アルマトイ

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アルマトイ
Алматы
アルマトイの市街地
アルマトイの市街地
アルマトイの市旗 アルマトイの市章
市旗 市章
位置
の位置図
位置
アルマトイの位置(アルマトイ内)
アルマトイ
アルマトイ (アルマトイ)
アルマトイの位置(アルマトイ州内)
アルマトイ
アルマトイ (アルマトイ州)
アルマトイの位置(カザフスタン内)
アルマトイ
アルマトイ (カザフスタン)
アルマトイの位置(西南アジア内)
アルマトイ
アルマトイ (西南アジア)
[1]
地図
座標 : 北緯43度16分39秒 東経76度53分45秒 / 北緯43.27750度 東経76.89583度 / 43.27750; 76.89583
行政
カザフスタンの旗 カザフスタン
 行政区画 アルマトイ(政令指定地区)
 市 アルマトイ
Akim バウィルジャン・ バイベク
地理
面積  
  市域 324.8 km2 (125.4 mi2)
標高 500~1700 m
人口
人口 (2014年現在)
  市域 1,530,000人
    人口密度   3,776人/km2(9,779.8人/mi2
その他
等時帯 UTC+6 (UTC+6)
郵便番号 050000 - 050063
市外局番 +7 727
ナンバープレート A
ISO 3166-2 ALA
公式ウェブサイト : http://www.almaty.kz/

アルマトイАлматы, 発音 [ɑlmɑtə] アルマトゥ、: Almaty)は、カザフスタンの南東部にある都市。人口153万人でカザフスタン最大の都市である。同国における経済教育文化の中心地であり、「南の首都」とも呼ばれる[2]

キルギス共和国および中国との国境に近く、南に天山山脈を望む風光明媚な街として知られている。中央アジア最高水準の世界都市であり[3]1998年まで同国の首都であった。2002年まではアルマトイ州の州都であったが、2003年に州都の地位をタルディコルガンに譲り、政令指定地区とされた。カザフ国立大学カザフ語版ロシア語版をはじめ多くの高等教育機関、政府機関などがある。

1991年ソビエト連邦を解体し、独立国家共同体を始動した協定はここアルマトイで調印された。遷都後の現在でもアルマトイはカザフスタンで最大の都市であり、商工業・文化の中心都市である[4]

地名

アルマトイの街並み
近代的なアルマトイの街並み
標高4,979mのタルガル峰カザフ語版英語版

日本語に広く定着している「アルマトイ」は町の名前のキリル文字綴りをロシア語の日本語転写の慣例によってカタカナに写した場合、「アルマトゥイ」となるはずのものを、さらに「トゥイ」を「トイ」に略したものである[要出典]ыを参照)。カザフ語の発音に近い「アルマトゥ」と書かれることもある。英語読みでアルマティとすることも。

アルマトゥ(Алматы)は、1921年に現在のカザフスタンの前身である自治共和国が成立する前から町を指して使われていたカザフ語の名称であり[5][6]、19世紀にロシア人がこの地に進出した後もカザフ族からはアルマトゥと呼ばれることが多かった[7]。語源は「リンゴの里」であり、かつては町の近辺にリンゴ林が広がっていたが、現在は都市開発に伴ってリンゴの樹は数を減らしている[8]

かつて、日本を含め国際的にはこの町はアルマ・アタАлма-Ата)という名称で呼ばれていた。これは、カザフ語ではなくロシア語での呼称で、ソ連時代に事実上の公式名称となっていたものである。アルマ・アタ(Alma-Ata)は、カザフ語でアルマ(алма)は「リンゴ」、アタ(ата)は「父」を意味するため、「リンゴの父[9][10]」を意味していた。

町の元になったヴェールノエ要塞は「忠誠の土地」を意味する言葉である[10]

歴史

20世紀初頭に建立されたロシア正教会に属するゼンコフ教会。木造の建築物として世界で2番目の高さを誇る[11]
ゼンコフ教会

アルマトイ郊外の山コクトベ英語版には、紀元前10世紀から紀元前9世紀のものと思われる青銅器時代の住居跡が存在する[8]。アルマトイから東50kmに位置する[12]イッシクからは、紀元前5世紀から紀元前4世紀ごろと推定されるサカ族の遺跡が発掘され、[8]独自の文字が刻まれた銀製のカップが出土した[12]。イッシクのほか、アルマトイ近郊には発掘調査が行われていないサカの遺跡が多く存在する[13]

