Template‐ノート:和暦/過去ログ3

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Template:Jdate: subst対応の正式化[編集]

#Template:和暦: subst対応の正式化で{{和暦}}がsubst対応で正式化されましたが、あわせて{{Jdate}}も{{Jdate/sandbox}}を{{Jdate}}に反映させたいと考えています。反対者がいなければ来週末あたりに反映させようと思います。--Goki 2010年8月11日 (水) 03:37 (UTC)

  • 賛成 賛成します。一応Jdateのページに{{告知}}を貼っておきました。--新幹線 2010年8月13日 (金) 01:24 (UTC)
  • 賛成 現サンドボックスのsubst対応版を使って不具合を経験したことはありません。反対する理由はないので賛成します。--Hatukanezumi 2010年8月13日 (金) 13:56 (UTC)
  • コメント もし反映させることになった場合の注意点を念のために一つ。Jdate 内部で使用されている別のテンプレート(/year, /number)がありますので、全てを反映して下さい。その際、/sandbox 用に呼び出すテンプレート名をそれぞれ変えているので、その名前も修正して下さい。--Frozen-mikan 2010年8月15日 (日) 18:31 (UTC)
  • 反対 もし今回の提案者が、本文中にテンプレートが存在していることのみを問題視しているというのであれば、一人の人物の主張として矛盾はないとは思います。(もちろん私の主張とは異なっていますが。)
しかし今回の提案者は、単に本文中にテンプレートが存在していることを問題視しているのみならず、テンプレートのリンクの在り方、新暦旧暦のずれ、改元の問題について再三に渡って苦情を言い続けて来た人物です。このような人物が今回のような提案をすることは私には全く理解ができません。--Lincun 2010年8月19日 (木) 13:06 (UTC)
  • コメント Lincunさんが「苦情」として列挙された提案者の主張は、ひとつひとつに根拠があり、検討する必要があることだと考えます。また提案者は、テンプレートの現在のありかたがウィキペディアでの編集活動を行う利用者にとって負担を増すと主張してきたのですから、それが「苦情」になるのは当たり前のことです。
    もっとも、「苦情」ばかり述べて自分で改善しようとしないひとがいれば「不平不満ばかり言って何もしない」という批判もしかたがないかもしれません。が、今回は具体的な改善策を提案しているのではないですか。提案そのものについて意見をいただけないでしょうか。--Hatukanezumi 2010年8月19日 (木) 13:20 (UTC)
  • コメントLincun氏の反対票は「単なる嫌がらせ」と認識しました。来週再提案しますが、今度は「subst化そのもの」に対する具体的な問題点(もう何度も書いていることですが、手続き上の問題点については何を言われても無視しますのであしからず。)があがらない限り、反対票とはみなしませんのでご了承ください。--Goki 2010年8月20日 (金) 03:59 (UTC)
  • コメント 来週再提案ということなので、今週末に誤記への対応もしとこうとおもいます。--Hatukanezumi 2010年8月20日 (金) 13:08 (UTC)
    • 報告 対応しました[1]テストケースも作成しましたので確認願います (subst展開時の動作も確認よろしく)。
      反映する際の注意。●ソース中にテンプレート自身の名前を参照している箇所があります。サンドボックスで「jdate/sandbox」となっている箇所は反映の後に「jdate」に置き換えてください。●/year、/numberについては上の注意のとおり反映が必要です。●内部テンプレート /validate は新設ですので反映にともなう作業はありません。--Hatukanezumi 2010年8月21日 (土) 11:34 (UTC)
      • 様々なパターンのエラーに対する例外処理をえらい労力を以って設計してくれたのですね。ご苦労なことです。しかし、もともと赤字でのエラーメッセージが表示されるような場合や、明らかに異常な年号表示がなされる場合について、わざわざ改めて独自のエラー表示を発生させる必要があるとはとても思えません。ウィキペディアでは何十もの引数を想定したテンプレートがざらにありますが、ありとあらゆる事態に備えてエラー処理を用意しているものは見たことがありません。むしろここまで多数の例外処理を設定することの方が、無駄にテンプレートのソースを複雑化させることになり、テンプレートのメンテナンスの観点からは避けるべき手法だと考えています。ところでHatukanezumiさんは、起こりうるエラーについて相当綿密に対応しているという御自負もおありかも知れませんが、あなたやGokiさんによってしつこく指摘されいた問題点として、改元の問題、例えば「平成元年」と表示させなければいけないところを「昭和64年」と表示させてしまうエラーや、リンクが強制的に発生させてしまうという問題については全く有効な処置は採られていません。これらの点について、あなたがたは依然として主張に矛盾を抱えている状態にあります。お二方はこれらについてどう辻褄を合わせるつもりであるのか是非ご説明願いたいところです。なお、「#検証が必要な年代表示への対応の提案」のような、すでに問題なく表示されている箇所の表示内容を変えてしまうようなあまりにも現実から乖離した処置については予め反対しておきます。--Lincun 2010年8月21日 (土) 13:46 (UTC)
        • 今回のは誤記への対応であって、検証が必要な年代表示に対する対応ではありません。言い換えると、前者は仕様の範囲外の入力によって起こる問題であり、後者は仕様そのものによって起こる問題です。--Hatukanezumi 2010年8月21日 (土) 16:23 (UTC)
          • 昭和64年と平成元年のどちらを表示させるかはテンプレートの使用者が責任を負って処理すべきであるというのは従来からの私の主張なのですが、そうではなく、テンプレートの使用者の誤使用を許すテンプレート側に致命的な欠陥があると大暴れをされてきたのはそちらの御両人だったはずです。一方、あなた方の主張通り、テンプレートのsubst対応化をすれば、誤使用がなされていても、テンプレートが目印となって問題箇所を発見しやすいという現状を、ウィキペディア日本語版の全文章を検索しなければ問題箇所を見つけられないという状況に陥らせることになります。自分の言っていることが変だなとは思わないんでしょうか。--Lincun 2010年8月22日 (日) 02:22 (UTC)
  • 報告 {{jdate}}は旧暦年の引数を想定していないわけですが、これらは今回のサンドボックス反映によって「誤記」と扱われるようになります。該当する使用例について検証をしています (Template‐ノート:和暦/利用実態調査#誤記)。紙の文献を参照する必要のあるものが20記事ほど残っていますが、これについてもおいおい検証します。ので、テンプレートのサンドボックス反映の提案についてはすすめてください。--Hatukanezumi 2010年8月25日 (水) 16:44 (UTC)
  • (コメント)私が作業を行うのはやめます。理由はどのバージョンを採用すればよいのか整理できないためと私が修正すると文句を言ってくる利用者が少なくとも2名いるためです。あまりにもあほくさい争いはするつもりはありません。また、個別の記事に対するsubst展開については罵倒が続く限りやめません。--Goki 2010年9月3日 (金) 02:35 (UTC)
    • (追記)私が作業すると私の過去の行動(なお、「同じことを何度も聞いてくるしつこい輩(今のところは2名)」以外はすべて説明済みで必要あれば謝罪もしているという認識です。)にからめて他の方々の作業に影響してしまうという意図です。--Goki 2010年9月5日 (日) 05:48 (UTC)

報告 混乱させて申し訳ない。subst対応と、上記の誤記対応をあわせて導入しました。テストケースなどで問題がないかどうか確認ください。

今後は、subst展開にサンドボックスのものを使わないようにしてください ({{subst:jdate/sandbox|…}}しない)。新たな修正をしている最中に使うと、なにが起こるかわかりません。

ついでに、誤記対応の結果で興味深いのは、平年 (閏年でない) の「2月29日」がみつかったことです[2][3]。会社設立登記や法政令ではこういうのもありなの? それとも単なる間違い? --Hatukanezumi 2010年9月11日 (土) 01:53 (UTC)

情報 今回のHatukanezumi氏の編集は、合意が形成されていないという理由でLincun氏により差し戻され、管理者伝言板に荒らしとして報告されました。同時にJdateに対する保護依頼も同一人物によって提出されています。--新幹線 2010年9月11日 (土) 12:02 (UTC)

再提案[編集]

節分け--新幹線 2010年11月30日 (火) 07:46 (UTC)

(インデント戻します)保護依頼が終了したので、再度合意形成に向けて議論を開始したいと思います。

誤記対応については特に反対意見はないようですが、subst機能追加についてはLincunさんが唯一反対なさっています。その理由は#subst展開について節で 2010年9月1日 (水) 13:37 (UTC) に発言されています。そこでは、テンプレートを展開せずに用いるメリットを3つ挙げています。

  • 和暦併記が容易にできること西暦と和暦が一致しないというエラーを回避できること → substしてもその機能は失われません。
  • リンクのマークアップが伴われやすい年月日の部分が簡略化されることでウィキテキストの見通しが向上すること → テンプレートのままにしても大して簡略化されませんし、むしろ暗号のような状態のままにすることによるデメリットの方が大きいと思います。

その他、以下のような意見を挙げています。

  • 複雑なテンプレートに手を入れることでエラーが発生する懸念がある → 複雑なテンプレートに手を入れることはごくごく自然に行われていることですし、エラーが起きないように事前のテストも行われています。「発生する確率がほとんど無いエラー」のためにテンプレートの改善が禁止されるというのは、どう考えてもおかしいです。
  • subst用のテンプレートを別名のテンプレートで用意したところで問題はない → 似たようなテンプレートが複数あればメンテナンスが面倒になりますし、利用者側にとってもsubst用テンプレートとそうでないテンプレートを使い分けるのは面倒です。
  • subst展開をしてしまえば、テンプレートという目印を失うことで問題となる箇所を見つけにくくすることになる。Hatukanezumi氏は後になってから、出力の「エラー」の問題について解決策を提示してきたが、順序が全く逆であるし、むしろ subst対応化を急いだことに別の思惑でもあるのではないかと勘繰られても仕方がない状況にあると思われる。Template‐ノート:和暦/利用実態調査があるから、テンプレートが展開されても問題箇所が見つけにくくなることはありません。また、やろうと思えば西暦を全文検索すれば誤りを探すことができます。

以上、Lincunさんの 2010年9月1日 (水) 13:37 (UTC) のご意見に反論しました。これに対して反論がある場合は是非投稿して下さい。元々、ほぼ合意形成された状態だと思いますので、1週間程度反論がない場合は合意が形成されたとみなし、Jdateを再度差し戻してsubst対応と誤記対応を行います。--新幹線 2010年9月12日 (日) 13:14 (UTC)

まだやるんですか? 一応新幹線さんの反論に反論しておきます。

  • 和暦併記が容易にできること、西暦と和暦が一致しないというエラーを回避できること → substしてもその機能は失われません。→ subst展開をしてしまうと、通常の手段で加筆された年月日と区別ができず、その箇所の情報の正確さについての信頼度は低下します。また、subst展開後、誰かが誤って数字を書き換えてしまう可能性もないわけではありません。
  • リンクのマークアップが伴われやすい年月日の部分が簡略化されることでウィキテキストの見通しが向上すること → テンプレートのままにしても大して簡略化されませんし、むしろ暗号のような状態のままにすることによるデメリットの方が大きいと思います。 → テンプレートを用いれば相当簡略化できていると私は考えています。また、これが「暗号のような状態」と感じられる方もいるでしょうが、そういう方はあらゆるテンプレートについて「暗号のような状態」と感じていると思われます。
  • 複雑なテンプレートに手を入れることでエラーが発生する懸念がある → 複雑なテンプレートに手を入れることはごくごく自然に行われていることですし、エラーが起きないように事前のテストも行われています。「発生する確率がほとんど無いエラー」のためにテンプレートの改善が禁止されるというのは、どう考えてもおかしいです。 → メリットが乏しいと思われることについては、許容できるリスクのレベルについても厳しいものが求められます。
  • subst用のテンプレートを別名のテンプレートで用意したところで問題はない → 似たようなテンプレートが複数あればメンテナンスが面倒になりますし、利用者側にとってもsubst用テンプレートとそうでないテンプレートを使い分けるのは面倒です。 → 冒頭に「subst」と入れるわけですから、「jdate」の部分を多少変更したところでさほどの混乱が起きるとも思えません。そもそもjdateについて、直接並びにsubst展開の両方の使い方をする人はあまりいるとも思えません。
  • subst展開をしてしまえば、テンプレートという目印を失うことで問題となる箇所を見つけにくくすることになる。Hatukanezumi氏は後になってから、出力の「エラー」の問題について解決策を提示してきたが、順序が全く逆であるし、むしろ subst対応化を急いだことに別の思惑でもあるのではないかと勘繰られても仕方がない状況にあると思われる。 → Template‐ノート:和暦/利用実態調査があるから、テンプレートが展開されても問題箇所が見つけにくくなることはありません。また、やろうと思えば西暦を全文検索すれば誤りを探すことができます。 → jdateがすでに使用されている箇所を置き換える分についてはTemplate‐ノート:和暦/利用実態調査がおおよそ捕捉しているのでしょうが、新規にかつsubst展開で加筆された箇所については、全文検索を以ってしか捕捉は不可能です。そもそも全文検索をやるとなると、相当面倒な作業になると思うのですが、きちんとやってくれるあてでもあるのでしょうか。--Lincun 2010年9月15日 (水) 14:38 (UTC)
(追加)ところで、新幹線さんは、Hatukanezumi氏による今回のJdateの改変について、実際にどのような変更がなされたのか完全に把握していますか。--Lincun 2010年9月15日 (水) 15:17 (UTC)
  • 賛成 もともとの提案、また新幹線さんの提案にも賛成します。和暦テンプレートのsubst化でも特に問題は報告されていないのに、まだエラーの可能性だけを言い立てるのは理にかないません。これだけ期間があるのですから、具体的な指摘があってしかるべきです。可能性を言うだけの反対が続くなら、ラフな合意ができたものとみなし、Lincunさんの反対を押し切る形で、修正を実施してよいと思います。
ちなみに、エラーの具体的指摘ができれば、修正もできるわけですから、それを理由に延々と反対を続けることはできません。間違っていれば直せばいい。我々はそうやってウィキペディアを構築してきたのですから。間違っていれば全部停止という態度では、ウィキペディアも、プログラムも作れません。間違っているかもしれないから全部停止というのはさらにその下をいく下策です。
Lincunさんは別名での導入を求めていますが、同じ機能のテンプレートがいくつもあるのが不都合なのは、当たり前すぎるくらい当たり前のことです。手間を省くためにテンプレートを使うのに、あれこれ使い分けさせられて手間が増えるのでは利便性が低下します。具体的指摘なしにエラーがあるかもというだけでは、はっきりした不利益を導き入れる理由にはなりません。
なお、jdateが引き起こす間違いを重視するなら、むしろjdateの廃止を唱えるのが筋です。私はそれに反対しません。そうでなければ、subst義務化に賛成すべきでしょう。subst義務化の良い点の一つは、本文から一掃されることで単なる真似ができなくなり、必ずテンプレートの解説を読んで使うようになることです。今回の修正はsubst展開を可能にするだけですが、subst使用は見よう見まねではできないので、使用者は何らかの形で問題を把握していると期待できます。--Kinori 2010年9月17日 (金) 12:54 (UTC)

(ここにあった議論は#再々提案に移動しました)--新幹線 2010年11月30日 (火) 07:46 (UTC)

Kinoriさんにも同じ質問をします。Kinoriさんは、Hatukanezumi氏による今回のJdateの改変について、実際にどのような変更がなされたのか完全に把握していますか。--Lincun 2010年9月22日 (水) 13:51 (UTC)
そうだった、元々解説を読まずにテンプレートが利用されるのを防ぐためにsubst展開が提案されたんだっけ、議論が長期化していたためすっかり忘れていました。
  1. subst展開をしてしまうと、通常の手段で加筆された年月日と区別ができず、その箇所の情報の正確さについての信頼度は低下します。また、subst展開後、誰かが誤って数字を書き換えてしまう可能性もないわけではありません。 → 長期間、subst非対応の状態で使用され続けたテンプレートですし、subst対応になってもこれまで通り非substでも使えますから、テンプレートの解説を見る人でないとsubst展開対応になったことは気付かないでしょう。解説を読む人ならテンプレートの仕様を理解していると思われますから、不適切なsubst展開がされることはまずないでしょう。また、subst展開後に誤って年数が書き換えられる可能性もありますが、これは手で入力された年にも言えることです。年数を手で直接入力されることが推奨されない限り、このデメリットは黙認されるべきでしょう。
  2. テンプレートを用いれば相当簡略化できていると私は考えています。また、これが「暗号のような状態」と感じられる方もいるでしょうが、そういう方はあらゆるテンプレートについて「暗号のような状態」と感じていると思われます。 → {{Jdate|2010|9|23}} と [[2010年]]([[平成]]22年)[[9月23日]]の差ですよね?せいぜい10文字程度しか簡略されておらず、目立った簡略効果があるとは思えません。また、本文中に暗号が存在するのと、本文の外に暗号が存在するのでは事情が異なります。
  3. メリットが乏しいと思われることについては、許容できるリスクのレベルについても厳しいものが求められます。 → メリットが乏しいとは思いません。
  4. 冒頭に「subst」と入れるわけですから、「jdate」の部分を多少変更したところでさほどの混乱が起きるとも思えません。そもそもjdateについて、直接並びにsubst展開の両方の使い方をする人はあまりいるとも思えません。 → refタグの内部などsubst展開出来ない場所もありますから直接並びにsubst展開の両方の使い方をする人は相当数いると思います。
  5. jdateがすでに使用されている箇所を置き換える分についてはTemplate‐ノート:和暦/利用実態調査がおおよそ捕捉しているのでしょうが、新規にかつsubst展開で加筆された箇所については、全文検索を以ってしか捕捉は不可能です。そもそも全文検索をやるとなると、相当面倒な作業になると思うのですが、きちんとやってくれるあてでもあるのでしょうか。 → 上述の理由により新たに不適切なsubst展開がされる可能性は低いでしょう。
  6. ところで、新幹線さんは、Hatukanezumi氏による今回のJdateの改変について、実際にどのような変更がなされたのか完全に把握していますか。 → ソースの意味は理解できました。{{Jdate/validate}}でエラーが検知されなかった場合のみテンプレートを動作させ、エラーが検知された場合は、substが使用された場合は再度テンプレートの構文を、substが使用されない場合はエラーメッセージとエラーカテゴリを呼び出すようです。--新幹線 2010年9月23日 (木) 07:42 (UTC)
解説を読む人ならテンプレートの仕様を理解していると思われますから、不適切なsubst展開がされることはまずないでしょう。→ それはあなたの希望ですね。わずかでも問題が起きる可能性があるのであればそれを全て潰そうと躍起になられてきたのは、そちら側の方々ですよね。
また、subst展開後に誤って年数が書き換えられる可能性もありますが、これは手で入力された年にも言えることです。年数を手で直接入力されることが推奨されない限り、このデメリットは黙認されるべきでしょう。→ 手入力で西暦と和暦が一致しないものが実際にはかなりあります。ですから、私が懸念しているのはまさに信頼度が手入力のものと同等になってしまうことそのものなのです。
せいぜい10文字程度しか簡略されておらず、目立った簡略効果があるとは思えません。→ あなたの感覚ではそう感じることは分かりました。しかし、私はJdateを使うことで文章の見通しが良くなっていると感じています。
また、本文中に暗号が存在するのと、本文の外に暗号が存在するのでは事情が異なります。→ いつのまにか、Jdateが暗号ということになっていますが、今のところJdateが暗号だなどと言っているのはあなただけなんですけれども。まあ、結論ありきの方々がその見解に追随する可能性はありますが。暗号という表現はいささか誇張が過ぎると思いますが、初心者にとってJdateがとっつきにくいものである可能性は皆無だとは思っていません。しかし、Jdate以外にもウィキペディア独自のマークアップは現に多くの場所で使われており、脚注のテキストをそのまま本文のテキスト中に埋め込んでしまうrefタグなどは、ときとして脚注に相当するテキストが相当長い場合もあり、これをJdateなどより遥かに煩わしいと感じている人は少なくないと思います。初心者にとって障害となりうるものを排除すべく運動している方がその一環としてJdateを問題視するのならまだ理屈は分かるのですが、ひたすらJdateのことばかりを槍玉に挙げる方々の感覚が私には理解できません。
メリットが乏しいとは思いません。→ あなたの感覚ではそう感じることは分かりました。
refタグの内部などsubst展開出来ない場所もありますから直接並びにsubst展開の両方の使い方をする人は相当数いると思います。→ これはrefタグのバグですから、Jdate云々以前に解決すべき問題ではないですか?
ソースの意味は理解できました。「Jdate/validate」でエラーが検知されなかった場合のみテンプレートを動作させ、エラーが検知された場合は、substが使用された場合は再度テンプレートの構文を、substが使用されない場合はエラーメッセージとエラーカテゴリを呼び出すようです。→ 私が問題視しているのは、何を以って「エラー」としているのかということなのです。それをここで全部言ってみてください。Hatukanezumi氏はここでも余計なことをしていますから。--Lincun 2010年9月23日 (木) 09:12 (UTC)
信頼度が手入力と同等になってしまうことに懸念を感じているということは、既に手入力された年もテンプレートに置き換えるべきということですね。その意見これに多くの方(この議論の参加者の大半)が賛成するのであれば、私もそれに追従しましょう。ただしその場合はリンクの有無を選択する機能などを付ける必要があり、簡略効果が十分に得られないばかりか、直に書くより煩雑になってしまうこともあると思います。--新幹線 2010年9月23日 (木) 13:05 (UTC) 表現修正 --新幹線 2010年9月23日 (木) 13:32 (UTC)
(追加)何をもって「エラー」としているか、テンプレートの条件分岐に従って書きます。
  • 西暦年が入力されていない場合→エラー
  • 西暦年が入力されている場合
    • 西暦年が数値でない場合→エラー
    • 西暦年が数値である場合
      • 西暦年が1872より大きい場合
        • 月日が空の場合→正常
        • 月が「*」、日が空の場合→正常
        • そうでない場合
          • 月が数値の場合
            • 日が空の場合→正常
            • 日が「*」の場合→正常
            • そうでない場合
              • 不正な日付が入力されている場合→エラー
              • そうでない場合→正常
--新幹線 2010年9月23日 (木) 13:18 (UTC)
> 信頼度が手入力と同等になってしまうことに懸念を感じているということは、既に手入力された年もテンプレートに置き換えるべきということですね。
いいえ、全く違います。新しくものを作成しようとする場合、信頼度の高いものとそうでないものの2種類があったとして、それらを作成するのにかかる労力が等しいのであれば、普通であれば前者を選ぶのがまともだということを言っているわけです。すでにあるものを作り変えるとなれば、そこに新たな労力を要することになり、それが新たに得られる信頼性というメリットに匹敵するものかといえば、私はそうは思いませんので、年号日付の一律のJdate化の必要はないと思っています。それにしても、Jdateの方が信頼度が高いと言う私の発言からこういう話に持ってくるというのは、ちょっと短絡的過ぎないでしょうかね。
何を以って「エラー」としているのか、という話ですが、最大の問題は議論もなく西暦1872年以前をエラー扱いしていることです。これは完全に合意手続きが蔑ろにされているという証でしょう。
また、これ以外について、引数が適切な文字列か、あなたにはどうやら理解できなかったようですが、小数であるか否かまでチェックしています。さらに引数が整数であることが確認されると、それがユリウス暦としてありえる日付かを厳密にチェックしています。ここで篩いにかけられるエラーは、本文において表示されても普通に日本語を理解する人が見れば年号日付としてまともではないということが誰でも分かるようなレベルのものです。私はテンプレートについてはどう動いているのかできるだけ多くの人が把握できることが望ましいと考えているので、今回のようにくだらないことで延々とコードを書き重ね、無駄に複雑化させてしまうと、作成者であるHatukanezumi氏本人以外このテンプレートに手が出せなくなってしまうということになり、安全面からも避けるべき事態だと思っています。--Lincun 2010年9月23日 (木) 14:40 (UTC)
手入力された表示を置き換える必要がないというのは、年を手入力することが認められるということです。ということはjdateをsubst展開して手入力と同じ出力を得ることも必然的に認められるはずです。また、subst展開された結果が書き換えられる可能性があることをデメリットに挙げていますが、それにはリンクの有無を自由に変えられるというメリットも含まれているので、一概にデメリットとは言えないのではないでしょうか?
あとエラー条件についてですが、ウィキペディアにおいては「議論がされていない=合意がない」ではありません。議論にならなくても長期間反対意見がない場合、反論がない場合は合意が形成されたとみなされる場合があります。
また、小数であるか否かまで判定していることは理解していましたがそもそも引数に小数が入力されることは想定してなかったので記述を省略しました。ユリウス暦云々についてもわざわざ書くのが面倒だったので単に「不正な日付かどうか」と書きました。またエラーの判定部分の所は別テンプレートに分離されているなどの配慮もあるので、テンプレートが今までと比べて特別複雑になったとも私は感じません。それに現状のテンプレートの内容でも十分複雑でソースの理解が難しいと思いますよ({{複雑なテンプレート}}も貼られていますし)。--新幹線 2010年9月24日 (金) 11:15 (UTC)
> 手入力された表示を置き換える必要がないというのは、年を手入力することが認められるということです。
ここの部分は正しいです。
> ということはjdateをsubst展開して手入力と同じ出力を得ることも必然的に認められるはずです。
これは間違いです。再三再四言ってきたことですが、jdateは出力に問題があるとしてきた方々の主張としては論理的に無理があり、これを許容することはできません。
> また、subst展開された結果が書き換えられる可能性があることをデメリットに挙げていますが、それにはリンクの有無を自由に変えられるというメリットも含まれているので、一概にデメリットとは言えないのではないでしょうか?
そもそも、同一ページへのリンクの重複についてそれほど気にする必要もないという意見もあります。リンクの有無を自由に変えることがそこまで大きなメリットとも感じられません。
> あとエラー条件についてですが、ウィキペディアにおいては「議論がされていない=合意がない」ではありません。議論にならなくても長期間反対意見がない場合、反論がない場合は合意が形成されたとみなされる場合があります。
私は当初より、テンプレートに手を加えることによって発生するエラーの可能性について懸念を示してきたわけで、単にテンプレートをsubstに対応させることのみならず、複雑な条件分岐を伴うコードを書き足すことについても私が同意できないことは普通の感覚を持ち合わせていれば分かることでしょう。
> また、小数であるか否かまで判定していることは理解していましたがそもそも引数に小数が入力されることは想定してなかったので記述を省略しました。
これは言い訳にはなりませんね。私が問題視しているのが、想定されないようなことについてまで逐一エラー処理する必要があるのかということですから。その辺の私の意図をあなたは汲み取れなかったのでしょうか。
> ユリウス暦云々についてもわざわざ書くのが面倒だったので単に「不正な日付かどうか」と書きました。
私の要望に対して、律儀にも年・月・日の処理に至るまで条件分岐に従って詳しく回答されたあなたが肝心な部分を端折るというのも理解に苦しむところです。
> またエラーの判定部分の所は別テンプレートに分離されているなどの配慮もあるので、テンプレートが今までと比べて特別複雑になったとも私は感じません。それに現状のテンプレートの内容でも十分複雑でソースの理解が難しいと思いますよ。
それはさすがに同意できる人は少ないのでは。そもそも条件文を理解できる人は限られてきますから、そのような方が、双方を見比べてどちらがどれだけ複雑かということを見極めることは難しいことだと思いますが、多少条件文を解する人にとっては、難易度は全然違っていると思います。こんな複雑なエラー処理をこのテンプレートにねじ込みたいのであれば、全てのテンプレートについて同様に義務化をしてからやって欲しいものです。
> ({{複雑なテンプレート}}も貼られていますし)。
これはなんらかの厳密な基準に基づいて、全てのテンプレートを対象として選定が行われたんでしょうかね。この程度のことを持ち出してきて強気になられても困ります。
ところで、西暦1872年以前をエラー扱いすることについて反論がないようですが、さすがにこれは不適切であったと認められているのでしょうか。--Lincun 2010年9月24日 (金) 14:19 (UTC)
私はjdateで間違った結果がsubst展開されることは間違った数字を手入力することと同じことだと思っているわけですが、そこまで間違った結果が展開されることが認められないなら、subst対応と、検証が必要な年号表示の導入を、同時に行うことにします。
subst対応するにあたって、「構文エラー:」で始まるエラー表示がそのままsubst展開されてはまずいので、エラーを検出したらsubst展開されないようにする必要があると思います。小数が入力される可能性がないとは言え、対応してもソースの長さはほとんど変わらないので対応しておく価値はあると思います。
あとテンプレートの複雑さに付いてですが、私にとっては、エラーの条件判定の部分は比較的すぐに理解できましたが、それ以外の部分については何の計算をしているのかさっぱり分からず、理解するのに時間がかかりました。Lincunさんは「こんな複雑なエラー処理」とおっしゃっていますが、ただ順番に入れ子になっているだけなので、条件の意味さえ理解していればソースを読むことはそんなに難しくないと思います。ソースが長ければ必ずしもそれに比例して複雑な度合いが増す訳ではありません。もっと入り組んだ条件文が使用されている例は他にもありますよ。こちらは入れ子の度合いが深くなったり浅くなったりしますからかなり複雑と思いますが。
西暦1872年以前をエラー扱いすることについては今のところ特に意見を持っていません。--新幹線 2010年9月25日 (土) 01:34 (UTC)
> 私はjdateで間違った結果がsubst展開されることは間違った数字を手入力することと同じことだと思っているわけですが、
これは、Hatukanezumi氏やGoki氏の主張とは全く異なるものですよね。ここは重要なポイントですから、その旨をあなたの口からはっきりと聞かせてください。
> そこまで間違った結果が展開されることが認められないなら、subst対応と、検証が必要な年号表示の導入を、同時に行うことにします。
間違った結果が出力されると主張する人がそのまま何の対策も講ずることなくそれをsubst展開しようとすることは主張として一貫性がないから認めるつもりはありません。もちろん、Jdateが間違った出力を導くようなものであるということを認めるつもりもありません。
> subst対応するにあたって、「構文エラー:」で始まるエラー表示がそのままsubst展開されてはまずいので、エラーを検出したらsubst 展開されないようにする必要があると思います。
Hatukanezumi氏は今回の改変でそんなことをやろうとしていましたか?
> 小数が入力される可能性がないとは言え、対応してもソースの長さはほとんど変わらないので対応しておく価値はあると思います。
これが価値があるというのであれば、引数として整数を扱う全てのテンプレートについて小数のチェックを義務化させるように働きかけてください。その動向にあわせて、Jdateでも対応します。
> あとテンプレートの複雑さに付いてですが、私にとっては、エラーの条件判定の部分は比較的すぐに理解できましたが、それ以外の部分については何の計算をしているのかさっぱり分からず、理解するのに時間がかかりました。Lincunさんは「こんな複雑なエラー処理」とおっしゃっていますが、ただ順番に入れ子になっているだけなので、条件の意味さえ理解していればソースを読むことはそんなに難しくないと思います。
私はHatukanezumi氏が組んだコードがあまりできのいいものだとは思いません。もし、Hatukanezumi氏が目指したことを私がやるのであれば、引数のうち「月」と「日」については空欄あるいは「*」が当てられている場合は「1」に置き換えた上、早々に「JULIANDAY」の処理をさせるでしょう。これによって、コードの量を大幅に減らせる上、より広くエラーを検出できるようになります。「JULIANDAY」の部分を通すのであればそもそも小数のチェックも不要ということになるでしょう。もっともこれは「JULIANDAY」が信頼できるテンプレートであるという前提を伴います。誤解されると困るので念を押しておきますが、エラー処理をするならこうするという仮定の話をしているだけであって、こういうやり方であれば許せるということを言っているわけではありません。
それにしても、新幹線さんはHatukanezumi氏が組んだエラーチェックの部分の方より私が作った本体の部分の方が本当に「何の計算をしているのかさっぱり分からず、理解するのに時間がかかりました」なのでしょうか。私にはとても信じがたいです。
> もっと入り組んだ条件文が使用されている例は他にもありますよ。
必要に応じて条件文が複雑化してしまうことは止むを得ないことでしょう。しかし、今回のものについてはあまり起こりそうもない、また起こっても表示状態を見れば誰でも異常に気づくようなエラーに対するものですから、それについてここまで複雑な条件文は不要というのが私の見方です。
> 西暦1872年以前をエラー扱いすることについては今のところ特に意見を持っていません。
あなたは、Hatukanezumi氏が行った改変を再度そのまま行おうとしているわけで、その中身について自分は関係ないというスタンスをとることはあまりにも無責任でしょう。--Lincun 2010年9月27日 (月) 12:37 (UTC)
コメント 誤記対応についてですが、「誤記」であるとは、
  • テンプレートの機能を提供する者にとって想定外の引数が、利用者によって入力される
という状況を意味します。そうだよね?
で、よい誤記対応が行われていれば、このテンプレートをだれかが改良したりコードを流用したりしたときに、想定外の事態に悩む可能性が減ります。
引数に数字を想定している場合に数字以外のものが入力されたら「誤記」ですが、この場合、数字以外のものをできるかぎりすべてエラーと認識できる処理が、よい誤記対応です。
たとえば「{{jdate|1912年7月}}」、「{{jdate|1912-07}}」、「{{jdate|1912/07}}」、「{{jdate|1912.07}}」はすべて「誤記」ですから、エラーになるべきです。わたしが追加した誤記対応では、このうち最後のものエラーとして認識できます。「わざわざ小数だけをエラーにしている」のではありません。--Hatukanezumi 2010年9月27日 (月) 13:17 (UTC)
1868-1872年の表示についてですが、個人的には「検証が必要な年代表示」でも「誤記」でもどちらでもいいとおもっています。誤記対応の対象とした理由のひとつは、Template talk:jdatebirthの議論によって、「{{jdate}}の作成者にとっては旧暦の年や年月日の入力は想定外だった」と判断したためです。
たしかに{{jdate}}は、明治元年-5年の和暦年を表示するにもかかわらず月日を入力すると新暦の月日項目にリンクします。また閏月である「明治元年閏4月」と「明治3年閏10月」を表示することはできません。これらのことをよくよく考えれば、テンプレート作成者が引数に新暦の年月日しか想定していなかったということは、理屈としては筋がとおっているでしょう。
しかし現実問題として、/利用実態調査/誤記を見るとほとんどの利用者が1872年以前についても月日に旧暦のもの (資料に書いてあったそのまま) を入力している (新暦を意図してして使用していることが明確なのは現時点では志賀潔のみ) わけです。現実に作成者の想定外の利用がされているのですから、誤記と考えるにせよ検証が必要な年代表示と考えるにせよ、この事態への対応は必要でしょう。 --Hatukanezumi 2010年9月27日 (月) 13:17 (UTC)
ほかに、誤記対応についてわからない点、疑問の点はありますか。--Hatukanezumi 2010年9月27日 (月) 13:17 (UTC)

