鳥取県立米子工業高等学校

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鳥取県立米子工業高等学校
Yonagokogyo-h-school.jpg
過去の名称 鳥取県立工業学校
鳥取県立米子工業学校
鳥取県立米子工業高等学校
鳥取県立米子西高等学校(工業科)
国公私立の別 公立学校
設置者 鳥取県
設立年月日 1923年大正12年)4月11日
創立記念日 5月25日
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
設置学科 機械科
電気科
情報電子科
環境エネルギー科
建設科
高校コード 31122H
所在地 683-0052
鳥取県米子市博労町四丁目220番地
北緯35度26分3.3秒東経133度20分25.2秒
外部リンク 公式サイト
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鳥取県立米子工業高等学校(とっとりけんりつ よなごこうぎょうこうとうがっこう, Tottori Prefectural Yonago Technical High School)は、鳥取県米子市に所在する県立の工業高等学校である。略称「米工」。

概要[編集]

歴史
1923年大正12年)に開校した「鳥取県立工業学校」(実業学校)を前身とする。2013年平成25年)に創立90周年を迎えた。
設置課程・学科
全日制課程 5学科(各科定員 38名)
  • 機械科
  • 電気科
  • 情報電子科
  • 環境エネルギー科
  • 建設科 建築コース 土木コース
校章
校歌
歌詞は3番まであり、各番に校名の「米子工業高校」が登場する。
制服
2003年(平成15年)より、男女とも、グレーブレザーネクタイ、チェック柄の標準ズボン(男子)、プリーツスカート(女子)となっている。改定前は、男子は標準学生服(いわゆる学ラン)、女子は、黒に近い紺地に白線三本、紺のネクタイセーラー服であった。男子は制服の襟の部分、女子はポケット部分に、校章及び科のマークのバッジを付けていた。
同窓会
「米工会」と称されている。東京関西東海、県内各地に支部を持つ。また「華の会」と称される出身女子の会も存在する。校内に同窓会館(米工会館)があり、1階は食堂・購買、2階には和室二部屋があり、部活動の合宿や、茶道部の部活動に使用されている。

沿革[編集]

