1973年ラグビー日本代表のイギリス・フランス遠征
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1973年ラグビー日本代表のイギリス・フランス遠征は、1973年9月から10月にかけて日本代表がイギリス及びフランスに遠征し11試合が組まれた[1][2][3][4]。
試合日程・結果
[編集]日時 | 会場 | ホーム | スコア | アウェイ |
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1973年9月22日 | ペニーグレイグ | グラモーガン東部 | 23-11 | 日本 |
1973年9月26日 | ポンティプール | モンモスシャー | 26-16 | 日本 |
1973年9月29日 | ニース | グラモーガン西部 | 19-6 | 日本 |
1973年10月2日 | スラネスリー | ウェールズ西部 | 9-12 | 日本 |
1973年10月6日 | カーディフ・アームズ・パーク(カーディフ) | ウェールズ | 62-14 | 日本 |
1973年10月9日 | レスター | ミッドランド選抜 | 10-6 | 日本 |
1973年10月13日 | トゥイッケナム・スタジアム(ロンドン) | イングランドU23代表 | 19-10 | 日本 |
1973年10月17日 | アビニョン | プロバンス選抜 | 51-19 | 日本 |
1973年10月21日 | ペルピニャン | ルション選抜 | 29-18 | 日本 |
1973年10月24日 | ブリーブ | リムーザン地区選抜 | 8-19 | 日本 |
1973年10月27日 | ボルドー | フランス | 30-18 | 日本 |
遠征メンバー
[編集]日本の遠征参加メンバーは下記の通り[5]。
年齢、キャップ数は初戦前日の1973年9月22日時点
スタッフ:
選手 | ポジション | 誕生日 (年齢) | キャップ | チーム |
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原進 | フロントロー | 1947年1月8日(26歳) | 6 | 近鉄 |
飯降幸雄 | フロントロー | 1946年5月9日(27歳) | 1 | 東京三洋電機 |
下薗征昭 | フロントロー | 1943年8月23日(30歳) | 9 | 新日鉄八幡 |
後川光夫 | フロントロー | 1945年10月1日(27歳) | 11 | リコー |
大東和美 | フロントロー | 1948年10月22日(24歳) | 0 | 住友金属和歌山 |
小笠原博 | ロック | 1943年4月23日(30歳) | 12 | 近鉄 |
寺井敏雄 | ロック | 1946年10月10日(26歳) | 7 | 新日鉄八幡 |
柴田浩一 | ロック | 1947年10月14日(25歳) | 1 | 三菱製鋼 |
井沢義明 | フランカー | 1947年5月27日(26歳) | 10 | リコー |
山口良治 | フランカー | 1943年2月15日(30歳) | 12 | 京都市役所 |
吉田純司 | フランカー | 1949年6月3日(24歳) | 0 | 新日鉄八幡 |
村田義弘 | ナンバー8 | 1947年2月21日(26歳) | 5 | リコー |
赤間英夫 | ナンバー8 | 1948年11月21日(24歳) | 0 | トヨタ自工 |
今里良三 | スクラムハーフ | 1947年3月13日(26歳) | 11 | 近鉄 |
宿澤広朗 | スクラムハーフ | 1950年9月1日(23歳) | 0 | 住友銀行(東京) |
蒲原忠正 | スタンドオフ | 1944年6月15日(29歳) | 12 | 天理教本部 |
井口雅勝 | スタンドオフ | 1949年11月26日(23歳) | 0 | 栗田工業 |
横井章 | センター | 1941年5月1日(32歳) | 13 | 三菱自工京都 |
島崎文治 | センター | 1945年4月15日(28歳) | 7 | 東洋工業 |
杉山洋一 | センター | 0 | 三菱自工京都 | |
坂田好弘 | ウイング | 1942年9月26日(30歳) | 13 | 近鉄 |
伊藤忠幸 | ウイング | 1941年11月15日(31歳) | 14 | リコー |
藤原優 | ウイング | 1953年7月22日(20歳) | 0 | 早稲田大学 |
山本巌 | フルバック | 1947年2月27日(26歳) | 0 | リコー |
植山信幸 | フルバック | 1952年3月4日(21歳) | 0 | 早稲田大学 |
試合一覧
[編集]第1戦
1973年9月22日 15:00 |
グラモーガン東部 | 23-11 | 日本 | ペニーグレイグ レフリー: マリン・ジョゼフ |
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第2戦
1973年9月26日 19:00 |
モンモスシャー | 26-16 | 日本 | ポンティプール レフリー: R. Lewis |
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第3戦