中世にはシルクロードの天山北路のオアシスとして、交易が行われていた。アルマトイ近郊では10世紀から13世紀のものと思われる遺跡からは、タンドリ(窯)、焼きレンガ、貨幣が発掘された[8]。出土した貨幣の表面には「アルマトゥ」の名前が刻まれていた。13世紀のモンゴル帝国の中央アジア遠征の後、アルマトイの名前は多くの人から忘れ去られた[9]

1730年1729年)にはアブル=ハイル・ハンが率いるカザフ族の連合軍が、アルマトイ北西のアヌラカイ山で抗争を繰り返していたジュンガルを撃破する[14]

1854年、シベリア・コサック天山山脈のふもとに要塞を建設し、ザイリースキー(ザイリスコエ、Заилийский)と呼んだ。やがて、要塞はヴェールノエの名前で呼ばれるようになった[15]。ヴェールノエはビシュケクタシュケント方面への遠征の拠点とされ[16]、1859年に初めて地図上に名前が記された[8]

1867年に要塞はヴェールヌイ(Верный)市と改められてセミレチエ州の州都に定められる。ステップ上に位置する立地、当時の不安定な中央アジア情勢のため、ロシア帝国の統治下で秩序が保たれていたヴェールヌイには、多くの民族が移住した[17]。ヴェールヌイに移住した人間はボリショイ・アルマトゥ川沿いに、出身地域ごとに集落を形成した[8]。1880年代のアルマトイは、60年代にロシア人移民が居住する要塞周辺の旧地区、70年代以降に建設された新規の移民の居住地である新ヴェールヌイ区、カザフ族などの非ロシア人が居住する郊外の地区の3つに分かれていた[17]1887年1910年1911年)の大地震でヴェールヌイは壊滅するが、人々は町を再建した。2度の大地震の後に、碁盤目状の市街地が整備され始める。

1918年3月にアルマトイにソビエト政権が樹立する。 1921年、町は特産品のリンゴにちなんだ名前のアルマ・アタ(リンゴの父)に改称される[10]1928年、政争に敗れたレフ・トロツキーが追放され滞在した(翌年にはソビエト連邦から国外追放)。 1929年カザフ自治ソビエト社会主義共和国の首都がクズロルダからこの地に移される。1930年トルキスタン・シベリア鉄道トルキスタン・シベリア道路、さらにアルマ・アタ空港(現在のアルマトイ国際空港)が完成し、カザフスタンの中心地に発展していく。木造の平屋が多く経っていた町に、鉄筋コンクリートの建物が現れ始める[5]。ソビエト政権時代、町の通りにはレーニンなどの社会主義を象徴する名前やジャンブルアバイなどのカザフ族の偉人の名前が付けられた[8]。都市の中心部には政府関係の建物だけでなく、オペラ劇場やコンサートホールなどの文化施設が建設された。

第二次世界大戦中、アルマ・アタには戦火を逃れるために工場や病院、大学、映画撮影所などがヨーロッパ・ロシアから続々と疎開してきた。ソ連の映画撮影所モスフィルムレンフィルムが移転したアルマ・アタに中央合同劇映画製作所が発足、当時のソ連製映画の約8割がアルマ・アタで制作された[18]。アルマ・アタで映画技法を学んだ人物の中から、中央アジアの映画界で活躍する人材が多く現れた[18]。戦後には日本兵捕虜の収容所が設置され、科学アカデミーや発電所の建設に使役された[6]。市内には日本兵捕虜が葬られた墓地が3か所存在する[6]

1960年から1986年までのディンムハメッド・コナエフがカザフスタン共産党中央委員会第一書記を務めていた時代、町の景観が整備される[7]1974年3月15日には、アルマトイで処女地開拓20周年記念式典が開催。ブレジネフ書記長が直々に訪れた[19]1978年にはプライマリ・ヘルス・ケアに関する会議が開催され、アルマ・アタ宣言が採択された。1986年ミハイル・ゴルバチョフはコナエフをカザフ党第一書記(政治局員)から解任し、後任にロシア人のゲンナジー・コルビンを選出した。第一書記は共和国の基幹民族出身者から選出する慣行に反する上、カザフスタンと全く繋がりのないコルビンの起用はカザフスタンの学生たちの反発を招いた[20]。このため、1986年12月17日朝から12月18日夜にかけて、大規模なカザフ人暴動が発生した(アルマアタ事件)。

