酒井忠え

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
本来の表記は「酒井忠藎」です。この記事に付けられた題名は技術的な制限または記事名の制約により不正確なものとなっています。

酒井 忠藎(さかい ただえ、安永10年1月28日1781年2月20日) - 天保4年5月21日1833年7月8日))は、越前国敦賀藩の第6代藩主。忠稠系小浜藩酒井家別家6代。第5代藩主・酒井忠言の長男。母は三浦明次の娘。正室有馬純養有馬孝純の長男)の娘(大村純鎮の養女)。子に土井利亨(次男)、酒井忠毗(四男)。官位は従五位下、右京亮、飛騨守。初名は忠明

寛政9年(1797年)11月25日、父の隠居で家督を継いだ。大番頭大坂定番などを歴任した。天保4年(1833年)5月21日、53歳で死去し、跡を四男・忠毗が継いだ。