわれる。ただし、曲によっては人差し指と中指のツーフィンガーで演奏することもあった。ワンフィンガー奏法を得意とするベーシストのチャック・レイニーは、ジェマーソンからツーフィンガー奏法を強く薦められたと述懐している。

脚注[編集]

出典[編集]