コンテンツにスキップ

大和田義栄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。曾禰越後守 (会話 | 投稿記録) による 2022年9月21日 (水) 12:15個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (カテゴリ調整)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

大和田 義栄(おおわだ よしえい、1899年明治32年)10月11日[1] - 1950年昭和25年)8月27日[2][3])、または大和田義榮は、大正末から昭和前期の農業技術者、実業家政治家衆議院議員

経歴

福島県出身[2][3]。1922年(大正11年)福島県立蚕業学校(現福島県立福島明成高等学校)を卒業した[2][3]

福島県下の各養蚕組合の指導員となる[3]。片倉製糸(現片倉工業)岩代工場蚕業技師に転じた[2][3]。その後、同蚕業課長、日本蚕糸製造喜多方工場原料課長、同工場次長、会達製糸原料課長兼総務課長を歴任した[2]。1945年(昭和20年)南会製糸取締役社長、1946年(昭和21年)日本蚕糸救国連盟会長に就任した[2][3]

1946年(昭和21年)4月の第22回衆議院議員総選挙に福島県全県区から日本自由党所属で出馬して落選[4]。1947年(昭和22年)4月の第23回総選挙福島県第2区から日本自由党公認で出馬して次点で落選[5]。1949年(昭和24年)1月の第24回総選挙民主自由党公認で出馬して当選し[3][6]、衆議院議員に1期在任した[2]。この間、日本自由党福島県支部総務、民主自由党福島県支部顧問、同福島県耶麻部会長などを務めた[3]。議員在任中の1950年(昭和25年)8月に死去した[3][7]

脚注

  1. ^ 衆議院『衆議院議員名簿.第5回国会』〈衆議院公報附録〉、1949年、20頁。
  2. ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』141頁。
  3. ^ a b c d e f g h i 『衆議院追悼演説集』35-36頁。
  4. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第22回』191頁。
  5. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第23回』77頁。
  6. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』46頁。
  7. ^ 『官報』第7096号、昭和25年9月5日。

参考文献

  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第22回』衆議院事務局、1950年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第23回』衆議院事務局、1948年。
  • 『衆議院追悼演説集』温智会、1983年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。