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サンドロ・ムナーリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
サンドロ・ムナーリ
1975年サンレモラリーでのムナーリ
1975年サンレモラリーでのムナーリ
基本情報
国籍 イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1940-03-27) 1940年3月27日(84歳)
WRCでの経歴
活動時期 19731984
所属チーム ランチア
フィアット
出走回数 36
チャンピオン回数 1 ( 1977 FIAカップ)
優勝回数 7
表彰台回数 14
ステージ勝利数 91
通算獲得ポイント 7
初戦 1973 ラリー・モンテカルロ
初勝利 1974 ラリー・サンレモ
最終勝利 1977 ラリー・モンテカルロ
最終戦 1984 サファリラリー
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サンドロ・ムナーリSandro Munari1940年3月27日 - )は、イタリア出身の元モーターレースドライバー、元ラリードライバー。ランチア・ストラトスを駆りラリー・モンテカルロを3連覇し、「ドラーゴ・ディ・カヴァルツェレ」(カヴァルツェレのドラゴン: Il Drago di Cavarzere)と呼ばれた。

経歴

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ムナーリのグループ5ランチア・ストラトス・ターボ2005年グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードにて)

ヴェネト州カヴァルツェレで生まれたサンドロ・ムナーリは1965年にラリーを始め、フィアット及びランチアチームに加わると1967年1969年イタリア・ラリー選手権を制覇、1973年ヨーロッパ・ラリー選手権タイトルを成し遂げる。

ムナーリにとってラリー・モンテカルロは特別なラリーラウンドのひとつとなる。初出場は1966年。新参であるもののランチアチームを最上位へと引っ張る力は事実チェーザレ・フィオリオの目に留まり、一手にオファーを受ける事となったが、1968年、ムナーリにとって生涯忘れる事の出来ない悲劇を経験する。アテネからモナコへと向かうモンテカルロ特有のコンサントラシオン中、助手席で仮眠をとっていたムナーリは翌日に目覚めると、そこは病院のベッドの上。一般車との衝突でランチア・フルヴィアHFを運転していたコ・ドライバーであるルチアーノ・ロンバルディは死亡。ムナーリ自身も重傷を負うアクシデントとなる。一度は1967年限りで引退を決めていたロンバルディであったが、「ムナーリのために」と挑んだ最後の一戦での出来事であった[1]。しかしそれでもムナーリはラリーをやめることはなかった。

彼はランチアのラリー・アイコン、「ランチア・ストラトス」としばしば結び付けられる。1971年、ストラトスの開発ドライバーとして組み入れられ、様々な意見を寄せると1972年は更にフルヴィアHFで初のメジャーラリーであるラリー・モンテカルロを制し、ストラトスの熟成が進むと1973年にツール・ド・フランス・オートモビルを制す。その後このイタリア車とイタリア人ドライバーのコラボレーションは計7回WRC優勝を果たし、1976年開幕戦ラリー・モンテカルロ[2]ではエースのムナーリ、そしてストラトス使いとして名をはせるビョルン・ワルデガルドと、ベルナール・ダルニッシュにワークス・ストラトスが託される。ラリーでムナーリのストラトスは他の追随を許さない速さを見せ付け、ムナーリが優勝、ワルデガルド、ダルニッシュの順に1-2-3フィニッシュを果たし、時にはギャンブル性が孕むタイヤチョイス面においても、75、76、77年モンテカルロ3連覇と言う快挙を成し遂げ、ストラトスと共にスタードライバーとしての黄金期を歩む。1976年のワルデガルドとの確執[3]による移籍でフォード・エスコートRS1800と対峙する事になったその後、1977年FIAカップ・ラリードライバーズタイトルも手中に収める。

ランチアが看板を掛け替えたフィアットとなってからはフィアット 131 アバルトをドライブ。1979年ツール・ド・コルス3位、1980年ラリー・コートジボワールで6位となった。

1981年からはワークスを離れ、1984年サファリラリーまではプライベーターとしてそれぞれダッジ・ラムチャージャーポルシェ・911SCアルファロメオ・GTV6トヨタセリカ・ツインカムターボと多彩な車種で挑んだが、それぞれリタイアに終わった。

レース

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ラリーストとしての活躍が知られるが、サーキットレースでのスキルも持ち合わせている。スポーツカー世界選手権であるタルガ・フローリオを、ランチアラリーチームの母体(地元有力ディーラーチームからのスタート)であるチェーザレ・フィオリオ率いるランチア・HFスクアドラコルセがそれまでのランチア・フルヴィアHFでラリーワークスドライバーをスポット的に走らせていた経緯上[4]1970年より起用されていたムナーリは1972年、フィオリオが代行指揮をとるフェラーリに引き寄せられ、アルトゥーロ・メルツァリオと組みフェラーリ 312P/Bを駆り、タルガで勝利を収める。後述する1973年にプロトティーポとして走る事になる開発途上のストラトスへ搭載するエンジン獲得の為の勝利でもあった。