Lincunさんへ:インデント戻します)>これは、Hatukanezumi氏やGoki氏の主張とは全く異なるものですよね。ここは重要なポイントですから、その旨をあなたの口からはっきりと聞かせてください。
substが提案された経緯として元々、テンプレートの出力が100%信頼できる訳ではないのに信頼性のあるものとみなされ、手入力された年号がテンプレートに置き換えられるような編集が問題視されていたということがありました(と記憶しています)。つまりテンプレートの信頼度を手入力と同等に落とすことが目的だった訳ですね。議論の流れが「subst対応→検証が必要な年代表示」となっていたのはこのためでしょう。私としてはこれに賛成だったわけですが、100%信頼できないものをsubst展開するのはどうなのかという意見や、「間違った結果が出力されると主張する人がそのまま何の対策も講ずることなくそれをsubst展開しようとすることは主張として一貫性がないから認めるつもりはありません。」というような意見が出て議論がまとまらなくなったので、subst対応と「検証が必要な年号表示」の導入を同時に行うことを考えています。

>Hatukanezumi氏は今回の改変でそんなことをやろうとしていましたか?
していましたよ。エラーが発生した状態でsubst展開しようとしても展開されません。これを実現するためにエラー処理が必要と私は考えています。

>私はHatukanezumi氏が組んだコードがあまりできのいいものだとは思いません。もし、Hatukanezumi氏が目指したことを私がやるのであれば、引数のうち「月」と「日」については空欄あるいは「*」が当てられている場合は「1」に置き換えた上、早々に「JULIANDAY」の処理をさせるでしょう。これによって、コードの量を大幅に減らせる上、より広くエラーを検出できるようになります。「JULIANDAY」の部分を通すのであればそもそも小数のチェックも不要ということになるでしょう。もっともこれは「JULIANDAY」が信頼できるテンプレートであるという前提を伴います。誤解されると困るので念を押しておきますが、エラー処理をするならこうするという仮定の話をしているだけであって、こういうやり方であれば許せるということを言っているわけではありません。
そう思うのならエラー処理が正式に導入された場合はあなたがコードを改変してください。私には出来なかったので。

>それにしても、新幹線さんはHatukanezumi氏が組んだエラーチェックの部分の方より私が作った本体の部分の方が本当に「何の計算をしているのかさっぱり分からず、理解するのに時間がかかりました」なのでしょうか。私にはとても信じがたいです。
人によると思いますが、私の場合は計算結果を条件文にかけている所を見たことが殆どなく、しかも条件文が他のテンプレートに分割されていたので、理解に時間がかかりました。

>あなたは、Hatukanezumi氏が行った改変を再度そのまま行おうとしているわけで、その中身について自分は関係ないというスタンスをとることはあまりにも無責任でしょう。
書き忘れていましたが、1868年~1872年にも対応するようにTemplate:Jdate/validateを書き換えています。決して「その中身について自分は関係ないというスタンス」を取っているわけではありませんのでご理解ください。--新幹線 2010年9月28日 (火) 08:32 (UTC)

> substが提案された経緯として元々、テンプレートの出力が100%信頼できる訳ではないのに信頼性のあるものとみなされ、手入力された年号がテンプレートに置き換えられるような編集が問題視されていたということがありました(と記憶しています)。つまりテンプレートの信頼度を手入力と同等に落とすことが目的だった訳ですね。
意味が分かりません。私に分かるように易しい言葉でお願いします。
> していましたよ。エラーが発生した状態でsubst展開しようとしても展開されません。
Jdateと入力して別の形でウィキテキストに記録されるわけですから、Hatukanezumi氏による改変では全てのパターンで「subst展開」されることになります。言葉は正しくお願いします。あなたとの余計なやり取りは避けたいので。
> そう思うのならエラー処理が正式に導入された場合はあなたがコードを改変してください。私には出来なかったので。
これを見る限り相当頑張ったようですね。新幹線さんぐらいテンプレートに精通されている方であれば簡単に書き換えら得ると思っていましたが駄目でしたか。こういうのは中途半端に技術がある方より、ちゃんとした技術力のある方に任せた方がよさそうですね。もちろん、そもそもこんなエラー処理は不要だと思っていますので、私がやることはないでしょうが。
> 人によると思いますが、私の場合は計算結果を条件文にかけている所を見たことが殆どなく、しかも条件文が他のテンプレートに分割されていたので、理解に時間がかかりました。
「JULIANDAY」は分離されているのですが、それは気にならなかったのですかね?

「JULIANDAY」自体も相当複雑な処理をしているようですが。

> 書き忘れていましたが、1868年~1872年にも対応するように「Template:Jdate/validate」を書き換えています。決して「その中身について自分は関係ないというスタンス」を取っているわけではありませんのでご理解ください。
私が指摘したから書き換えたわけで、あなたが自力で問題点を見出せなかった以上、Hatukanezumi氏による改変を追認したと指摘されても言い逃れはできないんですよ。自分の過失はきちんと認めるべきだと思いますよ。--Lincun 2010年9月30日 (木) 13:32 (UTC)
> 意味が分かりません。私に分かるように易しい言葉でお願いします。
簡単にいうと、記事上にある生の年号がテンプレートに置き換えられることが問題にされていた、subst展開であれば生の年号なので問題ないと考えられていたという意味です。
> Jdateと入力して別の形でウィキテキストに記録されるわけですから、Hatukanezumi氏による改変では全てのパターンで「subst展開」されることになります。言葉は正しくお願いします。あなたとの余計なやり取りは避けたいので。
正確に言うと、エラーが検出されたら{{Jdate|yyyy|mm|dd}}といったテキストが再度生成されるということです。見かけではsubst展開されていないように見えるのでそう言いましたが理解できませんでしたか。
> これを見る限り相当頑張ったようですね。新幹線さんぐらいテンプレートに精通されている方であれば簡単に書き換えら得ると思っていましたが駄目でしたか。こういうのは中途半端に技術がある方より、ちゃんとした技術力のある方に任せた方がよさそうですね。もちろん、そもそもこんなエラー処理は不要だと思っていますので、私がやることはないでしょうが。
そうでしょうね。ちゃんとした技術力のある方が来なかったらそのまま正式運用されることもありえるでしょう。
> 「JULIANDAY」は分離されているのですが、それは気にならなかったのですかね?「JULIANDAY」自体も相当複雑な処理をしているようですが。
「JULIANDAY」の内部は詳しく見ていませんが、出力結果からユリウス通日を呼び出すテンプレートであることが分かったのでそれ以上気にしませんでした。
> 私が指摘したから書き換えたわけで、あなたが自力で問題点を見出せなかった以上、Hatukanezumi氏による改変を追認したと指摘されても言い逃れはできないんですよ。自分の過失はきちんと認めるべきだと思いますよ。
前も言った通りこの件に関しては「特に意見を持っていません」ので、もちろん「問題だ」とも思っていません。だからといってエラー表示にこだわる理由もありませんから書き換えただけです。--新幹線 2010年10月1日 (金) 11:58 (UTC)
コメント 上でも言っていますように、わたしは1868-1872年について対応がなされればいいので、解決方法が誤記対応でなければならないとはおもいません。コードの話はあまり言いたくないのですが、少しコメントさせてください。完全に傍論ですが、だれだって自分のやったことを無価値のように言われると、気分がよくないものです……ということで許してね。
技術力について 「技術力」というのは、「エレガントな解法を見出す能力」とはまたべつのことだとおもいます。読みやすく、保守しやすく、問題が起こりにくいコードを書くこと --- つまり、「技術をより多くのひとに安心して役立ててもらえるようにする能力」が技術力だと、自戒をこめておもいます。この点で、Lincunさんは (率直に言いますが) 技術力はさほどでないというのが、これまで書かれたコードを拝見しての感想です。
  • 決定的にまずいのは、自分の書いたコードが出す結果について疑問がだされても、自分のせいではないと言い募ることです。「使う人の自己責任だ」とか、はては「MediaWikiも誤動作する」などと、責任転嫁することばかり考えています。
    --- 他人には100パーセントの責任をもとめ、自分の責任は0パーセントだと言うようなひとと、協力しあうことはできません。
  • コードの話ですが、サブテンプレートを多用するわりに機能の分割 (モジュール化) ができていません。{{jdate}}から{{jdate/year}}を呼び出す箇所が読みにくいのはそのためです。サブテンプレートに計算の途中結果を与えて呼び出している (しかも年月日と年と、重複したふたつの引数を与えている) ことが、わかりにくい原因です。また、このようにテンプレートが分割されているとサブテンプレート単体でのテストが困難なため、デバッグもしにくくなります。
    --- ウィキペディアでは共同作業が基本ですから、他人にメンテナンスしにくいコードを書くことは勧められません。
  • もうひとつ細かいことを言うと、トリッキーな手法に頼りがちなところがあります。上で「月日が指定されないときは1とみなす」といった手法を述べておられますが、そういった、実際のデータに現れないのに処理の利便のためだけに決めた数を使ったりします。しかし、「月日が指定されないときは0、『*』が指定されたら99」というトリックを使っていてただでさえわかりにくいコードなのに、「指定されないときは1」という別のトリックを入れると、ますます読みにくくなります。そもそも、年や月は単独で範囲チェックができるので、ユリウス通日との相互変換によるチェックのような複雑な処理は、年月日すべての指定がなければ行う必要はありません。
    --- これはしかし、どうしてもだめだというわけではありません。
もちろん、技術力の多寡などというものは本質的なことではありません。ウィキペディアでは、自分ですべてを知っている必要はなく、力不足なところは他人の手助けを期待してかまわないのです。
--- 逆に言うと、自分の技術や知識がすべてで他人から教わることはないとおもっているようなひとは、ウィキペディアには向きません。自分のサイトを立ち上げて、そこで自分のやりたいことを思う存分やればいいでしょう。
で、これだけ書いといてなんですが、本題である「subst対応の正式化」からずいぶん離れてしまっているとおもいます。そろそろ結論をだしませんか。--Hatukanezumi 2010年10月1日 (金) 14:29 (UTC) typos --Hatukanezumi 2010年10月2日 (土) 02:15 (UTC)

報告 以前から頭のすみにはあったのですが、linkという引数で元号へのリンクの有無を指定できるようにしてみました (サンドボックス参照)。初期値はリンクありです。なしのほうがいい気がしますが、現仕様にあわせました。これで今後、コードの重複する{{jdate-y}}なども統合できるとおもいます。まずはその準備ということで。--Hatukanezumi 2010年10月14日 (木) 11:59 (UTC)

再々提案[編集]

節分け--新幹線 2010年11月30日 (火) 07:46 (UTC)

主作者に関してのコメント依頼のほうは提出から1箇月以上がたち、事実上意見がつきている状況ですから、こちらの議論と作業を再開してもよいでしょう。

  • 賛成 提案 ({{jdate}}のsubst対応の正式化) に賛成し、サンドボックス{{jdate/sandbox}}の内容を、本番の{{jdate}}テンプレートに反映することに賛成します。
  • 当節冒頭の提案の時点から、さらに修正がくわわっています。つぎの点です。
    • 誤記対応の追加。想定外の引数が入力された場合、エラーメッセージを表示し、subst展開を抑止する。
    • 旧暦年代 (明治元年-5年) の使用に対して、注意書きテンプレートを自動的に貼り付ける。
    • 近代の改元年に対して、注意書きテンプレートを自動的に貼り付ける。抜け追加--Hatukanezumi 2010年11月13日 (土) 11:21 (UTC)
  • これらはいずれも、subst展開への対応によって起こりうる問題への対策であり、当節の提案をより具体的に実現したものといえます。
  • なお、提案に対する反対についてはひとつひとつ対応策や反論がなされ、それに対する異議はでていないものとおもいます。たとえば、旧暦年代は当初、誤記として処理されるようになっていましたが、意見をうけて注意書きテンプレート貼り付けに変わりました。すぐの小節を参照ください。
    これ以上議論を引き延ばす必要はないでしょう。テストケースなどによる動作確認がすんだら、テンプレートの変更を実施すべきです。--Hatukanezumi 2010年11月13日 (土) 02:10 (UTC) 節分け整理に伴い「下」を「上」に--Hatukanezumi 2010年11月30日 (火) 11:52 (UTC)
  • 修正箇所で抜けていたものを追加しました。誤記対応に加えて、下節「#両テンプレートの機能比較」の表で「×」か「△」がついている点すべてに対策ができていることが確認いただけるとおもいます。subst展開に対応する前提としてこれらに対応すべきだという指摘もありましたが、その点も問題なくなっています。--Hatukanezumi 2010年11月13日 (土) 11:21 (UTC)
  • なお、この変更によってエラーメッセージや注意書きが表示される場合については、事前に全数を調査しており、通算約400件が見つかっています。それらの検証・修正に複数のかたが協力してくださった結果、実際にエラーメッセージや注意書きが表示される場合は大幅に減り、100件前後になる見込みです。/利用実態調査を参照ください。これによってテンプレートの変更による影響は小さくなっていること、また、検証による修正そのものが記事の質を高めることに役立っていること、を指摘しておきます。--Hatukanezumi 2010年11月19日 (金) 23:45 (UTC)

テストケースなどによるサンドボックスの動作確認をお願いします。subst展開の動作も確認ください (保存しなくても差分で確認できます)。なにか問題が見つかったら修正してください (自分で修正できないかたは、ここで報告すればだれかが直してくれるでしょう)。いままでの例のとおり、最後の修正から1週間以上問題がみつからない場合、サンドボックスの内容を本番のテンプレートに反映しましょう。

反映する際の注意。●ソース中にテンプレート自身の名前を参照している箇所があります。サンドボックス で「jdate/sandbox」となっている箇所は反映の後に「jdate」に置き換えてください。●内部テンプレート /yearについては上の注意のとおり反映が必要です。●反映のしかたによっては一時的に表示が乱れますので、反映作業をしたいかたは事前にお申し出ください。●/numberは廃止されたので反映は不要です。●/validate は新設ですので反映にともなう作業はありません。--Hatukanezumi 2010年11月19日 (金) 23:45 (UTC)

報告 1週間以上問題が報告されませんでしたので、サンドボックスの内容を本番のテンプレートに反映します (作業を申し出るかたはありませんでしたので、Hatukanezumiが実施します)。作業が終了したらまた報告します。--Hatukanezumi 2010年11月26日 (金) 23:55 (UTC)

報告 反映作業を完了しました。数日間問題が起こらないようでしたら、当節冒頭の注意書きは除去し、{{解決済み}}などを貼って当節を閉じていただいてかまいません。--Hatukanezumi 2010年11月27日 (土) 01:06 (UTC)

報告 反映が差し戻されました。#差し戻しについてで議論します。--Hatukanezumi 2010年11月27日 (土) 22:53 (UTC)

差し戻しについて[編集]

当節で提案され、議論され、実施された変更が差し戻されました。

差し戻し者の会話ページで警告を行った後、反映をやりなおします。さらに差し戻しが繰り返される場合、なにかほかの方法を考えます。--Hatukanezumi 2010年11月27日 (土) 22:51 (UTC)

報告 警告を行いました。24時間以上の期間を置いて、再度、反映作業を実施します。--Hatukanezumi 2010年11月27日 (土) 23:41 (UTC)

Jdateに関する議論を「Template‐ノート:Jdate」に移動してはどうか[編集]

「Template:Jdate:subst対応の正式化」以下ここまでをjdateのノートに移したほうがよいと思うのですが、いかがでしょう?--Ks aka 98 2010年11月28日 (日) 06:24 (UTC)

賛成 移動はわたしも考えていました。かつてjdateのノートなどで、両テンプレートの議論をこのノートに統一する告知がなされた (理由は知りません) わけですが、当ノートでの主要な論点は{{和暦}}特有の機能にうつりつつあるので、{{jdate}}についての議論は分離するのが妥当だとおもいます。--Hatukanezumi 2010年11月28日 (日) 06:52 (UTC)
賛成 元々和暦テンプレの議論が分散するのを防ぐためにこちらで一括して議論したんだと思いますが、和暦とJdateで議論の進捗状況が異なることから結局別々に議論されてしまったので、Jdateの方に移動してもよいと思います。#新たなテンプレートの作成もJdateに関する議論ですので移動していい気がします。--新幹線 2010年12月2日 (木) 14:15 (UTC)
(補足コメント)今調べてみたところ「Template:Jdate:subst対応の正式化」節だけでも約68KBあり、Jdateのノートに移動すると100KBを超えてしまいます。Jdateのノートに移動した上で一定期間待ってそのノート全体を過去ログ化するというのも1つの手ですね。--新幹線 2010年12月2日 (木) 14:20 (UTC)
反対 Lincun氏が今の態度を取り続ける限り、議論そのものをJdateのノートに移動するのは反対です。(無駄な罵倒合戦を過去ログ化するのは賛成です。)理由は過去にLincun氏が「自分の意見に賛同するものだけを集めて」形式だけの議論を行い、テンプレートの改変を行った経緯があるためです。--Goki 2010年12月3日 (金) 01:31 (UTC)
賛成 {{和暦}}と{{jdate}}を一括して議論しているわけでもありませんからこのノートで{{jdate}}のことまで議論する必要はないでしょう。--黒森 2010年12月4日 (土) 08:53 (UTC)
コメント 国勢調査のグラフ表示のテンプレート{{人口統計/fluctuation/item}}で{{Jdate}}、{{和暦}}を同時に使用するように修正がなされたようなので切り離して議論することができなくなりましたのでお知らせのみいたします。(編集を行ったのは私ではありません。)--Goki 2010年12月7日 (火) 10:26 (UTC)
コメント んじゃあ、#新たなテンプレートの作成は専用のサブページにでも移動したらどうでしょう。どっちのテンプレートの話題ともいえないので。ちなみにわたしは同節については移動に賛成も反対もしません。--Hatukanezumi 2010年12月7日 (火) 11:14 (UTC)
コメント和暦⇔西暦を変換するテンプレート全体の議論ができなければ私は意味がないと考えています。個別のテンプレートの議論をしても新たにテンプレートを作るのがオチだから。(この件については私は2年前から性善説に立つのをやめています。)
ですので、分離するのはかまいませんがこのページからリンクをはって見通しを立てることが大前提です。--Goki 2010年12月9日 (木) 05:37 (UTC)
コメントここまでの反対コメントについては、ありていに書けば提案者に「うっとうしい議論はよそでやってくれ」という意図があってはならないと考えたため書いています。(認識が違っていれば申し訳ないです。単にページの量の問題であればサブページなどで分離することには反対していません。)--Goki 2010年12月9日 (木) 10:38 (UTC)
コメント 「和暦⇔西暦を変換するテンプレート全体」ということなら、ほかにもありますね。場所としてはプロジェクト‐ノート:テンプレートあたりはどうでしょう。--Hatukanezumi 2010年12月9日 (木) 14:14 (UTC)
コメント範囲が広すぎます。どうせそこからも追い出されるのは明白です。--Goki 2010年12月15日 (水) 01:27 (UTC)
コメント テンプレートについて議論をしている理由は、それが記事の内容や記事執筆に影響を与えるからです。だれかを追及するために議論をしているのではありません。
論点ずらしによって議論を長引かせ、人身攻撃によって反対者にダメージを与えることで黙らせようとし、差し戻しを繰り返してマッチポンプで合意違反を言い立てるような人物は、その主張も尊重されなくなっていくでしょう。そういう人物をわざわざ追及するための議論を、わたしは必要と感じません。むしろ、追及に熱中することによってその人物と同レベルに堕ちてしまうことを、恥ずかしく思う。
この1箇月ほど、jdateの直接使用数は増えなくなってきています。自作のテンプレートに組み込むことで見かけの使用数が増えれば満足するのなら、やらせておきましょうよ。記事本文への影響はないのだから。
Gokiさんが、議論移動に賛同いただけるとうれしいです。--Hatukanezumi 2010年12月15日 (水) 14:25 (UTC)

既に手入力された年もテンプレートに置き換えるべきか?[編集]

この意見には私は賛成しません。先に書いておきます。ていうか賛成する人いるのかな。--Goki 2010年9月23日 (木) 13:23 (UTC)

明確に反対します。他の分野はどうか知りませんが、歴史の記述で通常和暦は天文22年の様なアラビア数字ではなく、"天文二十二年"の様にすべて漢字で書かれます。これは単にどの字を使うかというだけでなく、旧暦その他を織り込んだ日本という歴史の中で当時使われた期間としての"天文二十二年"を表示しているのに、それをあたかも現代の暦の延長線上に存在するかの様な数値換算で置き換えるのはやめてもらいたい。--射丸蔵 2010年12月2日 (木) 01:31 (UTC)

Jdate*, 和暦テンプレートの人名記事冒頭部での使用禁止(もしくは自粛)の提案[編集]

済み提案そのものはsubst義務化の議論に統合された。テンプレート使用の具体的な様相については次節#歴史分野執筆者の立場からで継続--Hatukanezumi 2010年11月22日 (月) 16:17 (UTC)

現在、一部の人名記事で生年月日・没年月日で和暦を使用していますが、その際に「テンプレートのまま残される」と出力形式が丸括弧で固定されることで二重括弧の問題が発生します。

また、{{Jdate}}(派生テンプレートのすべてを含む)、{{和暦}}ともに明治5年以前に対応していないので、正確な日付を表記する妨げになっています。

上記2点の理由により、人名記事の冒頭部でテンプレートのまま残すことを禁止(もしくは自粛)することを提案します。

根本的な問題が解決されていないので上記問題への対処で新規にテンプレートを作成するのもやめてください。--Goki 2010年10月18日 (月) 10:10 (UTC)

