第三次兵備
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第三次兵備(だいさんじへいび)とは、大日本帝国陸軍が太平洋戦争末期の1945年5月23日に実施した大規模な兵力増強である。通常、師団を増やすような大きな兵備計画は年度ごとに計画・実施されるが、1945年にはそれが2月、4月、5月と三回あったため、それぞれ第一次兵備、第二次兵備、第三次兵備と呼ぶ。
機動打撃師団8個、沿岸配備師団11個の計19個師団・独立混成旅団15個を新設したが、所属した歩兵連隊は3個で、第一次兵備の沿岸配備師団と較べても兵数・火力ともに劣っていた。また、計画された兵器・人員の定数も充たされないままに終戦を迎えた。
機動打撃師団
第221師団
第221師団 | |
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創設 | 1945年(昭和20年)5月23日 |
廃止 | 1945年(昭和20年) |
所属政体 | 大日本帝国 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
部隊編制単位 | 師団 |
兵種/任務 | 歩兵 |
編成地 | 長野 |
通称号/略称 | 天龍 |
補充担任 | 長野師管区 |
最終上級単位 | 第51軍 |
最終位置 | 茨城県 鹿嶋 |
戦歴 | 太平洋戦争 |
- 通称号:「天龍」
- 編成地:長野/補充担任:長野師管区
- 師団長:永沢三郎中将(1945年7月5日 - 終戦[1])
- 最終上級部隊:第51軍
- 最終位置:茨城県鹿島
- 歩兵第316連隊
- 歩兵第317連隊
- 歩兵第318連隊
第222師団
第222師団 | |
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創設 | 1945年(昭和20年)5月23日 |
廃止 | 1945年(昭和20年) |
所属政体 | 大日本帝国 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
部隊編制単位 | 師団 |
兵種/任務 | 歩兵 |
編成地 | 弘前 |
通称号/略称 | 八甲 |
補充担任 | 弘前師管区 |
最終上級単位 | 第11方面軍 |
最終位置 | 岩手県 |
戦歴 | 太平洋戦争 |
- 通称号:「八甲」
- 編成地:弘前/補充担任:弘前師管区
- 師団長:笠原嘉兵衛中将(1945年6月1日 - 終戦[1])
- 最終上級部隊:第11方面軍
- 最終位置:岩手県
- 歩兵第307連隊
- 歩兵第308連隊
- 歩兵第309連隊
第224師団
第224師団 | |
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創設 | 1945年(昭和20年)5月23日 |
廃止 | 1945年(昭和20年) |
所属政体 | 大日本帝国 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
部隊編制単位 | 師団 |
兵種/任務 | 歩兵 |
編成地 | 広島 |
通称号/略称 | 赤穂 |
補充担任 | 広島師管区 |
最終上級単位 | 第54軍 |
最終位置 | 広島県 |
戦歴 | 太平洋戦争 |
- 通称号:「赤穂」
- 編成地:広島/補充担任:広島師管区
- 師団長:河村参郎中将(1945年7月5日 - 終戦[2])
- 最終上級部隊:第54軍
- 最終位置:広島
- 歩兵第340連隊
- 歩兵第341連隊
- 歩兵第342連隊
第225師団
第225師団 | |
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創設 | 1945年(昭和20年)5月23日 |
廃止 | 1945年(昭和20年) |
所属政体 | 大日本帝国 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
部隊編制単位 | 師団 |
兵種/任務 | 歩兵 |
編成地 | 大阪 |
通称号/略称 | 金剛 |
補充担任 | 大阪師管区 |
最終上級単位 | 第15方面軍 |
最終位置 | 兵庫県 龍野 |
戦歴 | 太平洋戦争 |
- 通称号:「金剛」
- 編成地:大阪/補充担任:大阪師管区
- 師団長:落合鼎五中将(1945年6月1日 - 終戦[2])
- 最終上級部隊:第15方面軍
- 最終位置:兵庫県龍野
- 歩兵第343連隊
- 歩兵第344連隊
- 歩兵第345連隊
第229師団
第229師団 | |
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創設 | 1945年(昭和20年)5月23日 |