1991年より、アルマ・アタは旧ソビエト連邦から独立したカザフスタン共和国の首都に定められ、1993年にアルマトイに名称を統一した。1997年ヌルスルタン・ナザルバエフは首都をアクモラ(現在のヌルスルタン)に移すことを決定し、翌1998年1月に遷都が行われた。

地理・気候

天山山脈の支脈であるイリ・アラタウ山脈カザフ語版の北麓に位置する。都心部は標高750m-900mの高地に位置し、町全体が傾斜している[7]。町の郊外には下水が整備されていない平屋が建ち並ぶ貧しい地方出身者の居住区が存在する一方、山麓には富裕層の邸宅が多く建つ[2]

アルマトイは複数回大地震に見舞われており、アスタナへ遷都された理由の一つに地震の危険性があった[21]。地震への対策から高層建築物の建設は制限されているが、そのために都市の景観が保たれている一面もある[5]

気候は大陸性で、夏は暑く冬は寒い。南方を4000m級の天山山脈が占めるため、山岳気候の影響も強く受ける。1月の平均気温は-4.7度とそれほど低くはないが、最低気温は-20度を下回ることも珍しくなく、降雪量も多くなる。7月の平均気温は23.8度と高く、日中は年間平均で30度を超す真夏日となることが36日もあり、時に35度を超すことも珍しくないが、朝晩は涼しく湿気も少ないので蒸し暑さとは無縁である。また市内でも北から南にかけて標高600m - 1200mに市街地が広がっているため、気温、気候などに違いがある。沖積層土壌と豊富な雨量のため、多くの植物が生い茂っている[22]

アルマトイの気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C°F 18.2
(64.8)
19.0
(66.2)
28.0
(82.4)
33.2
(91.8)
35.1
(95.2)
39.3
(102.7)
43.4
(110.1)
40.5
(104.9)
38.1
(100.6)
31.1
(88)
25.4
(77.7)
19.2
(66.6)
43.4
(110.1)
平均最高気温 °C°F 0.7
(33.3)
2.2
(36)
8.7
(47.7)
17.3
(63.1)
22.4
(72.3)
27.5
(81.5)
30.0
(86)
29.4
(84.9)
24.2
(75.6)
16.3
(61.3)
8.2
(46.8)
2.3
(36.1)
15.8
(60.4)
日平均気温 °C°F −4.7
(23.5)
−3.0
(26.6)
3.4
(38.1)
11.5
(52.7)
16.6
(61.9)
21.6
(70.9)
23.8
(74.8)
23.0
(73.4)
17.6
(63.7)
9.9
(49.8)
2.7
(36.9)
−2.8
(27)
10.0
(50)
平均最低気温 °C°F −8.4
(16.9)
−6.9
(19.6)
−1.1
(30)
5.9
(42.6)
11.0
(51.8)
15.8
(60.4)
18.0
(64.4)
16.9
(62.4)
11.5
(52.7)
4.6
(40.3)
−1.3
(29.7)
−6.4
(20.5)
5.0
(41)
最低気温記録 °C°F −30.1
(−22.2)
−37.7
(−35.9)
−24.8
(−12.6)
−10.9
(12.4)
−7.0
(19.4)
2.0
(35.6)
7.3
(45.1)
4.7
(40.5)
−3.0
(26.6)
−11.9
(10.6)
−34.1
(−29.4)
−31.8
(−25.2)
−37.7
(−35.9)
降水量 mm (inch) 34
(1.34)
43
(1.69)
75
(2.95)
107
(4.21)
106
(4.17)
57
(2.24)
47
(1.85)
30
(1.18)
27
(1.06)
60
(2.36)
56
(2.2)
42
(1.65)
684
(26.93)
平均降水日数 (≥1.0 mm) 5.8 6.1 9.5 9.6 9.9 7.3 5.3 3.5 3.6 6.5 6.5 5.7 79.3
湿度 77 76 71 59 56 49 46 45 49 64 74 79 62
平均月間日照時間 117.8 118.7 145.7 195.0 241.8 279.0 306.9 294.5 246.0 182.9 126.0 102.3 2,356.6
出典1:Pogoda.ru.net[23]
出典2:Hong Kong Observatory (sun and precipitation days)[24]

民族構成、人口

民族構成(アルマトイ市)2018
カザフ人
  
59.53%
ロシア人
  
26.06%
ウイグル人
  
5.46%
高麗人朝鮮人
  
1.85%
タタール人
  
1.36%

2018年度の調査では、右記の結果となった。首都ヌルスルタンに比べると、ロシア人が占める割合が多くなっている他、ウイグル人や朝鮮系の高麗人も多くなっているなど、多民族都市である。ロシア人の割合は低下しており1989年には6割近くに達していたが、2018年には26%にまで低下した。一方、カザフ人が6割近くを占めるようになった。それでも、ロシア人人口は46万人に達し、旧ソ連ではロシアウクライナ以外の都市では最大の数となっている。