  • 反対  二重括弧は、Wikipedia:スタイルマニュアル (人物伝)等のガイドラインでも禁じられていません。まず、スタイルマニュアルの改定を提案されるべきでしょう(なお、私は、法令文・公用文の表記に倣い、二重括弧に問題があるとは思いません)。また、「正確な日付を表記する妨げ」になっているという主張には根拠がありません。--唐棣色 2010年10月18日 (月) 14:28 (UTC)
  • コメント 二重括弧に問題がないことはないです。まともな出版社からでている出版物なら、おなじ括弧を入れ子にするようなことはしません。ガイドラインが必要ならWP:JPE#括弧の入れ子でも参照してください。
    しかし、テンプレートのまま残すのはほかの面でも不都合ですから、subst義務化と、それにともなう問題を解決するための誤記対応、注意書き表示をすすめるべきでしょう。#Template:Jdate: subst対応の正式化で議論されています。--Hatukanezumi 2010年10月18日 (月) 14:58 (UTC)

では、subst義務化の議論に統合します。ただ、反対者の方の反論がずっとないんですよね…。 「『正確な日付を表記する妨げ』になっているという主張には根拠がありません」と唐棣色さんは書いていますが、大ありです。もう何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も書いていますが、明治5年以前で{{和暦}}、{{Jdate}}を使用すると正確な日付が表現できません。これ以外の根拠を何を持って示せというのでしょう?意味がわかりません。--Goki 2010年10月19日 (火) 01:57 (UTC)

記事冒頭部に絞った理由は年月日で記載する機会が他と比べて多いからです。年のみの記載であれば改元時を除いて私は気にしないのですが、日付の記載があった時点で看過できなくなるのです。--Goki 2010年10月19日 (火) 05:49 (UTC)

ノートでの議論を全然追っていませんが、日本史執筆者のひとりとしては、このテンプレートが従来通り使用されることを望みます。また、ここで仮に使用・不使用(?)等が決定されたとしても、それをもって全体の決定と見なすのではなく、関連ポータルまたはプロジェクトでの同意を必ず得ていただきたいと思います。言い換えれば、このノートでどのような合意がなされたとしても、このテンプレートが従来通り使用されること以外について、私は同意することはできません。--Chokorin 2010年10月22日 (金) 02:16 (UTC)

コメント わたしは、ここでの提案 (同種の括弧の入れ子をどう処理するか) はスタイルガイドの話題で、テンプレート使用の可否として論じるべきものではないと考えています。テンプレートの側でできることは、スタイルガイドなどの執筆のガイドラインに反した使いかたがなるべくできないようにすることだけでしょう。
テンプレートが廃止されない限り、テンプレートを使用すること自体を禁止することはできないでしょう。ですからテンプレートは使い続けることができます。
しかしいっぽうで、「年代の表示には{{和暦}}テンプレートを使わなければならない」と決めることもできません。テンプレートを使ったのではできないこと、場合によっては間違いを誘発することがあるからです。たとえば、
  • 「何某(1800年(寛政12年)- 1872年(明治5年))」を「何某(1800年〈寛政12年〉- 1872年〈明治5年〉)」に変更できません。この節で問題とされているのはこれです。
  • 「1601年(慶長5年)」と表示できません。注意しないと「1600年(慶長5年)」 や「1601年(慶長6年)」といった記述を記事に入れてしまうことになります。
これまでにテンプレートに加えられた変更、また加えることが提案されている変更は、こういった問題に対応するためのものです。たとえばsubst展開ができれば、テンプレートを使ったものも普通のウィキテキストとして編集ができますから、執筆者だけでなく記事を修正するひとにとっても、編集がしやすくなります (だれもがテンプレートの使いかたや問題点に精通しているわけではありませんから)。
「年代表記に全面的にテンプレートを使うか、全面的に禁止するか」という両極端の議論がなされているのではない、ということをご理解いただきたいとおもいます。一部の声高な発言を見ると、誤解されるのも無理はないとおもいますが。--Hatukanezumi 2010年10月22日 (金) 03:33 (UTC)
確認ですが「一部の声高な発言」は自分はしていないという認識だと困ります(そうでないと願いたいですが)。Hatukanezumiさんは廃止されるのが望ましい旨の発言をしていますよね。
私の2年前当時の意見はテンプレートのままおいておかれるとリンク・スタイルの形式が固定されるので何とかならないかというだけだったんですけどね。これ以上は燃料になるだけなのでもう書きませんが。--Goki 2010年10月22日 (金) 09:59 (UTC)
>このノートでどのような合意がなされたとしても、このテンプレートが従来通り使用されること以外について、私は同意することはできません。
このテンプレートについての議論を行う場所としては当ノートが一番適切でしょう。もちろん日本史プロジェクトなどにお知らせがされるに越したことはありませんが、されなかったからと言っても、このテンプレートがどっかのポータルやプロジェクトによって管理されている訳でもないので、合意が白紙に戻されることは考えられません。なお、現在テンプレートの廃止提案はされていませんが、そのように重大な影響をもたらすものは、Wikipedia:お知らせに報告されれば十分でしょう。--新幹線 2010年10月22日 (金) 10:25 (UTC)

歴史分野執筆者の立場から[編集]

じゃあ、ここで意見を申し述べますが、くれぐれも歴史執筆者を抜きに数人で討論してそれを総意とすることなどのないよう、執筆者に議論参加のお声がけをなさってください。まず、二重括弧について問題になっていますが、西洋史の人物では原音表記、表現ゆれや通称、使用暦の併記や生没地、国籍・言語などの表記のために頻繁に二重括弧が用いられており、これは日本史の人物に限ったことではありません。スラッシュ(/)でユリウス暦とグレゴリウス暦を併記している記事もありますが、スラッシュがよいか二重括弧がよいかは一概に決めかねるところで、これは和暦テンプレートに内在している問題ではなくて、そもそもがスラッシュないし二重括弧を用いる局面の有無の問題です。次に、「正確な日付を表記する妨げになっている」という指摘ですが、(明治6年以前の)和暦と西暦のあいだに月日のズレのあることはある意味日本史の常識です。しかし、にもかかわらず、歴史の教科書・概説書・専門書・論文すべてにおいて「1581年(永正8年)」のような表記が認められています。1年という単位を「1日の積み重なりとして見る」というのも、多数ある見方のひとつなのであり、「1日の積み重なりとしてしか見ない」というのは歴史を考察・叙述する姿勢としては誤りを含んでいます。歴史学や考古学の記述においては「800年ころ」とか「天文元年から2年にかけて」という叙述も多く、正確な日付がわからない、あるいは正確な日付を問題にしないということも多いので、くれぐれも「角を矯めて牛を殺す」愚は避けたいものです。また、近代以降については、元号使用そのものに反対という人もいるでしょう。しかし、個人レベルで元号を使用する・使用しないというのは個人の自由に属する問題ですが、歴史事象の説明において元号を排除しようとする姿勢は、「ものごとをわかりやすく丁寧に説明する場」の流儀としては完全に誤っており、「明治期」とか「大正時代」という時代区分が史学界で用いられている以上、あるいは国民生活上使用されることが多い以上、日本史記事での元号併記は推奨されるべきことです。最後に、改元のある年に誤った記述がなされる可能性がありうるということについては、そういう可能性を否定しませんが、ちゃんと出典に依拠して執筆される場合、誤りがあればテンプレートの使用をとりやめるはずであり、そういうケースでテンプレートをあえて使用しているのであれば、出典に照らして誤りがなかったということでしょう。テンプレートを使わなければ執筆できないというわけではありません。テンプレートを用いる人は、テンプレートを用いない記法を知っているわけです。そう考えれば、全体として誤りをふくむ蓋然性はきわめて低いと言わざるをえません。もちろんゼロとは言えませんが、可読性を損なってまで検証すべきことではありません。結論としては、従来どおり、普通にテンプレートが使える状態にとどめておくことを希望します。--Chokorin 2010年10月23日 (土) 01:44 (UTC)

  • 二重括弧について。二重括弧をどういうときに許容するか、どう修正するかは、記事執筆や草取り・校正の話題であり、テンプレート固有の問題ではないでしょう。ですから「二重括弧の是非」を「テンプレートの是非」に限って議論するのはおかしいです。
    いっぽう、ひとによって判断基準に差があるにせよ、丸括弧が重なるのを避けたい場合はあるでしょう (執筆者を主にしている利用者が気にしなくても、校正を主にやっている利用者には気にするひとがいます。役割分担していろんな観点から記事をブラッシュアップするのはよいことです)。テンプレートを使ったままでは修正ができません。
    テンプレートはsubst展開して使うことにすれば、双方が自分の思ったしかたで編集できるでしょうし、括弧の入れ子はテンプレートの問題ではなくなります。
  • 年単位と日単位について。「永正8年」は「天正8年」だとおもいます。
    おっしゃることに同感です。すべての年代記述をピンポイントでとらえ、「正確」に西暦を併記するとおかしなことになります (テンプレートの問題とは独立した話題として、ここで解説してみましたので、こちらのノートにもご意見をいただけるとありがたいです)。ほかの例としてはたとえば「安政の頃から」の意味で「1854年(安政元年)頃から」と記述しているのをみかけたこともありますが、こういうものにはむしろ西暦を併記する必要がないでしょう。なんでも換算すればいいというものではありませんね。(なおこの例にはもうひとつ不審な点があります。安政への改元は西暦1855年1月15日なので、西暦1854年中の一次資料に「安政」が現れるはずはありません。その点でも余計な情報を読者に与えています)
    いっぽうで、このテンプレートはピンポイントでの換算に対して正確さが不足しています。これが間違いを誘発する可能性があります。特に問題なのは、ピンポイントで換算された西暦を入れると誤った年号が表示される場合です。旧暦年代の資料の多くは旧暦年号で年を記していたはずですが、このテンプレートが「いったん西暦にしたものを入れることで旧暦を表示する」というつくりになっているための問題です。
    年しかわからない場合。これについては許容されるという指摘があります (やはり日本史分野のかたです)。旧暦年代では元号年号のほうが正確なので、わざわざ西暦に換算してそれだけを書くのはおかしいです。むしろ元号年号を主にして、西暦年号を併記するほうがよいのではないかと考えています。--Hatukanezumi 2010年10月23日 (土) 03:07 (UTC)
  • 「テンプレートを使っているひとは使っていないひとよりも年代を検証している」(大意) とは言えません。むしろ、便利な変換機能として使っていて、表示結果を検証していないと見える場合もあります。
    ただこれは、わたしが最近、明治初年ころのテンプレート使用例を調べているために強くそう感じるのかもしれません。現代史と近世以前の日本史との境目にあたるため、年代が旧暦であることをテンプレート使用者が意識していない例がほとんどなのです (日付がある場合はほぼ確実に、旧暦日付を西暦の日付項目にリンクしています)。で実際、明治4年末 (1872年) の事象にテンプレートを使って「1872年(明治5年)」と誤った年号にしてしまっている例もありました。
    ちなみに、わたしは旧暦年代に一律に注意書きを入れる案は、もうあきらめています。もともと、多くのひとに検証を手伝ってもらうことが目的だったのですから、この方法にはこだわりません。別の方法を考えています。現在、記事のデータを集めて整理しているところです。
  • テンプレートをsubstせずに記事中に使いつづけること。これは本当に必要でしょうか。
    ウィキペディアの記事は再配布・再利用を認めていますが、再利用先でもテンプレートの機能がないと記事内容を正確に表示できないことになります。
    テンプレートに変更が加わった場合、記事の過去版での表示をどうするかも考えなければなりません。記事の過去版からより質のよい特定の版を選んで再利用することだって、あるからです。
    こういったことを考えると、テンプレートを使う場合もsubstして、テンプレートそのものを記事に残さないほうがよいのではないでしょうか。
まとめると、
  • 旧暦年の年号の扱いについて、わたしとChokorinさんには大きな考えの違いはないようにおもいます。
  • また、テンプレートをsubstして使うことテンプレートの使用を否定することではないいっぽう、テンプレートを記事中に存置する場合に解決できない問題の多くを解決するとおもいます。--Hatukanezumi 2010年10月23日 (土) 03:53 (UTC) 微加筆--Hatukanezumi 2010年10月23日 (土) 06:00 (UTC)整形、強調-Hatukanezumi 2010年10月24日 (日) 02:31 (UTC)
それと、ひとつアイディアを出します。現在のテンプレートは新暦の年代にしか使えないようにし、旧暦年代には別のテンプレートを使うようにするのはどうでしょうか。この場合、後者は「旧暦から西暦に換算する」という方式にすれば、上で述べられた「1581年(天正8年)」表記を認めるかぎり、換算の不正確さはテンプレートそのものからは排除できます (つまり、テンプレートの表示結果が誤っていれば、それは使用者や参照した資料の誤記・誤植で、ほかの原因によるものではない、ということになります)。--Hatukanezumi 2010年10月23日 (土) 03:53 (UTC)
利用者:Hatukanezumi/旧暦_(テスト)を作ってみました。「{{subst:利用者:Hatukanezumi/旧暦_(テスト)|天平19年}}」などとして使います (subst必須です。subst展開の結果は、保存しなくても差分で見れます)。
旧暦年号をそのまま入れればいいので、これまでのテンプレートで指摘されてきた「文章中に異質なものが混じっていて編集のさまたげになる」「表示結果が直感的にわからない」(いずれも大意) といった問題はかなり解消されるでしょう。
なお、これは「とりあえずできるよ」ということを示すために作ったので、誤った結果を出したり、表示が乱れたりする場合もあります。年号のリンクなどをどうするかも決まっていません。記事やほかのテンプレートの中で使ったり、コードを流用したりしないでください。
議論に新しいかたも加わってくださったことですし、わたしはしばらく発言を休みます。--Hatukanezumi 2010年10月24日 (日) 02:31 (UTC)

南北朝期の年号併記について[編集]

永正8年は1511年でした。前近代について換算方法を変えるのはよい案かもしれません。ただ、南北朝時代については現状の方法がむしろ便利かもしれませんので御検討ください。たとえば「{{和暦|1336}}」と入力すれば、「1336年(南朝:延元元年、北朝:建武3年)」と表記されますが、これはこれで間違いではありません。少なくとも湊川の戦いについては、後醍醐天皇の政府(南朝)の延元改元後のことです(現状の記事 ([4])では、北朝年号しか付されていませんが)。したがって建武式目も、この表記 ([5])で間違いなく、この場合の「建武」とは北朝年号だということですが、現状では、そのことがよくわかる仕掛けになっています。こうした、簡便にして両朝元号を一瞬にして表現できる機能をむざむざ捨て去る法はないものと考えます。--Chokorin 2010年10月23日 (土) 19:24 (UTC)

南北朝時代の年号 (一部)。『新・国史大年表』第3巻 (国書刊行会、2008年) を元に作成。
南朝年号 北朝年号 ユリウス暦の暦日 備考
甲申[21] 興国5年 康永3年 1344年1月17日

1345年2月2日
乙酉[22] 興国6年 康永4年
10月21日改元
貞和元年
1345年2月3日
1345年11月15日
1346年1月23日
丙戌[23] 興国7年
12月8日改元
正平元年
貞和2年 1346年1月24日
1347年1月20日
1347年2月10日
丁亥[24] 正平2年 貞和3年 1347年2月11日

1348年1月20日
戊子[25] 正平3年 貞和4年 1348年1月21日

1349年1月19日
己丑[26] 正平4年 貞和5年 1349年1月20日

1350年2月7日
庚寅[27] 正平5年 貞和6年
2月27日改元
観応元年
1350年2月8日
1350年4月4日
1351年1月27日
直冬党は引き続き「貞和」を用いる (貞和6年)。
辛卯[28] 正平6年 観応2年
11月7日廃号
正平6年
1351年1月28日
1351年11月26日
1352年1月17日
正平一統。
壬辰[29] 正平7年 正平7年
9月27日改元
文和元年
1352年1月18日
1352年11月4日
1353年2月4日
足利義詮は閏2月23日より、足利尊氏は3月11日より再び「観応」を用い、6月27日義詮は正平の制停止を申請 (観応3年)。
癸巳[30] 正平8年 文和2年 1353年2月5日

1354年1月24日
コメント たしかに改元後で、西暦年が翌年にならない間は、両統とも正しい年号が表示されるでしょうね。しかし、それは「すべての場合に正しい年号が表示される」ということを意味しません
ちょっと年代がずれますが、南北朝時代の一部の年号を表にしてみました。{{和暦}}テンプレートでは、ここに挙がっている年号をうまく表示できるでしょうか。
  • たとえば、弥仁王 (後光厳天皇) の践祚は壬辰8月17日ですが、「{{和暦|1352}}践祚」は「1352年(南朝:正平7年、北朝:文和元年)践祚」になってしまいます。文和への改元はこの天皇が行ったはずですが。
検討事項にいきます。南北両統の年号を並べて表示するということは、年号を比較対照することです。これは、Chokorinさんの言葉を借りれば、年を「1日の積み重なりとして見る」ということです。なぜなら、両統はそれぞれ別々の年、別々の日に改元しているのですから、「この年は最初から終わりまで、この年号とこの年号の組み合わせだ」とは決められないじゃないですか。つまり、南北朝の両統年号併記は、便利どころかむしろ、年号がひとつの年よりも不正確な表示が増えます。右の表を見ながら、考えてみてください。
それと、もうひとつ考えていただきたいのですが、「簡便」さの恩恵は誰が受けるべきでしょう --- 読者ではないのですか。
執筆者は、読者が簡便に知識を得られるようにするために、読みやすくて正確度の高い内容の記事を書くよう努力すべきでしょう。そのためには、右の表みたいに複雑なことでも、ちゃんと調べて書かなければいけません。簡便さを優先して不正確なことを書いてはいけないでしょう。不正確な換算をするくらいなら、参照した資料にある年号だけを書くべきです。
わたしの意見にわかりにくい点、疑問の点などあれば、聞いてくださいね。--Hatukanezumi 2010年10月27日 (水) 14:29 (UTC) 表のタイポを直し、出典を記しました。--Hatukanezumi 2010年10月27日 (水) 15:04 (UTC)
「この年は最初から終わりまで、この年号とこの年号の組み合わせだ」とは決められない、というのは確かですが、それは、1年を「1日の積み重なりとしてしか見ない」ということです。1989年の前の年が1988年であるように、平成元年の前年は昭和63年であるわけでしょう。近代以前に関しては、もともと和暦と西暦のあいだにズレがあるのは常識なわけですから、和暦・西暦併記の際の括弧は、そもそも「=(イコール)で結ぶ」という意味ではありません。ですから、おっしゃることは何ら問題にならないところであり、正確性に問題ありません。ただし、月日を記す段になって注意が必要だということです。ここでは、まさに1日が問題になるわけです。このテンプレート自体には何の問題もないと考えます。--Chokorin 2010年10月27日 (水) 15:46 (UTC)
いや、そのことについて上でわたしが書いたのは「西暦年と和暦年のずれ」のことではないです。「南朝年号と北朝年号のずれ」のことです。--Hatukanezumi 2010年10月27日 (水) 15:54 (UTC)
併記は何も「この年は最初から終わりまで、この年号とこの年号の組み合わせだ」ということの主張ではないわけですね。「元年」とあれば、「この年に改元があった」という程度の話です。その程度のズレは織り込み済みで併記が現実的になされているわけですから、何もここでテンプレートをいじくり回さなきゃならない理由はないわけです。前にも申し上げましたが、テンプレートを使わなければ記事が書けないわけではないのですから、このままにしておくことが最善だと考えます。--Chokorin 2010年10月27日 (水) 16:12 (UTC)
ええと。「併記は何も『この年は最初から終わりまで、この年号とこの年号の組み合わせだ』ということの主張ではない」としたら、表示されている年号に、なにか意味があるんでしょうか。歴史を学び、それについて書こうとするかたなら、年号を記すときは意味があって記しているはずだとおもっていたのですが。
ところで、テンプレートを使わなければ記事が書けないわけではない、それはそのとおりです。そういうかたは、テンプレートが変わってもなにも不都合はないですよね。むしろ、上で述べたようなテンプレートを使っては問題が起こる場合には、皆さんテンプレートの使用を避けておられるかもしれません。
しかし、ウィキペディアには、そういった紀年に関する知識は十分持っていなくても、参加したいという意欲を持っているひとも日々加わっているのです。そういうひとたちに誤解を与えるようなテンプレートは、修正しないよりはしたほうがいいでしょう。
で、この節でわたしが述べた意見については、納得していただけたでしょうか。まだなにか不明の点があるのでしたら、だしてくださいね。--Hatukanezumi 2010年10月27日 (水) 16:34 (UTC)
歴史を叙述していく際に、月日が問題にされず、単に年だけを表記したい場合というのは多いわけです。その際、「1912年(大正元年)」とか「1926年(昭和元年)」という表記は何ら間違っておらず、「○○元年」とあったら、通常はその年の元日は別年号であることが自明なわけですよね。「元年元旦」があるのは歴史上神武天皇と中華民国くらいであり、前者は神話のなかの話、後者は太陽暦への移行と同時におこなわれたという特殊事情によるものです。そもそも両者とも「改元」ではありません。通常の場合「元年元旦がない」というのは常識なわけです。したがって、「西暦△△年(○○元年)」とあったら、もともと「この年は最初から終わりまで同じ組み合わせだ」という意味ではありません。むしろ、元日は別年号だということを明示しているわけです。南北朝時代でも同様です。それでも表示される年号には意味があるわけです。木を見て森を見ないような議論に意味はないでしょう。テンプレートは月日と組み合わせて使用しなければ便利このうえないものであり、正確性においても特に不備があるわけではありません。可読性を損なう改変は絶対にすべきではありません。--Chokorin 2010年10月27日 (水) 22:30 (UTC)
可読性を損なう改変って具体的になんでしょう?確認ですが、少なくとも「subst展開すること」や「手編集」によって「テンプレートを除去して見た目とソースを同じにする行為」はあてはまらないですよね。--Goki 2010年10月29日 (金) 05:05 (UTC)
「可読性を損なう改変」とは、要検証テンプレートを軒並み貼り付けるような改変のことでしょう。--唐棣色 2010年10月29日 (金) 05:41 (UTC)
了解です。「subst展開すること」や「手編集」によって「テンプレートを除去して見た目とソースを同じにする行為」はあてはまらないことは確認できました。(私は左記が問題ないことが確認されれば十分です。)--Goki 2010年10月29日 (金) 23:26 (UTC)
Chokorinさんが、南北朝時代の表示を検討しよう、とおっしゃったので、わたしなりに検討してみました。それについてのわたしの意見はご理解いただけたでしょうか。なにか納得できない点、疑問の点がありますか。--Hatukanezumi 2010年10月27日 (水) 22:37 (UTC)
「1352年(南朝:正平7年、北朝:文和元年)」の表記の具体的に何が問題ですか。文和元年への改元が正平7年中におこなわれていることが明示されているのであり、とてもわかりやすいと思いますが。前にも書きましたが、「西暦△△年(○○元年)」とあったら、もともと「この年は最初から終わりまで同じ組み合わせだ」という意味ではないのですから、何ら問題とならないところです。--Chokorin 2010年10月27日 (水) 22:50 (UTC)
月日が書かれてなければそうですね。(これ以上のコメントは燃料なので自粛します。)--Goki 2010年10月28日 (木) 14:50 (UTC)
それは読者にわかりやすいですか。解説のなかに年号があり、それが「南朝:正平7年、北朝:文和元年」とわざわざふたつの年号をならべたものであれば、読者は「ああ、この記事のこの箇所で解説していることがらは、文和への改元の後に起こったのだな」とおもうでしょう。かえって読者を混乱させるだけです。改元があったことを解説したければ、改元について述べるべき場所で、はっきり「いついつ改元があった」と述べればいいのです (当たり前ですが)。
それと、南北朝時代というのは、皇統がふたつに分裂して互いに正統性を主張しあった時代です。日本では、皇位を継承した者が最初にやる大きな仕事はしばしば、元号を改めることです。つまり改元というのは、自らの皇統の正統性を誇示する行為なわけです (特に、上で述べた後光厳天皇の即位とそれに引き続く改元にはどんな意味があったのか、Chokorinさんならご存知でしょう)。ほかの時代にもまして、この時代については年号 (旧暦年、西暦年とも) の記載に慎重さが必要でしょう (「わからない場合は書かない」という選択も含めて、です)。
さて、この節の議論に関して、Chokorinさんにお願いがあります。「現在のテンプレートのようなやりかたで南北両統の年号を書き並べることは、正しく、有用である」とおっしゃりたいのであれば、専門家の書いた論文や研究書で、そのようなことをしている例を、具体的に複数挙げて論証してください (その論文や書籍の該当個所を、引用して示してください)。そういったやりかたが歴史学の専門家の間でも通用しているやりかただというのであれば、認めざるをえません。逆にそうでないのなら、認めるべきではありません。--Hatukanezumi 2010年10月29日 (金) 12:30 (UTC)

具体的に複数ということでしたので、2冊にあたってみましたところ、2冊ともそのような書き方が認められていました。1冊は、朝日百科『日本の歴史5 中世Ⅱ』(1989年4月。ISBN 4-02-380007-4)です。98ページに、

  • 1350 観応元 正平五:この年より倭寇の活動が激化する(熟語としての「倭寇」が定着し、「庚寅以来の倭寇」の称おこる)
  • 1368 応安元 正平二十三:元が滅び、明が興る

の田中健夫の記述があり、3ページには、

  • 1352 文和一 正平七:2月尊氏、直義を殺す。閏2月南朝軍、義詮と京都に戦い近江に追う。3月義詮、京都奪回。光厳ら北朝三上皇賀名生へ。
  • 1356 延文一 正平十四:二条良基の『菟玖筑集』成立。

などの記述があります(笠松宏至)。 34ページにも、

  • 1336 延元一 建武三:新田義貞らと足利尊氏らの軍勢、鴨川の河原で戦闘。

などの記述があります。これは横井清。 それから、中公文庫の佐藤進一『日本の歴史9 南北朝の動乱』(1974年初版、ISBN 4-12-200077-7)の115ページ

  • 建武3年=延元元年(1336)

また、175ページにも

  • 1333年(元弘3=正慶2)、1339年(延元4=暦応2)

という記載があります。--Chokorin 2010年10月29日 (金) 13:26 (UTC) 

専門家の書いた論文や研究書でお願いします。朝日百科なんかでは機械的に年号を換算しているかもしれませんが、ウィキペディアの記事すべてをそのレベルに統一するわけにはいきませんから。--Hatukanezumi 2010年10月29日 (金) 13:37 (UTC)
田中健夫、笠松宏至、横井清というのは、専門家じゃないのですか。--Chokorin 2010年10月29日 (金) 13:50 (UTC)
巻末などに執筆者の紹介が載っているとおもいますが、そういったところで「主な著書」と紹介されているようなものに「専門家の書いた研究書」がみつかります。またNII論文情報ナビゲータなどでその執筆者の名前で検索してみれば「専門家の書いた論文」がみつかるでしょう。
朝日百科のような、情報をダイジェストして一般向けに提供するする出版物では、年号表示などを一定の方針で簡略化している場合があります (執筆者がそう書いているのではなく、編集者が統一してしまうのです)。良心的な出版物なら、「凡例」をもうけて、そういう方針を明記しているかもしれません。年号表示が簡略化されているか、または、どういう方針なのか明示されていない、という場合は、朝日百科の記事にある年号をそのまま引き写すべきではないでしょう。その記事を執筆するのに使われた参考文献 (これも巻末などに掲載されているはずです) を読んで、本当の年号を確かめるべきです。確かめられないのなら、その年号は書かないほうがいいでしょう。--Hatukanezumi 2010年10月30日 (土) 01:52 (UTC)

(インデント戻す)田中健夫、笠松宏至横井清いずれも著名な中世史家ですけどね。それにまあ、百科事典もまた「情報をダイジェストして一般向けに提供する著作物」でもありますし、そのレベルでは許容されているわけですね。教科書など、西暦を冒頭におく表記では、