廃止 | 1945年(昭和20年) |
所属政体 | 大日本帝国 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
部隊編制単位 | 師団 |
兵種/任務 | 歩兵 |
編成地 | 金沢 |
通称号/略称 | 北越 |
補充担任 | 金沢師管区 |
最終上級単位 | 第13方面軍 |
最終位置 | 石川県 津幡 |
戦歴 | 太平洋戦争 |
- 通称号:「北越」
- 編成地:金沢/補充担任:金沢師管区
- 師団長:石野芳男中将(1945年6月2日 - 終戦[2])
- 参謀長:吉田嘉久中佐(1945年5月24日 - 終戦[3])
- 最終上級部隊:第13方面軍
- 最終位置:石川県津幡
- 歩兵第334連隊
- 歩兵第335連隊
- 歩兵第336連隊
第230師団
第230師団 | |
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創設 | 1945年(昭和20年)5月23日 |
廃止 | 1945年(昭和20年) |
所属政体 | 大日本帝国 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
部隊編制単位 | 師団 |
兵種/任務 | 歩兵 |
編成地 | 東京 |
通称号/略称 | 総武 |
補充担任 | 東京師管区 |
最終上級単位 | 第59軍 |
最終位置 | 岡山県 |
戦歴 | 太平洋戦争 |
- 通称号:「総武」
- 編成地:東京/補充担任:東京師管区
- 師団長:中西貞喜中将(1945年6月1日 - 終戦[2])
- 最終上級部隊:第59軍
- 最終位置:岡山
- 歩兵第319連隊
- 歩兵第320連隊
- 歩兵第321連隊
第231師団
第231師団 | |
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創設 | 1945年(昭和20年)5月23日 |
廃止 | 1945年(昭和20年) |
所属政体 | 大日本帝国 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
部隊編制単位 | 師団 |
兵種/任務 | 歩兵 |
編成地 | 広島 |
通称号/略称 | 大国 |
補充担任 | 広島師管区 |
最終上級単位 | 第59軍 |
最終位置 | 山口県 |
戦歴 | 太平洋戦争 |
- 通称号:「大国」
- 編成地:広島/補充担任:広島師管区
- 師団長:村田孝生中将(1945年6月1日 - 終戦[2])
- 最終上級部隊:第59軍
- 最終位置:山口
- 歩兵第346連隊
- 歩兵第347連隊
- 歩兵第348連隊
第234師団
第234師団 | |
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創設 | 1945年(昭和20年)5月23日 |
廃止 | 1945年(昭和20年) |
所属政体 | 大日本帝国 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
部隊編制単位 | 師団 |
兵種/任務 | 歩兵 |
編成地 | 東京 |
通称号/略称 | 利根 |
補充担任 | 東京師管区 |
最終上級単位 | 第52軍 |
最終位置 | 千葉県 八日市場 |
戦歴 | 太平洋戦争 |
- 通称号:「利根」
- 編成地:東京/補充担任:東京師管区
- 師団長:永野亀一郎中将(1945年7月5日 - 終戦[2])
- 参謀長:鳥羽悟大佐(1945年7月5日 - 終戦[4])
- 最終上級部隊:第52軍
- 最終位置:千葉県八日市場
- 歩兵第322連隊
- 歩兵第323連隊
- 歩兵第324連隊
沿岸配備師団
第303師団
第303師団 | |
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創設 | 1945年(昭和20年)5月23日 |
廃止 | 1945年(昭和20年) |
所属政体 | 大日本帝国 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
部隊編制単位 | 師団 |
兵種/任務 | 歩兵 |
編成地 | 名古屋 |
通称号/略称 | 高師 |
補充担任 | 名古屋師管区 |
最終上級単位 | 第40軍 |
最終位置 | 鹿児島県 川内 |
戦歴 | 太平洋戦争 |
第308師団
第308師団 | |
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創設 | 1945年(昭和20年)5月23日 |
廃止 | 1945年(昭和20年) |
所属政体 | 大日本帝国 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