73年にストラトスで2位を収めた以降、ヨーロッパ中のサーキットを巡るジーロ・デ・イタリアをも制すとその後のラリーでの活躍は決してフロックではない事を証明していくこととなる。1977年にもターボ化し、Gr.5に発展したストラトスでも勝利を挙げる。

戦績

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タイトル

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タイトル 搭乗車
1967 イタリア・ラリー選手権 ランチア・フルヴィア 1.3 クーペ HF
1969 イタリア・ラリー選手権 ランチア・フルヴィア 1.3 クーペ HF
1973 ヨーロッパ・ラリー選手権 ランチア・フルヴィア 1.6 クーペ HF
1977 FIA カップ ランチア・ストラトス HF

世界ラリー選手権での勝利

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# イベント シーズン コ・ドライバー 搭乗車
1 イタリアの旗 第16回 ラリー・サンレモ 1974 イタリアの旗 マリオ・マヌッチ ランチア・ストラトス HF
2 カナダの旗 第3回 リドー湖ラリー 1974 イタリアの旗 マリオ・マヌッチ ランチア・ストラトス HF
3 モナコの旗 第43回 ラリー・モンテカルロ 1975 イタリアの旗 マリオ・マヌッチ ランチア・ストラトス HF
4 モナコの旗 第44回 ラリー・モンテカルロ 1976 イタリアの旗 シルヴィオ・マイガ ランチア・ストラトス HF
5 ポルトガルの旗 第10回 ラリー・ド・ポルトガル・ヴィーニョ・ド・ポルト 1976 イタリアの旗 シルヴィオ・マイガ ランチア・ストラトス HF
6 フランスの旗 第20回 ツール・ド・コルス - ラリー・ド・フランス 1976 イタリアの旗 シルヴィオ・マイガ ランチア・ストラトス HF
7 モナコの旗 第45回 ラリー・モンテカルロ 1977 イタリアの旗 シルヴィオ・マイガ ランチア・ストラトス HF

世界ラリー選手権リザルト

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シーズン チーム 搭乗車 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 ランキング ポイント
1973 Lancia Lancia Fulvia 1.6 Coupé HF MON
Ret
SWE POR KEN MAR GRC POL FIN AUT ITA USA FRA GBR - -
1974 Lancia Lancia Fulvia 1.6 Coupé HF POR KEN
3
FIN - -
Lancia Stratos HF ITA
1
CAN
1
USA
Ret
GBR
3
FRA
1975 Lancia Alitalia Lancia Stratos HF MON
1
SWE KEN
2
GRC MAR POR FIN ITA
Ret
FRA
Ret
GBR
Ret
- -
1976 Lancia Alitalia Lancia Stratos HF MON
1
SWE POR
1
KEN
Ret
GRC MAR
3
FIN ITA
2
FRA
1
GBR
4
- -
1977 Lancia Alitalia Lancia Stratos HF MON
1
SWE POR KEN
3
NZL GRC FIN CAN ITA
Ret
FRA
Ret
GBR
25
- -
1978 Lancia Pirelli Lancia Stratos HF MON
Ret
SWE GBR
Ret
- -
Fiat Alitalia Fiat 131 Abarth POR
Ret
KEN GRC
Ret
FIN CAN ITA
Ret
CIV FRA
3
1979 Fiat Alitalia Fiat 131 Abarth MON SWE POR KEN
10
GRC NZL FIN CAN ITA FRA GBR CIV 73 1
1980 Fiat Italia Fiat 131 Abarth MON SWE POR KEN GRC ARG FIN NZL ITA FRA GBR CIV
6
36 6
1981 Sandro Munari Dodge Ramcharger MON SWE POR KEN
Ret
FRA GRC ARG BRA FIN ITA CIV GBR - 0
1982 Sandro Munari Porsche 911 SC MON SWE POR KEN
Ret
FRA GRI NZL BRA FIN ITA CIV GBR - 0
1983 Autodelta Alfa Romeo GTV6 MON SWE POR KEN
Ret
FRA GRC NZL ARG FIN ITA CIV GBR - 0
1984 International Casino Toyota Celica TCT MON SWE POR KEN
Ret
FRA GRC NZL ARG FIN ITA CIV GBR - 0
結果
金色 優勝
銀色 2位
銅色 3位
ポイント圏内完走
青灰色 ポイント圏外完走
WRCアカデミー完走 (Aca)
リタイヤ (Ret)
除外 (EX)
失格(DSQ)
スタートせず (DNS)
空白 エントリーせず (WD)
  • 1973 - 1976年はコンストラクターズ選手権のみ開催。
  • 1977、1978年シーズンは、FIA カップ・ラリードライバー( FIA Cup for Rally Drivers )が WRC 全イベントの他に 10 のイベントも含めて争われた。

参考文献

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脚注

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  1. ^ 三栄書房「ラリー&クラシックス Vol.4 "竜王"の君臨」より
  2. ^ 京商モデルカー 1/18スケール「LANCIA STRATOS HF 1976 Rally Monte Carlo Winner」付属インストラクションより。
  3. ^ ビヨン・ワルデガルド#1.経歴参照。
  4. ^ * Formula 2 Register Targa Florio Results[リンク切れ](英語) 参考 -2011年4月20日閲覧。