  • 旧幕府側は、1868(明治元)年1月、大坂城から京都に進撃したが、鳥羽・伏見の戦いで新政府に敗れ、慶喜は江戸に逃れた。

という表記が許容されています。ちなみにこれは、石井進五味文彦笹山晴生高埜利彦著の山川出版社『詳説日本史』(日B001)です。周知のように、戊辰戦争は慶応4年に始まっており、明治改元は9月のことですので和年号に着目する限り、間違いです。しかし、ここでは「1868年」という西暦主体の書き方であり、その西暦を和暦で説明するなら「明治元年」(明治改元のあった年、明治という元号のスタートした年)ということなのです。正月から明治元年という意味ではありません。厳密な説明としては、「戊辰戦争は、慶応4年(1868年)1月に鳥羽伏見の戦いで始まった、途中で明治改元をはさみ、明治元年になってからも続いたので「戊辰」という干支を用いて呼称する」、というのが正しいでしょう。和暦主体で書けば、そのあたりの説明はしやすいわけですが、しかし、西暦主体で書くことも一般に認められているのであり、略記においては「1868(明治元)年1月」という表記も許容されているわけです。ですから、Hatukanezumiさんのおっしゃることも理解できますが、とはいえ、放置したところでそれほど大きな問題にならないとも言えます。検証の必要を感じた人が検証して手編集で直せばいいだけの話であり、「要検証」テンプレートを貼って可読性を損なう必要はまったくないと思います。どうしても気になるというのであれば、「存命人物」を編集するときに出る注意書きのようなものをつくって編集の際に検証を呼びかけるというような手法が望ましいでしょう。--Chokorin 2010年10月30日 (土) 02:33 (UTC)

コメント 『詳説日本史』という高校教科書はわたしも使いました (ただ日本史A・Bとかない時代ですからかなり前の版ですが)。しかし、……ウィキペディアの記事を高校の教科書レベルの平易な記述にしようというのならわかりますが、高校の教科書レベルの資料を使って書いても記事はそうならないでしょう。教科書を執筆した専門家たちは、もちろん自分も含めた専門家が書いた研究書や論文を参照して書いているのですよ。
すでに話し合われたことを繰り返しておられますが、再度まとめておきます。
  • 日本史分野では、「単独の旧暦年号で日付が確定しないときに、年初年末のずれを度外視して西暦年を併記すること」が許容されているとの指摘は、すでに複数あります。
  • 年号や元号でおおまかな年代を表すときに、旧暦から西暦へ、あるいはその逆へ、わざわざ「正確」に換算するべきではありません。これは当たり前のことです。
この節では、西暦年に南北両統の年号を機械的に併記する場合の話をしています。「現在のテンプレートのようなやりかたで南北両統の年号を書き並べること」が専門家の書いた研究書や論文でも通用しているかどうか、確かめてみてください。確かめた結果は、引用などして示してみてください。急ぎませんのでよろしく。
それと、西暦年で書かれた資料を見て執筆していて旧暦年号の表記が難しいのなら、ガイドラインの原則にしたがって西暦年だけ表記しておくのでもよいのではありませんか。和暦の併記は「望まれます」というだけで、不正確で未検証の年号でも無理に併記する義務など、ありません
とにかく、急ぎませんので、じっくり調べてみてください。大きい図書館や、大学図書館 (最近は、学外者も簡単な手続きで閲覧できるところが多いです) へ行けば、わたしが述べているような資料だって利用できます。 --Hatukanezumi 2010年10月30日 (土) 10:56 (UTC) 微修正--Hatukanezumi 2010年10月30日 (土) 11:02 (UTC)
なんでHatukanezumiさんが断定したり命令したりしているのでしょうね? いつまでも「納得」しないとはこういうことを言うのでしょうか。--氷鷺 2010年10月30日 (土) 11:42 (UTC)
◆「大学図書館へ行け」ということですが、あいにく僻地に住んでいるので、そうそう簡単には行けないです。半年くらいお待ちいただけるなら、もしかしたら行く機会があるかもしれませんので、しばらくお待ちください。あと、誤解なすっているようですが、別段、わたしは「高校の教科書を使って記事を書け」というふうに主張した覚えはなく、「教科書を執筆した専門家たち」が「もちろん自分も含めた専門家が書いた研究書や論文を参照して書いている」とおっしゃるんだったら、当の専門家たちは「1868(明治元)年1月」という表記を許容しているということです。ウィキペディアでも、それに倣って、そのような表記を許容しさえすれば、Hatukanezumiさんが問題視している問題は、実は何ら問題ではないことになります。とするならば、現状のテンプレートそのものには何ら問題はないことになるわけです。この節では「西暦年に南北両統の年号を機械的に併記する場合の話をしている」(?)ということらしいのですが、機械的に併記する場合は当然あり得るでしょう。研究書や論文じゃなくて申し訳ありませんが、村井章介『日本の中世10 分裂する王権と社会』297ページに
  • 1384 (元中元、至徳元):肥前松浦党の46名、一揆盟約を結ぶ。
とあります。確かに、一次史料をもとにすれば「1384」という数字は当時の文献から出てきようがないことは確かですから、論文や学術書では和暦主体にして、北朝側の史料ならば「至徳元年(1384年)」という書き方をするでしょうし、南朝側の史料をもとにして論考する場合は「元中元年(1384年)」というような書き方をするでしょう。「1384 (元中元、至徳元)」のような書き方は、あまりないのかもしれない。ただし、表形式で歴史事象を示すような場合には、論文だろうが学術書だろうが、必要に応じて「現在のテンプレートのようなやりかたで南北両統の年号を書き並べる」でしょう。おそらくそれしか方法がありませんから、そうするほかないでしょう。最後に、「西暦年だけ表記」というのは私は反対です。それを許したのでは、そもそも日本史の記事とは言えなくなってしまうと思います。--Chokorin 2010年10月30日 (土) 15:13 (UTC)
時間のかかることですから、ゆっくり待ちます。それに、ほかのひとが調べて報告してくれるかもしれませんし。Chokorinさんひとりに立証責任があるわけではないです。
Chokorinさんの意見に対して、いくつか述べます。
まず、表形式で歴史事象を示すような場合、簡略化して示すことはあるでしょう。ですが、このテンプレートは表形式で年号を示すためだけのものではありません。地の文で、特定の年や日に起きた事象を記すのにも使われています --- というか、その使用例が圧倒的に多いのです。表形式の例を出しても、地の文での使用について述べたことになりません。
つぎに、ある種の出版物に旧暦年号を西暦年に合わせて機械的に求めているものものがあることは、「#本テンプレート作成の趣旨」節でも指摘があります。しかしこの方法では「年代を知るのに便利なため西暦を主とし」た結果、旧暦年号は不正確になっているわけです。それどころか「1346年(正平元年)」「正平元年(1346年)」といった、西暦年も旧暦年号も不明確な表記の可能性さえあります (上表を参照してください)。
このような資料を執筆の参考にするなとは言いませんが、年号については不正確であることがわかっているのですから、他の資料を参照して正しい年号を記すべきでしょう (図書館にあるような大きめの年表などと対照するとよいでしょう)。一般に、執筆する際は、複数の資料を参照してより正確な記載をすることが望ましいです。
さいごに、Chokorinさんの挙げられた資料は、西暦年を主として年号を記しているものではないでしょうか (旧暦年号は西暦年から機械的に求めているだけですから)。そういう資料を参照するかぎり、正しい旧暦年号はわからないです。「旧暦年号を主にすべきだ」(大意) とおっしゃるのなら、正確な旧暦年号を記載しなければいけませんし、逆に年号がわからないのに無理に「それらしい年号」を書いてはいけません。
きちんと調べていないこと、調べてもわからないことは、書かない。ウィキペディアの記事は、あなたひとりで完成させなくてもいいのです。
というわけで、当節の主題であった南北朝期の年号併記については、資料集めなどに時間がかかるとおもいますので、議論はいったんお休みにしませんか。--Hatukanezumi 2010年10月31日 (日) 02:51 (UTC) 表への参照を付記--Hatukanezumi 2010年10月31日 (日) 02:57 (UTC)
あんまりこういうことは書きたくないけど、Hatukanezumiさんの考え方がウィキペディアで広くルールとして浸透しているとは思えないし、失礼ながら私にはHatukanezumiさんがそれほど日本史や日本史学に詳しいようには思えません。(Hatukanezumiさんの専攻が日本史であったのならお詫びします。)もう少し謙虚になり、相手を対等であると見て議論を進めることはできませんか?--Freetrashbox 2010年10月31日 (日) 03:21 (UTC)
わたしは日本史学専攻ではありません。で、わたしの知識に不足があるというのなら、具体的に指摘してください。よろしくお願いします。
Freetrashboxさんから特に具体的な指摘がないようなら、議論はお休みとしましょう。--Hatukanezumi 2010年10月31日 (日) 03:34 (UTC)

西暦年から旧暦年への換算への対策について[編集]

南北朝の話はお休みということで、旧暦年の表示をどうするかについて提案します。

  1. {{和暦}}の旧暦年対応をやめる、ないしは、使用するとなんらかの注意書きが表示されるようにする。
  2. 旧暦年については、旧暦年を引数として西暦に換算するテンプレートを導入する。
  3. いずれのテンプレートも、subst展開を推奨する。

1. について。旧暦時代のことを書く場合、西暦年から旧暦年号に変換することは問題があります。もともとの旧暦年が正しく表示されなくなる場合があるからです。しかし、わざわざ旧暦年を自分で西暦年に換算してまでこのテンプレートを使う利用者はあまりいないようですから (換算したのなら、その結果を書けばいい)、使っている利用者というのは、「西暦年が主の資料を見て、このテンプレートで旧暦年号を表示している」という場合が多いでしょう。結果として、このテンプレートの使用が不正確な表示を増やしていることになります。

これに対する対策ですが、根本的には旧暦年代について「西暦年→旧暦年号」の換算はやめるべきでしょう。やめないとすればなんらかの注意喚起をすべきだとおもいます。注意書きの方法としていままででた案としては、▼テンプレートの使用箇所ごとに注意書きへのリンクを表示するもの (Hatukanezumi)、編集の際に編集ボックス上に注意書きを表示するもの (Chokorin) があります (後者についてはプロジェクト‐ノート:テンプレート/お知らせテンプレート#編集者への注意をeditintroに置き換えと、そこから参照されているページの議論を見てください)。

2. について。旧暦年号→西暦年の換算であれば、月日が不明の場合に年初のずれを度外視した西暦年を表示することは許容されている、という意見があります。また、月日が伴っている場合も旧暦年代は正しく、月日をもとに西暦年を修正することは比較的容易です。西暦年→旧暦年号の換算のときのように、年が1年ずれたりはしないですから。

したがって、旧暦年代についてテンプレートの利便性が捨てがたいというのであれば、「旧暦年号→西暦年」の換算をするテンプレートを推奨すべきでしょう。

3. について。本文中にテンプレートのまま残しておくと、▼編集時の可読性の悪さ、▼再利用を困難にする、▼テンプレートを変更した場合の過去版への影響、といった問題が起きます。テンプレートをsubst展開することで、これらの問題は (少なくともsubst展開したあとの記事では) なくなります。

なお、上に述べたように、現在のテンプレートは表示が不正確になっている可能性があるわけですが、subst展開するとテンプレートを使用していたかどうかわからなくなります。しかし、テンプレートの使用状況についてはHatukanezumiがデータを定期的に採取しております (/利用実態調査参照) ので、そのデータを見て検証を続けることができます。

以上3点を提案します。--Hatukanezumi 2010年10月31日 (日) 11:58 (UTC)

次から次へと似たような提案を行わないでください。自ら提案しておきながら、議論で旗色が悪くなると節を変える、意見を無視する、議論を休むと一方的に宣言する、修正したと称してまた同様の提案を繰り返す。これでは、イチゲンさんお断りの膨大なノートの山をつくるだけで、いつまで経っても議論は終わらず、参加者を疲弊させるばかりです。--唐棣色 2010年10月31日 (日) 12:53 (UTC)
上の議論を受けての提案です。「旗色が悪くなると節を変える」とはなにを指して言っているのですか。
「意見を無視する」とは何を指して言っているのですか。
「休むと宣言する」とのことですが、休みたくなければお続けください。わたしがそれを止められるはずがないでしょう。
提案について述べてください。特に反対がないのでしたら、提案したことを実施に移します。そうすれば議論は終わります。--Hatukanezumi 2010年10月31日 (日) 13:35 (UTC)
お答えがないようですが。
たとえば、わたしが注意書き表示を提案したとき、あなたは「なぜ反対なのか」をいつまでたってもはっきり言いませんでしたよね。「可読性が悪くなる」と考えるのなら、「このやりかたでは可読性が悪くなる」と言えばいいのです。それを「失敗した人の意見は信用できない」とか「全てが間違っているわけではない」(いずれも大意) などと、他人の揚げ足をとるようなことばかりを言う。だから議論が混迷するし、ぎすぎすもするのですよ。
他人が提案したことに反対なら、はっきり反対の理由を述べたらいいのです。その理由が合理的であれば、あなたの意見が通ります。不合理であれば、通りません。議論というのは、それだけのことです。--Hatukanezumi 2010年11月1日 (月) 11:40 (UTC)
進歩も学習も反省もできないのですね。
(1について)「西暦年→旧暦年号」の変換をやめさせた場合には、そのせいで情報の正確性が失われるケースが出てきますので論外です。使用個所ごとに注意書きをおくのも、確率的に「正しい」ものが圧倒的に多い以上ナンセンスです。そもそも、これまで生体botにより(ろくに内容の確認もなく)subst展開された記事も大量にあるので、テンプレート不使用の記事もすべて対象にすべきですよね。Chokorinさんご提案の、編集画面での注意のみが、現実的な選択肢です。
(2について) 実現可能な選択肢であり、導入「のみ」なら賛成すが、「西暦年→旧暦年号」が問題で「旧暦年号→西暦年」は優れているという説明はまったくの誤りです。結局のところ、「年月日が揃っていてかつその暦法が明確」なケースにのみ、Hatukaneumiさんの満足のいく表記が実現できるのです。性能だけについて言うなら、「西暦年→旧暦年号」も「旧暦年号→西暦年」も同レベルです。
(3について) 可読性云々は、個人的な趣味に基づく主張にすぎません。私は、1949年(昭和24年)よりも、{{和暦|1949}}の方が読みやすいと思いますが、所詮ただの好き嫌いです。そもそも、編集時に読みやすい記事なんてのは「悪いモノ」です。脚注もリンクも画像も表もロクにないということですから。再利用の問題も、本来の・基本的なMediaWikiのマークアップすら満足に再現できない稚拙なツールとかを考慮しろというお話で、まじめに検討する価値のある問題ではありません。過去版云々は、それをまさに実行し進めている人のセリフとは思えませんね。subst展開してしまうと改善のしようもなく、存在を把握することすら手間がかかるのに、どうして「展開すれば解決」みたいな嘘をつけるのか不思議です。Hatukaneumiさんのような誤解(あるいは嘘)を平然と言ってのけるような人物が主導的に進めること自体が不適切であり、継続的に責任を持ってその作業を行えるのか疑問です。--氷鷺 2010年10月31日 (日) 13:44 (UTC)
「生体bot」などという罵倒が根拠になっているような意見に、耳を傾けるべきものがあるとお考えですか。
あなたが「個人的な趣味」だの「所詮ただの好き嫌い」と評する意見を持っているのは、わたしだけではありません。あなたが「稚拙なツール」と評するものを、わたしは作ったわけではありません。あなたは、わたし以外の数多くのひとを敵に回しているわけだ。
「嘘を平然と言ってのけるような人物」といった誹謗 (ちなみに、この評価自体が虚偽です) によってしか他人の意見を否定できないようなかたの発言を、微塵でも尊重する必要があるでしょうか。
あなたの発言はもう何度も聞いたので (そして聞くと不愉快になり、議論が壊れるので)、もう発言なさらなくてけっこうです。--Hatukanezumi 2010年10月31日 (日) 14:01 (UTC)
懲りもせずに同じことを繰り返し言っているのはそちらでしょう? ノート:李垠でのような、都合の悪いことは無視して平気ででたらめを並べるような真似をされて、私もうんざりしているのですよ。同じことをずっと主張し続けていれば通るとでもお思いですか。上のを撤回されるのならすぐに黙りますが?
個人的には「生体bot」だけなら良い意味なんですけどね(それにかかる修飾語を省略しました)。「好き嫌い」は私自身を含めた双方の根拠なき主張に対していったものですし、「敵」などというくだらないカテゴライズをするなら、自分の主張にあわないものを排除し間違いだと断ずるあなたの方が、敵だらけでは? あなたの仰る「間違い」が本当にそうだったとしたら、一流の研究者が(一般向けの本とはいえ)それを許すでしょうか? --氷鷺 2010年10月31日 (日) 15:09 (UTC)

Hatukanezumiさんの3つの提案についてですが、それに先だって、著名な日本史研究者が編著者として名をつらねる、前掲した山川出版社の高校用教科書『詳説日本史』では、

  • 旧幕府側は、1868(明治元)年1月、大坂城から京都に進撃したが、鳥羽・伏見の戦いで新政府に敗れ、慶喜は江戸に逃れた。

という表記がなされていることについては、どうお考えなのでしょうか。まずは、このような表記をウィキペディア日本語版では許容するのか、それとも、許容しないかということの合意が形成されない限りは次の段階には進めないと思うのですが、いかがでしょう。Hatukanezumiさんは頭から「許容しない前提」に立って論を進めていらっしゃるようにみえて、少し残念です。--Chokorin 2010年11月1日 (月) 02:25 (UTC)

コメント Chokorinさんにみっつのことを書きます。まず忠告。つぎに発言への応答。最後にこの節での提案の説明です。ちょっとまってね。--Hatukanezumi 2010年11月1日 (月) 11:40 (UTC)
まず忠告です。ウィキペディアで高校教科書や一般向けの書籍・ムックを根拠に主張を展開するのは、やめたほうがいいとおもいます。「Chokorinさんは、そんなものを資料にして記事を書いているひとなのか」と、まわりから思われます。わたしとしても、そういうかたを「歴史分野の優れた執筆者」と認めることはできません (熱心さは買いますが、記事執筆に関する意見を重くは見ない、ということです)。
どんなに僻地でも、年に何度かは県立図書館レベルの大きな図書館や大学図書館へ行く機会があるでしょう。そこで、教科書や一般向け解説書でない書物を見てきてください。ウィキペディアのすぐれた記事というのは、そういうものを参考資料にして書かれているものではないですか。ちなみに、わたしだって勤め人ですから、そうしょっちゅう図書館に行けるわけではありません。しかも大学というのはわりと郊外にあるもので、ほとんど小旅行です。--Hatukanezumi 2010年11月1日 (月) 11:47 (UTC)
つぎに発言への応答です。「多様な書きかたを許容する」というのはウィキペディアでは重要なことです。が、ここは特定のテンプレートについて話し合うノートです。ですから「許容」を考えるのなら、テンプレートが多様な書きかたを許容するための話し合いをしなければなりません。テンプレートが許容するとは、
  • たとえば、「テンプレートを使った記事でも、テンプレートを使わないひとや使い慣れていないひとにも容易に編集できるようにする」ということです。substして使うことにすれば、これはできますよね。
  • このことはまた、「テンプレートを使った記事を修正したいひとも、容易にできるようにする」ということでもあります。多くの年号は実際には特定の日のことを書いているのですから、年号や西暦年を「正確」なものに直したいひとはいるでしょう。これも、subst展開されていないとできません (そもそもそういうひとはテンプレートを普段使わないでしょうから、テンプレートになっていると何が表示されるか直感的にわからないでしょう)。
  • またたとえば、「テンプレートを使うのなら、改元年を一律に『元年』にしたいひともしたくないひとも、使えるようにする」ということです。西暦年から旧暦年号への換算では一律に「元年」になってしまいますが、旧暦年号を入れて西暦年を併記するものなら、改元年でも旧元号を表示できますよね。
テンプレートはいろいろなひとが使うし、それを止めることはできないのですから、「Chokorinさんのやりかたに合っていればいい」ということにはなりません。それは許容と反対のことです。--Hatukanezumi 2010年11月1日 (月) 12:07 (UTC)
最後にこの節での提案の説明です (上でも一部説明していますが)。
テンプレートは多くのひとが使うものですから、単にいろんな書きかたを許容しさえすればいいというものではありません。まちがった使いかたができるだけできないようにしなければなりません。その点、このテンプレートには欠陥があります。
それは、「正確に換算された西暦年を入れると、間違った和暦年がでることがある」という点です。
たとえば、松前慶広豊臣秀吉に謁見し、秋田安藤家から独立するための言質を得たのは天正18年12月29日のことです。これはそれなりに重要な史実ですし、大晦日だということもあって正確な年号を記したいところです。正確に西暦に換算すると1591年1月24日となりますから、記事を執筆したひとの資料には「1591年」と書いてあるかもしれません。しかし、{{和暦|1591}}は「1591年(天正19年)」になってしまうのです。
旧暦年と西暦年がかさなっている月日についてはたしかに、西暦年→旧暦年号でも旧暦年号→西暦年でも、結果は同じでしょう。しかし、重なっていない場合は、西暦年→旧暦年号では、より正確なはずの旧暦年号が間違ってしまうことがあるのです。旧暦年号を西暦年に換算するテンプレートのほうがより間違いが少ないわけです。
以上、提案の理由説明として、subst化の意義と、旧暦年号→西暦年の換算にすべきことを述べました。--Hatukanezumi 2010年11月1日 (月) 12:42 (UTC)
とりあえず一箇所だけ。『旧暦年号を西暦年に換算するテンプレートのほうがより間違いが少ない』は誤りです。正確に言うなら、年のみを引数とするテンプレートは「新暦(西暦) → 旧暦(和暦)」だろうと「旧暦(和暦) → 新暦(西暦)」だろうと性能に差はありません。(ただし、改元年のある特定の出来事に限り、かつ法的な改元の年始遡及を否定する考え方(あるいはその出来事のあった時点での元号を優先する考え方)に基づく場合には、後者の方が「正確」な確率が高くなります) 正確性を実現するには、元のデータが旧暦か新暦かは無関係であり、「年月日」さえ揃えば良いのです。逆に言えば「年」のみでは、Hatukanezumiさんの追及する「正確な」表現は実現不可能です。--氷鷺 2010年11月1日 (月) 13:57 (UTC)
◆ひとつ質問です。Hatukanezumiさんのおっしゃる「一般向け解説書でない書物」というのは具体的にどのようなものを想定していますか。中公版『日本の古代』『日本の中世』『日本の近世』のようなものは含まれますか。岩波講座は含まれますか。あるいは、大学や研究機関の研究紀要のなかに、山川出版社の教科書と同様の表記があったらOKということですか。それから、「検証可能性を満たす書籍」「検証可能性を満たさない書籍」の区分については、もっぱらHatukanezumiさんのお決めになることですか? お答え下さい。--Chokorin 2010年11月1日 (月) 20:44 (UTC)
質問の意図がいまひとつわかりません。
  • わたしはこの節の提案で、「1868年(明治元年)1月」という表記をできないようにしようとは、言っていませんよ。
  • わたしが専門家の研究書・論文でたしかめてくれと言ったのは、南北朝期の元号年号を比較対照する形で本文中に表記する場合です。単独の元号年号と西暦年の併記では年のずれが許容されているということは、認めていますから。
  • もちろん、どういう資料でもちゃんとした出版社からでている資料を使って記事を書けば、検証可能性自体は満たします。しかし、検証可能性は記事の書きかたについての方針で、議論の論拠にすることとは関係ないです。
提案の説明まではしたので、しばらく (1週間程度) 発言をひかえます。--Hatukanezumi 2010年11月1日 (月) 22:19 (UTC)
お答えありがとうございました。が、もっとも肝心な部分のお答えがスッポリ抜けているようです。「専門家の研究書」とは具体的にどのような書籍ですか。言い換えれば、「一般向け解説書」と「研究書」の境目はどこにありますか。そしてまた、「一般向け解説書」と「研究書」の区分は、もっぱらHatukanezumiさんが一方的にお決めになることなのでしょうか? --Chokorin 2010年11月1日 (月) 23:58 (UTC)
(追記)Hatukanezumiさんの御返答は、山川出版社『詳説日本史』における「1868年(明治元年)1月」という表記はjaWPにおいて許容されるという意思の表明と見なしてよいのでしょうか? それから、南北朝期の元号年号を比較対照する形で本文中に表記する例としては、中公文庫の佐藤進一『日本の歴史9 南北朝の動乱』175ページの「1333年(元弘3=正慶2)、1339年(延元4=暦応2)」をすでに掲げています。御承知だろうとは思いますが、佐藤先生は日本中世史の泰斗として、日本史を少しでもかじったことのある人ならば誰でも名前くらいは知っているという著名な先生です。それなのに、どうしてHatukanezumiさんが、そのような中世史研究の第一人者が執筆した表記を「研究書や論文に書かれたものではない」という一事をもって簡単に却下できるのか。そこのところ、わたしには不思議でなりませんので、御説明くださればと思います。それから「大学図書館へ行け」との御命令ですが、逆に言ったら、Hatukanezumiさん御自身はどういうものであったら納得できるのか、それをお示しくださいということです。命令する以上は、その基準を示すのが筋ではないでしょうか。お示しいただきましたら、わたしはここでの議論より撤退したいと思います。どうぞ、よろしくお願いいたします。--Chokorin 2010年11月2日 (火) 02:54 (UTC)
当節の議論と離れますので、Chokorinさんの会話ページでお答えします。--Hatukanezumi 2010年11月6日 (土) 02:37 (UTC) mv lk--Hatukanezumi 2010年11月20日 (土) 03:21 (UTC)

高校の教科書の件については、以前唐棣色さんが(しかもこの議論の「ド頭」で)書いていることですのでわざわざ再質問する必要はないと考えます。私はこの件についてはどちらが良いかの言及はしませんが、中等教育における教科書において暦の正確性を追求することより他に重きをおくべきものがあるということですよね。それとWikipediaの目的と一致するかどうかに尽きるかと思います。--Goki 2010年11月4日 (木) 04:12 (UTC)

