コンテンツにスキップ

堀江正三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2022年10月8日 (土) 15:34; CommonsDelinker (会話 | 投稿記録) による版 (「Emblem_of_Tokyo_prefecture(1931-1943).svg」 を 「Emblem_of_Tokyo_Prefecture_(1931–1943).svg」 に差し替え(CommonsDelinkerによる。理由:File renamed: Criterion 4 (harmonizing names of file set)))(日時は個人設定で未設定ならUTC

(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
堀江正三郎
ほりえ しょうざぶろう
生年月日 1869年2月12日
出生地 日本の旗 日本 東京都
没年月日 (1934-10-09) 1934年10月9日(65歳没)
出身校 東京高等工業学校卒業
(現東京工業大学)
所属政党 立憲政友会

選挙区 茨城県第3選挙区
当選回数 1回
在任期間 1932年2月 - 1934年10月9日

第8代 東京府会議長

東京府会議員

京橋区会議員
テンプレートを表示

堀江 正三郎(ほりえ しょうざぶろう、1869年2月12日明治2年1月2日[1] - 1934年昭和9年)10月9日[2])は、日本の政治家衆議院議員(1期)。

経歴

[編集]

東京都出身[2]1889年東京高等工業学校卒。京橋区議、東京府議、同市部会議員、同議長となる[2]。千代田護謨、東京製靴、東京商船各(株)専務取締役、原安商会、秋葉商店、茨城鉄道、大谷石材鉄道、栗山電燈、稲敷電気各(株)取締役社長などを務める[2]

1932年第18回衆議院議員総選挙において茨城3区(当時)から立憲政友会公認で立候補して当選した[3]。在職中の1934年10月に死去した。

脚注

[編集]
  1. ^ 衆議院『第六十一回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1932年、12頁。
  2. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』574頁。
  3. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』99頁。

参考文献

[編集]
  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。