レイモンド・ローウィ

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1950年

レイモンド・ローウィ: Raymond Loewy、1893年11月5日 - 1986年7月14日)は、フランスパリ出身のデザイナー。

主にアメリカ合衆国で活動し、インダストリアルデザインの草分けとして知られる。「口紅から機関車まで」と言われるように様々な分野で活躍した。フランス語読みではレーモン・レヴィ

人物[編集]

パリにユダヤ系スロバキア人の家庭に生まれる。電気工学を学びつつ当時開発が盛んだった飛行機に熱中し、第一次世界大戦フランス軍工兵大尉として従軍。軍を除隊した後1919年にニューヨークへ渡り、メイシーズ百貨店などの店舗装飾やハーパース・バザー誌でファッション・イラストレーション、グラフィックなどの仕事を始めた。 1920年代半ばにデザインを請け負う事務所を開設する。

1929年、ジグムント・ゲシュテットナー社の複写機のデザインを手がけ、これが評判になり大きく売り上げを伸ばした。それまでの複写機はむき出しの機械であったが、カバーを取り付け機能的な外観デザインにまとめたことで、工業製品におけるインダストリアル・デザインの重要性が注目を集めた。

1934年、ペンシルバニア鉄道の電気機関車GG1風洞実験の結果、かろやかな流線型にリ・デザインする。この流線型デザインは力学的な形態の倫理により発見、設計され、以後、自動車など速度を要求される対象に採用される時代が始まった。速度、進歩、現代性などの表現として、様々なデザインにも引用される様になった。このような形状(ストリームライン・モダン)は時代の流行となり、当時のアール・デコスタイル装飾に用いられるなど主要なモチーフにもなった。デザインが流行として消費され、陳腐化させられる時代の到来でもあった。1938年、アメリカ市民権を取得し140社もの企業のデザイン・コンサルタントをつとめた。

主な作品[編集]


MAYA段階[編集]

レイモンド・ローウィが1940年頃に発見した、消費者の中に潜む「新しいものの誘惑と未知のものに対する怖れ」との臨界点。Most Advanced Yet Acceptable(先進的ではあるがぎりぎり受け入れられる)、略して「MAYA段階」と名付けた。

書籍[編集]

  • 「口紅から機関車まで」(1951年・レイモンド・ローウィ)

参考文献[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『クラシックカメラ倶楽部』P6。
  2. ^ 『路面電車発達史』P68
  3. ^ a b 『クラシックカメラ倶楽部』P7。
  4. ^ ファミリーマークについて”. 不二家. 2020年9月6日閲覧。
  5. ^ http://www.raymondloewyfoundation.com/de/raymond-loewy/loewys-arbeiten/spar.html

外部リンク[編集]