1973年9月29日 15:00 |
グラモーガン西部 | 19-6 | 日本 | ニース レフリー: E. Lewis |
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第4戦
1973年10月2日 18:30 |
ウェールズ西部 | 9-12 | 日本 | スラネスリー レフリー: Kellerher |
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第5戦(テストマッチ)[7]
1973年10月6日 15:00 |
ウェールズ | 62-14 | 日本 | カーディフ・アームズ・パーク(カーディフ) レフリー: G. Guilhem(フランス) |
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第6戦
1973年10月9日 19:15 |
ミッドランド選抜 | 10-6 | 日本 | レスター レフリー: Titcomb |
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第7戦(テストマッチ)[8]
1973年10月13日 15:00 |
イングランドU23代表 | 19-10 | 日本 | トゥイッケナム・スタジアム(ロンドン) レフリー: D. P. d'Arcy(アイルランド) |
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第8戦
1973年10月17日 15:00 |
プロバンス選抜 | 51-19 | 日本 | アビニョン レフリー: D. Jones |
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第9戦
1973年10月21日 15:00 |
ルション選抜 | 29-18 | 日本 | ペルピニャン レフリー: A. Bryce |
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第10戦
1973年10月24日 19:00 |
リムーザン地区選抜 | 8-19 | 日本 | ブリーブ レフリー: J. R. West |
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第11戦(テストマッチ)[9]
1973年10月27日 15:00 |
フランス | 30-18 | 日本 | ボルドー レフリー: マリン・ジョゼフ |
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強化試合
[編集]この遠征に先立って日本代表の選考・強化試合が組まれた。52名の日本代表候補が招集され、最終的に遠征に参加する25名が選ばれた[10][11]。
日時 | 会場 | ホーム | スコア | アウェイ |
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1973年2月11日 | 秩父宮ラグビー場(東京都) | 日本代表候補 | 31-28 | 明治大学 |
1973年2月24日 | 秩父宮ラグビー場(東京都) | 日本代表候補 | 32-7 | リコー |
1973年3月4日 | 秩父宮ラグビー場(東京都) | 日本代表候補 | 46-12 | YCAC |
1973年3月17日 | 西京極競技場(京都府) | 日本代表候補 | 15-31 | 関西代表 |
1973年3月22日 | 平和台陸上競技場(福岡県) | 日本代表候補 | 51-10 | 九州代表 |
1973年4月1日 | 西京極競技場(京都府) | 日本代表候補 | 34-22 | 京都代表 |
1973年4月14日 | 秩父宮ラグビー場(東京都) | 日本代表候補(東軍) | 28-15 | 日本代表候補(西軍) |
脚注
[編集]- ^ 国際交流試合一覧 - 日本ラグビーフットボール協会/日本ラグビー デジタルミュージアム
- ^ Rugby Football 23巻1号 - 日本ラグビーフットボール協会/日本ラグビー デジタルミュージアム
- ^ Rugby Football 23巻2号 - 日本ラグビーフットボール協会/日本ラグビー デジタルミュージアム
- ^ Rugby Football 23巻3号 - 日本ラグビーフットボール協会/日本ラグビー デジタルミュージアム
- ^ Rugby Football 22巻6号 - 日本ラグビーフットボール協会/日本ラグビー デジタルミュージアム
- ^ 岡仁詩の予定だったが監督を辞任。横井久に変更。
- ^ テストNo.38 英仏遠征1973第5戦
- ^ テストNo.39 英仏遠征1973第7戦
- ^ テストNo.40 英仏遠征1973第11戦
- ^ Rugby Football 22巻4号 - 日本ラグビーフットボール協会/日本ラグビー デジタルミュージアム
- ^ Rugby Football 22巻5号 - 日本ラグビーフットボール協会/日本ラグビー デジタルミュージアム
外部リンク
[編集]- 公式ウェブサイト ラグビー日本代表オフィシャルサイト