議論を追っていないので、「ド頭」と言われてもどこにあるのかわかりませんでした。そんな状態で議論に参加して申し訳ありません。また、Wikipedia:コメント依頼/Hatukanezumi、Goki、氷鷺では、この議論からは撤退する旨、申し上げておきながらここに書き込みすることは心苦しく思います。御容赦ください。
さて、「1868年(明治元年)1月」という表記が好ましいのか、好ましくないのかと言われれば、確かに、個人的には好ましくないと思います。明治元年には1月はないのですから。客観的にも、好ましいとは言えないでしょう。ただ、そうであってもそれが許容できるか、許容できないかは、また別の問題として残るでしょう。私の立場としては、「好ましくないけれども許容できる」ということです。「どちらがよいか」という単純な話ではありません。
人によっては、「表ないし年表形式のなかでなら許容できる」とか、「本文中でも許容できる」とか、あるいは「一切許容できない」とか、意見が分かれるところでしょう。意見は分かれてよいわけですが、そこで合意が得られないままに、どんな提案がなされようと、それは手順を間違えた議論であり、先走った提案でしかありません。結局、同じところをグルグルまわるだけです。だから、「許容できるかできないか」をまず議論して結論を出すべきでしょう。
「許容できる」論拠としては、一流の学者が表形式のなかであるとか、教科書のなかにおいては「現に許容している」という事実があります。とするなら、出典に照らしても問題ないということになります。
「一切許容できない」というのであれば、許容できない何らかの論拠がやはり必要です。
もし、「許容できる」ということで合意が形成されるのであれば、Hatukanezumiさんの御提案は解決方法としては上策ではなく、むしろ下策かもしれません。「1868年(慶応4年)」と記せば、「その年は改元のなかった年なのだ」というふうに誤解される可能性があるので、むしろ現状のままの方がよいということになるでしょう。
むしろ解決方法としては、テンプレートそのものをいじらないで、「凡例」(正確には「西暦年の和暦併記における凡例」)をつくり、「{{脚注ヘルプ}}」のようなかたちでリンクで結ぶ方法があります。要するに、「改元のあった年」たとえば「慶応4年で明けて明治元年で暮れた年」は年初からすべて「1868年(明治元年)」のように表す—————というふうに、現状の和暦テンプレートの特質に合わせたような「凡例」ないし「ただし書き」をつくり、そこへリンクで飛ばしてやるわけです。そうすれば、今までの和暦テンプレートは可読性を損なうことなく、現状のまま問題なく使え、より正確な加筆修正や西暦換算を待てばよいだけになります。いっぽう、今後も「和暦テンプレート」を使ってスイスイ、楽々と大量の作表作業が可能になります。このテンプレートはシンプルなつくりであることが持ち味になっており、そのことによってすばらしい利便性を発揮しています。jaWPにおける日本史記事の将来を考えると、今後はいっそう年表等資料の充実が望まれると思いますので、この機能はそうそう簡単に捨て去るべきではありません。もっとも、以上は「許容できる」という合意が得られたとしての話です。ですから、繰り返しますが、山川出版社教科書の「1868年(明治元年)1月」のような表記が「許容できるかできないか」をまず議論すべきということです。--Chokorin 2010年11月4日 (木) 14:24 (UTC)
#本テンプレート作成の趣旨に書かれています。私のことをどうこう書く前に、どこに書かれているか聞いてください。批判するのはそれからにしていただきたいですね。--Goki 2010年11月5日 (金) 00:24 (UTC)
すでに説明されていたわけですね。御教示いただき、ありがとうございました。それなら話が早いですが、明治6年以前は太陰太陽暦を採用しており、唐棣色さんがお示しになった凡例文にあるように、和暦と西暦のあいだには約1か月前後のズレが存在していることは周知の事実です。また、日本史の叙述のなかで、グレゴリオ暦採用以前については、月日の記述には通常和暦が使用されることもまた周知のことです。西暦に換算された月日を併記することも、ごく稀にはありますが、換算済みの西暦だけを記すというケースはまずありません。日本史の月日の記述は和暦が原則と考えてよいでしょう。もっとも、単に「1868年1月」と書けばグレゴリオ暦のそれと誤解することはありうるので、「1868年(明治元年)1月」のように必ず和年号を付して、日本史の話題であることを明示することは推奨されるべきです。また、「#本テンプレート作成の趣旨」に掲げられたような凡例をつくり、リンクで結ぶやり方はいっそう検討されてしかるべきでしょう。氷鷺さんがおっしゃったように、『岩波日本史辞典』や『国史大辞典』でも、そのような表記が許容されているというのであれば、出典上も問題ありません。むしろ、和暦テンプレートを使用した記事を完全にフォローするような丁寧な凡例づくりに傾注すべきでしょう。Gokiさんのことをどうこう書いた覚えはなく、批判した覚えもありません。考え方にいささか相違があるようですが合意は可能と思います。合意をかちとりたい当の相手を、意見が違うというだけで排除しようなどとは思っていません。グレゴリオ暦採用以前の年については、西暦主体の「1868年(明治元年)1月」という書き方よりは和暦主体の「慶応4年(1868年)1月」「明治元年(1868年)9月」の方が好ましいと個人的には思っていますが、長期のスパンで歴史を叙述する必要のある場合、西暦主体(ただし月日は和暦)の表記も場合によっては必要になってきますし、年表の作表に際しても西暦主体の方が便利です。教科書はじめ辞典・事典類がそのような表記をおこなっているとしたら、当然、それをもとに記述する人は今までもいたでしょうし、これからもいるでしょう。それを止めることはできないのではないかと思います。もっとも、正確さにおいてほぼ完全に正確な表記が、
というような書き方であることは確かであり(それでも、時差の問題はのこります)、自分も自身で執筆した記事の場合にはそのような換算もしばしば行いますが、それも、1つの記事に何回も出てくると多少うるさくなってくるわけで、何らかの略記が必要になります。結局、話題はテンプレートそのものの問題というよりは、略記をどうするのかという問題になってしまうわけですし、現状もそのような議論になってしまっているように思います。そうであるとすれば、このノートで話し合うよりは、むしろ別の場所で日本史執筆者も多数まじえて「和暦・西暦併記における略記のルール」を策定した方がいいのではないかとも考えます。いかがでしょうか。--Chokorin 2010年11月6日 (土) 10:24 (UTC)
再度説明します。
日本史分野では、「旧暦年号を、年初のずれを無視して西暦年にする」という慣習があります。この場合、西暦年は1箇月前後の不正確さをふくみます。このような表記については、この場のみんなが認めています。しかしそれは、「旧暦年は、西暦年と同等だ」ということではないです。
たとえば、この編集を見てください[6]。結果はこうなります[7]箱館政権の樹立は明治元年12月 (1869年1月) だったはずなのに、「明治2年」になっています。なぜこういうことが起こるのか、よく考えてみてください。
「旧暦年号を、年初のずれを無視して西暦年にする」場合には、旧暦年号が変わってしまうことはありません。換算の結果、西暦年はやや不正確なものになって いますが、1箇月前後のずれにとどまります。ところがこのテンプレートは、「正確に換算された西暦年でも、年初のずれを無視して旧暦年号に逆換算する」の です。結果は上のように、年号が完全に1年ずれてしまいます。使うひとが注意すればいいという問題ではないでしょう。
「西暦年から旧暦年号への換算」という方法をとっているかぎり、このような、利用者の意図しない表示が生み出されます。ですから、西暦年→旧暦年号の換算はやめるべきです。どうしてもテンプレートが必要なら、旧暦年号→西暦年の換算をするものにすべきです。--Hatukanezumi 2010年11月6日 (土) 13:10 (UTC)
このケースはやや特殊だと思いますね。とはいえ、「1869年→明治2年」という変換そのものは妥当なものと言えるのではないでしょうか。というのも、このケースの場合は、月日に和暦ではなく「換算された西暦」を採用し、そこから導かれた1869年なわけですね。太陽暦採用以前の日付の表記に太陽暦を使用するのはいかがなものかと個人的には思いますね。JPOVの議論があるわけですから、まったく想定外というわけではないわけですけれど、そこをどうするかはテンプレートの仕様とは別個の議論が必要なのではないでしょうか。その議論の結果、指針やルールが定まり、明治6年以前の月日に関して和暦採用ということになったならば、このケースは凡例の策定によって充分に対処できる案件ではないでしょうか。--Chokorin 2010年11月6日 (土) 14:18 (UTC)
旧暦から西暦への換算をすれば問題が起こらない、ということは理解していただけたでしょうか。
なお、「西暦年→和暦年号」でも「和暦年号→西暦年」でも、表示される年号は「西暦年(和暦年号)」にも「和暦年号(西暦年)」にもできます。いまのテンプレートも、そしてわたしが試作したテンプレートでも、表示は「西暦年(和暦年号)」の形式になっていますが、表示の形式を変えることを提案しているのではないです。--Hatukanezumi 2010年11月6日 (土) 16:07 (UTC)
そのような新テンプレートを新たに作るのは一向に構いませんし、大いに結構なことだと思います。しかし、このテンプレートの代替になるものではないので、全く無関係に作成していただきたいです。--唐棣色 2010年11月6日 (土) 17:29 (UTC)
もちろん、代用にはなりません。{{和暦}}が使われている箇所を単純にそのようなテンプレートで置き換えても、間違った表示が直るわけではなく、むしろ間違いが固定されてしまいますから。
ですので、Template‐ノート:和暦/利用実態調査#和暦テンプレート 2では、これまでテンプレートが使用された箇所の年号を、すべて外部の資料で検証しなおす作業をすすめています。データはすべて採取ずみですので、テンプレートの変更はすすめていただいてかまいません。いまのところ自分が作業している年代しかアップロードしていませんが、作業してみたいかたは自分のやりたい年代を言ってくださればアップロードします。--Hatukanezumi 2010年11月6日 (土) 18:30 (UTC)
「代用にならない」ということで合意が成立するのであれば、唐棣色さんがおっしゃるように、現状のテンプレートはそのままで、まったく無関係に新しいテンプレートをつくるということでよいのではないでしょうか。もちろん、Hatukanezumiさんの作業はそのまま継続していただくということでよいと思います。たとえば、
*現状の「和暦」テンプレートの仕様はこのままで、名称をたとえば「表和暦」のような名に改めたうえで、
*Hatukanezumiさん作成の新しいテンプレートの名称を「和暦」テンプレートとする。
という案であれば、個人的には同意できます。もともと、西暦と和暦の併記には、改元にかかわる問題と1年間のズレの問題があるわけで、その正確な一致は、テンプレートの有無やそのあり方とは無関係です。にもかかわらず、年数の計算や西欧では同じ頃に何があったかということも重要だから併記しているというだけの話です。Hatukanezumiさんのテンプレートを採用することによって生じた問題は、Hatukanezumiさんの修正に委ねるということでよろしいのではないでしょうか。現在のシンプルなつくりのテンプレートは、これはこれで歴史記事の作表などでは大変有用性が高いのですから、それとは別に、常に使える状態にしておくことが望ましいと思います。--Chokorin 2010年11月6日 (土) 23:57 (UTC)
もう一度、わたしが上で挙げた事例を見、なぜそうなるのかを考えてください。
「和暦年号→西暦年」という換算のずれは許容されていますが、それは換算元の和暦年号が正確だという前提があるからです。西暦年がいくらか不正確になるとしても、史料にもともと書いてあった年号は変わりません。
しかし、この{{和暦}}テンプレートの旧暦年についての動作は、このテンプレートで想定したずれかたをしている西暦年から、旧暦年号を推定します。つまり、西暦年は不正確だという前提があるわけです。したがって、厳密に換算した西暦年を入力すれば、和暦年号→西暦年のときとは逆の方向にずれた和暦年号が表示されます。これは、もとの史料にあるはずのない年号になります。
これをふたたび西暦年→和暦年号旧暦年号→西暦年の換算をしてみても、間違いを発見する助けにはなりません。もともとの和暦年号が変わってしまっており、それにつじつまのあう西暦年になってしまっているのですから。
これまでに{{和暦}}テンプレートを使った箇所については、ここで指摘したような間違いが生じていても、間違いを機械的に検出することはできません。テンプレートによって引き起こされたミスがないかどうかは、ひとつひとつ確かめるしかないのです。そういう意味で、ほかのどんなテンプレートも「代用にならない」です。逆に、今後もテンプレートを使いたいのなら、旧暦年号→西暦の換算をすることにすれば、ここで指摘したようなまちがいはこれ以上生まれません。今後、旧暦年代については「西暦→旧暦年号」の換算をするのをやめましょう。--Hatukanezumi 2010年11月7日 (日) 03:23 (UTC)若干修正--Hatukanezumi 2010年11月7日 (日) 05:49 (UTC)
 その提案には何度も反対しています。--唐棣色 2010年11月7日 (日) 04:06 (UTC)
なぜ反対なのか、根拠を挙げて説明してください。ただ「反対しています」とか、ただ「それは必要ない」(大意) とか言われても、議論のしようがないですし、納得のしようもありません。
あなたはこのテンプレートを作ったかもしれませんが、テンプレートはあなたのものではありません (ちなみに、最初に旧暦年の処理を追加したのは唐棣色さんではありませんが)。根拠なく提案を拒みつづけることは、してはいけないのです。--Hatukanezumi 2010年11月7日 (日) 05:32 (UTC)

※ここにあった議論は#途中参加者による議論理解への試みへ移動しました。

この節は長くなってしまいましたので、提案については節をあらためてやりなおします。--Hatukanezumi 2010年11月27日 (土) 05:02 (UTC)

まずはご自分が何を提案されていて、何を撤回されたのか整理されてから、新たな節を作られるべきだと思います。現状では、このノート全体で何が提案されているのか、サッパリ分かりません。議論への新規参加者が現れにくいのも当然です。--唐棣色 2010年11月27日 (土) 05:28 (UTC)

「明治元年一月」について[編集]

「明治元年一月」は単純に誤りではなく、後から変えられたものとはいえ「法的には」むしろこちらが正確ですよ。明治改元までは、その年を○○元年とするというふうに勅書に書かれていたはずです。また、教科書に限らず山川出版社の本には「西暦は和暦の年から単純換算、改元年は新元号で統一」という本があるようですし、

  • 『岩波日本史辞典』岩波書店、1999年
  • 『国書人名辞典』岩波書店、1993年
  • 『日本歴史大事典』小学館
  • 『国史大辞典』吉川弘文館、1979年
  • 『日本史大事典』平凡社、1992年

こういった事典類も「西暦は和暦の年から単純換算」で表記しています。改元年についても(それぞれ少し異なりますが)少なくとも、大正改元以前の改元年で月日まで書かない場合は、いずれも新元号で書かれているようです。年表類も同様なのは言うまでもないでしょう。これらで使われている表記でも、Hatukanezumi氏による氏のための基準……一般向けだとかいった理由で切り捨てられるのでしょうか。--氷鷺 2010年11月4日 (木) 17:17 (UTC)

「明治元年一月」の表記が問題があるかどうかなんて誰も論じていません。よく読みましょう。--Goki 2010年11月5日 (金) 00:32 (UTC)
とだけ書いてしまうと他の方々への印象がよろしくないので補足すると
  • 明治元年(1868年)1月
  • 1868年(明治元年)1月
と和暦・西暦を併記した場合の正確性についてです。私は問題があるかどうかは文脈次第だと考えているので一概には回答しかねます。ただ、テンプレートのまま放置することによって形式を固定することについては問題がある場合があると考えます。太陽太陰暦で明治元年1月であっても、グレゴリオ暦で1868年1月とは限らないからです。重ねて書きますが、これらの正確性をどう考えるかは文脈次第です。--Goki 2010年11月5日 (金) 00:39 (UTC)
(さらに補足)その上で#本テンプレート作成の趣旨に唐棣色さんが書かれているような内容とWikipediaの目的が合致するかどうかだと上で書いているのです。--Goki 2010年11月5日 (金) 00:42 (UTC)

提案していないこと[編集]

なお、つぎのことは、わたしはここで提案していません。

  • 西暦と旧暦年号の表示順序については、テンプレートの問題として提案するつもりがありません。それはWikipedia‐ノート:表記ガイド#西暦と和暦を併記する際の順序についてで議論されていますので、そちらでおやりください。テンプレートは執筆の役に立つように作られるべきなので、テンプレート自身がガイドラインを左右してはいけないでしょう。
  • 改元年を新元号元年で表示するべきかどうか、それにどんな意味づけができるかも、テンプレートが決めることではありません。少なくとも、旧暦年代を史料に即して記して議論や解説をする文章でであれば、一律に改元年を新元号元年で表すようなことはしないでしょう。ここでわたしが提案しているのはむしろ、新旧どちらの元号も表示できるようにしようということです。
  • ついでに、リンクのつけかたも、ここでは提案していません。リンクの重複については、「同一ページにひとつずつ」「節ごとにひとつずつならよい」「重複しても気にしない」など、いろいろな立場があるでしょう。substを義務づけることでよしとするひとも、テンプレートにオプションを増やすことで解決したいというひともいるでしょうけれど、この節では特に考えていません。

--Hatukanezumi 2010年11月6日 (土) 13:10 (UTC) タイポ、小節分け--Hatukanezumi 2010年11月6日 (土) 13:20 (UTC)

コメント依頼の提出[編集]

このノートでの議論について、一部の方の参加態度に疑問があるため、Wikipedia:コメント依頼/Hatukanezumi、Goki、氷鷺を作成しました。--Freetrashbox 2010年11月1日 (月) 12:17 (UTC)

上記の文を見ても分かるとおり、Wikipedia:コメント依頼/Hatukanezumi、Goki、氷鷺は、このノートでの議論について提出されていますよね。また、当該記事における実際の議論を見ても、このノートでの議論と深く関連していると思います。「利用者に対するコメント依頼であり、このページの議論に対するコメント依頼ではない。」という指摘は当らないと思うのですが。--Qrsk075 2010年11月8日 (月) 16:37 (UTC)
で、あなたはこのノートページの議論にせよコメント依頼で依頼されているコメントにせよ、なにか言いたいことはあるのですか。あれば、それぞれの場でぞんぶんに言えばいいのであって、つまらないテンプレート貼りつけ作業に執心する必要はないでしょう。もうやめてくださいね。--Hatukanezumi 2010年11月8日 (月) 17:06 (UTC)
コメント依頼の記事とここでの議論は関心を持ってみていますが、告知テンプレートの設置と私になにか言いたいことがあるかどうかは関係ないですよね。つまらないテンプレート貼りつけ作業とおっしゃいますが、広くコメントを求めることを目的として告知テンプレートは設置されているのであって、あなたにつまらないなどと言われる筋合いはありません。なんでいきなり喧嘩腰に対応されて、おかしな命令までされなければいけないのか理解できません。非常に困惑してしまいます。--Qrsk075 2010年11月8日 (月) 17:42 (UTC)
Wikipedia:コメント依頼のガイドラインによりますと、「いままで議論に関わっていなかった利用者に議論への参加を広く呼びかけることができます。議論に参加する人が増えれば、問題が解決する可能性は高まります。」とあり告知することは問題解決に役立つとされています。また「提示されている場所での議論が終結するか、最後のコメントから1か月経過しているもの」とのありますので、この基準が満たされたからテンプレートを除去されてはいかかでしょうか。--219.105.254.173 2010年11月8日 (月) 17:57 (UTC)
当の議論を行っているページに貼っても「議論への参加を広く呼びかける」効果はありませんので、除去しました。
また、コメント依頼自体は当ノートの議論そのものではなく、議論に参加している特定の利用者の行動に関するものです。当ノートでコメント依頼で話されていることをコメントしたり議論したりするようしむけるのも、コメント依頼で当ノートで話されているテンプレートの問題を議論するようしむけるのも、議論への妨害行為です。
議論に参加することは歓迎されます。しかし、つまらない撹乱は歓迎されません。もうやめてくださいね。----「やめてくださいね」というのは命令してるわけじゃないです。諭しているだけですよ。---Hatukanezumi 2010年11月8日 (月) 23:45 (UTC)
まず、テンプレートに書かれた文章をよくお読み下さい。「このページに関するコメント依頼が提出されており、コメントを広く求めています。「Wikipedia:コメント依頼/Hatukanezumi、Goki、氷鷺」にてコメントをお願いします。このタグは2010年11月に貼付されました。」と書いてあります。このテンプレートは、このノートにおける議論そのものへの参加を広く呼びかけるものではなく、このページに関するコメント依頼が提起されていることを告知して、コメントへの参加を広く呼びかけるものです。したがって、当の議論を行っているページだから参加を呼びかけても効果がないというのは的外れです。また、当該コメント依頼は、このページにおける一部の参加者(Hatukanezumi氏を含む)の態度・行動が、このページの議論の進行と参加促進の支障になっていることを憂慮して行われたものです。Hatukanezumi氏がたびたび告知テンプレートをはがしているのは、自らの所行が広く知られてしまうことをおそれて、告知を妨害しているようにしか見えません。そのような認識が間違っていると思うならば、コメント依頼の場でぞんぶんに言えばいいのであって、つまらないテンプレートはがし作業に執心する必要はないでしょう。--Qrsk075 2010年11月9日 (火) 03:41 (UTC)
コメント「当の議論を行っているページに貼っても「議論への参加を広く呼びかける」効果はありません」とありますが、私はそのような事はないと思います。また幅広く意見を求める告知そのものが「議論への妨害行為」には当てはまらないと思います。テンプレートはがしに反対意見がある以上、今しばらくは議論への参加を広く呼びかけるテンプレートはこのままの状態が良いと思います。Wikipedia:コメント依頼のガイドラインにそった基準が満たされ後に、テンプレートを除去するのが望ましいと思います。いろいろな方々の意見を募り、早期に問題を解決し、テンプレート除去できる状態になる事を望んでいます。--223.133.55.94 2010年11月9日 (火) 06:35 (UTC)
いいかげんやめたらどうだろう。告知のテンプレートを貼る貼らないとか瑣末なことについて自説をだらだら垂れ流すやつとか、また揚げ足を取られるに決まってるのに理由も書かずに差し戻しするやつとか、ここの人間は馬鹿ばっかりか。--219.67.171.131 2010年11月9日 (火) 03:54 (UTC)
私もテンプレートそのものの議論と利用者の議論姿勢についての議論は直接には関係ないと考えており、議論が分散する可能性も考えられたので、Freetrashboxさんの報告だけで十分と思いテンプレートを除去しましたが、当該利用者のコメントを広く求めるべきとの意見が複数あるのでこれ以上の差し戻しは控えようと思います。--新幹線 2010年11月9日 (火) 08:49 (UTC)

提案 Wikipedia:コメント依頼/Hatukanezumi、Goki、氷鷺は、11月28日を最後に追加の意見もなく、Wikipedia:投稿ブロック依頼/Hatukanezumi 20101128に議論が移っているように思えます。提案者より「私としてはここでコメント依頼を閉じたいと思います」とのコメントがあり、Wikipedia:コメント依頼の指針にある「議論が終結した」と判断してもよいかと思われ、上記テンプレートを除去できる状況になったと思います。特に反対意見が無ければ、1週間後12月4日前後にテンプレートを除去したいと思います。--219.105.253.179 2010年12月2日 (木) 18:16 (UTC)

チェック 現在の状況はテンプレート除去出来る状況になったと判断し、反対意見もありませんでしたので除去しました。--219.105.252.148 2010年12月4日 (土) 19:05 (UTC)

途中参加者による議論理解への試み[編集]

※この議論は#西暦年から旧暦年への換算への対策について より移動してきたものです。

横から失礼。歴史記事を触らせていただくこともあり、この議論は時々眺めさせていただいてました。その上で利用者:Hatukanezumi会話 / 投稿記録さんの和暦年号→西暦年換算というアイディアには感心させられています。しかしどんな妥当な提案だとしても、高圧的にご自身の意見を押し付けられては纏まるものもまとまらないでしょう。特にここ最近では他の議論参加者に敬意を欠いた発言を繰返されていらっしゃいますので感情的な反発が出ても当然のことでしょう。そもそもテンプレートみたいなものは一番使い勝手のいいものへ大半の者が流れて行く、そういうものではないでしょうか。百言費やして他の方が価値を見出されているものを否定するより、皆が使いたくなる様なテンプレート作成に専念されてみてはいかがでしょうか。--黒森 2010年11月7日 (日) 05:49 (UTC)

押し付けるつもりはないから、自分の意見も言うし、対策も提案するし、反対の理由も聞いているわけです。
ちなみに言い訳するわけじゃないんですが、わたし自身はかなり穏健な提案ばかりしてきたつもりです。
テンプレート作者のかたおふたりは、自分のテンプレートが使われなくなることを非常に恐れているように見えます。それを阻止するためなら修正や機能廃止の提案を徹底的に拒み、揚げ足取りをしてでも意見を受け入れまいとする場合さえ見られます。こんな不愉快な論争の種になるテンプレートは、できることなら廃止してしまえばいいとおもいますが、それではおふたりの感情が許さないでしょう。だから、大量の手間をかけて対策をしているんです (テンプレート案をつくったことだってそうですし、検証作業だってそうです)。
昨日だって半日図書館にこもりましたし、今日はその結果のまとめのために予定していた外出をやめました。好きでやっていることとはいえ、これ以上手間を増やされるのは、たまらないです。せめて、このテンプレートを使って起こる問題が、これ以上増えないようにしてほしいです。--Hatukanezumi 2010年11月7日 (日) 06:16 (UTC)
断定、言い切り、アンダーラインなどの強調を多用していて、相手に穏健な提案だと受け取ってもらおうとするのは無理があると思いませんか?利用者:Hatukanezumi会話 / 投稿記録さんと他の議論参加者の間に既に信頼関係が形成されており、そういった誤解を受けないことがはっきりしているならばともかく、ここの議論をみているとそうではないようですよね。穏健な提案をされているおつもりなのでしたら、そう受け取ってもらえる書き方をしてみては如何でしょうか。なお、先の発言は利用者:Hatukanezumi会話 / 投稿記録さんの利用者:Chokorin会話 / 投稿記録さんへの返答に対するものです。コメントつけた位置が悪かったようです。その点お詫びします。--黒森 2010年11月7日 (日) 07:26 (UTC)
ああ、そうなんですか。じゃあ、信頼関係を醸成するのを手伝っていただけませんか。
過去ログも通してみていただければわかるように、わたしはこの議論に途中から積極的に参加するようになった者です。むしろ、テンプレート初版作者のかたたちはなぜここまで、テンプレートの変更を提案する者 (わたしだけではありません) に不信の念を抱き、攻撃的なのか、そちらのほうが不思議です。ご協力をお願いします。
この節のアンダーラインを消してみました。これでなにか変わりますかね。--Hatukanezumi 2010年11月7日 (日) 07:40 (UTC)
過去ログやもうひとつのテンプレートの議論は見ていませんが、ここの議論を眺めた限りでは、問題意識の共有(問題があるというだけでなく、その重要度も含めてのことです)ができてない段階で、相手が受け入れにくい提案を続けたから強い反発をうけてるように見受けられます。問題意識の共有や複数の解決策の模索、それを他の議論参加者と共にやった上で進むべき方向をきめられたのなら、ここまでこじれることはなかったのではないかでしょうか。--黒森 2010年11月7日 (日) 08:12 (UTC)
ええとね。このノートの議論には、これまでいろんなひとが仲介に入ってきたわけですが (わたしももともとはそのひとりです。過去ログなどを参照ください)、なぜか紛糾し続けているのですよ。
最初に問題意識の共有が必要だと考えるのでしたら、そのためにひとつ、力をかしてもらえませんか。過去ログからひととおり議論を読んで、まとめてみてくださいませんか (わたしがやってもたぶん「議論姿勢の不自由な利用者」ということで、考慮されないのでしょうからね。皮肉で言っているのではないです)。
そのために黒森さんに時間が必要だというのなら、お待ちします。どのくらいかかりますか? --Hatukanezumi 2010年11月7日 (日) 08:29 (UTC)
ええとですね、私のそもそもの指摘は、「紛糾し続けるこの議論を続ける必要はないのでは?」というものであったことを思い出して頂けませんか。その上で利用者:Hatukanezumi会話 / 投稿記録さんが議論を続ける必要性を感じていらっしゃるというのでしたら、その問題意識を私にも共有できるようご説明願えませんか。こうも論点が多岐にわたる議論はまとめるにもエネルギーが必要になりそうです。まとめ自体の必要性を感じてない状態では手をつけたくないというのが正直な所です。--黒森 2010年11月7日 (日) 10:35 (UTC)
インデント戻します。
わたしの問題意識ですが、テンプレートを記事中に残しておくことに問題があるという指摘がなされていることを、もっとも重大な問題と考えています (これはもともと、わたしの創案ではありません。Wikipedia:削除依頼/Template:Jdatebirthのコメントや、このノートの議論を読んでください)。履歴継承や再配布といった、ウィキペディアのライセンス方針の根幹にかかわる問題ですから、ほかの論点のすべてを規定する論点だと考えます。この問題に気づかなければ、わたしはテンプレートの変更にこれほど熱心にはなりませんでした。
両テンプレート ({{jdate}}と{{和暦}}) でsubst展開が安全にでき、subst展開が義務か少なくとも推奨となることで、この問題は解決できるでしょう (少なくとも、その後テンプレートが使われる場合については。--- それ以前の過去の版でテンプレートが使われているのは、いまさらどうしようもないので、将来問題が起きたらコミュニティみんなで引き受けるしかないです)。
「subst展開が安全にでき」るとは、執筆者が書くはずのないものを出力しない、ということです。なぜなら、subst展開するとテンプレートを使ったのか普通に書いたのかの区別がなくなりますから、テンプレートは執筆者の意に反した出力をするべきではないからです。そのような「意に反した出力」として、これまでに提案されてきたのは次のものです。
  1. 誤記。テンプレートで想定していない引数が入力された結果、執筆者の想定しない表示になる。
  2. 近代の改元年の元号。執筆者が意図せず不正確な元号を表示する。
  3. 旧暦年号と西暦年との間の換算。執筆者は正しい年号を意図して正しく入力したにもかかわらず、誤った年号を表示する。
これらの問題に対してテンプレートで対策がとれていれば、subst展開を安心して実施できます (いまのところテンプレートページにsubst展開の説明がないのは、安心して実施できないからです)。
で、これらのうち、ひとつめとふたつめについては{{和暦}}テンプレートに反映されています。ですから、みっつめが解決すべき最後の課題ということになります。
みっつめへの対策については、当ノートの上のほうで話し合われましたが完全な解決をみず、いま当節でふたたび話し合われています。
ちなみに{{jdate}}に関しては、対策を含んだテンプレートがサンドボックス上ではすでに実現しているにもかかわらず、上記3点はもちろんsubst展開への対応さえも主作者に拒絶され、対策がまったくできない状況になっています (当ノートをお読みください)。
これが、わたし自身の議論の見通しです。
黒森さんはどう考えますか。(時間がかかってもけっこうですので) これまでの議論をひととおり読んでみて、意見をきかせてください。なにか納得できない点、不審な点、疑問の点があれば指摘してください---議論の要不要の判断は、そのうえでお願いします。--Hatukanezumi 2010年11月7日 (日) 13:01 (UTC)
Hatsukanezumi氏の説明に補足します。
  1. 「テンプレートを記事中に残しておくことに問題があるという指摘」について→#三たびおさらいの「テンプレートのまま残しておくことに対するデメリットは、」の部分(他は読む必要ありません)と#subst展開についてのKinori氏の説明部分。
  2. 「subst展開への対応さえも主作者に拒絶され」ている問題について→#Template:Jdate: subst対応の正式化
です。--Goki 2010年11月8日 (月) 05:07 (UTC)
ご提示ありがとう御座います。少しゆっくり眺めてみようと思います。--黒森 2010年11月8日 (月) 13:31 (UTC)
補足しますが、上のはわたしが議論をまとめたいと考える動機ですので、ほかのかたは異なった見通しを持っているかもしれません。
  • 記事中にテンプレートを残しておくことの問題については、おもに編集 (既存の記述の修正を含む) の観点から問題視する意見がだされてきました (逆に、ライセンス上の問題についてはほとんど議論されていません)。
  • テンプレートが年号の書式を一定の形式に固定しようとしているという意見もあり、過去ログも含めた当ノートの議論の発端はここにありました。
これらの意見を主張してきたかたは、議論にまた別の見通しをもって参加されてきた/いるかもしれません。そういうかたは、わたしと同様、見通しを語っていただければとおもいます。--Hatukanezumi 2010年11月8日 (月) 12:02 (UTC)
当初私が想定していたより数段奥が深そうな議論であることは分かってきました。西暦→旧暦換算の廃止(実質的にこのテンプレート廃止の提案と同義ですね?)は不要な提案ではなかったかという思いは変わりませんが、subst展開の扱いについて決着がつくまで議論を続ける必要性を感じていらっしゃるという点も理解しました。ただまだ理解が至らない所もあり、「ウィキペディアがメディアウィキ側にどこまで対応する必要性があるのか」「ウィキペディアが提供するものはブラウザや印刷画面に表示されるものなのか、あるいはソースも含めてなのか」の2点につきこのノート以外の場所で解説もしくは先行議論がありましたら、教えて頂けますか。
ところで一点余談。利用者:Goki会話 / 投稿記録さんがノートの冒頭で指摘されてる<ref>タグ内でsabust展開が出来ない点についてですが、{{#tag:ref}}を使う回避方法があるのではないでしょうか。少なくともプレビューをした範囲では特に問題はなさそうに感じました。また私が乱入して以降、元の議論と外れたところで議論が長大化しているようにも思います。節を分け最下部に移そうかと思いますが如何でしょうか。--黒森 2010年11月8日 (月) 13:31 (UTC)
どこで分けるか考えていたところです。節分け、お願いできますか。--- 乱入とはおもいません。議論を方向付けようとしていらっしゃるとおもっています。--Hatukanezumi 2010年11月8日 (月) 23:56 (UTC)
移動前ですが答えてしまいますね。
とりあえずわたしが念頭に置いているのは、「Wikipedia:データベースダウンロード」の解説です。ここでは「再配布や再利用のためにデータベース・データの提供が行われています」と述べています。これはXML形式のデータですが、これに含まれる記事の内容はウィキテキストです。メディアウィキが表示するXHTML形式のデータ、つまり「ウェブページ」では、ありません。
またこの解説ページには「記事を大量にダウンロードするためにクローラを使わないで下さい。」とあります。つまり、大規模な再利用・再配布についてはウェブページを取得するのではなく、ウィキテキストを取得したうえで、取得した側で適切に表示するよう求めているわけです。実際、ウィキペディアの記事を再利用した百科事典サイトがいくつも稼働していますが、こういったものは (まともなサイトなら) データベースダンプを利用しています。ウェブページをダウンロードしてそのまま表示するようなことはしません。
また、言語学でのコーパス作成や、知識の組織化についての研究や調査をしたいとおもったときに、ウィキペディアの記事群は素データとして有用です ()。このような場合も、ヘッダやナビゲーションボタンなどが付加されているウェブページではなく、純粋に記事の内容だけを取り出せるウィキテキストが利用されるでしょう。
もちろん、ウェブブラウザを使って直接ウィキペディアにアクセスし、気に入った記事をウェブページとして閲覧したりダウンロードしたりすることも、利用・再利用の一形態です。しかし、記事の本質的な情報というのはウィキテキストではないでしょうか。--Hatukanezumi 2010年11月9日 (火) 15:56 (UTC)
返答遅くなりました。数日、このノートや過去ログ、[[jdate]]のノートを読み直しておりました。その上で、議論継続の必要性、および議論の整理も必要であると感じましたので、#中間まとめ案を作ってみました。ただし、このまとめは後付けで各議論の位置づけを行っていますので、議論参加者各位の考えておられたものとは少し違うかもしれません。また私の解釈にも不適当な点があるかもしれませんので、その点ご指摘下さい。--黒森 2010年11月15日 (月) 14:59 (UTC)