設立にいたる経緯
  • 1919年(大正8年)12月13日 - 通常鳥取県会に「県立工業学校設置に関する件」が意見書として提出され、議案となる。
  • 1920年(大正9年)12月18日 -「米子町に県立工業学校設置に関する件」が意見書として提出され、議案となる。
  • 1921年(大正10年)
    • 3月 - 鳥取県会より内務大臣鳥取県知事宛に意見書が提出される。
    • この年度 - 次年度(大正11年度)県費予算に、設立の経費が計上される。
  • 1922年(大正11年)
    • 6月 - 「鳥取県立工業学校」が設立が認可される。
    • 10月 - 初代校長に竹下俊夫が着任。
    • 11月 - 書記に足立重孝が採用される。
    • 12月 - 鳥取県立米子高等女学校鳥取県立米子西高等学校の前身)の玄関右側の看護室を借用し、県立工業学校の開校事務を開始。
工業学校時代
  • 1923年(大正12年)
    • 3月 - 本館が完成。
    • 4月1日 - 「鳥取県立工業学校」が博労町四丁目220番地(現在地)に開校。機械電気科・応用化学科の2学科を設置。
      • 機械電気科50名・応用化学科30名の入学が許可される。
    • 5月25日 - 開校式を挙行し、以後この日を開校記念日と制定。
  • 1934年昭和9年)6月30日 - 「鳥取県立米子工業学校」と改称。
  • 1938年(昭和13年)3月31日 - 第二本科・機械科の設置が認可される。
  • 1939年(昭和14年)4月14日 - 電気科の設置が認可される。
  • 1940年(昭和15年)1月25日 - 電気機械科を機械科に改編。
  • 1943年(昭和18年)4月20日 - 鳥取県立米子機械工養成所を併設。
  • 1946年(昭和21年)3月1日 - 第二本科、鳥取県立米子機械工養成所を廃止。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施、新制中学校の発足)
    • 工業学校の募集を停止(1年生不在)。
    • 新制中学校を併設し(名称:鳥取県立米子工業学校併設中学校、以下・併設中学校)、工業学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。
    • 併設中学校はあくまで経過措置として暫定的に設置されたため、在校生が2・3年生のみ(1年生不在)の中学校であった。
    • 工業学校3・4年生はそのまま工業学校に在籍し、その4・5年生となる(4年修了時点で卒業することもできた)。
新制工業高等学校
  • 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施、新制高等学校の発足)
    • 工業学校が廃止され、新制高等学校「鳥取県立米子工業高等学校」が発足。全日制課程 工業科を設置。
      • 工業学校卒業生(5年修了者)を新制高校3年生、工業学校4年修了者を新制高校2年生、併設中学校(3年修了者)を新制高校1年生として収容。
      • 併設中学校は新制高校に継承され(名称:鳥取県立米子工業高等学校併設中学校)、在校生は1946年(昭和21年)に工業学校へ最後に入学した3年生のみとなる。
  • 1949年(昭和24年)
    • 3月31日 - 併設中学校を廃止(旧制4・5年から新制3年への修業年限の移行が完了)。
    • 4月1日 - 高校三原則に基づく鳥取県内公立高等学校の再編が行われ、総合制高等学校「鳥取県立米子西高等学校」の工業科となる。
      • 島根県立米子第一高等学校(旧制中学校を前身とする男子校)・島根県立第二高等学校(高等女学校を前身とする女子校)の2校と統合された。
      • 土木科を設置。
  • 1952年(昭和27年)4月1日 - 「電波通信科」を設置。
  • 1953年(昭和28年)4月1日 - 鳥取県立米子西高等学校より工業に関する学科が分離し、「鳥取県立米子工業高等学校」として独立(総合制を解消し設置)。
  • 1963年(昭和38年)4月1日 - 新設の鳥取県立境港工業高等学校[1]が校舎完成までの間、併設される。
  • 1964年(昭和39年)2月20日 - 鳥取県立境港工業高等学校[1]の新校舎が完成し、併設を解消。
  • 1973年(昭和48年)9月4日 - 鉄筋コンクリート造4階建ての新校舎が完成。
  • 1976年(昭和51年)4月1日 - 電波通信科を「電子科」に改編。
  • 1984年(昭和59年)
  • 1990年(平成2年)4月1日 - 機械科のうちの1学級を「電子機械科」に改編。
  • 1991年(平成3年)4月1日 - 工業化学科を「材料科学科」に、電子科を「情報電子科」に改編。
  • 1992年(平成4年)4月1日 - 機械科を廃止。
  • 2003年(平成15年)4月1日 - 学科の改編を実施。
    • 制御系3学科(メカトロニクス科・パワーエレクトロニクス科・コンピュータテクノロジー科)と環境系2学科(環境テクノロジー科・環境デザイン科)の5学科。
  • 2006年(平成18年)4月1日 - 学科の改編を実施。
    • 機械科・電気科・情報電子科・環境エネルギー科・建設科の5学科。
    • 上記のうち建築科は旧・鳥取県立境港工業高等学校[1]より移管される。
  • 2011年(平成23年)2月 - 新校舎が完成し、移転を完了。

学校行事[編集]

学校祭
米工祭」と呼ばれている。文化の部が2日間、体育の部が1日間、計3日間にわたり9月下旬から10月上旬に開催される。各クラスがユニフォームを制作する。かつてはクラスごとに張り子を制作するのが伝統であったが、2000年代に入り学校の造改築が進むと校地が狭くなり(グランド部分に校舎が建てられ、老朽化した校舎部分の一部を取り壊してグランドにするため)、張り子は制作されなくなった。
なお、体育祭では、33人リレー(仮称。人数は毎年変わる。その年度に一番生徒数の少ないクラスに合わせる。)が行われ、学年ごとのクラス(学科)対抗で、一人100mの、クラスのほぼ全員参加のリレーとなる。なお、女子生徒には15mのハンデが与えられる(女子は85m、クラスの最初に走る。女子が複数人出場する場合、そのクラスの始めに女子が続けて走る。)
球技大会
毎年に行われる。競技は固定しておらず、毎年、生徒会にて決定する。
強歩大会
毎年秋に行われていたが、1990年代末頃より行われなくなった[要出典]
応援練習
新入生に対して4月中の1週間、生徒会(應援團)による応援練習が行われていた。指導される曲目は、校歌、応援歌2曲である。この応援練習を乗り越えて真の米工生になったと言われる。以前は、竹刀木刀等が使用されていたが、應援團による応援練習の在り方が問題視されるようになったため、1990年代末頃より、木刀・竹刀等は使用されなくなり、2000年代に入り、応援練習そのものが行われなくなった[要出典]

部活動[編集]

運動部
文化部

著名な出身者[編集]

卒業生
指導者

脚注[編集]

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  1. ^ a b c 2003年(平成15年)に鳥取県立境水産高等学校・鳥取県立境高等学校家庭化学科と統合され鳥取県立境港総合技術高等学校が新設された。境港工業高等学校自体は2005年(平成17年)3月31日に閉校した。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]