1989年にソビエト連邦が行った調査ではアルマ・アタの人口は1,071,900人であり、カザフスタン独立後の1999年に実施された調査では1,129,400人に増加した結果が報告された[25]

1926年 1959年 1970年 1989年 1999年 2012年
人口 46,000[22] 456,000[22] 730,000[22] 1,071,900 1,129,400 1,472,866[26]
民族 1989年(人) (%) 1999年(人) (%) 2018年(人) (%)[27]
カザフ人 255,133 23.80% 434,397 38.46% 1072,694 59.53%
ロシア人 615,365 57.41% 510,366 45.19% 469,614 26.06%
ウイグル人 43,351 4.04% 60,427 5.35% 98,468 5.46%
高麗人 14,931 1.39% 19,090 1.69% 33,410 1.85%
タタール人 25,329 2.36% 24,770 2.19% 24,474 1.36%

行政地区

7地区から成る。

  • アウエゾフ地区
  • アラタウ地区
  • アルマルイ地区
  • ジェトゥス地区
  • トゥルクシブ地区
  • ボスタンドゥク地区
  • メデウ地区

経済

ソビエト連邦から独立した中央アジアの国家の中で、アルマトイは最も経済的に発展した都市である[8]

アルマトイの前身であるヴェールノエ市の建設当初、住民の大部分は農業に従事しており、工業は発達していなかった[28]。ソビエト連邦時代にシベリアと中央アジアが鉄道で結ばれると、アルマトイは植民・商業都市としての性質だけでなく、工業都市としての性格も持ち始める[17]ノヴォシビルスクタシュケントを結ぶトルキスタン・シベリア鉄道の開通により、機械製造業と食品工業が発達した[22]1919年のアルマトイの労働者の数は365人だったが、1968年には104,000人に達した[28]。旧ソ連時代は食品工業と軽工業がアルマトイの中心産業だった[28]1993年には、フィリップモリス社がアルマトゥ・タバコ工場を買収した[29]

カザフスタンの石油生産量が増加した2003年以後、アルマトイは経済的な恩恵を受ける[8]。町にはトルコ資本、ロシア資本の大規模な小売商店が進出し、欧米資本のファッションブランド店も出現した。市内のスーパーにはトルコ製品、バザールには中国製品が多く流通するようになる[30]。しかし、富裕層に含まれない一般市民は恩恵にあずかれず、物価の上昇と公共料金の値上げに苦しんでいる[8]。また、経済発展と共に環境問題も表面化した[8]。特に自動車の排気ガスによる大気汚染が問題となっており、市当局は地下鉄の設置などの対策を講じているが成果は表れていない[8]

教育

アルマトイには、カザフ国立大学を始め、カザフスタンの高等教育機関と研究施設が集中している[6]。教育科学省の管轄下に置かれている研究所群は学術活動の中心で、エジプトの援助によって設立されたイスラーム大学も存在する[2]。カザフスタンの三大図書館である国立公共図書館、カザフスタン科学技術図書館、カザフ科学アカデミー中央図書館が置かれている[31]

人材不足などの理由で、町の医療は発達しているとは言い難い[32]

スポーツ

アルマトイ・セントラル・スタジアム
バルィヤン・ショラク・スポーツ宮殿英語版
メデオ・スケートリンク
チンブラク・スキー場
スンカル・スキージャンプ場

球技

FCカイラト・アルマトイとCSKAアルマトイの2つのサッカークラブが、アルマトイをホームタウンとしている。また、2005年に同国初の男性プロゴルファートーナメントカザフスタンオープン英語版」が同地で開催され、以降は同国におけるプロゴルファーのメッカとして重要視されている。

1996年にカザフスタンの企業と日本の商社の合弁でヌルタウ・ゴルフクラブが開設された[33]。2006年には2つ目のゴルフ場としてジャイラウ・ゴルフクラブがオープンした。