両テンプレートの機能比較[編集]

節分けを前提として、論点整理のための情報を追加しておきます。ですのでこれも移動していいです。

このノートでは主にふたつのテンプレートについて話し合われてきました。テンプレートページに書いてある説明をもとに、両者の簡単な比較をしてみます。

表2 両テンプレートの機能比較
機能 {{和暦}}  {{jdate}} 備考
西暦年を元号年号に換算 (明治より前の旧暦年) {{和暦|1800}} → 1800年(寛政12年) ×(チェック ) {{jdate|1800}} → jdate - 対応していない年代です 和暦は正確な西暦年をずれて換算することがある。また改元年は新元号元年を表示する。jdateは表示が乱れる (対策済み)。
西暦年を元号年号に換算 (明治の旧暦年) {{和暦|1868}} → 1868年(明治元年) ×(チェック ) {{jdate|1868}} → 1868年明治元年)[年号要検証]
{{jdate|1868|1}} → 1868年明治元年)[年号要検証]1月
{{jdate|1868|1|1}} → 1868年明治元年)[年号要検証]1月1日
両者とも、正確な西暦年をずれて換算することがある。jdateは日付を指定した場合、新暦の月日項目にリンクする。また閏月を表示できない。
西暦年を元号年号に換算 (新暦年) {{和暦|1900}} → 1900年(明治33年) {{jdate|1900}} → 1900年明治33年)
{{jdate|1900|1}} → 1900年明治33年)1月
{{jdate|1900|1|1}} → 1900年明治33年)1月1日
jdateは月日まで指定できる。ただし、常にリンクされる。
西暦年を元号年号に換算 (近代の改元年) チェック {{和暦|1926}} → 1926年(昭和元年)[元号要検証] △(チェック ) {{jdate|1926}} → 1926年大正15年)[元号要検証]
{{jdate|1926|12}} → 1926年大正15年)[元号要検証]12月
{{jdate|1926|12|25}} → 1926年大正15年)[元号要検証]12月25日
改元年の元号が不明確なとき、和暦は新元号を表示する。jdateは旧元号を表示する。
近代の改元年で元号を明示的に指定する方法 {{和暦|1926t}} → 1926年(大正15年)
{{和暦|1926s}} → 1926年(昭和元年)
{{和暦|1926ts}} → 1926年(大正15年/昭和元年)
{{jdate|1926|*}} → 1926年昭和元年) 和暦は新旧元号いずれも明示的に指定できる。jdateは旧元号を明示的に指定する方法がない。
元号年号を西暦年に換算 (明治より前の旧暦年) - - 両者ともできない。
元号年号を西暦年に換算 (明治の旧暦年) チェック {{和暦|明治|4}} → 1868年(明治4年)[西暦年要検証]
{{和暦|m2}} → 明治2年(1869年/1870年
- 和暦は明治4年以前は年が不正確になる。明治5年も月日の記載とともに用いた場合に旧暦か新暦かが曖昧になる。jdateはできない。
元号年号を西暦年に換算 (新暦年) {{和暦|大正|15}} → 1926年(大正15年) - jdateはできない。
  • jdateはもともと、旧暦年の表示を想定していないことがわかります。いっぽう和暦にない機能として、月日の指定ができます。
  • 和暦は、性格の異なるいくつかの機能をあわせもっています。西暦から元号年号への換算では、旧暦年と新暦年の両方に対応しようとしています。さらに、明治以降については元号年号を西暦年に換算する機能ももちます。いっぽう、月日の指定はできません。
  • 両者とも、現在のところ「西暦年(元号年号)」の形式の表示をします。ただし、和暦が元号にリンクをつけないのに対し、jdateはリンクをつけます。--Hatukanezumi 2010年11月9日 (火) 12:31 (UTC) 若干箇所修正--Hatukanezumi 2010年11月9日 (火) 12:42 (UTC) Qrsk075さんによる追記 追記--Hatukanezumi 2010年11月9日 (火) 15:10 (UTC)
  • {{jdate}}の変更が反映されましたので、表を改訂しました。対策がすんでいる箇所にチェック をつけました。--Hatukanezumi 2010年11月27日 (土) 02:13 (UTC) (チェック )は、{{jdate}}のサンドボックスにあるものの現時点では反映されていない変更です。--Hatukanezumi 2010年11月28日 (日) 11:12 (UTC)

中間まとめ案[編集]

現行和暦系テンプレートの問題点
和暦系テンプレートの問題点として下記の3点が指摘され、対策としてsubst展開への対応、およびsubst展開の推奨もしくは義務化が提案された。
  1. 表記の固定化。特に重複リンクや2重括弧の(1)固定化
    これらの点に関しては、それが問題なのかどうか疑問視されてもいる。
  2. 換算の不正確性。
    現行和暦系テンプレートは基本的に改元や旧暦と新暦のこよみのずれについて配慮が不十分であり、入力された西暦年を一律に一定の元号年に換算している。(一部和暦から西暦への換算、オプションによる改元年への対応もあり。)(2)ただし、旧暦年に関しては改元元年を正とする考え方も存在する。
  3. ソースから実際に出力される表示の想像が困難。そのため外部での再利用、エディタ等に引き取っての加筆の妨げになる。
    出力を想像し難いという点については、一定数の方が不便を感じていることが提示された。一方、「ほとんどの記事には、インフォボックスをはじめ、要出典、告知や提案のテンプレート、スタブテンプレート、Mainなどの他記事参照テンプレート、曖昧さ回避テンプレートなど、何かしらテンプレートが使用されています。こういう状況で「テンプレートは難しいから初心者向けじゃない」というのはあまり合理的では」ない、「この程度の「簡単な」「表示が見やすくなる」テンプレートによって、編集作業がまったく不可能になるほどのひとへの配慮は」必要ないのではないかとの見解も出されている。外部での再利用に関しては、「ウィキペディアの規格外のパーサに対する配慮は、あくまで副次的なもの」ではないかとの異見も出されたが、「ウィキペディアのコンテンツはライセンスに従うかぎり再配布・再利用が可能なものです。記事を利用するときに、テンプレートの機能がなければ記事になんと書いてあるか決められないなんて、困る」と反論されている。
ただし、1、2についてはsubst展開は根本的な解決ではなく、後に修正を(1)しやすくする対処療法的なもの。
subst展開することの欠点
一方subst展開することの欠点(1)および記事中にテンプレートを残す利点としては、
  1. <ref>タグ内でエラーとなる
  2. 初心者がテンプレートの存在やその使用法を知る機会を奪う
  3. (1)(改元年・旧暦年以外では)100%正しい結果が出力されるので信頼性が増す。
  4. (1)ソースが簡略化される。
(1)4点が出され、1点目に関しては「テンプレートを使用せずに書き下ろせばすむ」、2点目に関しては、現在のテンプレートは積極的に広めるほどの価値はないと指摘されている。
subst展開義務/推奨化に対するその他の意見
本文中にテンプレートをそのまま残すことの是非については、他のテンプレートでも許容されていることや、「方針・ガイドラインといったレベルで合意を取り付けることが先ではないか」といった意見もあったが、それは「スピード違反の論理」ではないかとする指摘や、「テンプレートはテンプレートのままにすることによって「ソースを簡略化できる」「スタイルを統一できる」というメリットがあるわけです。これに対して和暦テンプレートは「記事の本文を構成するテンプレート」ですので、他のテンプレートと比べて初心者に編集しづらいというデメリットをまともに受けることになってしまいます。また、必ずしもソースが簡略化されるわけでもありませんし、テンプレートの使用が強制されないならスタイル統一のメリットもない」という和暦系テンプレートの特異性も提示された。
subst展開義務/推奨化議論の途中経過
テンプレートのsubst展開対応に関し、#Template:和暦: subst対応の正式化で合意がなされ、Template:和暦ではsubst展開を可能にする修正がされた。jdateは未対応。推奨化/義務化の議論はまだこれから。
換算不正確性
換算の不正確性を生む要因は2種類。
  1. 改元年に関するもの。改元年であることを意識せずに西暦年を入力すると{{和暦}}では改元後の年号がデフォルトで表示される。近代年号に関してはオプションで改元前年号を表示出来るが、確認を取らずに改元後年号を表示させてしまうケースも存在する。
  2. 旧暦新暦のこよみのずれ。旧暦(太陽太陰暦)と新暦(太陽暦)では年初が一致しない。1年を大まかな年くくりとして捉えている場合には問題にならないが、年初の期間を問題とする際、こよみのずれが問題になる。また、編集者の入力する日付が新暦のものか旧暦のものか不明。
1の近代改元年に関しては、{{和暦}}では[[要年代検証]]テンプレートが付けられ、確認、修正を促す措置が採られた。なお[[元号要検証]]テンプレートを外すにはsubst展開が必要となる。2に関しては、和暦→西暦換算をしているものに[[西暦年要検証]]が添付された。旧暦年のその他のものについの対策は未定。また和暦→西暦換算の新テンプレートの導入(改元に関する問題は解決される)、ウィキペディア上での暦の表示に関する凡例作成が提案されている。
換算の不正確性対応の途中経過
#検証が必要な年代表示にて、近代以降の改元年と旧暦年に関しsubst展開および注意書きの表示が提案され、{{和暦}}では近代以降改元年についてのみ{{和暦}}テンプレートに[[要年代検証]]テンプレート、旧暦期間の和暦→西暦換算をしているものに[[西暦年要検証]]テンプレート組み込みが決まる。テンプレートを外すにはsubst展開が必要。{{jdate}}はいずれも未対応。それ以外の旧暦年に関しては、#西暦年から旧暦年への換算への対策についてにて議論中。
未決事項
  1. {{jdate}}のsubst展開対応の是非
  2. {{和暦}}、{{jdate}}、新テンプレートのsubst展開推奨化/義務化の是非
  3. 現行和暦系テンプレートを使って表示されている旧暦年への対策
その他現在進行中の議論
  • 南北朝元号併記の是非について

以上。黒森作成--黒森 2010年11月15日 (月) 14:59 (UTC) 下線(1)追加及び修正黒森 2010年11月18日 (木) 15:00 (UTC)下線(2)追加及び修正--黒森 2010年11月27日 (土) 11:19 (UTC)

コメント 明治改元以前の改元については、そもそも「○○何年」を「△△元年」とするように元号を改めるので、どちらが「正確」「不正確」とは断定できません。「慶応4年2月」「明治元年2月」は、いずれも「正しい」ものであり、あるいはいずれも「間違い」とも言えます。--氷鷺 2010年11月18日 (木) 23:36 (UTC)
下線(2)を追記してみましたが利用者:氷鷺会話 / 投稿記録さんの意図が汲み取れているのかいまひとつ自信が持てません。もしよろしければ直接修正をお願いできませんか。--黒森 2010年11月27日 (土) 11:19 (UTC)

議論を通してみた上でのコメント[編集]

議論に対するコメント依頼も出ているようですので、これまでの議論を通読した上でのコメントもしておきます。

疑問点
  1. ソースから出力を確認し難いとする指摘について
    subst展開以外話題になっていないが、対策はそれしかないのだろうか。先にsubst展開という解決策ありきで議論がされているようで違和感。
  2. テンプレートを記事中に残すメリットについて、初心者へのテンプレートの存在周知しか意見が出ていないが、本当にそれだけだろうか。
その他のコメント
  1. 実際にテンプレートを使っていらっしゃる方の意見が利用者:Chokorin会話 / 投稿記録さんお一人を除いて出てきていない。テンプレートみたいなものでは、実際に使われている方の感じている使い勝手は重要な問題のはず。まず無批判で、便利と感じる点、不便と感じる点について意見を集めてみることが必要ではないか。
    これをやることで、仮にsubst展開が義務化されても現在テンプレートを使っているかたも不便と感じないように工夫をしていく手掛かりになるのではないか。例えば、入力の容易さのみに利便性を感じている方が多数なのであれば、subst:と打たずとも強制的にsubst展開すれば使い勝手は落ちない、etc…
  2. subst展開の話と和暦西暦換算の話は本来別の問題に係わらず、両者をまぜこぜにして議論されており議論の混乱と議論参加者間の不審を煽ってるように見受けられる。例えば和暦西暦換算の問題の中で、年号要検証タグを外すにはsubst展開が必要、あるいは旧暦年号への対策にもsubst展開推奨とある。こうしたことは本来無関係の和暦西暦換算の不正確性の問題を利用してsubst展開を押し進めてしまおうと解釈されても仕方のないやり方ではないか。あくまで両者は別個に扱うべき。

以上。--黒森 2010年11月15日 (月) 14:59 (UTC)

コメント 黒森さん、まとめありがとうございます。そうとう見通しがよくなったとおもいます。若干コメントします。
  • 表示形式の固定化に限っていえば (つまり、ソースでの可読性の問題をわきに置けば)、subst展開以外の解決策としては「オプションで表示を変えられるようにする」というものが考えられます。ただ、利用者にはかえって煩雑な使用法を強いることになる。そのため、subst展開義務化への支持不支持にかかわらず、提案するひとがいないのだとおもいます。
  • subst展開の話と換算結果の話は、本来別です。ただいっぽう、subst展開してしまうと不正確・不正な換算結果が固定されてしまうという問題がある。
    既存のテンプレート使用については把握できても (実際、把握しています)、今後はじめからsubst展開して使った場合には把握できない。利用者が気づかずに不正確な年号や不正な表示を作り出してしまうことになる。
    ですから問題が逆だとおもいます。「現に不正確な表示があるからsubst展開の理由づけに利用している」のではなく、「今後も不正確な表示に対策がされている必要がある。ましてsubst展開するなら (義務づけなくても) 対策は必須になる」ということではないでしょうか。既存の使用についてはあとで別個に修正もできるのです。--Hatukanezumi 2010年11月16日 (火) 12:43 (UTC) small fix--Hatukanezumi 2010年11月16日 (火) 13:02 (UTC)
コメント 私からも回答できる範囲で回答しようと思います。
疑問点について
  1. テンプレートの予備知識がない人でもソースが理解しやすいようにすることが目的なのでsubst展開が最良の選択肢と思われます。
  2. テンプレートを記事中に残すメリットについては他に以下の2点が挙げられています。
    • (改元年・旧暦年以外では)100%正しい結果が出力されるので信頼性が増す。
    • ソースが簡略化される。
その他のコメントについて
  1. subst:と打たずとも強制的にsubst展開というのは技術的に不可能かと思います。
  2. タグを外すのにsubst展開が必要というよりは、年号を自動換算するのではなく自分の手による入力が必要という意味だと思います。--新幹線 2010年11月16日 (火) 13:30 (UTC)
  • subst:と打たずとも強制的にsubst展開 - ごめん。これ、わたしが言ったことかもしれない。なんかできるような気がしたんですよね。
    ただ、「subst:」と書かないと使えないようにはできる。試作した旧暦→西暦テンプレートではそうなってます。はじめから「substして使います」ということにすればいいので。{{sakujo}}なんかはそうですよね。--Hatukanezumi 2010年11月16日 (火) 14:15 (UTC)
コメント「100%正しい結果が出力されるので信頼性が増す。」よりもリンクの形式がどんな時でも固定されるほうが私はデメリットが大きいと当初から主張しています。ましてや{{Jdate}}の初期の版はひどいものでした。(と、改めて書いておきます。何度も書いている理由は作成者がこの点に対して非を認めていないためです。)--Goki 2010年11月16日 (火) 17:03 (UTC)
コメント 私は、subst展開には反対も賛成もしません。subst展開の前提として要検証テンプレートを強制貼付することには、一貫して反対しています。--唐棣色 2010年11月16日 (火) 15:11 (UTC)
わたしは「旧暦年代に一律に注意書きを入れる案は、もうあきらめています。」と言っているはずですが。#歴史分野執筆者の立場からの発言を読んでください。--Hatukanezumi 2010年11月16日 (火) 15:22 (UTC)

皆さん回答有難うございます。一部纏め案に反映させて頂きました。その上で2点ほど。換算の不正確性とsubst展開に関してですが、私が問題視しているのは、subst展開をしないと修正出来ないような手法を選択した点です。今現在の所ではsubst展開の義務/推奨は合意されていないのですから、テンプレートをテンプレートのまま使用しても[[年号要検証]]タグを外せないと現在の枠組みを外れることになります。[[年号要検証]]タグ添付の要点はデフォルトのまま元号年を表示するのではなく、一手間かけて改元前なのか後なのかを選択させることにあるはずですから、デフォルトでは西暦年のみ表示、オプションで元号年を選択、その状態でsubst展開も可という方策を採れば換算の不正確性問題を利用してsubst推奨を推し進めようとしているのではないかという下衆の勘ぐりを入れる余地は元から無かったでしょう。2点目は利用者:新幹線会話 / 投稿記録さんより回答頂いたうちの’’’疑問点について’’’の1に対して。ソースの分かりやすさという一点にのみ注目した場合、subst展開がbestな答えなことは私も同感です。しかしテンプレートに必要とされる役割や機能はそれ以外にも色々考えられるわけですよね。そうした他の要素との兼ね合いを考えた時subst展開が必ずしもbestな答えとは限らないわけです。例えば、入力の容易さやソースの簡略化を度外視し、編集の容易さとソースの読み取りやすさのみに注視するなら、(2){{Cite book}}みたいに{{和暦|元号年 = 平成10 |旧暦月 = |旧暦日 = |新暦月 = 11|新暦日 = 18|元号リンク = 有り |西暦年リンク = 無し |併記記号 = 括弧}}と引数をテンプレート中に表示させる形も有りうるのではないでしょうか。(1)これまでの議論の中で、換算の正確性とソースの読み取りやすさが考慮しなければいけない要素の一つであることは示されていますが、その他の要素についてはどうなのか、そもそもどんな要素があるのか、そういった点は十分に議論され尽くされているとは思えないのです。そうした中でsubst展開がbestだと言われましても、ソースの読み取りやすさのみ重視しようとする結論ありきの議論ではないかと感じてしまうわけです。私は前回のコメントで、テンプレートを実際に使っていらっしゃる方の意識調査をしてみたらどうかと提案しましたのも、どういった要素があるのか、あるいはどういった要素はあまり考慮に入れなくてもいいのか、それを考える手掛かりになるのではないか、そういった視点からのものでもあります。無論そうした検討をし尽くした後にsubst展開がbestだとする結論に辿りつく可能性は十二分にあるとは思います。
ところで{{Cite book}}もどきテンプレートを書いていて一つ思いつきましたが、(3)入力用テンプレートと記事中に残すテンプレートを分けることは可能でしょうか。つまり、入力用テンプレートをsubstすると、ソースに別のテンプレートが残る(例:入力{{subst:和暦|明治1|旧|9|8|/}}→ソース{{和暦|元号年 = 明治1|旧暦月 = 9|旧暦日 = 8|新暦月 = |新暦日 = |元号リンク = 有り |西暦年リンク = 有り|併記記号 = / }}→表示[[1868年]]10月23日/[[明治]]元年旧暦9月8日)といったことが可能かどうかといった質問です黒森 2010年11月18日 (木) 15:00 (UTC)

特定の月日の指定まで必須にする改変には、反対します。なぜならば、そもそもこのテンプレートは、月日まで特定しなければ得られない「正確性」を求めていないと解するからです。かような意味での「正確性」は、新規のテンプレートによって実現されることをお勧めします。--唐棣色 2010年11月18日 (木) 16:47 (UTC)
コメント う、ちょっと待ってくれ。
{{和暦}}に関して言うと、おおまかにみっつの機能があるわけですよね。▼西暦年から元号年号への換算 (新暦年)、▼西暦年から元号年号への換算 (旧暦年)、▼元号年から西暦への換算 (うち明治元年-5年は旧暦年)、です。これらは分けて議論しないと混乱するのではないでしょうか。——テンプレートの変更や仕様削減の提案が、しばしば「テンプレートの即時廃止」と受け取られて激越な反応を引き起こしてきたのも、それが一因ではないかとおもいます。
わたしは、テンプレートの換算を厳密なものにすればいいとはおもいません。が、かといって厳密でない現状でよいともおもいません。
たとえば、Chokorinさんの問いへの回答をするなかでわかってきたことは、「一次資料からわかる年が不正確な場合はある」。しかし、「不正確であることをも厳密に書き表す方法はある」、ということだとおもうからです。
より厳密な換算のできるテンプレートを用意しても、もとの資料の年が厳密でないことはあるのですから---というか、人間のいとなみをすべて厳密に書き表そうなんて無理な話です---それだけでは解決になりません。
いっぽうで、現行のテンプレートの使用をすすめる立場だと、結局「不正確であっても、換算できるのはよいことだ」という立場 --- つまり検証可能性を無視して「それらしい年号」を記載することをよしとする態度にいきついてしまいます。
換算をいくら厳密にしても解決しませんが、不正確さを積極的に認めるのもおかしいわけです。---言ってること、わかるかな。
でとにかく、テンプレートの機能そのものについて、もうすこしこまかく腑分けしたほうがよくないでしょうか。--Hatukanezumi 2010年11月18日 (木) 22:34 (UTC)
誤解を与える書き方をしてしまったみたいですので、取り急ぎ追加説明を。私の先のコメントの要点は下線部(1)。下線部(2)はあくまで例示。それも個々の引数を入れても入れなくても使える{{Cite book}}を念頭に置いたもの。下線部(3)は後に具体的に仕様を詰める際に採りうる選択肢を増やせないか、そういった視点からの質問。先のコメントで具体的な仕様に関する提案は全くしていません。--黒森 2010年11月18日 (木) 23:25 (UTC)
(具体的な提案はしていない世言う前提でコメントしていますのでご承知おきを)現状より極端に引数を増やすようなテンプレートの改定はやめてほしいですね…。それをするならいよいよ「subst義務化」の話が出てきますよ。(私は例の件があるので提案はしません)--Goki 2010年11月19日 (金) 04:04 (UTC)
コメント ええと。黒森さんのまとめはよくできているとおもいます。しかしここでは、ご自身の立場を述べておられると考えていいですね。それに対していくつかコメントします。
ます、subst対応、誤記対応、不正確な表示への注意書き表示については、両テンプレートともすでに実施の段階にある、ということを指摘しておきます。
  • なお、{{jdate}}については上のほうの節で議論されてきましたが、変更提案への反対意見には十分こたえがなされてきましたし、その後は反対していたかたからの反論もありません。最後のデバッグをしたのち、リリースしてよいでしょう。
  • {{和暦}}の旧暦部分についても議論になっていますが、subst展開するためではなく、不正確な表示をどうやって検証するかが論点です。
もうひとつ。これまでの論争の当事者たちには、ひとつ共通点があります。それは「シンプルな結果をよしとする」という点です。
たとえば▼Lincunさんは自作のテンプレートが単純なアルゴリズムで著しい結果を出しているという点に強い自負を持っていたため、テンプレートに「余計な」機能---誤記対応など---を付け加えることに長いあいだ難色を示していました (もちろん、彼の言動はこれだけで説明できるものではないですが)。▼唐棣色さんは旧暦年に大量の注意書き表示が発生する (およそ3000項目6000箇所と推計されています) ことに反対し、いっぽうでsubst展開について賛否は特にない (大意) と言っています。▼またたとえばKinoriさんらは、編集の際に結果が直感的にわからない (大意)、つまり執筆が余計な思考で中断されることを問題にし、subst義務化を提議しました。
結局のところ、subst展開の是非が問題になってきたわけではない、とおもいます。
また、このようなシンプル志向に沿うならば、テンプレートの使用結果が普通の文章と同じになるsubst展開が最善の対策として提案されるのは当然ともおもいます。
上に述べたように、subst対応自体は、もはや争点ではないです。議論するなら、使用の際にsubstを推奨するかどうか、ないしはsubst義務化をする かどうかです。まして、subst展開に賛成する者は「subst対応のために不正確な表示をあげつらっている」(大意) という解釈は、あたらないとおもいます。--Hatukanezumi 2010年11月19日 (金) 10:23 (UTC)
コメント 書き忘れた。「テンプレート使用者のコメント」がほしいのなら、「議論活性化のためのコメント依頼」をだしてみてはどうでしょうか。--Hatukanezumi 2010年11月19日 (金) 10:23 (UTC)
簡潔に。「subst展開の是非」は問題にしていません。議論の進め方に対する指摘です。「subst展開に賛成する者は「subst対応のために不正確な表示をあげつらっている」(大意) という解釈」はしていません。そう見られてもしかたの無い行動だったという指摘です。「議論活性化のためのコメント依頼」は他の方のご賛同が得られるのであれば私の方から出させて頂きましょうか。議論を根底から引っくり返す結論が出ないとは言い切れませんが、subst展開義務化で問題ないとする結論が出るのではないか、私はそう予想しています。--黒森 2010年11月19日 (金) 14:04 (UTC)
趣旨了解しました。コメント依頼は黒森さんがだせばいいとおもいます (コメントがほしいと思っている当人なのだから)。
subst展開が、対立を煽り立てるために使われたという側面はありますね。--Hatukanezumi 2010年11月20日 (土) 00:06 (UTC)
コメント この期に及んで『subst展開の是非が問題になってきたわけではない』『subst対応自体は、もはや争点ではない』とは、ふざけているのでしょうか。「テンプレート以外の」根本的な和暦の問題を放置しておいてテンプレートのsubst義務化を主張するようでは、ただ「波括弧」を排除したいだけにしか見えませんよ。そもそも何が正しいのか間違いなのか、良いのか悪いのかすら決まっていない状況で、自分が正しい自分に従えと主張するばかりではね。--氷鷺 2010年11月19日 (金) 15:26 (UTC)