部隊編制単位 | 師団 |
兵種/任務 | 歩兵 |
編成地 | 弘前 |
通称号/略称 | 岩木 |
補充担任 | 東京師管区 |
最終上級単位 | 第50軍 |
最終位置 | 青森県 野辺地 |
戦歴 | 太平洋戦争 |
- 通称号:「岩木」
- 編成地:弘前/補充担任:弘前師管区
- 師団長:朝野寅四郎中将(1945年6月1日 - 終戦[2])
- 参謀長:小林市三中佐(1945年6月1日 - 終戦[5])
- 最終上級部隊:第50軍
- 最終位置:青森県野辺地
- 歩兵第310連隊
- 歩兵第311連隊
- 歩兵第312連隊
第312師団
第312師団 | |
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創設 | 1945年(昭和20年)5月23日 |
廃止 | 1945年(昭和20年) |
所属政体 | 大日本帝国 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
部隊編制単位 | 師団 |
兵種/任務 | 歩兵 |
編成地 | 久留米 |
通称号/略称 | 千歳 |
補充担任 | 久留米師管区 |
最終上級単位 | 第56軍 |
最終位置 | 佐賀県 伊万里 |
戦歴 | 太平洋戦争 |
- 通称号:「千歳」
- 編成地:久留米/補充担任:久留米師管区
- 師団長:多田保中将(1945年6月1日 - 終戦[2])
- 参謀長:羽場光大佐(1945年6月1日 - 終戦[6])
- 最終上級部隊:第56軍
- 最終位置:佐賀県伊万里
- 歩兵第358連隊
- 歩兵第359連隊
- 歩兵第360連隊
第316師団
第316師団 | |
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創設 | 1945年(昭和20年)5月23日 |
廃止 | 1945年(昭和20年) |
所属政体 | 大日本帝国 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
部隊編制単位 | 師団 |
兵種/任務 | 歩兵 |
編成地 | 京都 |
通称号/略称 | 山城 |
補充担任 | 京都師管区 |
最終上級単位 | 第53軍 |
最終位置 | 神奈川県 伊勢原 |
戦歴 | 太平洋戦争 |
- 通称号:「山城」
- 編成地:京都/補充担任:京都師管区
- 師団長:柏徳中将(1945年7月5日 - 終戦[2])
- 参謀長:熊谷則正大佐(1945年7月5日 - 終戦[7])
- 最終上級部隊:第53軍
- 最終位置:神奈川県伊勢原
- 歩兵第349連隊
- 歩兵第350連隊
- 歩兵第351連隊
第320師団
→詳細は「第320師団 (日本軍)」を参照
第321師団
→詳細は「第321師団」を参照
第321師団 | |
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創設 | 1945年(昭和20年)5月23日 |
廃止 | 1945年(昭和20年) |
所属政体 | 大日本帝国 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
部隊編制単位 | 師団 |
兵種/任務 | 歩兵 |
編成地 | 東京 |
通称号/略称 | 磯 |
補充担任 | 東京師管区 |
最終上級単位 | 第12方面軍 |
最終位置 | 伊豆大島 |
戦歴 | 太平洋戦争 |
- 通称号:「磯」
- 編成地:東京/補充担任:東京師管区
- 師団長:矢崎勘十中将(1945年6月1日 - 終戦[2])
- 参謀長:鵜飼仁大佐(1945年6月1日 - 終戦[8])
- 最終上級部隊:第12方面軍
- 最終位置:伊豆大島
- 歩兵第325連隊
- 歩兵第326連隊
- 歩兵第327連隊
第322師団
第322師団 | |
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創設 | 1945年(昭和20年)5月23日 |
廃止 | 1945年(昭和20年) |
所属政体 | 大日本帝国 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
部隊編制単位 | 師団 |
兵種/任務 | 歩兵 |
編成地 | 仙台 |
通称号/略称 | 磐梯 |
補充担任 | 仙台師管区 |
最終上級単位 | 第11方面軍 |
最終位置 | 宮城県 大河原 |
戦歴 | 太平洋戦争 |
- 通称号:「磐梯」
- 編成地:仙台/補充担任:仙台師管区
- 師団長:
- 参謀長:福間桟也中佐(1945年7月5日 - 終戦[9])
- 最終上級部隊:第11方面軍
- 最終位置:宮城県大河原
- 歩兵第313連隊