氷上スポーツ

アイスホッケークラブであるHCアルマトイカザフ語版英語版が、アルマトイを拠点としている。

中心部から15㎞、バスで20分程のアルマトイ郊外のメデオ・スケートリンクカザフ語版ロシア語版英語版では、標高1691mと世界最高所の高地にあるリンクのため多くの世界記録が生まれた[10]。そのため、かつては「世界記録の工場」として有名だった[34]。メデオ・スケートリンクの上の標高2200mには、スキーリフトを使えば標高3200mまで行けるチェンブラク・スキー場ロシア語版があるなど、いずれも市街地から15~25㎞範囲、バスで20~30分前後と恵まれた立地にあることからウィンタースポーツが盛んである。また、市内にはアイスホッケーを核とした複合屋内スポーツ施設のアルマトイ・アイスパレス英語版の建設が進められている。

同都市は2014年冬季オリンピック開催に立候補していたが落選[35]2011年にはアジア冬季競技大会が開催された。アジア冬季競技大会の開催に伴って、アルマトイに国際スキージャンプ・コンプレックス、クロスカントリースキー・バイアスロン・コンプレックスが建設されている[36]2022年冬季オリンピックにも開催地として立候補したが、最終選考で北京に敗れた。2017年には冬季ユニバーシアードが開催された[37]

バンディ

アルマトイには、国際バンディ連盟のアジア事務局が設置されている[38]。かつて存在したバンディのチームであるディナモ・アルマ・アタは、1977年と1990年のソビエト選手権、1978年のヨーロピアン・カップ英語版を制した。

ディナモの本拠地であったメデオ・スケートリンクは、2011年アジア冬季競技大会でバンディの競技会場として使用された。2012年にカザフスタンで開催されたバンディ世界選手権ではメデオがメインの競技場に選ばれ、大会のためにアルマトイ・セントラル・スタジアムに建設された代替のフィールドが第2競技場とされた。

観光

市外の中心部にはオフィス、銀行、ホテル、ショッピングモール、カフェ、映画館といった新しい建築物が建つ。アルマトイには歴史的な建造物の遺跡は存在しないが、ヨーロッパ風の街角が多く残る[31]。また、ソ連時代の伝統を引き継いで、オペラ、バレエ、コンサートなどの文化的な催し物が劇場で上演されている[39]

ハイアットリージェンシー系列のラハット・パラス、インターコンチネンタルなどのホテルが営業している。

主な観光地

国家中央博物館で展示されている「黄金人間」のレプリカ。
  • 28人のパンフィロフ戦士公園 - 第二次世界大戦の対ドイツ戦でモスクワ防衛に参加して戦死したパンフィロフ将軍と彼が率いた兵士を記念して造られた公園。アルマトイでの結婚式の当日、花嫁と花婿は公園の戦勝記念碑に花を捧げ、記念撮影を行うことが多い[40]。中央には1904年に完成したゼンコフ正教教会がそびえる。
  • 国家中央博物館 - 約90,000点の展示物を所蔵する[31]。イッシク古墳から出土した「黄金人間」のレプリカ、石人などが展示されている。
  • 国立カステエフ記念美術館 - 主に現代のカザフ人芸術家の作品を展示している。
  • カザフ民族楽器博物館
  • アルマトイ動物園
  • 中央バザール

交通

アルマトイ郊外では、新車を購入する経済的な余裕が無い人間のための中古車を扱うバザールが開かれている[41]

自動車の排気ガスによる大気汚染は、アルマトイを悩ませている[8]。また、渋滞も頻発しており、駐車場が少ないために路上駐車が横行していること、低速度で走行中に故障が起きやすい旧型車が大排気量の新車と並走していることなどが発生の原因として挙げられる[42]。2005年には交通事故の増加を防ぐために市当局が右ハンドル車の新規登録を停止することを発表したが、右ハンドル車の所有者やディーラーの反対にあって発表を撤回した[43]

交通機関

アルマトイ地下鉄のアルマリィ駅
  • アルマトイ国際空港 - 市内北東の15kmに位置するカザフスタン最大の空港。アルマトイは中央アジア各地とロシア・ヨーロッパを結ぶ航空上の拠点として重要視されている[22]
  • アルマトイ1駅 - 町の北にある駅。
  • アルマトイ2駅 - 市の中心部にある駅。多くの列車の発着地となっている[44]モスクワ行きは隔日、中国ウルムチ行きは週2便のジベックジョリ号が発着する。
  • アルマトイ地下鉄 - 2011年に開通した中央アジアでは2番目の地下鉄。
  • サイランバスターミナル - 市の西にある長距離バスターミナル。現地ではノーヴィー・アフトヴァグザールの名前で呼ばれている[44]ビシュケクタラズ、ウルムチ、グルジャ行きのバスが運行されている。
  • マルシュルート・タクシー - 定員10人前後の小型バス。車体は主にロシア車と中国車が使用されている[45]