調査投票の提案[編集]

おまたせしました。どのような形で意見を募れば今後の議論の参考にしやすいか考えあぐねていましたが、下記のような調査投票にコメントを付加してもらう形で意識調査を行うことを提案します。目的、位置付けに関しては下記参照。

調査投票の目的
議論行き詰りの原因が、テンプレートを記事中に残すことの意義の不明瞭さにあると予想。利用者の意識調査からその点の明確化を試みる。また副次的に、それ以外のテンプレート機能(スタイルの統一等)に対する意識調査も行う。
調査の位置付け
調査結果は、テンプレートの作成・メンテに当たる方が仕様を決める際の考慮すべき参考データという位置付け。この結果を直接テンプレートの仕様に反映しようというものではない。
結果評価について
有意差判定までは不可能と予測されるため、多くの人が必要性を感じている、多くの人が無くすべきと感じている、必要と感じる人もいるが不便と感じる人もいる、何とも思われていない、の4つに大まかに分類、付けてもらったコメントに検討すべきと思われるものがあればそれも考慮に入れた形で評価する。

調査投票という形態を採る狙いとしては、コメント依頼より敷居を下げて多くの人の参加を呼び込む、コメント依頼より結果を評価しやすいと予想され比較的速やかに次のステップへの移行が期待される、といった所です。
投票にかける項目はこれまで議論で出されていたものからピックアップしましたが、私の見落としやまだ議論には上がっていないものなどありましたら追加下さい。調査投票への賛成、反対、疑問、修正提案等、コメントをお願いします。仮に合意がいただけるようでしたら投票を実施したいと思います。--黒森 2010年11月27日 (土) 11:06 (UTC)

調査投票案[編集]

投票の主題 和暦系テンプレートに関し利用者がどのような所に意義・必要性を感じているのか意識調査のための投票です。

またこれは現在進行中の和暦系テンプレート再編の議論の基礎資料としても扱います。

投票場所 Template‐ノート:和暦#利用者意識調査投票
投票に先立つ議論 Template‐ノート:和暦#調査投票の提案
投票者の資格 投票開始時点で自動承認された登録利用者であること。ただし多重アカウントによる投票は禁止します。またIP利用者は投票は出来ませんがコメントは歓迎します。
投票期間 2週間
投票のルール 下記に和暦系テンプレートが役割を果たしている思われる大まかな機能を列記しまので、テンプレートの機能として必要もしくはあった方がいいと思われる項目に{{賛成}}、無くてもいいと思う項目に{{ニュートラル}}、無い方がいいと感じる項目に{{反対}}を投票下さい。コメントはなくても構いませんが、結果評価の参考にしようと思いますので、付けて頂けることを歓迎します。

投票終了後1週間を異議申立期間とし、その間反対がなければ投票結果を確定します。

特記事項 投票終了後、Template‐ノート:和暦#利用者意識調査#投票結果評価で検討を行い、結論を出します。各項目に対する結論は投票結果から、多くの人が必要性を感じている、多くの人が無くすべきと感じている、必要と感じる人もいるが不便と感じる人もいる、何とも思われていない、の4つに分類し、コメントも考慮に入れます。
投票項目[編集]
入力の簡便さ
スタイルの統一
換算の正確性
ソースの読みやすさ(出力の想像しやすさ)
初心者へのテンプレートの周知
編集の容易さ
ソースの簡略化(テンプレートのままの方が見通しがいい)
その他個別の仕様に関するコメント
投票例[編集]
入力の簡便さ
編集の容易さ
スタイルの統一

提案に対するコメント[編集]

1週間経ちましたがどなたからもコメントがないところをみると、この方向での解決を望んでいる方はいらっしゃらないようですね。もう1週間待ちまして賛成意見が付かないようでしたらこの提案は取り下げとしようと思います。--黒森 2010年12月4日 (土) 08:48 (UTC)

コメント いや。個々の投票項目が要約されすぎていて、これでは投票できないとおもいますよ。二度手間みたいで大変だとおもいますが、それぞれについて主張の要約や解説をつけるべきだとおもいます。調査投票自体は、別に反対しているひとはいないのではないでしょうか。--Hatukanezumi 2010年12月4日 (土) 09:48 (UTC)
確かに要約しすぎだったかもしれませんね。皆さん色々とごたついておられて落ち着いて議論しようという状況でもなさそうですし、一旦調査投票の提案を撤回しもう少し落ち着いてから利用者:Hatukanezumi会話 / 投稿記録さんのアドバイスも踏まえて再度提案しようかと思います。--黒森 2010年12月4日 (土) 13:05 (UTC)

テンプレート改変の提案[編集]

#中間まとめ案のうち、「現行和暦系テンプレートの問題点」の「2. 換算の不正確性。」に関する提案です (ほかの課題、たとえばsubst義務化についてはこの提案では扱いません)。

#両テンプレートの機能比較によれば、この問題のうちなんらかの対策がされていないのは、現在、{{和暦}}テンプレートの「西暦年を元号年号に換算」の機能で1872年以前を扱う場合です。問題を説明します。

  • 歴史分野では、旧暦年から西暦年への換算で、こよみのずれを無視して年を西暦年で表す慣習が存在する (ただし、常に認められているわけではない)。
  • しかし、西暦年を同様の方法で旧暦年に換算することは、認められているわけではない。

{{和暦}}テンプレートは後者の方法をとるがゆえに、本来正確であるはずの旧暦年号が誤ってしまうという問題があります。

たとえば、慶長5年末は1600年ではなく1601年になりえますが、{{和暦}}テンプレートでは正確な西暦年を与えると「慶長6年」と表示してしまいます。これはテンプレートの動作する論理によるものなので、テンプレート自身を変更しても誤りを検出することは不可能です。

対策はふたつのフェーズに分ける必要があると考えます。

  • これまでにテンプレートが使われたことによってできてしまった表示をどうするか。
  • 今後、この問題を拡大させないためにはどうするか。

それに対して、次の3点を提案します。

  1. すでにある旧暦年の表示については、subst展開を実施する。また、あとの 3. で述べるようなテンプレートを作成するとなった場合も、subst展開を義務付けたものとする。
  2. {{和暦}}の旧暦年対応をやめる (旧暦年については表示ができないようにする)。
  3. 旧暦年については、必要があれば、旧暦年を引数として西暦に換算するテンプレートを導入する。

1. について。本文中にテンプレートのまま残しておくと、▼編集時の可読性の悪さ、▼再利用を困難にする、▼テンプレートを変更した場合の過去版への影響、と いった問題が起きます。テンプレートをsubst展開することで、これらの問題は (少なくともsubst展開したあとの記事では) なくなります。

subst展開すれば、先に述べた対策のふたつのフェーズのうちのひとつめ (これまでにテンプレートが使われたことによってできてしまった表示) についても修正が可能になります。これまでのテンプレートの使用状況についてはHatukanezumiがデータを定期的に採取しております (/利用実態調査参照) ので、subst展開もしくは新テンプレートへの置換をしてしまっても、データを見て検証を続けることができます。

2. について。誤った表示は、現テンプレートの動作する論理によって起きてしまうことなので、旧暦年代について「西暦年→旧暦年号」の換算はやめるべきでしょう。編集の際に編集ボックス上に注意書きを表示するもの (Chokorinさんの提案) もありました (原理についてはプロジェクト‐ノート:テンプレート/お知らせテンプレート#編集者への注意をeditintroに置き換えと、そこから参照されているページの議論を見てください) が、ページ冒頭に注意書きが表示されるだけなので、記事のどの箇所を指しているのかわからないという問題があります。

3. について。最初に述べたように、旧暦年号→西暦年の換算であれば、月日が不明の場合に年初のずれを度外視した西暦年を表示することは許容されている、という意見があります。また、月日が伴っている場合も、旧暦年号 (これは正しいはずです) と月日をもとに西暦年を修正することは比較的容易です。したがって、旧暦年代についてテンプレートの利便性が捨てがたいというのであれば、「旧暦年号→西暦年」の換算をするテンプレートを作成すべきでしょう。

西暦→元号年号という換算方法をやめることで、先に述べた対策のふたつのフェーズのうちあとのほう (今後、この問題を拡大させないにはどうするか) が解決できます。

したがって、以上3点の対策を提案します。3点めについては、必要かどうかの意見もお聞かせください。--Hatukanezumi 2010年11月27日 (土) 05:44 (UTC) 微修正--Hatukanezumi 2010年11月27日 (土) 05:46 (UTC) 一部取り消し--Hatukanezumi 2010年11月28日 (日) 04:00 (UTC)

提案に対する賛否表明[編集]

これで何度目の賛否表明となるのかわかりませんが、3点について私の意見を明らかにします。
1について賛成も反対もしない。
2について 反対
3について、本テンプレートの改変と無関係に新規のテンプレートを作成することについては賛成も反対もしない。
以上です。--唐棣色 2010年11月27日 (土) 06:55 (UTC)
質問 2. について反対ということは、いままでの意見 (注意書き表示への反対) と考え合わせると、旧暦年について対策をすることには反対という意味だとおもいます。反対の理由はなんでしょうか。お答えください。--Hatukanezumi 2010年11月27日 (土) 06:59 (UTC)
この節の下部に記します。--唐棣色 2010年11月28日 (日) 08:06 (UTC)
1は 反対 。理由は#議論を通してみた上でのコメントその他のコメント2と同一。3についても同じ理由からテンプレートのままでの使用も可とすることが必要。2は保留。結局上の節で指摘したことについてご理解が頂けなかったようで残念です。--黒森 2010年11月27日 (土) 11:55 (UTC)
理解していないんで、説明してください。
質問 そもそも、subst展開せずに残しておくべきだとする理由はなんでしょう。わたしにはsubst展開に反対する理由がないので、subst展開が問題の解決に役立つのなら使えばいいと考えているだけです。subst展開に誘導するための議論をしているつもりはまったくないのです。--Hatukanezumi 2010年11月27日 (土) 12:44 (UTC)
「subst展開の話と和暦西暦換算の話は本来別の問題に係わらず、両者をまぜこぜにして議論されており議論の混乱と議論参加者間の不審を煽ってるように見受けられる。例えば和暦西暦換算の問題の中で、年号要検証タグを外すにはsubst展開が必要、あるいは旧暦年号への対策にもsubst展開推奨とある。こうしたことは本来無関係の和暦西暦換算の不正確性の問題を利用してsubst展開を押し進めてしまおうと解釈されても仕方のないやり方ではないか。あくまで両者は別個に扱うべき。」#議論を通してみた上でのコメントその他のコメント2より
このコメント以上の説明は不要でしょう。--黒森 2010年11月27日 (土) 14:11 (UTC)
コメント (黒森さんの意見に対して) 実際問題、テンプレート呼び出しのままで問題を修正しようとすると、黒森さん自身が上で示したように、とても複雑なことをしなければならなくなります。
たとえばこの編集を見てください[8]。結果はこうなります[9]。天正大地震は天正13年11月29日(1586年1月18日)に本震が発生していますから、内ヶ島氏滅亡は「天正13年」でなければなりません。しかし、「天正14年」になってしまっています。
こういったことに対応するために、テンプレートの引数を増やすべきでしょうか。しかし、編集者は資料に書いてある年を表示したいのであって、そのためにテンプレートの操作をおぼえなければならないのでは本末転倒ではないですか。編集者はただ「1586年(天正14年)」を「1586年(天正13年)」と修正できればいいのです。
また、黒森さんがおっしゃっているのは「正確性の問題を解決するのにsubst展開の話を出している」ということであって、提案そのものへの反対ではないじゃないですか。黒森さん自身がsubst展開を否定しているのならともかく、そうではないのでしょう? ウィキペディアは多数決主義ではないので、議論に参加しないひともふくめてあらゆるひとの意見をとりいれる必要はないです。その場その場で、それぞれが実現可能だとおもう案をもちより、もちよったなかから妥当そうなものを選べばいいのです。
そもそも、/利用実態調査で検証・修正作業をはじめて以来、修正のためにsubst展開を使うことが否定されたことはありません。修正作業をはじめた2010年7月18日に、「〔修正の際に〕substするもしないも自由ということでみなさんご了解ください」[10]と書かれたのに対して、異議はこれまで一度たりとも出ていないのです。
黒森さんがなにを問題にしていらっしゃるのかわかりません。提案に反対する理由が、なにかほかにあるのではないですか。--Hatukanezumi 2010年11月27日 (土) 23:26 (UTC) 微加筆--Hatukanezumi 2010年11月27日 (土) 23:32 (UTC)
換算の不正確性の話とsubst展開の話を混ぜるべきではないということが私がこれまで述べてきたことです。この節の冒頭には「2. 換算の不正確性。」に関する提案です (ほかの課題、たとえばsubst義務化についてはこの提案では扱いません)。とありますね。それが本当ならsubst展開に関する現在の合意の枠組みを崩すべきではないでしょう。しかし1. について。本文中にテンプレートのまま残しておくと、▼編集時の可読性の悪さ、▼再利用を困難にする、▼テンプレートを変更した場合の過去版への影響、と いった問題が起きます。テンプレートをsubst展開することで、これらの問題は (少なくともsubst展開したあとの記事では) なくなります。これは明らかにsubst展開を主題にしたものであり、換算の不正確性と関係ないでしょう。換算の不正確性を問題にするならそれに話を絞り、subst展開の話をしたいならそれを主題にした提案をして下さい。--黒森 2010年11月28日 (日) 02:15 (UTC)
なるほど。たしかに提案と無関係なことが混じっていました。指摘部分は取り消しておきます。--Hatukanezumi 2010年11月28日 (日) 04:00 (UTC)
私の指摘の仕方が不十分だったようですが、取り消して頂きたいのは提案1の全てです。--黒森 2010年11月28日 (日) 04:28 (UTC)
質問 やっぱり理由がわかりません。「subst展開を一切使わない解決策を提示せよ」という意味でしょうか。--Hatukanezumi 2010年11月28日 (日) 04:38 (UTC)
逆にお尋ねします。subst展開しなければならない必然性はなんでしょうか。利用者:Hatukanezumi会話 / 投稿記録さんが明示的に示されているのは修正のためということですが、それでしたら新テンプレートに置き換える手もありますし、そもそも修正が必要ない箇所をsubst展開しなければならない必然性は全くないはずです。明示的に言及されていませんが最新版から旧暦年代に関して和暦系テンプレートを無くそうとしているのだとしても、新テンプレートをテンプレートのまま記事中に残す方法もあるはず。全てsubstしなければならない必然性が分かりません。subst展開を主題とした議論でないのなら現在のsubst展開の合意の枠組みを尊重すべきだとは思いませんか?--黒森 2010年11月28日 (日) 07:09 (UTC)
思い込みを前提にして話を進めないようにしてください。「こういったことに対応するために、テンプレートの引数を増やすべきでしょうか。」と述べられていますが、誰もテンプレートの引数を増やせなどとは主張していません。「編集者はただ「1586年(天正14年)」を「1586年(天正13年)」と修正できればいいのです。」とお分かりならば、subst展開を強く主張する必要などないはずです。お書きになられているとおり、「{{和暦|1586}}」を「1586年(天正13年)」と書き換えればよいだけです。subst展開してソースに「1586年(天正14年)」と書いてなければ修正できないと思い込むのは、そろそろおやめになられた方がよいと思います。--唐棣色 2010年11月28日 (日) 04:05 (UTC)
コメント いや。subst展開するのは、「これまでにテンプレートが使われたことによってできてしまった表示をどうするか」にかかわるからです。「どうするか」には「修正できるようにするにはどうするか」ということも含まれます。西暦→旧暦年号の換算をやめるとすれば、「これまで」に使われた箇所についてはテンプレートのままにしておけません。
また、subst展開して普通のテキストにしなければ、修正をすべて終わらせないかぎりテンプレートは使い続けなければならないことになります。すると、「今後、この問題を拡大させないためにはどうするか」が解決できなくなります。
いっぽう、唐棣色さんには質問をしています。それは「今後、この問題を拡大させないためにはどうするか」についてのことです。わたしの提案では解決策として西暦→旧暦年号の換算をやめることを提案しているわけですが、反対する理由はなんでしょうか。--Hatukanezumi 2010年11月28日 (日) 07:01 (UTC) 加筆--Hatukanezumi 2010年11月28日 (日) 07:08 (UTC)
これまで幾たびも申し上げているとおり、Hatukanezumiさんが問題視されている「問題」は、平文の書き間違いと同じく「問題」ではないと解するからです。「問題」ではないので、問題が拡大するということもなく、「対策」も必要ありません。この点についての認識を異にしているため、手を変え品を変え、「対策」をあれやこれやとご提案されても、私が提案に伴う改変に賛成することはありません。なお、「対策」の一つとして挙げられた「旧暦年を引数として西暦に換算するテンプレート」の導入については、本テンプレートの改変と無関係に作成される限り、使い勝手が悪そうだなという感想は持つものの、賛成も反対もいたしません。--唐棣色 2010年11月28日 (日) 08:06 (UTC)
コメント これまで唐棣色さんは、{{和暦}}の旧暦年での表示について「すべてが間違いではない」(要約) という主張をなさってきました。それには異論ありません。しかし、旧暦年に対する表示すべてを「『問題』ではないと解する」というのは、いままでの主張と異なります。考えが変わった理由をお聞かせください。--Hatukanezumi 2010年11月28日 (日) 11:08 (UTC)
お返事ないですね。この点について唐棣色さんの意見を提案に反映させることはできないようです。--Hatukanezumi 2010年12月3日 (金) 15:13 (UTC)
また拙速に議論を進めようとされていますよ。落ち着いて下さい。まず、私は「間違い」と「問題」を区別しています。したがって、「すべてが間違いではない」(要約) という主張と、旧暦年に対する表示すべてを「『問題』ではないと解する」という主張は齟齬なく両立します。たとえば、安政の大地震が発生したのは1855年11月11日(安政2年10月2日)ですが、これを「1855年(安政3年)に発生」と書いたら、「間違い」ではあっても「問題」ではありません。ところがこれを、本テンプレートを使用して「1855年(安政2年)に発生」と書いたとたんに、すべて「問題」だから対策が必要だと主張するのはオカシイと申し上げているのです。またこれを「1856年(安政3年)に発生」と書いた場合も、私は「問題」ではなく「間違い」に過ぎないと考えます。ウィキペディアには編集結果のプレビューを表示する機能がありますから、ここで「間違い」を直せばよいだけですし、投稿後も単に記述の「間違い」を直せばよいだけです。いきなりテンプレートを廃止したり、改変したり、常に要検証と貼り付けたりする必要はありません。新規テンプレートは、どうぞお好きなようにご作成いただけばよろしいと思います。--唐棣色 2010年12月4日 (土) 14:58 (UTC)
理解 (黒森さんのコメントに対して) あ、わかりました。
わたしの考えは「旧暦年号→西暦年のテンプレートに置き換えても間違いは直らない」というところから出発していたのです。上の例でいうと、「{{和暦|1586}}」を「{{新テンプレート|天正14年}}」に置き換えても、やっぱり「1586年(天正14年)」と表示されるのですから、許容される「天正13年(1585年)」やより正確な「1586年(天正13年)」にはなりません。
しかし、{{和暦}}での使用箇所を把握できていれば、置き換えたとしても後付けで修正することは可能ですね。
であれば、提案の1. を撤回することで、この提案の議論とsubstの議論を分離することができますね。--Hatukanezumi 2010年11月28日 (日) 07:31 (UTC)

提案の一部撤回[編集]

提案 確定します 提案の 1. で現行{{和暦}}テンプレートについてsubst展開を義務づける箇所は撤回します。
上の#調査投票の提案が先に進むかもしれませんし、subst展開の是非については別途議論があるかもしれません。当提案についての議論はそのあとでもけっこうです。
以上の作業をもって、本節での提案とします。議事進行どなたかよろしく。--Hatukanezumi 2010年12月3日 (金) 15:13 (UTC)
2点ほど質問です。1点めは、新テンプレートのsubst義務化が残されたままになっていますが何故でしょうか。2点目は、新テンプレートに南北朝元号併記のオプションを導入するおつもりかどうかです。#南北朝期の年号併記についてがペンディングになったままであることを踏まえれば、{{和暦}}の旧暦年代対応をやめるからには新テンプレートでその機能を引き継ぐ必要があると思われますがどうされるおつもりでしょうか。--黒森 2010年12月4日 (土) 08:39 (UTC)
1点めですが、特に異論が表明されていないと考えたので残しました。既存テンプレートの変更ではない話ですから。subst対応の意味やsubst義務化について正面きって議論する機会がもうけられるのなら、新テンプレートの仕様についてもその時点でつめることでかまいませんけど、どうしましょうか?
2点めですが、Chokorinさんのノートでの分析での考察を経て、「南北朝の年号に使われる場合に両方の元号を併記できることは有用」という主張が一般性をもつものでないことは、明らかになっていると考えています。{{表和暦}}のような名称に変更して年表のような年号記述の正確性を度外視してもよい場合に使うことも提案されていますが、現実問題として現テンプレートは年表の編集を補助するためにつかわれているわけではありません。結局、既存の使用例に対する現実的な解決策としては、テンプレートのsubst機能を使うかどうか以前に、ひとつひとつの記述で最適な年号表記を検討する必要があると考えます (同テンプレートの旧暦部分に対する対策とおなじことです)(*A)
あと、いままで言ってきませんでしたが、{{和暦}}では西暦年からの換算で白鳳年号を表示するといった、記事の信頼性に影響を与える仕様も見られます。「単純に換算できることが編集者の利便を向上させる」という考えかた自体を、いったん捨てるべきだとおもいます。--Hatukanezumi 2010年12月4日 (土) 09:05 (UTC)
1点目については、現在のsubst展開に関する合意の枠組みを尊重するのであれば、substしないでテンプレート使う何らかの方法も残しておくべきでしょうね。そうしますと提案の2と絡んできて、{{和暦}}の旧暦年代対応をやめるのであれば新テンプレートでもsubstせずにも使える必要がありますし、新テンプレートがsubst必須なのでしたら{{和暦}}の旧暦年代対応は継続したほうがいいのではないでしょうか。
2点目に関してはすみませんが何をおっしゃっているのかよく分かりません。#南北朝期の年号併記についてでは利用者:Hatukanezumi会話 / 投稿記録さん御自身が当節の主題であった南北朝期の年号併記については、資料集めなどに時間がかかるとおもいますので、議論はいったんお休みにしませんか。と提案され、この議論はそのままペンディングになっているものと理解していました。Chokorinさんの会話ページに関しましても、当節の議論と離れますので、Chokorinさんの会話ページでお答えします。との発言に続いてそちらへ移動されていましたので、ここの議論とは離れた話をされにいったと理解しています。また、Chokorinさんのノートでの分析を見ましても、合意といえるものは見出せませず、「「南北朝の年号に使われる場合に両方の元号を併記できることは有用」という主張が一般性をもつものでないことは、明らかになっている」とは到底言えないと思われます。--黒森 2010年12月4日 (土) 14:00 (UTC)
コメント 1点めについて。subst対応の意味やsubst義務化について正面きって議論する機会がもうけられるのなら、新テンプレートの仕様についてもその時点でつめることでかまいませんけど、どうしましょうか? 今後の議事進行にいれていただけますか。
2点めについて。半年まつのはかまわないですが、南北朝の年号併記の機能については、例の会話ページでの分析を受けて (だとおもいますが)、chokorinさん自身が「表組みに限定して残す」(要約) という意見をだしておられるわけです。新テンプレートの提案は現在のテンプレートの使われかたを前提としていますから、表組みのための提案ではないです。(*B)
ちなみに、上のほうで新テンプレートの案を示していますが、これはとりあえずいろんな仕様をいれてみた、というもので、この案のとおりでなければいけないということではないです。そこのところ、区別してください。
わたしはそろそろいなくなりますので、解決策の提案をまとめるところまでしかやりません。1点めについては、どうしましょうか。--Hatukanezumi 2010年12月4日 (土) 23:47 (UTC)
追記。上の発言で (*A) と (*B) と印をつけましたが、これらはそれぞれ (A)「これまでにテンプレートが使われたことによってできてしまった表示をどうするか」と (B)「今後、この問題を拡大させないためにはどうするか」について述べていることに注意してください。両者の解決策は異なってかまわないでしょう。
南北朝時代あたりの使用状況を/利用実態調査#和暦テンプレート 2に挙げておきました (ほかの年代もご希望ならだせます)。200件弱ありますが、同一事象もあるので実際は100件くらいかな。現状の使用については、これらひとつひとつを検討して妥当な記載にすればよい。これが (A) です。
歴史の書き手を自認する黒森さんなら、現状の「西暦年→旧暦年号」という換算に問題があることは理解していらっしゃるでしょう。だから、「旧暦年号→西暦年」という換算を使うようにし、問題が起こらないようにする。これが (B) です。
どうしても必要だというのなら、南北朝の期間だけ「西暦年→南北朝両方の旧暦年号併記」という機能のテンプレートとして残すことは可能でしょう。そのことは「西暦年→旧暦年号の機能の廃止」すべてを否定するものではありませんよね。ついでに、ちょっと疑問なんですが、源氏と平氏で異なる元号を用いた治承から文治の間についても、同様の需要がはたしてあるのでしょうか? --Hatukanezumi 2010年12月6日 (月) 12:28 (UTC)
私は歴史系執筆者を自認した覚えはないのですが(苦笑)、それは余談ですね。余談ついでにもう一つ。{{表和暦}}に関しては元々2010年10月31日 (日) 12:13 (JST)の利用者:Chokorin会話 / 投稿記録さんのコメントの延長でしょうから、利用者:Chokorin会話 / 投稿記録さんのノートでの分析とは無関係の話でしょうね。ただ利用者: Hatukanezumi 会話 / 投稿記録さんが利用者:Chokorin会話 / 投稿記録さんの案に同意されるということですので、他の方から反対がなければこの話は解決済みにしてもいいかもしれません。ところで利用者: Hatukanezumi 会話 / 投稿記録さんが活動をお辞めになるということですと、この節の議論を続ける意義はあるのでしょうか。この節の利用者: Hatukanezumi 会話 / 投稿記録さんの提案を実行するには新テンプレートの存在が必要不可欠ですが、今現在それは完成していないと理解しています。仮にここで何らかの合意に達したとしても、新テンプレートが完成せず実行不可能なままでしたら議論をするだけ時間の無駄ですよね。ブロック依頼の方が落ち着くまでこの節の議論も一旦休止にしましょうか?--黒森 2010年12月12日 (日) 07:00 (UTC)
コメント 勘違いでした>>歴史系。たいへん失礼しました。
新テンプレートの案は示してあります。このとおりでなくてもいいですが、案をもとにしてリリースしていただいてもけっこうです (CCなんだからだれが編集してもいいですよね)。わたししかできないことではありません。
提案そのものの議論の前に、提案をとりあげるかどうかを決めていただきたいとおもいます (わたしが参加しないと提案内容の価値もなくなるんですか。意見を属人的にしかとらえないのであれば、議論など無意味です)。
もうひとつ、再々お尋ねしていますが、議事進行におけるsubstの扱いはどうしたらよいと考えますか。お答えください。--Hatukanezumi 2010年12月12日 (日) 09:39 (UTC)
提案については私の方から指摘すること、修正していただきたい点は残っていません。つまり賛成します。substの議論に関しては、この節を見ましても、利用者:Hatukanezumi会話 / 投稿記録さん、利用者:唐棣色会話 / 投稿記録さん、利用者:氷鷺会話 / 投稿記録さん、利用者:Goki会話 / 投稿記録さん、私、の5人しか発言していないことなどから、皆さん議論疲れをしているのと推測されますので、少し間をおいてから再度調査投票を提案しようかと思います。新テンプレートに関しましてもそちらのsubstの議論と足並みをそろえて頂きたいというのが私の希望です。--黒森 2010年12月12日 (日) 11:17 (UTC)
見通しを示していただきありがとうございます。新テンプレート案については概念実証の段階ですので、現仕様をもって提案の補強とすることはありません。今後の進行についてはおまかせします。--Hatukanezumi 2010年12月13日 (月) 15:14 (UTC)
◆ この期に及んで、まだ『「南北朝の年号に使われる場合に両方の元号を併記できることは有用」という主張が一般性をもつものでないことは、明らかになっている』などと平気で嘘をつけることに驚きました。ノート:李垠同様、本人に「嘘」という自覚があるのか、それとも本当に思い込んでいるのかは分かりませんが、いずれにしても正常な議論ができる状態であるか疑問です。--氷鷺 2010年12月4日 (土) 15:06 (UTC)
「「単純に換算できることが編集者の利便を向上させる」という考えかた自体を、いったん捨てるべき」というお考えをお持ちならば、同種の新規テンプレート作成など提案すべきではないでしょう。議論に対する態度の誠実さを疑われます。--唐棣色 2010年12月4日 (土) 15:10 (UTC)