- 歩兵第314連隊
- 歩兵第315連隊
第344師団
第344師団 | |
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創設 | 1945年(昭和20年)5月23日 |
廃止 | 1945年(昭和20年) |
所属政体 | 大日本帝国 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
部隊編制単位 | 師団 |
兵種/任務 | 歩兵 |
編成地 | 善通寺 |
通称号/略称 | 剣山 |
補充担任 | 善通寺師管区 |
最終上級単位 | 第55軍 |
最終位置 | 高知県 宿毛 |
戦歴 | 太平洋戦争 |
- 通称号:「剣山」
- 編成地:善通寺/補充担任:善通寺師管区
- 師団長:横田豊一郎中将(1945年6月1日 - 終戦[2])
- 参謀長:福山芳夫大佐(1945年5月30日 - 終戦[10])
- 最終上級部隊:第55軍
- 最終位置:高知県宿毛
- 歩兵第352連隊
- 歩兵第353連隊
- 歩兵第354連隊
第351師団
第351師団 | |
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創設 | 1945年(昭和20年)5月23日 |
廃止 | 1945年(昭和20年) |
所属政体 | 大日本帝国 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
部隊編制単位 | 師団 |
兵種/任務 | 歩兵 |
編成地 | 宇都宮 |
通称号/略称 | 赤城 |
補充担任 | 宇都宮師管区 |
最終上級単位 | 第56軍 |
最終位置 | 福岡県 福間 |
戦歴 | 太平洋戦争 |
- 通称号:「赤城」
- 編成地:宇都宮/補充担任:宇都宮師管区
- 師団長:藤村謙中将(1945年6月1日 - 終戦[2])
- 参謀長:西山勝中佐(1945年6月1日 - 終戦[6])
- 最終上級部隊:第56軍
- 最終位置:福岡県福間
- 歩兵第328連隊
- 歩兵第329連隊
- 歩兵第330連隊
第354師団
第354師団 | |
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創設 | 1945年(昭和20年)5月23日 |
廃止 | 1945年(昭和20年) |
所属政体 | 大日本帝国 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
部隊編制単位 | 師団 |
兵種/任務 | 歩兵 |
編成地 | 東京 |
通称号/略称 | 武甲 |
補充担任 | 東京師管区 |
最終上級単位 | 東京湾兵団 |
最終位置 | 千葉県 丸山 |
戦歴 | 太平洋戦争 |
- 通称号:「武甲」
- 編成地:東京/補充担任:東京師管区
- 師団長:山口信一中将(1945年6月1日 - 終戦[2])
- 参謀長:吉橋健児中佐(1945年5月24日 - 終戦[11])
- 最終上級部隊:東京湾兵団
- 最終位置:千葉県丸山
- 歩兵第331連隊
- 歩兵第332連隊
- 歩兵第333連隊
第355師団
第355師団 | |
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創設 | 1945年(昭和20年)5月23日 |
廃止 | 1945年(昭和20年) |
所属政体 | 大日本帝国 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
部隊編制単位 | 師団 |
兵種/任務 | 歩兵 |
編成地 | 姫路 |
通称号/略称 | 那智 |
補充担任 | 姫路師管区 |
最終上級単位 | 第54軍 |
最終位置 | 兵庫県 姫路 |
戦歴 | 太平洋戦争 |
- 通称号:「那智」
- 編成地:姫路/補充担任:姫路師管区
- 師団長:武田寿中将(1945年7月5日 - 終戦[2])
- 参謀長:野口欣一大佐(1945年7月5日 - 終戦[12])
- 最終上級部隊:第54軍
- 最終位置:姫路
- 歩兵第355連隊
- 歩兵第356連隊
- 歩兵第357連隊
独立混成旅団
- 独立混成第113旅団
- 独立混成第114旅団
- 独立混成第115旅団
- 独立混成第116旅団
- 独立混成第117旅団
- 独立混成第118旅団
- 独立混成第119旅団
- 独立混成第120旅団
- 独立混成第121旅団
- 独立混成第122旅団
- 独立混成第123旅団
- 独立混成第124旅団
- 独立混成第125旅団
- 独立混成第126旅団
- 独立混成第127旅団
脚注
参考文献
- 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。