謄写版

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エジソンの謄写版(1889年時点の広告)

謄写版(とうしゃばん)は、印刷方法の1つ。孔版印刷の1種である。ガリ版(がりばん)ともいう。

発明者はトーマス・エジソンで、1893年ごろに原型がつくられた。日本の堀井新治郎が改良。1894年に完成したものが現代につながる最初の謄写版印刷機であるとされる。ほぼ20世紀全体を通して、日本で多く使われた。

1894年(明治27年)、1月堀井新治郎父子が謄写版を発明。7月に発売開始し、11月に旧原紙を発売した。

ガリ版[編集]

ロウ紙と呼ばれる特殊な原紙(薄葉紙にパラフィン、樹脂、ワセリン等の混合物を塗り、乾かしたもの)を専用のやすり(鑢盤)の上に載せ、ヘラや先の尖った棒のような形状の鉄を木の軸に固定した器具「鉄筆」を強く押し付けて、絵や文字の形に原紙を傷つけて版を作って行く 。この部分は紙の塗料がヤスリ目の形にけずれ落ちて細かい孔がたくさん開き、「透かし」となる。この作業を「原紙を切る」「ガリを切る」などという。面印刷の部分は写真製版の密度の高い網点のような状態になっている。濃淡を作りたい場合はヤスリの山が荒い網点のような配列になったものを使用し、筆圧を変えるなどして孔の大きさで表現する。間違った場所は修正液という薄いニスのようなものを塗って孔を埋め、レタッチを行なう。

刷りでは、木枠に細かいシルクスクリーンのような網を取付け、その下に製版の終わった原紙を置き、ガラス板の上などでインクを練り伸ばしたローラーを手前から転がしてインクを圧し着けて行くと、「透かし」部分だけインクが通過し、下に置いた用紙に印刷されるしくみである。シルクスクリーンのようにスクリーンに版を接着する必要は無い。インクの粘着力でもたせておく。シルクスクリーンが版を切り取ってしまうのに対して、謄写版は面や線の部分も小さな孔のつながりでできているのでこの方法が可能であるが、原紙が線の部分で破れやすく、切れるとすぐに使えなくなってしまう欠点もある。また孔が小さいのでインクも柔らかめにしないとうまく印刷できず、いつまでも乾かないようなインクも多く使われていた。

版は熟練者が作れば1000枚は印刷可能であったが、数多く刷る場合には替えの版を製作する必要があった。急ぎの場合には何人かが肩を並べて同じ原稿から版を起こさなければならない。使用済の版は捨てるしかないが、一日程度であれば何かに挟むなどで保存は可能である。スクリーンは清掃して破れるまで使う。

文字を組み替えないで逐一文章通りに版を作って行くという点では木版印刷の整版と同じであるが、小さな文字では下書の外郭を彫って行くわけではなく、ストローク通りの線が残るので作業者の手の動きがより出やすいとは言えるであろう。

読みやすくするための手法として謄写版ではなるべく升目一杯を使って字画を離すようなスタイルの書体が自然と流行し、これは写植印刷書体の「ゴナ」の特徴にも通じるものが観られる。このゴナのスタイルは「新ゴ」などにも継承されている。

「ガリ版」の呼称は原紙を切る作業中に生じる音に由来するが、後述の「ボールペン原紙」「タイプ原紙」「ファックス原紙」を使うものでも謄写版全般にガリ版と呼ばれている。

非常に簡易な印刷装置で小型のものは手で持ち運ぶこともでき、原紙とインクさえあれば電気などがなくても印刷可能なのが特徴である。このため、日本では小学校中学校で副教材や問題用紙の印刷などに多く使われ、戦地でも活用された。また、労働運動学生運動のビラなどを作成するためにも多く使われた。もちろん官公庁などでも普通に使われていた。複数のインクと版を利用することでカラー印刷も可能であった。高い技術を持つ書き手の手にかかると、非常に美しい多色印刷物を作ることもできた。しかし実際には、急いで、誰でも可能であるという簡便さで主に評価されていて、今日のコピーのような役割で使われていたと言っていいだろう。1960年代高校の文化系クラブなどでも備品として一台ぐらいあるのは珍しくはなかった。

その手軽さから小部数の出版にも多く活用され、1950~1980年代には演劇や映画・テレビ番組の台本楽譜、文芸同人誌など「ガリ版文化」と呼ぶべき一時代が築かれた。

特に日本や中国で多く使われた理由は、これらの国では文字の数が数千から数万種類あり、活版印刷が欧文より大掛かりな態勢と費用を必要としたからであろう。

1970年代ごろからは、下記の「ボールペン原紙」や「ファックス原紙」に移行し、印刷機も輪転機となっていったが、それらも1985年ごろを境に、リソグラフ等の簡易印刷機の出現や電子複写機のコストの低下により、日本ではほとんど使われなくなった。ただし、一部の美術家がまだ使用している。アニメ「サザエさん」の台本は近年まで謄写版で刷られていた。

現在では、電気などがない地域のアフリカアジアの小学校などで多く使われている。マニュアル・オートマの2種類があり、未だ停電のある国で活躍している。以前は、UKのGestetner製が世界中で多く見られたが、現在日本からは、大東化工製DC-700が多く輸出されている一部の国では、謄写原紙を「ダイトー」と呼ぶ場合も多く見られる。[要出典]。インクジェットより印刷コストが安く、質では劣ってしまうが印刷スピードも謄写版方式の方が速い。

現在デジタル化された「リソグラフ」「リコーデジタル印刷機」「デュープリンター」が世界の市場を占めており、この分野は全て日本3社より機械輸出がされている。このデジタル印刷機には、マスター・インクといった消耗品が使われ、このマスターが謄写版の現在の姿になる。

その他の謄写版[編集]

1970年代には、「ボールペン原紙」と呼ばれる、ボールペンで筆記することによってインクが通過する部分をつくる印刷原版も存在したが、ボールペンの先が鉄筆ほど細くないことや原紙の特性から、ろう引き原紙にくらべて線が粗くなるものであった。

また、タイプライターの活字をロウ原紙に打ち付ける、タイプ印刷方式も業務用に採用され、軽印刷というジャンルが確立された。

1980年代には手書き原稿をドラム型スキャナで転写し、原紙を作成する「謄写原紙自動製版機」(当時はこれもファックスといった。ファクシミリと区別するためトーシャファックスとも呼ばれた)が登場し、イラストなどもそのまま印刷できるようになった。印刷を効率化するための輪転機も作られ、大量印刷に貢献した。

理想科学工業では「プリントゴッコ」というハガキサイズ専用の謄写印刷グッズを発売し、一時は年賀状印刷などの用途で大きな人気を博した。これは原稿を専用の原紙に熱で焼き付けて製版するものだが、同社では平面イメージスキャナによる高解像度の謄写印刷機を「リソグラフ」の商標で、継続して発売している。

また、毛筆用の謄写版もおこなわれたと言われている。ニカワその他を原料とする溶剤を、強靱な薄葉紙に塗り、これを乾かして原紙とした。毛筆には、希硫酸か硫青酸アルカリ溶液をふくませ、文字や絵をかけば、書いた部分だけ薄葉紙上の薬剤が溶けるものであったと言われている。印刷は、鉄筆の場合と同様である。

関連項目[編集]

Further Reading[編集]

  • 富田倫生 「草の根のメディアとしての謄写版」『本の未来』 青空文庫、2013年8月(原著1997年3月)。

外部リンク[編集]