「間違い」と「問題」の区別について[編集]

(再掲)また拙速に議論を進めようとされていますよ。落ち着いて下さい。まず、私は「間違い」と「問題」を区別しています。したがって、「すべてが間違いではない」(要約) という主張と、旧暦年に対する表示すべてを「『問題』ではないと解する」という主張は齟齬なく両立します。たとえば、安政の大地震が発生したのは1855年11月11日(安政2年10月2日)ですが、これを「1855年(安政3年)に発生」と書いたら、「間違い」ではあっても「問題」ではありません。ところがこれを、本テンプレートを使用して「1855年(安政2年)に発生」と書いたとたんに、すべて「問題」だから対策が必要だと主張するのはオカシイと申し上げているのです。またこれを「1856年(安政3年)に発生」と書いた場合も、私は「問題」ではなく「間違い」に過ぎないと考えます。ウィキペディアには編集結果のプレビューを表示する機能がありますから、ここで「間違い」を直せばよいだけですし、投稿後も単に記述の「間違い」を直せばよいだけです。いきなりテンプレートを廃止したり、改変したり、常に要検証と貼り付けたりする必要はありません。新規テンプレートは、どうぞお好きなようにご作成いただけばよろしいと思います。--唐棣色 2010年12月4日 (土) 14:58 (UTC)

コメント なぜ{{和暦}}テンプレートを使うと間違うのか
上の唐棣色さんの「本テンプレートを使用して『1855年(安政2年)に発生』と書いたとたんに、すべて『問題』だから対策が必要だと主張するのはオカシイ」に対して答えます。
まず、すべての換算は不正確だ、ということを確認しておきます。たとえば安政2年は西暦では1855年から1856年にわたるので、「1855年」と書いても「1856年」と書いても不正確です。逆に、1856年を「安政2年」と書いても「安政3年」と書いても不正確です。この点は同意されますよね。
数学では、円の周長は直径に円周率をかけたものだということになっています。しかし、物理や化学などで実験をする場合はそうではないですよね。円柱に巻尺を巻いて測った結果が31.42cmであるとき、直径を10.0012966...と限りなく続く数字とはしません。直径は10.00cmとします。不正確な値を元にした計算で算出される結果には、正確さの限度というものがあります。
つづく (あまり長くはなりません)。--Hatukanezumi 2010年12月7日 (火) 12:16 (UTC) typo --Hatukanezumi 2010年12月7日 (火) 12:22 (UTC)
つづき。さて、上では円柱の周長を直径に換算すると「10センチメートル」となりました。これにもとづいて、もともと測定された周長を計算して、記事に書くことができるでしょうか。
「31センチ」「31センチ4ミリ」などは測定値とちがいます。より正確にしようとして「31.416センチ」などとすると、もとの測定ではありえない高精度になってしまいます。小数点以下第3位を四捨五入して「31.42センチ」とすると合いますが、大きさの異なる円柱でおなじことをやったら、やっぱり合いません。
測定値と計算結果が合わないのは、換算を2回やっているからです。すべての換算は不正確ですから、2回繰り返してももとの測定値は得られません。もともとの測定値を書き、説明のために必要なかぎりで1回だけ換算した計算値を書くべきです。
{{和暦}}テンプレートで、旧暦年の表示に間違いが発生する原因も、これです。旧暦年の時代には人びとは (わずかな例外を除いて) 旧暦年で年をかぞえましたから、その時代のことを述べた本に西暦年が記してあれば、それは換算されたものです。もう一度逆換算しても、もとの旧暦年号になるとはかぎりません。
もっとも、換算の不正確さが常に一定であれば、同じ不正確さの換算をすることでもとの年号をもとめられるかもしれません。しかし、現実はそうではありません。地震学のように、年代を日の精度で西暦に換算してあつかう分野もあります。いっぽうで日本史学のように、年をあらわすのに旧正月を基準にして換算する分野もあります。とはいっても近代史や国間交渉史では、正確な西暦に換算している場合もあります。正確さは一定ではありません。
旧暦年号→西暦年の換算であれば、換算は1回だけです。結果の西暦年は不正確ですが、もともとの年号が間違うことはありません。
説明は以上です。--Hatukanezumi 2010年12月10日 (金) 13:03 (UTC)
コメント テンプレートの使用は義務づけられていません。「1855年(安政2年)」と書きたければテンプレートを使い、「1856年(安政2年)」と書きたければテンプレートを使わなければよいのです。したがって、「{{和暦}}テンプレートを使うと間違う」というのは誤りです。この点は何度ご説明しても、「間違って使えば間違いだ。問題だ」と繰り返されるばかりで、ご理解いただけないようです。--唐棣色 2010年12月10日 (金) 14:49 (UTC)
コメント しかし現実に、いままで挙げてきた実例をみてもらえば、テンプレートを使うことによって間違いが発生しているわけです。
「間違うときは使わなければいい」(大意) とおっしゃいますが、それは「テンプレートの表示結果があらかじめわかっていて、間違いかどうかも判断できて、間違うときは使わない」ということです。テンプレートの表示結果がわかるのならそれをそのまま書けばすむので、テンプレートを使う必要がないじゃないですか。唐棣色さんが言っているのは、「現在の{{和暦}}テンプレートは必要ない」ということですよ?
テンプレートを使わせたいのなら、テンプレートを使っても間違わないようにすべきなんです。それをしたくないのなら、テンプレートそのものを廃止しましょう。
どうしますか? --Hatukanezumi 2010年12月10日 (金) 16:32 (UTC)
コメント 「テンプレートの表示結果がわかるのならそれをそのまま書けばすむので、テンプレートを使う必要がない」と主張されますが、表示結果が分かる場合でもこのテンプレートは使用されています。むしろ、プレビュー表示機能を用いて、表示結果を確認してから投稿することが推奨されていますし、それが通常のウィキペディアンの編集態度であると思います。ご主張されていることから推察するに、本テンプレートが使用される状況をあまりご理解していないものと思われます。一方的な物の見方によってご自分の意見を固めるのは結構ですが、それを他人に押しつけるようなことはお控え下さい。また、あまりご自分の意見に固執されることなく、多様な編集のあり方を許容されるようお願い申し上げます。--唐棣色 2010年12月12日 (日) 06:11 (UTC)

subst展開を提案する理由の補足[編集]

substでも使えるようにしたい理由は#三たびおさらい#subst展開についてを読んでください。読んだ上でわからないのであればわからないところを明示した上でコメント願います。(とはいえ、このコメント以降は私はコメント依頼の趣旨から発言は控えますが。)--Goki 2010年11月29日 (月) 07:59 (UTC)

今後の展望[編集]

先程、Wikipedia:投稿ブロック依頼/Hatukanezumi 20100801に基づき、Hatukanezumi氏が期限を定めないブロック(とはいえ、ブロックを執行したChatama氏はノートページでの議論次第ですぐ解除されるとお考えのようです)となりました。Hatukanezumi氏はここの議論の中心的存在でテンプレートの改定案を積極的に作成されていた方なので、氏がブロックされたことにより改定案が示されなくなり、議論が停滞すると思われます。そこで、現在係争中の#Template:Jdate: subst対応の正式化#当面の対処が解決したらそれまでに行われた議論すべてをTemplate‐ノート:和暦/過去ログ2に過去ログ化しようと考えています。--新幹線 2010年9月12日 (日) 11:24 (UTC)

(条件付き賛成)誰かがまとめを作成できればかまいません(私がまとめると恣意的だと言いがかりをつける利用者が少なくとも2名いるためやりません。)。ただ移動するだけというのには反対です。--Goki 2010年9月12日 (日) 12:45 (UTC)
コメント Hatukanezumi氏がブロックされた今、Goki氏が中心となって作業されるのだとばかり思っていたので、これは意外。苦情を恐れて作業を投げるとは思っていませんでした。残念です。--ラッキースター・キッド ◆Luck.w.AEQ 2010年9月12日 (日) 21:53 (UTC)
コメント まぁ、苦情の対象はあなたではないのですがとにかくまとめの作業はしません。(恐れているのではなく「つきまとい」が鬱陶しいのです。)--Goki 2010年9月13日 (月) 00:27 (UTC)
賛成 実際問題として、テンプレート問題に関係ない水掛け論部分が多くなり過ぎて著しく可読性に欠ける状態ですから、リセット(今までの議論そのものをリセットするという意味ではありません。念のため)がてら過去ログ化に賛成します。「まとめ」はあるに越したことはないですが、大したことを話し合ったわけでもなし、無ければ無いでも困らんでしょう。--ラッキースター・キッド ◆Luck.w.AEQ 2010年9月12日 (日) 21:53 (UTC)
コメント以下の状況が誰にでもわかる状態になっていれば過去ログ化に反対はしません。(表現はこのとおりではない方がいいのは承知していますが、理由があるのであえてそう書かせていただきます。)
  1. {{Jdate}}、{{和暦}}についてテンプレートのまま使用することに否定的な利用者が複数存在すること。
  2. 改元年、旧暦など{{Jdate}}、{{和暦}}についてテンプレートのまま使用することで重大な欠陥があったこと。
  3. {{Jdate}}について作成当初、「和暦表記を小さく表示することを強制する」「和暦を含んだリンク」など「俺様スタイル」が適用されており、それについて作成者からなんらコメントがない。作成者は編集合戦の結果を受け入れたとコメントしているが、編集合戦当時にそんなコメントはしていない。
  4. 上記の指摘が何度も行われていたにもかかわらず、{{Jdate-birth}}(削除済み)、{{Jdate/xxx}}(sandbox以外)など反発を呼ぶのは容易に想定できるテンプレートを量産したこと。
以上です。--Goki 2010年9月13日 (月) 00:37 (UTC)
コメント 世間一般的には、上記Goki氏の発言のようなものを「まとめ」と言うような気がするのですが…… それ以上、何か記載することがありますか? 議論者の個人名などであれば、要らないと思いますよ。--ラッキースター・キッド ◆Luck.w.AEQ 2010年9月13日 (月) 21:44 (UTC)
コメント異議がなければいいですよ。(私は、異議が出る表現で書いたつもりなのですが。)--Goki 2010年9月15日 (水) 12:18 (UTC)

すべての過去ログ化には反対です。まず、#subst展開についての議論は継続中です。#Template:Jdate: subst対応の正式化と同様に、区切りがついた段階で過去ログ化すべきものだと思います。#西暦和暦を変換し併記するテンプレートは、1か月以上発言がありませんが、区切りがついたとも言えない状態です。氷鷺さんが「もうやめだ」と言い出したら話は別ですが、そうでない限り過去ログ化はしないでおきましょう。

#当面の対処を含む)#検証が必要な年代表示は、確かにHatukanezumiさんが復帰しないと停滞が確実です。もうしばらく待って、彼のブロックが長期にわたると見込まれたら、話がまとまらない状態でも過去ログ化するしかないと思います。

これ以上の議論の進展がないと思われるのは、以上を除いた#本テンプレート作成の趣旨から#Template:和暦: subst対応の正式化までと、#確認#Lincun氏についての節です。これらは今からでも過去ログ化してよいと思います。--Kinori 2010年9月14日 (火) 13:47 (UTC)

#subst展開についてはsubst義務化についての議論だったんですね。僕はてっきり、単にsubst対応についての議論だと思っていたので過去ログしても差し支え無いと思っていました…。#西暦和暦を変換し併記するテンプレートは区切りがついていないとのことですが、過去ログ化は、明確な結論が出なくても、議論が停止すれば行われます(プロジェクト‐ノート:テンプレート/過去ログ1あたりがその例でしょう)。そもそも、長期間議論が停止した場合、普通は新たにトピックを立てなおして議論を再開するでしょうから、停止した議論を過去ログ化しても問題ないでしょう。--新幹線 2010年9月14日 (火) 14:29 (UTC)
見出しからはそう思われても仕方がないですね。改めて節を切ってまとめなおすことを考えます。もう少し過去ログ化は待ってください。#西暦和暦を変換し併記するテンプレートには、一つ提案を入れました。反応がなければ過去ログ化していいです。--Kinori 2010年9月22日 (水) 10:08 (UTC)

(インデント戻します)Hatukanezumiさんのブロックが解除されたので、#Template:Jdate: subst対応の正式化#当面の対処を過去ログ化するのは当面控えようと思います。--新幹線 2010年9月28日 (火) 08:44 (UTC)

コメント 現状認識をコメントします。
  • Gokiさんのまとめの第1項、第2項には賛同します。第3項、第4項はたいへんこまったことだとおもいますが、本質的ではない。
あと、これまでにでたけれどまだ話しあえていない課題として、つぎのことがあるとおもいます。
  • 年や日付のリンクの形式について。
  • 両テンプレート (あとjdate-yなども) の統合について。
議論の順序としては、現在話されている「subst対応」、「誤記対応」、「検証が必要な年代表示」の各課題が解決してからになるとおもいますが。--Hatukanezumi 2010年9月28日 (火) 13:12 (UTC)

議論が進展しなくなった節の過去ログ化[編集]

提案 うえのほうで中途半端に提案してしまいました。やりなおします。

次の節は、議論の進展もありませんので、過去ログ化しようとおもいます。/過去ログ2ということで。

1週間ほど待って特に異論なければ、実施します。--Hatukanezumi 2010年11月10日 (水) 15:07 (UTC)

  1. 過去ログ化されない節で私がいくつかリンクを張っているので、それが維持されること。
  2. 当節の「以下の状況が誰にでもわかる状態になって」の箇所(だれの反対もないので3,4も含んだすべてです)が容易に参照できること。
ができれば反対しません。--Goki 2010年11月13日 (土) 00:11 (UTC)
リンクは修正させてもらおうとおもっています。前の過去ログなど、サブページへのリンクが張られている例も複数あります。
進展のない議論を過去ログとすることで、現在当ノートで進んでいる議論がはっきりし、すでに結論がでたり議論が不調におわったりした部分がむしろはっきりします。Gokiさんの心配は無用とおもいます。--Hatukanezumi 2010年11月13日 (土) 01:12 (UTC)
反対 Help:過去ログの指針によりますと「インターネットの接続環境があまりよくない利用者にとっては、大きくて重いページは不都合ですから、過去ログ化は一般によいことと考えられています」とされており、現在のページは肥大化しており、ログ化することには賛成です。ただ同ページ内に「議論が落ち着いている頃合いを見て過去ログ化することが推奨されます」とあります。「議論が落ち着いた」という期間は1カ月程度が妥当ではないかと思われ、#コメント依頼の提出のログ化には反対します。但し、議論が1カ月以上コメントがない節やコメント依頼の提出の説も11月9日が最終コメントですので、これ以上コメントがなければ12月9日以降ログ化することには反対しません。--111.217.208.116 2010年11月15日 (月) 09:24 (UTC)
あ、そう。じゃ、#コメント依頼の提出は置いときましょう。--Hatukanezumi 2010年11月15日 (月) 10:56 (UTC)
では、反対意見のあった1節をのぞき、明夜 (JST) をめどに過去ログ化作業を実施したいとおもいます。また、過去ログ化した節に現れる内部リンクについてはリンク切れにならないように修正することがあります。
作業中の数十分は{{工事中}}にします。その間の当ノートでの発言は控えていただければとおもいます。よろしく。--Hatukanezumi 2010年11月16日 (火) 12:04 (UTC)
反対 それぞれの節の議論の内容は相互に関係しているので、その節での発言が途絶えているからといって機械的に「進展なし」と判断して良いものか疑問に思います。またWikipedia:コメント依頼/Hatukanezumi、Goki、氷鷺において、対話姿勢や議論の進め方、ノートの白紙化が議論されている状況で、このノートを過去ログ化するのは避けるべきでしょう。少なくとも、#西暦和暦を変換し併記するテンプレートについては過去ログ化されても復帰するつもりですのでご了承ください。--氷鷺 2010年11月16日 (火) 13:04 (UTC)
コメント 自分の主張がノートページ本体に置かれ続けていないと満足しない、という主張は、議論が膠着したときに、自己の主張を認めさせたい側がしばしばするものです。議論を前進させることがまったくありません (実際、当該節末尾で最近述べられた「意見」は、議論になにかを付け加えるものではありませんでした)。
とはいえ、過去ログ化したものを戻されては (過日の某所でのように) 収集がつかなくなり、周囲にたいへん迷惑をかけることになります。問題の節は過去ログに含めず、それ専用のサブページとすることにしましょう。--Hatukanezumi 2010年11月16日 (火) 13:13 (UTC)
えーっと……コメント依頼に出されており、対話姿勢や議論の進め方、ノートの白紙化が議論されている議論内容を、賛成もなく、反対意見を無視のうえ過去ログ化するおつもりですか? 何もやましいことがないのなら、過去ログ化は他の方に任せてください。--氷鷺 2010年11月16日 (火) 13:37 (UTC)
コメント問題点が指摘されているページで、その対象者がログ化することは推奨される行為ではありません。ただその一方でHelp:過去ログの指針によりますと「インターネットの接続環境があまりよくない利用者にとっては、大きくて重いページは不都合」とあり、現在56万バイトを越えた内容があり、「不都合」のレベルに達しているのではないかと思います。Help:過去ログの指針では「過去ログ化は一般によいことと考えられています」「過去ログ化することが推奨されます」と一定の歯止めがあるものの、ログ化そのものは推奨されている行為ではないかと思われます。反対意見があるならば、取り敢えず半分程度はログ化してもよいのではと思われますが、いかがでしょうか?個人的には5万バイトを超えると大きいページという認識があり、56万バイトというのは肥大化していると思われるのですが。--219.105.253.193 2010年11月16日 (火) 15:46 (UTC)
コメント 反対がある節についてはちゃんと配慮しているじゃないですか。よく読んでください。
問題の節は過去ログに含めず、それ専用のサブページとすることにしましょう。
#西暦和暦を変換し併記するテンプレート節については、今夕 (JST) ころまでに氷鷺さんから明確な同意がない場合、過去ログ化の対象ともせず、サブページ化することもせず、放置することにしましょう。過去ログ化作業をリバートなんかされたら、本当にしゃれになりませんから。--Hatukanezumi 2010年11月16日 (火) 21:49 (UTC)
コメント 特定の節だけの反対ではなく、現段階での過去ログ化に反対と書いているのですが、分かりませんでしたか。必要なら他の方がやるでしょうから、あなたは手を出さないでください。万が一、コメント依頼に出されており、対話姿勢や議論の進め方、ノートの白紙化が議論されている議論内容を、その当事者が反対意見を無視のうえ 過去ログ化するようなことがあった場合は、差し戻しますのでよろしくお願いします。--氷鷺 2010年11月16日 (火) 23:30 (UTC)
コメント私は直接的な当事者ではありませんので、私が実施してもよいですが、反対意見がある中、すぐに実施するのは控えておきます。但し、現在の版は58万バイトをすでに超えており、かなり肥大化したページでありHelp:過去ログの指針の「不都合」のレベルに達していると思います。すぐにとは言いませんが、今年中に一定程度のログ化するのが推奨されると思います。--111.217.208.116 2010年11月19日 (金) 10:08 (UTC)
特に異論もないようですんで、過去ログ化作業をお願いしてもいいでしょうか。なお、作業はログインして (アカウントをお持ちでなければ取得して) 行っていただければとおもいます。議論があったうえでやる作業ですので、やったひとが明確なほうがいいです。
過去ログ化の範囲は上で提案されていますが、合理的な判断のもとで範囲に出入りがあるのでしたら、わたしは反対しません。--Hatukanezumi 2010年11月23日 (火) 05:14 (UTC)
コメントログ化する作業だけであるならば、誰が実施しても同じではないかと思います。いずれにしても反対意見がある中、すぐに実施するのは控えておきましょう。1カ月後を目処に再度ログ化するか意見を募れればと思います。ただ繰り返しなりますが、現在の版は59万バイトをすでに超えており、かなり肥大化したページでありHelp:過去ログの指針の「不都合」のレベルに達していると再度コメントしておきたいと思います。--219.105.255.177 2010年11月24日 (水) 18:12 (UTC)
(インデント戻す) コメント はい。過去ログ化はだれがやっても同じだとはおもいますが、だれがやるかを問題にする意見がでていますのでね (しかも、実力行使で過去ログ化をやめさせるとまで言われては、気にせざるをえません)。
ノートが大きくなっているのは問題だと、わたしもおもいます (議論に参加しないで「議論にならない議論」などと評するひともでてくる始末です。読みにくいのはたしかだとおもいます)。
提案 これまでに過去ログ化の提案がでていない節を「/議論2」、それ以外 (つまり上に列挙された節) を/議論1というように分けるのはどうでしょうか。--Hatukanezumi 2010年11月24日 (水) 23:09 (UTC)
コメントスタック化も意見が書き込めるという事が違うだけで基本的にはログ化と大差はないと思います。今しばらくは現状維持を続けましょう。このページと連動性が高いと思われるWikipedia:コメント依頼/Hatukanezumi、Goki、氷鷺もそろそろなんらかの方向性が示されるかもしれません。「不都合」のレベルに達していると思われますが、1カ月後状況を正視する事まで妨げているわけではないと思われます。1カ月後それでも何も変化がなければ、ログ化するのが良いと思います。--111.217.208.116 2010年11月25日 (木) 09:58 (UTC)
了解。不便だけど我慢することにしましょうか。ちなみに「スタック」というのは、議論が紛糾してにっちもさっちもいかなくなることを言っています。--Hatukanezumi 2010年11月25日 (木) 10:55 (UTC)
賛成 ただし#Template:和暦: subst対応の正式化を除く。今後進められる議論と関係あるものは残しておいた方が望ましいと思いますが、ノートもだいぶ重くなっていますし過去ログ化出来るものは過去ログ化していくことに賛成します。もし利用者:氷鷺会話 / 投稿記録さんとIPさんからご賛同頂けるようでしたら、私の方で作業をやらせて頂こうと思いますが如何でしょうか。--黒森 2010年11月27日 (土) 11:40 (UTC)
コメント私はHelp:過去ログの指針からいっても現在のページはログ化すべき推奨される行為と思われますが、ログ化に反対意見があるのに無理に実施するほどの緊急性が高いものとまでは思えません。ただ、反対意見が変更されるのであれば、即時実施してもよいかと思います。但し最終コメントが1カ月経過していない節は除くのが望ましいと思います。--219.105.253.45 2010年11月27日 (土) 16:20 (UTC)
コメント 上で提案があった節のうち、当節および#コメント依頼の提出節を除いては、最終コメントから1箇月以上が経過しているようにおもいます。--Hatukanezumi 2010年12月9日 (木) 15:22 (UTC)

提案 上記コメント通り1ヶ月間の経過をみました。現在のノートは65万バイトを超えており、肥大化したページとなっており、不都合のレベルに達していると思います。いろいろとご意見はあると思うのですが、機械的に最終コメントが1カ月以上経過している節をログ化したいと思います。ログ化予定日は上記コメントが11月25日となっていますので、12月25日、つまり最終コメントが11月25日以前のコメントをログ化したいと思います。不都合な節がありましたら、ご指摘頂ければと思います。--219.105.254.250 2010年12月19日 (日) 20:36 (UTC)

報告ログ化そのものには反対意見はございませんでした。ログ化が2日遅れましたので、11/27日以前の議論と上記指摘があった2節を除きログ化を実施させていただきました。しかし、現在のノートは30万バイトを超えており、まだ肥大化したページで、不都合のレベルが解消されたとは言えません。更に1ヵ月の経過期間をみて更にログ化するのが望ましいと思います。ログ化の節をチェックしながら実施しましたが、見落とし、誤りがあった場合は修正をお願いします。--111.217.208.116 2010年12月27日 (月) 09:21 (UTC)
コメントリンク切れになっている箇所が多数ありましたので修正しました。--Eraser-Eraser 2011年1月6日 (木) 10:31 (UTC)

提案 上記コメント通り更に1ヶ月間の経過をみました。ログ化をしましたがまだ30万バイトを超えており、肥大化したページとなっており、不都合のレベルに達していると思います。前回同様、機械的に最終コメントが1カ月以上経過している節をログ化したいと思います。1月27日、つまり最終コメントが12月27日以前のコメントをログ化したいと思います。不都合な節がありましたら、ご指摘頂ければと思います。--219.105.252.18 2011年1月19日 (水) 17:32 (UTC)

  • 賛成 前回と同様に賛成します。Jdateの議論も停止していますので和暦の方で過去ログ化して構わないと思います。--新幹線 2011年1月25日 (火) 11:24 (UTC)
    • 報告ログ化そのものには反対意見はございませんでした。12/27日以前の議論をログ化させていただきました。ログ化しましたので、現時点では不都合のレベルを解消出来たと思われます。過去のログには、このテンプレートに関する重要な議論が含まれる場合がありますので、ログ内容を参照した後に、議論に参画していただければと思います。ログ化の節をチェックしながら実施しましたが、見落とし、誤りがあった場合は修正をお願いします。--111.217.208.116 2011年1月29日 (土) 08:41 (UTC)

提案 一週間ほど待って議論に進展がなければ、この小節「#議論が進展しなくなった節の過去ログ化」はスタックとして閉じましょう。--Hatukanezumi 2010年11月17日 (水) 08:45 (UTC) スタックは回避された。--Hatukanezumi 2010年11月24日 (水) 23:09 (UTC)