またソビエト連邦時代に運行を開始したアルマトイ市電が存在したが、他の交通機関との競合によって次第に規模を縮小していき、2015年を最後に無期限運休となった(ただしレール等の設備は2016年より撤去され始めているため、事実上の廃線である)[46]

姉妹都市

[47]

脚注

  1. ^ 行政区画としてアルマトイはアルマトイ州に含まれないが位置を示すためにアルマトイ州の地図を使用
  2. ^ a b c 宇山、藤本『カザフスタンを知るための60章』、44-47頁
  3. ^ World City
  4. ^ 宇山『中央アジアを知るための60章』第2版、151頁
  5. ^ a b c 宇山『中央アジアを知るための60章』第2版、150頁
  6. ^ a b c d 岡「アルマトゥ」新版『ロシアを知る事典』、29-30頁
  7. ^ a b c 宇山「アルマトゥ」『中央ユーラシアを知る事典』、43頁
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m 『中央アジア』、69-70頁
  9. ^ a b 蟻川明男『世界地名語源辞典』(三訂版, 古今書院, 2003年3月)、26頁
  10. ^ a b c d 辻原『世界地名情報事典』、36頁
  11. ^ Ness, Immanuel. Encyclopedia of World Cities. M E Sharpe Reference, 1999. ISBN 0-7656-8017-3. 19頁
  12. ^ a b 梅村坦「オアシス世界の展開」『中央ユーラシア史』収録(小松久男編, 新版世界各国史, 山川出版社, 2000年10月)、103頁
  13. ^ 角崎『カザフスタン 草原と資源と豊かな歴史の国』、43頁
  14. ^ カトリーヌ・プジョル『カザフスタン』(宇山智彦、須田将訳, 文庫クセジュ, 白水社, 2005年2月)、57-58頁
  15. ^ 宇山『中央アジアを知るための60章』第2版、149頁
  16. ^ 宇山『中央アジアを知るための60章』第2版、149-150頁
  17. ^ a b c 『シルクロード事典』、62-63頁
  18. ^ a b 宇山『中央アジアを知るための60章』第2版、135頁
  19. ^ 新段階迎えたシベリア開発 原生林に挑む突撃隊『朝日新聞』昭和49年(1974年)9月22日朝刊、13版、9面
  20. ^ 宇山「アルマトゥ事件」『中央ユーラシアを知る事典』、43頁
  21. ^ 宇山智彦「地震」『中央ユーラシアを知る事典』、227,232頁
  22. ^ a b c d e f 『世界地名辞典 西洋編』新版、37頁
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参考文献

  • 宇山智彦「アルマトゥ」『中央ユーラシアを知る事典』収録(平凡社, 2005年4月)
  • 宇山智彦「アルマトゥ事件」『中央ユーラシアを知る事典』収録(平凡社, 2005年4月)
  • 宇山智彦編著『中央アジアを知るための60章』第2版(エリア・スタディーズ26, 明石書店, 2010年2月)
  • 宇山智彦、藤本透子編著『カザフスタンを知るための60章』(エリア・スタディーズ, 明石書店, 2015年3月)
  • 岡奈津子「アルマトゥ」新版『ロシアを知る事典』収録(平凡社, 2004年1月)
  • 帯谷知可、北川誠一、相馬秀廣編『中央アジア』(朝倉世界地理講座 大地と人間の物語, 朝倉書店, 2012年10月
  • 香山陽坪「アルマアタ」『世界地名大事典』1巻(朝倉書店, 1973年)
  • 地球の歩き方編集室『中央アジア サマルカンドとシルクロードの国々』2011~2012年版(地球の歩き方, ダイヤモンド・ビッグ社, 2011年4月)
  • 辻原康夫『世界地名情報事典』(東京書籍, 2003年1月)
  • 角崎利夫『カザフスタン 草原と資源と豊かな歴史の国』(早稲田出版, 2007年12月)
  • 『アジア・オセアニア 1』(桜井由躬雄他監修, 世界地理大百科事典, 朝倉書店, 2002年1月)
  • 『世界地名辞典 西洋編』新版(小林望、徳久球雄編, 東京堂出版, 1980年5月)
  • 『シルクロード事典』(前嶋信次、加藤九祚共編、芙蓉書房、1975年1月)

関連項目

外部リンク